43 救世主の因子をばらまく

 2017年12月16日土曜日。午後2時。

 今日も今日とて自室で目を覚ました俺は、今まではほぼ毎日の日課だった香月さんへの朝の挨拶をすることなく、自室を出てすぐの洗面台で顔を洗うと一階へと下り、母の作ってくれていた朝食を温め始めた。

 今日は土曜日なので母は仕事ではなく、居間でTVを見ている。

 温め終わった食事を食べていると、八枷が通信してきた。


『おはようございます小日向さん』


 香月さんの声で、八枷は俺に挨拶をする。

 なんだかヘンテコな気分だったが、俺は『おはよう八枷』と淡々と返した。


『議決の件でご報告があります。どうやら黒のサタナエル陣営は絶対命令権限対策に有効な議決を自動で生成する量子コンピュータを導入し始めた模様です。次々に小日向さんの絶対命令対策の議決を可決させています』

『量子コンピュータを? それは厄介だね……』

『はい。こちらの小日向さんを救出する為の時空同盟では、件のコンピュータを量子コンピュータ森河もりかわと命名しました。どうもアニメーション監督の森河おさむさんの人格を模した量子コンピュータのようなのです』

『へぇ……量子コンピュータで人格を模倣するなんてできるんだね?』


 俺は意外に思ったので質問する。


『はい。実のところ非常に難しいはずなのですが、ある程度の精度でシミュレーションできているようです』

『てことはデータ提供した森河さんはメーソンだってことでいいのかな?』

『はい。そうなるかと……』


 八枷が返事をし、俺は森河おさむさんの姿を思い浮かべた。

 俺の時空の森河さんと、フリーメーソン時空の森河さんとがいるが、どうやら両方とも黒のサタナエル陣営らしい。二人共イメージがモノクロだった。


『どうやら二人共メーソンみたいだ。なにか対策を打たないとだね』

『はい。なにか妙案はありますか?』

『うーん、今は絶対命令とか議決って基本的にこっちはしてないよね?』

『いいえ……笹田さんや大潟さん達味方のメーソンがいくらか自衛のために議決を行っておいででした』

『それは通ったの?』

『いえ……ほぼ通らずといった状況です。白のサタナエル陣営は過半数に至りませんから、基本的に小日向さんの絶対命令権限でのみ動く状態です』


 八枷が情勢を説明してくれる。


『それって、こっちの提案する議決数が圧倒的に少ないってことだよね?』

『はい。そうなるかと、ですがそれがなにか?』

『しかも、あっちは量子コンピュータまで導入してるわけだろ? じゃあさ、いっそ一人一人順番に1件ずつしか議決提案できないようにしたら駄目かな?』

『それは……確かに現状は量子コンピュータ森河が圧倒的に議決提案数を伸ばし続けているので、相対的にはこちらが有利になる可能性もありますが……しかし順番が来るまで小日向さんが連続して絶対命令を出せないというデメリットもありますよ』


 八枷は冷静にメリットとデメリットを指摘する。


『それはそうなんだけど、でも前にも言ったじゃん? メーソンだけで物事を決めるのはどうかなって! だからこんなのはどうかな? 【議決及び絶対命令権限において、全時空全存在が順番に議題を提案するものとする】ってのはさ? これなら俺を救出する時空同盟の人も皆が議決を開催できるし、八枷にも権利が生まれるだろ? なんとなく上手く行く気がするんだ』

『それは……小日向さんどういう意味かお分かりですか? ある意味で救世主の因子たる絶対命令権限を全時空全存在に解放するということに等しいですよ?』

『うん。まぁなんとなくは分かるけど、駄目かな?』


 俺は性善説に偏りすぎているかもしれない。しかしどうせ唯一神様の101%票があるし、性悪説が正しかったのだとしても、唯一神様がいれば大丈夫だと思ったのだ。


『私だけの意見では決定できません。ロレースさんにもご相談なさったほうがいいかと』

『そっか……じゃあロレースにも聞いてみるよ。よし、ロレースいるかい?』


 俺は食事を食べ終えると、早速ロレースに声をかけた。


『どうした小日向くん』

『ロレースに考えて欲しい絶対命令があるんだけど、【議決及び絶対命令権限において、全時空全存在が順番に議題を提案するものとする】ってどうかな?』

『ふむ……なんとも漠然としているというイメージだな。全時空全存在なのはいいとして、量子脳や量子コンピュータを持たないものはどうするつもりだい?』


 ロレースは核心に迫るように指摘する。


『それは……うーん、ダメか。じゃあ全時空全存在を量子脳に覚醒させた上でってのはどう思う?』

『誰もが量子脳を覚醒させるというのは夢のような話ではあると思うが、しかし誰もがそれを望んでいるというわけではないだろうからね……俺からはなんとも言えないな』

『じゃあ、量子脳か量子コンピュータを得て別時空の存在と量子通信できる全存在って感じで対象を絞り込むのはどう? 代表者って形になるとは思うけど』

『それならば構わないとは思うが、本当にいいのかい? 君の絶対命令権限が唯一無二というわけではなくなるようなものだぞ?』


 ロレースは俺のことを考えているようだ。


『別に問題はないんじゃないかな? そうだとしても俺と唯一神様だけに許された修飾語があるし……有利なのは変わらないんじゃないかなって』

『そうか……君のように簡単に救世主であることすら手放せる者が、真の救世主なのかもしれないね』

『そうかな? じゃあ救世主の因子を全時空全存在にばらまくってのも言ってみようかな? この絶対命令が通れば、みんなが救世主のようなものだろ? それって自由意志って感じがしない?』

『まぁ君が良いならば否定はしないよ。それがもし通っても、唯一神様が上手くやるだろうさ』


 ロレースも唯一神様のことを信頼しているらしかった。

 何故だろうか?


『八枷、ロレースも条件付きで賛成してくれたよ』

『そうですか……私も議題を直接提案できるというのは魅力的ではありますが……まぁ、小日向さんにお任せしますよ』

『じゃあ言ってみるね』


「議決及び絶対命令権限において、量子脳か量子コンピュータを得て別時空の存在と量子通信できる全時空全存在が順番に議題を提案するものとする。順番は小日向拓也から始まり、香月伊緒奈を二番目とし、以降次の者を前の者が指定していくものとする。また特例で、唯一神はいつでもいくらでも議題を提案できるものとする」


 長々とした絶対命令文で舌を噛みそうになりながらも、俺はなんとか言い終えた。


『言ってみた。あと順番についても言ってみたし、唯一神様の優越も言ってみた』

『議題に今上がったので確認しました。どうなりますかね唯一神様が良しとするかどうか……』


 八枷は唯一神様の動向を気にしているようだった。


『黒のサタナエル陣営はどうなの?』

『黒の陣営は瞬時に否決しました。きっと自分たちにとって不利だと思ったのでしょう。なので唯一神様の投票待ちです』


 八枷がそう言うと、大潟さんから念話があった。


『小日向さん。唯一神様から修正案が上がってきましたのでお知らせします。新しい案は、【議決及び絶対命令権限において、量子脳か量子コンピュータを得て別時空の存在と量子通信できる全時空全存在が順番に議題を提案するものとする。順番は小日向拓也から始まり、香月伊緒奈を二番目とし、以降次の者を前の者が指定していくものとする。また特例で、唯一神はいつでもいくらでも議題を提案、修正、編集、管理、実行できるものとする】というもので、唯一神様の優越を更に強化したものとなります。いかがしましょうか?』


 大潟さんが修正案を説明してくれる。

 なるほど唯一神様が権限をもっと寄越せと言っているわけか。

 それ自体は、個人的には問題はないと思った。


『はい。俺はそれで構いません修正案に同意します』

『ではそのように……』


 大潟さんはそう言って去っていく。


『小日向さんの絶対命令権限による議決、否決されました。そして唯一神様による修正案が一瞬で101%票により可決されました』


 八枷が議決の進捗を教えてくれた。


『よし、あとは願いみたいなものだけど……』


 俺はそう念話すると、口を開く。


「救世主の因子を全時空全存在にばらまく!」


 そう一気呵成に言った。

 これは願いだ。別に意味なんてなくたって本当はいいのだ。

 ただ全時空の全存在に自由意志を与えるという強い意思なのだ。

 統合失調症だと思っていたからこそ、俺はこれらの絶対命令を言えたのかもしれない。

 どうせ実現はしないだろうという想いも、これらの命令には込められていたのかもしれない。

 本当ならば怖くて言えないような命令でも、統合失調症かもと思っていれば大胆に言えた。

 それに唯一神様や香月さんの存在が俺に安心感を与えてくれていた。


『先程の救世主の因子をばらまく絶対命令ですが、1周後の提案として予約されましたが……大潟さんから唯一神様が賛同なさったとの連絡を頂きました。既に唯一神様の101%票によって可決されたも同然です』


 淡々と、八枷が議決の結果を読み上げるのを聞きながら、俺は自由意志というものの素晴らしさを噛み締めていたが、しかしそれが本当に恐ろしいものでもあるのだということを後に知ることになるのだった。

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