モブの幸せは食べることです

とまと

第1話

 三坂高校2年1組18番、間山美優。

 それが私のプロフィールのすべて。

 勉強も運動も趣味もとりわけ特徴もなくごくごく普通。雑誌のモデルになるわけでもない。心血そそいで推し活をしているわけでもない。

 たぶん、私のような人間を言葉で表せば「モブ」。それも「モブ中のモブ」、「世界有数のモブ」とでもいえばいいんだろうか。

 お昼休み、廊下側の机を二つくっつけてお弁当を食べた終わったところで、鞄の中からコンビニの袋を取り出す。。

「うわー、弁当食べた後に、よく食べられるね?って、美優はいつものことか……」

 中学からのモブ友。ななみんが、机の上に出したチョコレートとポテチを見てため息をつく。

「ななみんも食べる?新作のキンカンチョコレート」

 勧めると、ななみんはチョコを1つ口に運んだ。

 その間に、私はポテチを4枚、チョコを2つ口に入れた。

「……美優、太るよ?」

「あはは、手遅れ手遅れ。いいの。私は美味しいものを我慢する人生はまっぴらだから」

 デブに差し掛かりそうなぽっちゃりが私だ。身長158センチ、体重60キロ。

 ちょっと痩せたからって、どうせモブの人生。キラキラ輝く夢のような恋愛も、スカウトされてスターダムにのることもあるはずないんだから。

 私には、美味しいものを好きなだけ食べるほうが、充実した幸せな人生だと思ってる。

「そういえば、ななみんイラストコンテストの最終候補に残ったって言ってたやつどうだったの?」

 ポリポリ、パリパリとポテチを食べながらななみんに尋ねる。

 ななみんの幸せは、勉強そっちのけで絵を描くことだ。ななみんは勉強より絵。私はダイエットより美食。

「うー、だめだった!」

 ななみんがスマホを取り出して、画面を私に見せる。

「ほら、きっと受賞はこれだって言ってたやつが受賞した」

「私はななみんの絵のほうが好きだけどなぁ」

「ありがとう美優っ。また頑張って描いて応募するっ。次こそ入賞するんだ!」

「やけ食いする?」

 もう一度チョコレートとポテチを勧めると、ななみんがふにゃりと笑った。

「あはは、美優は悲しいことや腹が立つことがあっても美味しいもの食べたら復活しそうだね」

 ななみんの言葉に、顎の下の肉をちょっとつまんだ。

「この辺りは怒りの成分でできているかもしれない」

「ぷっははは、いつも幸せそうに食べてるんだから、美優の体は幸せでできてるんだよ」

 私の体は幸せでできてる?幸せな気持ちで食べたものが、私の体を作っている……。

「ななみん、ありがとう!なんかその言葉好き!」

「ぷっ」

 唐突に聞こえた噴き出す声に廊下に目を向ける。

「うわっ、笑われてるのって、私たち?」

 ななみんが私に顔を寄せてひそひそと話をする。

「悪い、馬鹿にしたわけじゃないんだ」

 ぎゃぁ、ななみん、今の声、丸聞こえだよ。

 廊下側の机で話をしていたため、開いていた隙間から声が廊下に駄々洩れだったみたいだ。

 がらりと廊下の窓が開くと、5組の花木田俊哉君が顔をのぞかせた。

「うわぁ、俊哉君だ」

 クラスの女子が小さく歓声を上げた。

 生徒会副会長の花木田俊哉くん。街で見かけたイケDKコーナーに写真が乗った花木田俊哉くん。学年順位がいつも5番以内の花木田俊哉くん。……私と比べてどれだけでも紹介するための言葉が出てくる。

 モブとは対極の主人公だ。いや、生徒会長じゃなくて副会長というあたりが当て馬臭もするけれど、スピンオフでは主役に抜擢されるような使い捨てキャラでないことは間違いない。

 つまり、普通に生活してたら関わるような人じゃない。

 サラサラの色素の薄い髪。優しくきれいな目に、高すぎず低すぎない整った鼻。言い出したらきりがない完璧なパーツの数々。砂糖系イケメンだ。

「盗み聞きする気はなかったんだ。えーっと……」

 そりゃ、モブの会話を盗み聞きなんてしても仕方ないし。

 ……それにしても、教室と廊下を隔てる窓ごしとはいえ、こんな至近距離で見下ろされると落ち着かない。

 クラスの女子たちの視線も痛いし。

 早くどっか行ってと思っているのに、花木田君は私とななみんの顔を見比べて小首をかしげる。

 砂糖系男子のあざとかわいいしぐさに、女子からため息が漏れた。

「ねぇ、僕も美優ちゃんの幸せな体作りに協力させて?」

 は?な、な、何?

 甘い顔で微笑んだまま花木田君が手に持っている袋からクッキーを1枚取り出して、私に差し出した。

「あ、いただきます」

 そういうことか。びっくりした。

 素直にクッキーを受け取るとすぐに口に運ぶ。

「あ……紅茶のクッキーだ。甘さは控えめだけれど、紅茶の香りが鼻に抜けて味わい深くておいしい」

「ぷっ」

 花木田君が私の顔を見て笑う。というか、笑われた?

「本当に幸せそうな顔をして食べるんだね、美優ちゃんって。よかったら、残りもあげる」

 廊下から再び手が伸び、机の上にクッキーの入った袋を置いて花木田君は去っていった。

「嬉しい、すごくおいしいよ、このクッキー。ななみんも食べてみ」

 ななみんが眉根を寄せて嫌そうな顔をしてる。

「あ、ごめん、お腹いっぱいだったっけ……」

「花木田俊哉……ちょっとモテるからって嫌なやつね」

「ななみんはなんでそんなに怒ってるの?」

 ななみんが、机の上に置いたクッキーの入った袋を指さす。

 透明な袋に、一口サイズのクッキーが10枚ほど入っている。

「これ、手作りクッキーでしょ?」

 ああ、言われてみれば市販品なら原材料が書かれたシールが貼ってあったり、お店のロゴシールが貼ってあったりするか。あとシリカゲルとか入れてあったり。

「誰か、あいつのファンから差し入れもらったのよ。それをさ別の女の子にあげちゃうのって、無神経だと思わない?」

 確かに……そうかも?

 でも、いらないと冷たく断ることもせず、ゴミ箱に捨てることもせず有効活用しただけマシ?

 とはいえ……。

「これを作った子、すごくお菓子作りが上手なことに間違いないわ。せめてすごく美味しかったと伝えてくれるといいね……」

 ななみんがため息をついた。

「まぁ、そうだね。花木田俊哉が唯一いいことしたとすれば、人一倍おいしく食べてくれる美優に渡したことね……」


 授業が終わり、美術部へ向かうななみんと別れ、一人昇降口に向かう途中花木田君の姿が見えた。

 一人で生徒会室へ向かう途中だろうか?

 いつもの私なら絶対そんなことはしなかったと思う。

 でも、なぜか今日は自然と体が動いていた。

「花木田君っ!」

 小走りで駆け寄ると、振り返った花木田君はいつものように優し気な笑みを顔に浮かべている。

「ああ、美優ちゃん。どうしたの?」

 向き合ってから、我に返った。ああ、話しかけるなんてなんてことを!でも、言わなくちゃ。

「昼にもらったクッキー、あれ、手作りクッキーですよね?本当においしくて。その……作った人に伝えてほしくて。サクッとした食感もさることながら、絶妙な甘さと、紅茶の香りを引き立てるためにバターではなくオリーブオイルを使ってあるところとか、本当に感動するくらいおいしかったです」

 花木田君の顏からいつもの笑みが消えた。驚いたような顔をしている。

 もしかして、手作りクッキーだって知らなかった?人に気軽に上げたことを後悔してるとか?

「そんなに、美味しかった?」

「はい。あの、幸せがまた、体にたまりました」

 ぽんっとお腹をたたいて見せると、花木田君が顔を赤くして視線をそらしてしまった。

 あれれれ?もしかして、笑いをこらえている?流石にちょっと体を張って女子らしくない行動しちゃったかな?

「あの、とにかく、今まで食べた紅茶クッキーの中で一番美味しかったので、幸せな気持ちになれたと、えーっと、作った人に、もし感想を聞かれたらそう伝えてくださいっ!」

 花木田君は、視線をそらしたまま小さくああと返事をした。

 笑いをこらえながら声を絞り出したのかな?げらげら笑ったら私を傷つけると思ったのかな?

 ななみんの言うように嫌な奴ではなさそうだよ?


 次の日。いつもの席でいつものようにお弁当を食べ終わり、いつものように鞄から食後のお菓子をとりだそうとしたところで、廊下の窓ががらりと開くと、ぬっと手が出てきた。

「え?」

 手には袋に入ったクッキーがある。

 顔を上げると、にこにこ笑顔の花木田君の姿があった。

「昨日のクッキー。美味しいって言われたのが嬉しかったから。これ、お礼」

 ちゃんと伝えてくれたんだ。

 お礼……?

「ありがとう」

 素直に受け取ると、花木田君は廊下のから立ち去ることもなくまだ立っている。

「いただきます」

 食べるところまで確認したいのか、また感想が聞きたいのかと思って、袋を開けてクッキーを口に運ぶ。

「あ……、これ、昨日のと違う」

 私のつぶやきに、花木田君が小さく声を上げた。

「美味しくない?」

「あ、まずいとかじゃないです。昨日とは紅茶の種類が違うような……違うかもしれませんが、昨日はダージリン、今日のはアールグレイ……かな?」

 花木田君がポカーンと口を開いている。

「分かるの?」

「え?だって、ベルガモットの香りがするし……ねぇ?」

 ななみんにクッキーを一つ手渡し同意を求める。

 ななみんはクッキーを食べると苦笑いを浮かべた。

「美優ほど味の違いは普通は分からないからっ!」

 え?そうなの?

「ど、どっちが美味しい?」

 花木田君が興奮気味に、窓のさんに手をかけて上半身を乗り出してきた。

 ちょ、近いよ。キラキラ主人公がモブ領域に入り込まれると心臓に悪いから。

「どっちか……というと、昨日の、かな……」

 花木田君が少しがっかりした顔をする。

 もしかして、クッキーを作った子が昨日のよりおいしかったって言葉を期待していたってことかな?ああ、どうしよう。私って空気読めないよね!

「ち、違うの!今日のクッキーもおいしかったんだけど、ほ、ほら、えーっと、アールグレイってミルクティーに合う紅茶でしょ?だから、なんていうか、ミルク感がクッキーにもあったらもっと美味しいのかなぁって考えちゃって。えっと、ベルガモットの香りとミルクの香りが混ざると香りだけでも胸が幸福感で満たされない?」

「アールグレイ……ミルクティか……。なるほど」

 花木田君がまじめな顔でうなづいている。

「あの、ただの私の好みなので。クッキーは本当においしいです。美味しさで言えば昨日のと引けをとりません。ありがとうと伝えてください」

 嘘じゃないと見せるためにクッキーをもう一枚食べる。

 ああ、幸せ。ベルガモットの香りに包まれると、なんだか執事が横に立っているような優雅な気持ちになるわよね。まぁ、実際に立っているのは執事というよりは王子的な人だけども。

「ほんとうに、幸せそうな顔をして食べるんだね?」

「幸せそうじゃなくて、間違いなく幸せ」

「おっと、生徒会の仕事があったんだ。じゃあ、またね!」

 またね?

 いえ、もう関わることはないよね?

 というか、ちょっとクラスの女子の視線が痛い。えーっと……食べよう。うん。クッキー美味しいし。

「このクッキー、誰が作ってるんだろう」

 ななみんが一つつまんで口に入れる。

「昨日の今日でお礼を受け取って持ってくるなんて、花木田俊哉は昨日あれから美優の言葉を伝えたってことでしょ?それで、今日花木田に渡したってことだよね?ずいぶん頻繁に顔を合わせる人間ってことになるよね?」

 そう言われればそうだ。

「幼馴染とか?」

「いたかな、花木田俊哉に」

「じゃあ生徒会メンバーとか?」

 ななみんがうんと頷いた。

「可能性は高いわね」

 生徒会メンバーの顔を思い浮かべる。5人のメンバーのうち、書記が3年女子で、会計が1年女子だったはずだ。二人とも、男子生徒に人気が高い主人公系な人間。

 お菓子を作りそうなのは1年女子のほうかな?

「天は二物どころか、何物も与えるね~。かわいくて賢くてお菓子作りもうまいのかぁ」

 ななみんの言葉に大きく頷く。

 モブには一物も与えられないというのにねぇ。

 でも……。

「本当においしい。幸せ~。口に含むとほろりと崩れるこの感じ。ベルガモットの香りたまんない。バターよりも軽い植物油が使われているからか、重たくなくていくらだって食べられそう」

「いや、だから、太るよ」

「私の体に幸せが増えていく」

 ななみんがあきれたように息を吐き出した。

「ほんっとに、幸せそうな顔して……。太るって言われて笑う女子なんて他にいないよ」


「食べ比べて感想を聞かせてほしいんだけど」

 次の日の昼休みにも、花木田君は現れた。

「……」

 なんと、今日は教室の中に入って、私とななみんの座る机に椅子を持ってきて座ってしまった。

 嘘でしょう……。同じ空間に主人公がいるなんて!

 女子の目が……いつにもまして痛い。

 机の上には、5枚ずつ入ったクッキーの袋が3つ。

 いったい、なんでこんなことに……と、思いつつも。花木田君が持ってくるクッキーのおいしさは折り紙付きなので、遠慮なくいただくことにする。

 一つ目の袋のクッキー。

「あ、なるほど。昨日私が言った、ミルク感が足されてる」

 ベルガモットとほんのりミルクの香りが口の中で混ざり合い鼻に抜ける。

 昨日のクッキーに比べて格段に私好みだ。おいしい。

「美味しいって顏だ。うん、成功かな」

 よしっと、花木田君がこぶしを握り締めた。

 そんなに分かりやすい美味しいって顏してるのかな、私?

 二つ目。

「ん、これは……1つ目は牛乳、2つ目のこれは生クリームで、より濃厚なミルク感」

 コクも深まってる。

「三つめは練乳?」

 花木田君が頷く。

「全部正解。良く分かるね。すごいな美優ちゃん……。で、どれが一番おいしかった?」

 花木田君の質問に笑顔で返す。

「どれもおいしかった」

 正直にそう答えるとがっかりした顔を見せる。

「もしかして迷惑?クッキーの食べ比べなんてさせられて……ごめん」

 ちょっと落ち込んだような顔ををして頭を下げた。

「あーっと、そうですね、紅茶のクッキーというのであれば、1つ目の牛乳を使ったものが一番です。アールグレイのクッキーとしてとても楽しめると思います。二つ目はミルク感が強くなりすぎて、紅茶のクッキーではなくミルクティーのクッキーでしょうか。三つ目は、甘さ控えめという部分が覆ってしまって、まるで別物という印象です。それぞれ別の視点で全部が美味しかったです」

 花木田君が、うつむき加減だった顔を勢いよく上げた。

 キラキラと輝く目で私を見てる。

 砂糖顏イケメンと言われるだけあって、無邪気に喜ぶ顔を思わずかわいいと思ってしまった。

「そっか、紅茶のクッキーとミルクティーのクッキー、それに甘い別物のクッキーか。言われてみればそうかも。そっかありがとう。生徒会の仕事があるから行くね」

 満足そうに笑って手を振って立ち去る姿を目で追う。

 私の言ったクッキーの感想を、生徒会の……クッキーを作った子に伝えに行ったのかな?

 そんなに嬉しそうに、報告に行くなんて……。

「生徒会も仕事が多くて大変だよね」

 ななみんの言葉にハッとする。

「そ、そうだね……」

 生徒会室に行くのは、仕事のために決まってるよね。

 何考えてるんだろう。


 放課後に、恐れていたことが起きた。

「間山さん、ちょっといいかしら?」

 連れていかれた中庭で、6人の女子に囲まれる。

「デブのくせして、生意気なのよ」

 デブって罵られるよね。まぁ、別に傷つきはしないけれど。

「あんたみたいな豚にも俊哉様は優しいけど、勘違いするんじゃないわよ!」

 どんっと、肩を強く押される。

「そうよ。女として扱われてるわけじゃないんだからね?」

「そうそう、ペットの豚に餌をあげているつもりなのよ、俊哉様」

 餌?

「ほーら、餌がが欲しかったらブヒブヒないて御覧なさいよ!」

 鞄を奪われ、昼間に食べ残したクッキーの袋をとられた。

「ほーら、大事な餌がほしけりゃ土下座して謝りなさいよ!」

 二人に両肩を押さえつけられ、地面にひざまずいた。

「立場もわきまえずに、俊哉様に近づいて申し訳ありませんでしたって、さっさと謝りなさい!」

 土下座をしろと行った女子生徒が、私の頭を押さえつける。

 デブと言われようと豚と言われようと。

 全然平気。

 どうせ、私なんて、モブだ。

 でも……。

「撤回してくださいっ!」

 押さえつけられている力に逆らって頭を上げる。

「はぁ?」

 不快そうに顔をゆがめ、クラスのボス的女子が私をにらむ。

「餌だって言葉を、撤回してください。人が一生懸命作ったものを馬鹿にするような言葉は許せませんっ!」

 モブならモブらしくおとなしく逆らわずに謝っておけばいい。

 でも……。

 許せないものは許せない。

「何よ、こんなものっ!」

 袋を逆さまにするのがスローモーションのように目に映る。クッキーが地面の上に落ちていく。

「ひどいっ!」

「うるさいわよ!豚がっ!豚なら豚らしくこうして食べればいいわっ!」

 頭を再び押さえつけられる。他の女子にも手伝わせ、何人もで、地面に落ちたクッキーに顔を押し付けられた。

「何をしているっ!」

 突然よくとおる声が中庭に響いた。

 押さえつける手が緩んだところで顔を上げると、必死な形相で走ってくる花木田君の姿が見えた。

「何をしていると聞いているっ!」

 女子たちが私の手を離し、後ずさった。

 そんな中一人の女子生徒が慌てて口を開く。

「こ、この子が……こんなにクッキー渡されても迷惑だって」

 は?

「そう、太りたくないのにクッキーを渡すなんて嫌がらせだって言って……」

 花木田君が地面に座り込んでいる私を悲しそうな顔で見た。

「ほ、本当なの?」

 違う、違う……!

 慌てて首を横に振ろうとして、動けなかった。

 このままそういうことにすれば、花木田君が私に近づくのは辞めるだろう。

「それで、俊哉君からもらったクッキーを捨てているのが見えたので……ちょっと注意を」

「そ、そうです、私たちは俊哉君のために……」

 全部嘘だ。

 花木田君が、地面にばらまかれたクッキーに視線を向けた。

 その目は泣きそうだ。

 ……違うと声を大にして言いたい。

 でも、私の手に渡らなければ、誰かを幸せにしたはずのクッキーが……。

 花木田君が小さく息を吐き出した。

「やりすぎだ……。僕が悪いなら、僕に言えばいい」

 花木田君が女子たちに顔を向けて睨みつけた。

「これじゃあ、いじめだろう」

 花木田君の冷たい声。

「ご、ごめんなさいっ」

 蜘蛛の子を散らすように女子たちが逃げていった。

「……美優ちゃん……あの子たちの言っていたことは……」

 不安そうな声が上から降ってくる。

「美優ちゃんが……クッキーを捨てるわけないよね?」

 ああ。花木田君は私のことを信じてくれたんだ。それだけでいいや。

「わ、私……」

 モブはもう退場する。

「最下層の豚だって……」

「は?」

「わ、私、最下層の豚って言われてるのっ!」

 そんなことを気にはしてないけれど。でも、誰が聞いてもひどい言葉だと思う。

 そして……私の容姿を見て、それは真実に違いないって誰でも思うだろう。

「もう、いやなのっ!だから、もう、クッキーはいらないから……」

 花木田君が傷ついた顔を見せる。

「ご……めん。美優ちゃんがあんまり幸せそうな顔で食べるから……甘えてしまった……。本当に……ごめん」

 深々と頭を下げ、花木田君はハンカチをポケットから出して私に差し出す。

「返さなくていいから」

 そういって、私の手にハンカチを渡すと中庭から去っていった。

 手元に残された真っ白なハンカチ。

「涙を拭けというの?私は泣いてない……」

 ぽたりと、地面に水滴が落ちる。

 水滴の横にはクッキーがある。

 ああ、そうか……。顔を押し付けられたから、汚れているのかな?だから、ハンカチを……?

 だって、私は、泣いてなんか……。

 ぽたり、ぽたりと涙が落ちる。

 地面に落ちたクッキーを拾い上げる。

 幸い生い茂った草の上に落ちたため、土や砂まみれになってしまったわけではない。

 軽く、手で汚れを払い、口に運ぶ。

 考えて工夫して改良して……一生懸命作られたクッキーをごみのように扱うなんてできない。

「美味しい……」

 あれ……。

 おかしいな。どうしてだろう。

 美味しいものを食べれば、悲しいこともつらいことも忘れて幸せな気持ちになれるはずなのに。

 ぎゅっと握り締めたハンカチをスカートの上に広げて、1枚ずつクッキーを拾い上げて載せていく。

 胸が詰まって、今は食べられそうにないよ。

 なんで。

 どうして……。

 モブなのに。ううん、モブにだって、感情はあるんだ。

 花木田君は、クッキーを食べる私を笑顔で見てくれた。

 どのクッキーがどう美味しいのかって話も、真剣に聞いてくれた。

 よくそんなに食うなと軽蔑した目や、流石食べることだけは得意だよなという皮肉めいた言葉も私に向けてこなかった。

 本当に幸せそうな顔して食べるねと……。食べて幸せな気持ちになることを否定しなかった。

 美味しいっていうと、嬉しそうな顔をしてくれた。

 そんな時間が特別でキラキラして。

 やっぱり、そんな時間がなくなっちゃうのは寂しいよ。

 悲しいよ……。


 土曜日、日曜日は学校がない。

 月曜日、何事もなく1日が終わった。

 廊下の窓がガラリと開かれることはなかった。

 火曜日、コンビニで新しいスナック菓子が出ていた。

「あ、春限定イチゴ味」

 手を伸ばしてはみたものの、なぜか買う気にならなかった。

 水曜日、春限定のイチゴ味を買った。

「美優、久しぶりのお菓子だ!食欲戻ったの?」

「うん、ごめん、心配させて」

 お弁当を食べた後に、机の上に春限定イチゴ味のスナック菓子の袋を置くと、廊下から手が伸びてお菓子が目の前から消えた。

「こんなのじゃなくてさ……これ、食べてほしいな」

 代わりに机の上にクッキーの入った袋が置かれる。

「え?」

 手の主を見ると、花木田君だ。

 困ったようなちょっと緊張したような顔をしている。

「おからのクッキーなんだ。あと、こっちはオートミールのクッキー」

 おから?オートミール?

 それって、カロリー控えめのダイエット用のクッキーっていうこと?

 まさか……。私のために?

「まだ、研究途中で味には自信がないんだけど……食べてもらえると嬉しい」

「研究途中?……え?誰が?」

 まさか書記の1年生の子が私のためにダイエット用クッキーを研究してくれてるの?

「もちろん、僕だけど」

 は?もちろん……僕って。

「花木田君がクッキーを……あの、まさか今までの……美味しいクッキーを作ったのって?」

 花木田君が笑った。

「美味しいって言ってもらえてすごくうれしかった。ちゃんとしっかり味わってくれて、ちょっとした違いにも気が付いてくれる。そして、こうしたらいいかもとアドバイスまでしてくれて……」

「……あんなに美味しいクッキーを作れるなんて……天はやっぱり何物も与えちゃうんだ……」

 ななみんがぼそっとつぶやいた。

 花木田君は私から取り上げた春限定イチゴ味のスナックを見た。

「美優ちゃんはイチゴが好きなの?頑張って太らないイチゴのクッキー作るからさ………食べてくれないかな……。その……僕は……」

「私のために……私なんかのために、クッキーを作ってくれるの?」

 びっくりして尋ねると、花木田君がちょっと怒った。

「私なんかじゃないよ。美優ちゃんは黄金の舌を持ってる特別な人だよっ!僕は美優ちゃんに食べてほしいんだ」

 私の舌が特別?

 モブの私にも、特別なんてあったの?

「ねぇ、お願いだよ。美味しそうに食べる顏が見たいんだ。僕は、美優ちゃんの……あの顔に……その……」

 花木田君が言いにくそうに言葉を濁す。

 ななみんが、耐えきれないといった様子で机をたたいた。

「私がいないときに続きはお願いします。食べよう、食べよう。ね?美優、ほら!花木田君は例の生徒会の仕事があるんじゃないの?行く前に食べた感想教えてあげなよ!」

 ななみんがおからクッキーを私の口に突っ込んだ。

 あ。

 ふんわりときなこの香りが広がる。クッキーだけど和風テイストだ。甘味は黒蜜でつけてあるんだ。

 もともとおからはきなこと同じ大豆だから、合う。

「きなこと黒蜜のクッキー、初めて食べたけれど……とてもおいしい」

 甘味が抑えられているけれど、バランスが取れて調和した味で、手が止まらない。

 私が幸せな気持ちになると、私の顔をみて花木田君が嬉しそうに笑う。

「美優ちゃんの幸せを僕が作ったんだ……」

 へへっと、笑って、ぽんっとお腹をたたく。

「そう、きっと、落ちそうになってるこのほっぺは花木田君からもらった幸せが詰まってる」

 そう言ってほっぺたを指でつまんでみせると、花木田君が顔を手で覆ってしまった。

 耳が赤い。

 また笑いをこらえさせてしまったのだろうか……。

 今度は、お腹をたたくなんてお笑い芸人みたいな行動ではなく、ほっぺたにしてみたんだけど。

 もしかして、リスがほお袋に食べ物ため込んでるみたいに見えちゃったかな?

「じゃあ、ま、また!」

 花木田君が笑った。キラキラな笑顔がまぶしい。

「うん、ありがとう」

 またって言ったよね。

 ああ、まだしばらく、特別なキラキラな時間を持ってもいいのかな……。


 大人になった私が、花木田製菓の商品開発部で活躍するのはまた別のお話。

 

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