11.高校一年生:野間さんと青木さん

「でっか」


 西府中市第一高校・入学初日――入学初日ながら一度目の人生のおかげでよく見知った廊下をおろしたてのブレザー制服で歩いていたら、階段を上がって廊下に出てきた二人の超絶美少女と鉢合わせた。

 

 出会い頭、開口一番にそう言われて「――っ!?」俺は声も出せずに固まってしまう。


 明るい髪色のギャル系美少女に気後れしたわけじゃない。


 高校生活の初っ端から盛大に校則違反している短いスカートに息を呑んだわけじゃない。


 ただ……ただ、とにかく嬉しかったのだ。本気で感極まっていたのだ。


 ――野間美優季――


 ――青木碧――


「でっかぁ!」


 野間さんは、典型的なギャルという印象の、明るいセクシー系。

 華やかさ溢れるギャルとはいえ、元々の美貌を活かしたメイクのおかげか化粧っ気はあまりなく――それどころか少しの垂れ目のためにお淑やかさすら宿した顔だった。

 スッと通った鼻筋も、少し厚めの唇も、千年に一人の美形を創り出そうとした神様の仕業に違いない。

 一々動作が大きく、女の子らしく、その度にゆるくウェーブした長い茶髪がふわりと揺れた。


「ちょっと美優季、いきなりはさすがに失礼でしょ」

「いやいや、本気でびっくりしたんだからそれはしかたなくない? 心臓止まるかと思ったんだって」


 はしゃぐ野間さんの隣は、クールビューティーという言葉がぴったりの青木さん。

 黒髪のショートヘア。長い睫毛。どこか大人っぽい切れ長の目。目尻のそばには小さな泣きぼくろ。

 こちらも素の美貌に物を言わせた薄化粧だし、一見は清楚っぽい雰囲気の美少女だしで、野間さん以上の短いスカートじゃなかったら不良少女の一種とは思わなかっただろう。

 運動部ですといった感じの引き締まった体付きで、体幹が強いのか、立ち姿も綺麗だった。


「あんたはいちいち全部口に出しすぎ。いつか殴られるわよ?」

「も~、わざとじゃないんだってぇ。一応気を付けてるんだけどなぁ」

「ほら。ちゃんと謝りなさいって」

「うん。ごめんねぇ、大っきい人」


 俺の眼前で会話する美少女二人の姿に、俺はどうしても声が出ない。


 早鐘のように鳴り響く心臓の鼓動を感じながら、「………………」呆然と立ち尽くしていた。


 にへらと笑った野間さんが俺を見上げて言う。

「君さ、あたしらと同じ新入生だよね? 何組の人? 名前なんて言うの?」


「あ、えと――」


 一度目の人生と二度目の人生を足して四十六年も生きているくせに、俺は緊張のあまり声が出せない。

 蛇に睨まれた蛙というか、ギャルに見つめられた純情オタク少年に戻っていた。


 どうにかこうにか口にできた言葉は。

「一年二組。杵築、東悟」

 たったそれだけ。


 小気味良い自己紹介なんて夢のまた夢だ。目を合わせられず、居心地悪そうにこめかみをポリポリ掻いて……馬鹿にされても文句が言えないていたらくだった。


 しかし目を細めて優しく微笑んだ野間さん。


「東悟くん。あたしは野間美優季って言うのね。こっちの美人さんは青木碧。あたしら二人とも三組だから、お隣さんだね。よろしくね、♡《はーと》」


 こんな俺にも身振り手振りを交えて、百パーセントの愛嬌で話してくれるのである。


「百九十ぐらい?」


 一瞬なんのことか思い当たらず首を傾げたら、「身長のことね」とアハッと笑われた。


「あ、うん。百九十までは行ってないけど」


 野間さんがあまりにも可愛くて無意識にそう答えたら、腹まで抱えて大きく笑われる。


「『うん』だって! もっといかつい感じかと思った!」


 すると即座に青木さんのツッコミが野間さんの後頭部に入り、「あべっ」なんて可愛い鳴き声が出た。


「だから東悟くんをバカにはしてないって!」

「いーや、今の言い方はだいぶ悪かった。初対面の人に、あんただいぶ罪深いわよ?」

「そっかなぁ。普通に可愛い人って思っただけなんだけど……」

「ほら、そろそろ行くわよ。ホームルーム始まっちゃう」


 そして青木さんが野間さんの腕をぐいぐい引っ張って歩き始めたその時だ。


「ちょ――ひっぱんないでって碧! 頼むからちょっと待って! 東悟くん! ごめんだけどおっぱいだけ触らせて!」

 動けない俺とすれ違う瞬間に、野間さんの腕と指が俺の胸に精一杯伸びた。


 百六十センチは無いだろう野間さんと長身の俺では相当の身長差がある。しかし、野間さんの指先は俺の右胸になんとか届き、ブレザー制服越しに大胸筋を軽く押していった。


 俺はやはり動けない。野間さん、青木さんとすれ違ったあとは。

「碧ぉ! なんかめっちゃふかふかしてた!」という興奮声や、「大っきい人だったねー。なんかスポーツとかやってんのかな?」という遠ざかっていく声をただ背中に受けるのだ。


 不意に。


 ――君たち二人のために限界まで大きくなったんだ―― 


 ――前の俺はこんなんじゃなかった。ただの気弱なオタクで……ただのクラスメイトで……でも、二人のために誰とでも闘える肉体を、人殺しの技を、必死に身に付けたんだ――


 そんなことを全力で叫んで二人を呼び止めたくなったけれど、向こうからしたら完全に意味不明だし、きっと上手くしゃべれないだろうから、どうにかこうにか思いとどまった。


 なんとか思いとどまったから……その代わり、この場で感慨深さに泣いたっていいだろう。


「――――――」


 片手で目元を隠し、思いっきり歯を噛んで、声もなく涙もなく、だ。


 あの日あの時俺が見送って死んだ野間さんと青木さんが、ちゃんと生きている。ちゃんと笑って生きている。


 それは、俺がタイムリープした瞬間から九年間待ち望んだ光景で―― 一度目の人生、十七歳の俺が二人の惨死を知ってから何十年も強く願い続けてきた奇跡だった。


 ようやくだ。ようやく俺はこの段階まで進んだのだ。


 廊下のど真ん中で声もなく泣きながら――――――俺は、唇だけ歪ませて静かに笑っていた。

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