第三十五話 決闘2

「それでは、只今より実力テストを始める!」


 担任、中川の声が教室に響き渡る。

 昨日の内に全てを出し切り、完璧な状態へと学力を高めたからこそ出来る、彼らの焦りの一切感じさせない穏やかな雰囲気が作られていたこの教室は、その一声で再び緊迫へと変化する。


(…すげぇな。やっぱりレベルが高ぇ)


 数学のテストが配られると、すぐに開始の合図が掛かった。

 一斉にペンを走らせる音が聞こえてくると、西条も同様に記入を始める。


 (やれるだけの事はやってきた。だからこそ負ける訳には行かねぇ)


 用紙一面にズラっと並ぶ問題たちは、白鳳学園の名に恥じない難問ばかりであった。

 紅蓮のトップとして、不良達のトップに君臨していたかつての西条には、考える隙も与えないであろう難問。

 だが、今の彼にはその問題の全てが"既視感のある"ものだった。


 (何とか転入試験もパスしたしな。それに…)


 胸の内に浮かび上がるのは、彼等と共に学んだ日々、白鳳学園での"普通"の生徒として過ごす日常。

 その全てが彼の背中を押すような、そんな感覚を覚えた。


 (やっと"普通"ってモンがなんだか解って来た所なんだ、こんな所で終わってたまるかよ!)


 順調に問題を時進めていると思ったが、中盤辺りで、周囲からはページをめくる音が聞こえ始める。

 周りのペースが予想以上に早く、自分が時進めるペースの少し焦りを感じる。


 (嘘だろ...?もう1ページ終わったのか!?)


 一瞬、心の中を焦燥が支配しようとする。

 そんな中、再度冷静さを取り戻す為に、一度深く息を吸い込む。


 (焦ってもいい事ねぇしな。俺は今までやって来たことを出し切るだけだ)


 心に落ち着きを取り戻し、再度集中を取り戻した。

 しっかりと自分を客観視した事による恩恵か、先程よりも、どこか頭の中がスッキリしていた。


 問題を解き進める。

 ペースこそ遅いが、途中途中で大きく引っかかる事も無く、順調に進んでいた。

 出てくる問題全てがどこか見覚えのある問題で、星羅達の手助けに、大きな感謝を覚えた。

 西条を横目でちらりと見ていた星羅は、彼が冷静さを取り戻し、順調に1ページを解き終えたことに安堵を覚える。


 (ほんま、えらいヒヤヒヤさせられますわ、せやけど、しっかり冷静になれたみたいで)


 (第二問でつまづくやろなぁ。やけど全部学んだ事の応用ですわ。その事にしっかりと気づけるとええんやけど...)


 思わず横から口を出したくなる気持ちをグッと堪えて、ただただ祈るばかりだった。

 そんな星羅の予想した通り、第二問へと差し掛かった時、そこに広がる問題達は、西条の記憶に無いものであった。


 (おいおい、嘘だろ...?)


 問題達はどこか解けそうな匂いを醸し出すも、根本的な解き方までは分からないような、そんな所々ピースが欠けているような、そんな問題が一面に拡がっていた。


 (こんな問題やったか...?)


 周りがスラスラと解いている所を見ると、自分以外には解けている様だった。

 

 (どうする?なにかヒントになるような所は...)


  焦りが再び心を支配しそうになる。

 周囲のペンの走る音が、妙に大きく聞こえた。

 星羅や藤井、市原はすでに次のページに進んでいるようだった。


 (クソッ……!ここで止まるわけにはいかねぇ)


 一度目を閉じ、これまでの勉強を思い出す。

 この数週間で学んだこと、問題の傾向、公式

 すると、ふと脳裏に星羅の言葉が浮かぶ。


 『この問題、基礎的なものを組み合わせれば解けますわ』


 (そうだ……この問題は、決して見たことがないわけじゃねぇ)


 問題の形こそ違うが、根本の考え方は同じはずだ。

 何度も演習した応用問題。

 星羅のノートにも似たような解法が書かれていた。

 冷静になれ。

 頭を整理しろ。

 焦るな、今までやってきたことを信じろ。


 再びペンを走らせる。

 計算を進めると、驚くほどスムーズに答えが導き出せた。


 (……よし!合ってるはずだ)


 西条はそのまま次の問題へと進んでいった。

 時間は残り半分。ペースを上げなければならないが、もう迷いはなかった。

 “知らない問題”ではない――“考え方次第では解ける問題”だ。


 そう"気が付いてから"は、彼は一度たりとも迷う事は無かった。

 決して立ち止まらない訳では無かったが、一度冷静になり、その問題の関連を探す。

 元々応用力のあり、地頭の良かった彼の頭の柔らかさが功を奏したのか、応答問題を尽く解き伏せていった。

 冷静さを取り戻すその最中、何度も何度も、無意識のうちに彼女の言葉が思い浮かんでいた。

 意識こそしないが、それが彼の心の支えとなっていたのだった。


 その後の教科も、冷静さを取り戻した彼にとっては、悩むべき物では無かった。

 順調すぎて怖いくらいに進んで行ったそれは、彼の自信を増幅させるきっかけとなったのだった。


 そして、テスト終了の合図が鳴る。


「そこまで!ペンを置いてくれ」


 一斉に生徒たちが筆記をやめ、重いため息を漏らす。

 背伸びをする者や、欠伸をする者。

 教室に溜まった緊迫したガスが抜けていくのを感じる。

 西条もまた、力を抜いたように背もたれに寄りかかった。


 (……やり切った)


 達成感と安堵の入り混じった気持ちが胸に広がる。


 ちらりと隣を見ると、星羅が静かに微笑んでいた。


「……お疲れさまでした」


「……ああ、マジで疲れた」


 その言葉に、星羅はわずかに微笑みを深める。

 西条が最後までやり遂げることを信じていたかのように。


 夕暮れの光が差し込み、柔らかく彼らを照らしている。


「……その、ありがとな」


 不意に漏れた言葉に、星羅は驚いたように瞬きをする。


「……え?」


 西条は少し照れくさそうに、けれど真っ直ぐな視線で続けた。


「花ヶ崎さんのおかげで、俺はここまでやり切れたんだと思う」


 その意図を理解すると、星羅はふっと微笑んだ。


「ふふ、どういたしまして。ですが、その言葉は結果が出てから、もう一度聞かせていただきたいですわ」


「ははっ、自信満々だな」


 西条が苦笑すると、星羅は少し得意げに胸を張る。


「当然ですわ。なんせ、この私が教えたのですからね」


 冗談めかしく言う彼女の表情はどこか楽しげで、二人の間に自然と笑いが生まれる。


 西条はふと、そんな何気ないやりとりに心が温まるのを感じた。


 “普通の日常”


 彼がずっと求めていたものが、確かにここにあった。

 かつては想像すらできなかった、穏やかな時間。

 誰かと机を並べ、共に学び、同じ目標に向かって努力する。

 正解を導き出した時の達成感や、仲間と交わす何気ない会話。

 今までの人生では手に入らないと思っていたものが、こうして当たり前のように側にある。


 彼の人生は、暴力と孤独に満ちたものだった。

 誰よりも強く、誰よりも恐れられ、誰にも頼ることなく生きてきた。

 そうすることでしか、自分の居場所を守れなかった。


 だが、今――


 隣には、己を導いてくれた少女がいる。

 向かいには、共に努力し、支え合った仲間がいる。

 そして教室には、当たり前のように笑い合い、語らうクラスメイトたちがいる。


 自分はここにいてもいいのだろうか?

 そんな迷いは、星羅の微笑みと、仲間の存在によって、自然と霧散していく。


「まだ完全に”普通”に馴染めたわけじゃねぇ。それは痛いほど分かる」


 だけど――


 夕暮れの光が差し込む教室の中で、西条は静かに目を閉じた。

 心の奥に、ほんの少しだけ誇らしさと、言いようのない温かさが広がっていく。


 “普通”というものが何なのか、まだはっきりとは分からない。

 けれど、こうして仲間と共に笑い合い、励まし合いながら進む日々は、確かにこれまでの自分にはなかったものだった。


 ――ちょっとくらい、俺も"青春"ってヤツを楽しんでもいいのかもしれねぇな。


 西条は静かに目を開け、目の前に広がる景色を噛み締めるように見つめた。

 この教室も、騒がしいクラスメイトたちも、これまで縁のなかった”日常”の一部として、確かにそこにある。


「おーい、何してんだ?早く行こうぜ!」


「そうだよ!テスト後の息抜きにカフェでも寄ろうって言ったじゃん!閉まっちゃうよぉ」


 あまりにも遅い西条達の様子を見にきた顔を藤井と市原が顔を覗かせた。


「わりぃ、すぐ行く!」


 彼の”普通”への道は、まだ始まったばかり。

 けれど、夕暮れの道を歩く彼が見据える先には、確かに"希望"が見え始めていたのであった。

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