第2章 フリーメーソン篇
30 量子テレポート
あれから俺には、香月さんとのテレパシーの声が聞こえなくなっていた。
自室のベッドの上、もう聞こえなくなった香月さんを求めてみんなに聞いた。
『亜翠さん、香月さんはどうして声が聞こえなくなったんですか?』
『ごめん、それは言えないの』
『りつひー、どうしてか知ってる?』
『すみませんたっくん。私にも言えません。他の人に聞いても無駄ですよ。答えは同じです』
『じゃあ俺はどうすればいいの?』
俺のした質問に、亜翠さんが答える。
『たっくん、こっちへ来て! そうすればきっと伊緒奈ちゃんとも話せるから』
『来てって言われてもそっちが何処かも分からないじゃないですか! 別時空ってどういうことなんですか?』
『私達はさっきまで確かに同じ時空にいたはずなんだけど、今は別の時空にいるの。私から言えるのはそれだけ。きっとたっくんには単独での量子テレポートができるはずってみんな言ってる』
『なんですかそれ、量子テレポートなんて出来ませんよ! 夢の中じゃあるまいし』
先程まで見ていた夢では確かにテレポートしていたように思える。だが現実は現実だ。そんな馬鹿げたことができるわけがない。
やはりこれらは全て統合失調症の幻覚だったのだと言わざるを得ない。
『とにかく寝て……早くしないとサタンの影響が出始めるかも知れない』
『サタンの影響?』
亜翠さんがなにか突拍子もないことを言い始めたように思えた。
サタンってなんだ。
『うん……こっちへは審判を通り抜けた全ての人達が次元上昇して来てるんだけどね。だからもしかしたらたっくんだけがそっちの時空に残ってるんじゃないかって、みんなで心配してるんだ』
亜翠さんはおかしなことを言う。
『なら今この時空にいるのは俺一人だけってことですか?』
『うん。そうなるのかもしれない。私にも良くはわからないんだけど……とにかくたっくんには自力でこっちの時空に来てほしいの。たっくんには絶対命令権限とかあるでしょ? だからたぶんできるってみんな言ってる。そうすればきっと伊緒奈ちゃんとも会えるから!』
馬鹿馬鹿しい話だと思った。
だがしかし、香月さんに会えるという話には興味をそそられた。
『分かりました。じゃあやってみます』
俺はそれだけ言うと、現実で言った。
「小日向拓也はあっちの時空へ量子テレポートする!」
だが言っても何も起きない。
起きるわけがない。今までだって、絶対命令権限が機能したのは亜翠さん達を通してのことだった。俺の周りの現実でなにかが起こったことは一度たりともないのだ。
馬鹿馬鹿しい。やめてしまおうか。
何度もそう思ったが、香月さんとの約束がチラつく。
諦めるわけには行かなかった。
『何も起きませんけど、どうすれば?』
『とにかく今は寝て! そうすればテレポートが完了するはずだから』
亜翠さんに聞くとそんな声が返ってきた。
そう言われ、俺はベッドに横になり目を閉じた。
するとどうだろう。量子テレポートが開始された合図だとでも言うのか、眼の前には怪しい機械類が現れて、俺を明るく照らしていた。
『寝ろって意味がなんとなく分かった気がします』
これはあちらとこちらで重なっているんだと思った。
俺は目を閉じればあちら側に、開ければこちら側にいる状態になっているように思えた。
無論、ただの統合失調症であることは念頭にあったが、それでも俺はもし量子テレポートした先で香月さんが待っているというのならば、やらないわけにはいかなかった。
『うん。それじゃあ量子テレポート開始してください! たっくんはとにかくじっとしてて! 寝ちゃうのが理想!』
亜翠さんが言い、俺はできるだけ動かないようにして目を閉じたままでいることにした。
そうして俺は深夜1時過ぎから1時間ほどずっと目を閉じたままでじっとしているように思える。
だが量子テレポートは終わらない。
しかし、指先になにかとても冷たい金属台のような感覚があり、もう既に指先はあちら側にテレポート成功しているように思えた。
実際には電気毛布の点いた温かなシーツが指先の下にあるはずだったので、この感覚は本当のような気がしていた。
だがただの統合失調症における幻覚であるという可能性も俺の中であったが、それでも香月さんに会えるかもしれないという僅かな可能性が俺を突き動かしていた。
『手はもう完全にこちら側に同期できたよたっくん。あとは腕や足の先から順々に力を抜いていって』
オペレーターとなっている亜翠さんの言う通りにする。
そうするとなにか力が抜けて痺れるような感覚があった。あちらと同期しているということなのかもしれないと思った。俺はとにかく、香月さんの声が聞きたかった。
しかし暫くしてその進捗も得られない状況に陥った。
全く目を閉じている間に見える機械類が動いていない。
途中、りつひーや矢那尾さん達がいる部屋が視界に入ったように思えたが、彼女たちは『頑張れ!』と一言発しただけだった。
『ごめんたっくん。たっくんがじっとできてないからこれ以上の同期は取れないみたい。今はとにかく寝て! それであとは私達がやるから』
『はい……分かりましたけど、全然寝れる気がしないです』
人間、寝ろと言われるとなかなかに緊張して寝付けないものだ。
だがそれくらいはいつものことだった。今はそれ以上に眠ることを阻害している何かがあるように思えた。
『寝れないのはたぶん、サタンの影響だよ』
亜翠さんがまたサタンの名を出す。
どういうことなんだろうか?
『サタンってどういうことです?』
『たっくん、イメージがカラーの人とモノクロの人がいたでしょ?』
『はい』
『モノクロの人たちがサタンの勢力に堕ちた人たちだって考えて、いまはそれくらいしか説明できない』
亜翠さんがそう言って説明を放棄する。
『分かりました……』
俺は了承するしかなかったのでそう言うと、再び寝ようと努力する。
しかし眠れない。直に目を閉じると見えている機械類の明るさの中に、暗い真っ黒なもやのようなものが混ざり始めたのに気付いた。
俺はこれをサタンの勢力だと直感した。
『この黒いもやみたいなやつ……サタンの勢力ですよね?』
『うん……たっくんに混じってこっちに来ようとし始めたみたい。ごめんたっくん! あとはほとんど脳だけなんだけど……もしかしたらできないかもしれない』
既に量子テレポートを開始してから3時間は経ったような気がする。
さすがに疲れが限界に来ていた。
これなら眠れるんじゃないか。眠ったらあちらで目が覚めるのではないか。
そんな気がしていたが、しかし俺は眠れなかった。
そうして何時間が経ったか分からなくなった。
しかし俺は量子テレポートには成功していない。
寝ることも出来ていなかった。
「俺は真の光の救世主! 寝るだけで世界を救う! 小日向拓也はあっちの時空に量子テレポートする! サタンを味方に付けてサタナエルとして使役する!」
口も動かさないほうが良いと言われていたのだが、時折そんな風に絶対命令を出す体で現実で呟く。そうすることで、なんとかならないかと試みたのだ。中2的な文言も混じっていたが必死なんだから仕方がない。
本当は時間指定したかったが、しかし時計を見られないので正確な時刻が分からなかった。
そうしていると、母が起きてくる物音がした。
やはり統合失調症による幻覚だと再自覚する俺。
母がサタンの勢力に堕ちているわけがないと思った。
こちらの現実にいるということは、やはり亜翠さん達が言っていることはデタラメなのだ。
それでも寝るだけで香月さんに会える可能性が脳裏にちらつき、俺は目を閉じたままで何時間もいるつもりだった。
しかし眠れない。日が差してきて遮光カーテン越しの明かりを瞼が感じる。
もうたぶん6時間以上はじっとしているはずだ。
『お願い! 眠って、たっくん!』
亜翠さんはもうそれしか言わなくなっていた。
更に何時間かが過ぎ、俺は母が仕事に向かう音と共に、農作業機械が遠くで動く音を聞いていた。
『すみません亜翠さん。俺寝られないみたいです……』
『そう……じゃあテレポートここでやめとく? 私もこんな長丁場になるなんて思ってなかったし……』
だがそれでも、俺は動くわけには行かなかった。
もしここで眠れたら香月さんに会えるかもしれないのだ。
嘘である可能性は濃厚だったがそれでも亜翠さんを信じることにした。
『いえ、俺寝られるまでやるつもりです』
『そう……無理しないでね』
『はい』
そうしてじっとしていること恐らく10時間以上。
俺はようやく限界まで疲れて眠りについた。
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