10年後の自分を反省させるための創作雑記
ぽんぽん丸
創作物はクソ
忘れてはいけない。頑張って作ったクソの方が世の中には多い。時間をかけて、努力を重ねて、何年もの歳月を経て、クソができることが多い。創作の99%は、いやもっと多くはクソだ。
努力はすべきだ。また他人の努力を貶したらダメだ。「努力しててすごい」これは絶対。尊敬する。でも「努力したからいい」は違う。
学生のころ、発泡スチロールを使って30センチ四方のモニュメントを作る課題があった。友人はレンガの寸法の発泡スチロールをたくさん用意して裁断して組んで、中空の立方体を作った。カットがすべて違うからどの面も違ったレンガ組の表情で、ある面のレンガ組みは一部かけていて中心の空洞が見える。どっしりした立方体の外見との対比が良かった。45分で作った。
私は円形に切り抜く器具を使って曲線を複雑に組んだモニュメントを作った。技術的に難しくてカット面がブレていたし、曲線の調和はとりづらくなんだか全体がアンバンランスに出来上がった。良くなかった。9時間かかった。まったく良くなかった。
先生は教室でずっと私達の作業を見てくださった。私が苦しむ姿も友人が8時間15分のんびりみんなと会話を楽しむ姿も。私はC評価を頂いた。友人にA-がついた。私は自分の進級に不安を覚えながらも嬉しかった。私も友人の作品の方がはるかに良いと感じたからだ。
もちろん苦労の分だけ愛着はある。だけどあれはクソだった。大好きなクソだ。今でも好きだけどあれはクソだ。
かけた時間や努力は創作物の価値に関係ない。また同時にもう1つ大事なことが私は今でもあのモニュメントが好きだから創作物の評価と愛着にも関係はない。
努力したからって時間をかけたからっていい作品ではない。たくさん思案したからって思い悩んだからってダメはダメだ。でもクソを愛でても良い。2つは別軸のものだ。
創作はそもそも必要ないものを作ること。人間には米や鉄や布が必要。ないと死ぬかもしれない。でも創作はなくても死にはしない。
人間が出すもの大体不要。排泄物、つば、抜け毛、切った爪、目くそ鼻くそ。創作物もその一種だ。
誰かが出した奇跡のクソが名作になる。だけど私達の、失礼、私の作るものはただのクソ。
でもたまにそんなクソを一緒に愛でてくれる人がいる。私の創作物を良いという人がいる。私はそんな人を1人1人ハグして愛してると伝えたい。
私がでっかい金塊を持っていて見たい触れたいという人がいたとする。それは私ではなく金の評価だ。金に興味があって好き。私のクソを見たい触れたいという人は間違いなく私が好きだ。疑いようがない。他に説明ができない。いや、私ではなくクソが好きな人なのかもしれない。良い例えだと思ったのに。でも構わない。とにかく私はそんな人こそ大切にしたい。
私の創作物は全部クソだ。例えいつか私が創作で大金を稼いでもそれはクソだ。努力や時間や想いに目を眩ませるな。便器に座った時間を自慢するな。ひねり出す苦労話で人を黙らそうとするな。誰にどんなに褒められても驕るな。どこまでいっても排泄物だ。クソを褒められて偉そうにするなんて目も当てられない。だけど自分のクソを褒めてくれる人は最高だ。愛そう。
人の創作物もクソだ。思いやりで評価するな。金や宝石のように崇め奉り褒めてはいけない。関係値や人間義務のために実態より尊大に評してはいけない。そこにはその人や自分自身がいなくなってしまう。その人のクソだから好きなんだ。クソを一緒に愛でるから一緒に笑えるんだ。相思相愛になれるんだ。
創作物は全部クソ。だから良い。だから続けるべきなんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます