第1話 冒険者は努力で稼げる

 黒衛龍一がこの世界に召喚されたのは二年ほど前のこと。

 いつもと同じように予鈴の一時間前に高校に到着した龍一は、教室で授業の予習をしていた。


「うっわ……黒衛の奴がまた勉強してるよ」


「お前さあ、いつも勉強ばっかりで飽きないの?」


「いくら今年が受験だからって、朝くらい肩の力を抜けよ。俺達がサボってるみたいじゃねえか」


 遅れて教室にやってきたクラスメイトが迷惑そうに言ってくる。

 龍一としては、大学受験が迫っているというのに悠長にしている彼らの方が神経を疑う。


「別に、勉強ばっかりやってるわけじゃない。朝はランニングと筋トレもしているぞ」


「いや、寝ろよ。朝なんだから」


「引くわー。マジでドン引きだよ」


 龍一の反論に、友人がますます呆れ顔を強くさせる。

 いや、朝は起きるものだろうと龍一の方も憮然ぶぜんとした。


『努力は人を裏切らない』……それが龍一の座右の銘である。

 小学生の頃から、勉強でもスポーツでも努力を怠らなかった。

 毎日の予習・復習を欠かしたことはないし、運動会やマラソン大会の前は一ヵ月前からグラウンドを走っている。

 そんな龍一は一部の人間からは「これみよがしに努力アピールして嫌味ったらしい」「ガリ勉で面白くない奴。付き合いが悪い」などと嫌われていた。


「これだけ勉強もスポーツも頑張ってるのに一番になれないのにな。可哀そうな奴」


 口の悪いクラスメイトがそんなことを言う。

 悔しいかな……それは事実である。龍一は器用貧乏であり、何をやっても一番にはなれなかった。

 スポーツのセンスは平凡。野球でもサッカーでも陸上競技でも、『天才』と呼ばれる一部のマイノリティに勝つことができない。

 勉強の方も学年で十位程度。勉強量は誰よりも多いというのに、一位になれたことはなかった。


(それでも、俺には努力するしかできない。たとえ才能がなかったとしても積み重ねることしかできない)


 もしも誰よりも優れていることがあるとすれば……それは不屈の根性。

 たとえ一番になれなくても、龍一はあきらめることなく努力を続けることができる人間だった。


「変なこと言わないであげて。リュー君はすごいんだからねー」


「トワ……」


 そんな時、新たに教室に入ってきた少女が龍一を擁護した。

 白銀色の長い髪に青い瞳。凹凸に富んだ完璧なプロポーション。日本人離れした美貌を持った可憐な少女である。

 彼女の名前は白井トワ。北欧の血を引くクォーターであり、龍一とは幼稚園からの付き合いの幼馴染だった。


「リュー君はすごいんだよ。誰よりもいっぱい努力して偉いの。だから、酷いこと言っちゃダメ」


「ウッ……」


「グッ……し、白井さんがそういうのなら……」


 トワに責められると、口の悪い男子達も途端に引っ込む。

 トワは完成された美貌にグラマラスな肢体の持ち主。学校一の美少女だ。

 そんな彼女を敵に回したいという男はいない。クラスの男子達は龍一を憎々しげに睨みながら離れていく。


「悪いな、トワ」


「ううん、良いよー。リュー君はがんばって偉い。すごいよー」


「ああっ……!」


「クソッ……羨ましいなあ……!」


 トワがベタ褒めしながら、龍一の頭を撫でてくる。

 クラスの男子からの視線に殺意が混じり、怨嗟の声が聞こえてきた。


 トワはいつだって龍一のことを肯定してくれる。

 結果が出ずとも、龍一の努力を評価してくれた。それこそ、実の親以上に。


(本当に、俺は恵まれているよな……トワの期待に応えるためにも、これからも努力を続けなくちゃな)


 改めて、龍一は決意を固める。

 龍一が努力家になった切っ掛けの一つはトワだった。トワのためにも、これからも頑張らなくてはいけない。


「は……?」


「え……?」


 しかし……そんな時、『それ』は起こった。

 突如として教室の床に幾何学模様の図形が浮かんで、強烈な光を発したのである。


「うおっ!? なんだあっ!」


「床が急に光り出して……これって魔法陣ってやつか!?」


「キャアアアアアアアアアアアアッ!」


 教室が悲鳴と怒号が生じて、次の瞬間、視界が真っ白に染められる。

 気がつけば、龍一とクラスメイトは白い雲の中のような空間にいた。


「初めまして、異世界人の皆さん。私は女神です」


 雲のような空間には一人の女性がいた。

 金髪の長い髪を波打たせた美貌の女性。トワとはタイプが異なるが、こちも日本人とはかけ離れた容姿の美女である。


「ちょ……何だよ、これ!」


「説明してくれ。どうなってるんだ!?」


「これから、皆さんには私が管理する世界に転移してもらいます。転生前に特典のギフト渡しますから、後で確認してください」


 クラスメイトが怒鳴るが、女神は一方的に話を進めていく。

 四十人の少年少女に『召喚特典』を渡すと、ろくに説明もしないまま異世界に転移させた。

 転送された場所はお約束。中世ヨーロッパ風の城の中である。

 国王を名乗る人物から説明を受けて、それぞれが与えられている召喚特典を調べられて……龍一達の新生活が始まった。


 マンガやアニメではおなじみとなっている異世界召喚だが……今回のケースでは、龍一達は勇者というわけではなく、魔王や邪神といった人類の敵もこの世界には存在しないとのこと。

 その世界ではリクルート感覚で異世界召喚が行われており、特別な力を持った人材を雇用するために召喚の儀式が行われているらしい。

 今回は国王主導で四十人の高校生が一斉に召喚されたわけだが……異世界召喚は民間団体や個人でも行われており、この国だけでも年間五十人以上が召喚されているそうだ。


 かくして、四十人の高校生が異世界にある国……『エメラルド王国』で暮らし始めたわけだが、召喚から一ヵ月ほどで半数が城から追い出された。

 国王の目にかなうだけの力を持っていなかったというのが理由である。

 勝手に召喚しておいて、自分達に有益ではないとわかるや平然と放り出す……とんでもなく迷惑な話だ。


 右も左もわからぬ異世界で暮らすことになった龍一は、その後、冒険者として生きていくことになったのである。



     〇     〇     〇



 ダンジョンの深層で巨狼を撃破した龍一はその後も探索を続け、十分なドロップアイテムを回収してから地上に出た。


「フウ……労働の後の太陽がまぶしいな」


 地下迷宮型のダンジョンに一週間も潜っていた。

 久しぶりの日光が目に染みて、白い残像を視界に生み出す。

 やがて目が光に慣れると、そこに広がっているのはレンガ造りのヨーロッパの街並みである。


 この国の名前は『エメラルド王国』。

 そして、ここは王都である『エメラルドブルク』。

 龍一が今しがた潜っていたのは、エメラルドブルクの街中にある三つのダンジョンの一つ……『百獣の洞窟』だ。

 街中にダンジョンがあるのかと最初は疑問に思ったものだが、もう慣れた。

 この世界においてダンジョンというのは女神が創った試練場であると同時に、『ドロップアイテム』という資源の採掘場だ。

『王都の中にダンジョンがある』のではなく、『ダンジョンがあったから発展して王都になった』のである。


「よお、おかえり。成果はどうだい」


 ダンジョンの入口にいた兵士が気さくに話しかけてくる。

 この世界に召喚されて、冒険者になって二年。見張りの兵士ともすっかり顔なじみである。


「上々。いつも通りだよ」


「そりゃあ、良かった。いつもより長く潜っているから、受付のティーナちゃんが心配してたぜ」


「ああ、そうか……それじゃあ、早めに顔を見せないとな」


 軽く話してから、ダンジョンの入口から離れる。

 龍一はその足ですぐ傍にある建物に入っていった。

 ダンジョンに潜って魔物退治や財宝探しをすることを仕事にする、冒険者を管理しているギルドである。


「あ、龍一さん。おかえりなさい」


 建物に入ると、奥の受付カウンターにいた女性が笑顔を向けてくれる。

 二十代前半の女性。亜麻色の髪を伸ばした美女だ。

 冒険者ギルドの受付嬢の一人。龍一の担当者であるティーナという女性である。


「今回の探索は時間をかけていたので心配しましたよ。お怪我はありませんか?」


「ああ、問題ないよ」


「それは良かったです」


 安堵の笑顔を浮かべているティーナは、まるで恋人を待っていた健気な乙女。

 そこらの男であれば、胸を射貫かれて惚れてしまうほど魅力的だった。


(これが彼女のやり口なのはわかってるけど、ドキリとするよな……悲しい男の性か)


 冒険者ギルドの受付嬢には美女・美少女が多い。

 それは冒険者をその気にさせて、困難な仕事をやらせるために必要だからだ。

 受付嬢の中にはあからさまに枕営業をしている者もいて、たびたび男女のトラブルにも発展している。


(俺も騙されて痛い目に遭ったよな……まだまだ若造だってことで)


 二年前、冒険者になったばかりの自分を苦々しく思いながら、龍一はダンジョンで獲得したドロップアイテムをカウンターに置いた。


「買い取りを頼む」


「はい。かしこまりました……ところで、龍一さん。髪の毛、イメチェンしたんですか?」


「あー……これか。忘れてたな」


 ティーナの指摘を受けて、龍一が自分の髪に触れた。

 少し前までは茶髪だった髪が黒くなっている。

 染めたわけではない。ダンジョンの探索中に女神からもらった召喚特典が無くなったためである。

 龍一がもらった召喚特典は【無貌の偽装者】。髪や目、肌の色などを自由に変えるというものだった。


(戦闘にはまるで向かない。容姿を変えて、ちょっとしたオシャレをするくらいにしか使い道のない力。そりゃあ、用無しとして追放もされるよな)


 龍一はかつてエメラルド王国の王城に召喚された。

 一人ではない。通っていた高校のクラスメイト四十人が一緒である。

 城で一ヵ月ほど過ごしたものの、国にとって有益な召喚特典を持っていなかったことで追い出されていた。


「ああ、ちょっと思うところがあってな。似合ってないか?」


「いえ、とてもお似合いです……ただ、その髪だと異世界人と間違えられるかもしれませんね。彼らは黒髪が多いですから」


「……なるほど、それは迷惑だな」


 龍一は異世界人ではなく、この世界の生まれということにしてある。

 異世界人は特別な力を持っている……そういうイメージが広まっていることで、力を利用しようとする人間、見当違いなやっかみを向けてくる人間がいる。

 素性を隠すのに役に立ったのは、龍一の召喚特典の数少ないメリットだった。


「まあ、トラブルがあったら染めることにするよ」


「そうですか。ところで、知っていますか? 異世界人の方々が急に力を無くしてしまったらしくて、騒ぎになっているんですよ」


 ティーナがドロップアイテムの査定を進めながら、世間話をするように言う。

 女神からの声が聞こえてきて、転生特典を剥奪されたのは五日前のこと。たった五日間でもう騒ぎになってしまったようだ。


「このギルドには異世界人の方がいないので影響はありませんけど……他のギルドでは、主力の冒険者が急に力を無くしてパニックになっているそうですよ。一時的なものだといいんですけどね」


「まあ、無理だろうな」


 龍一が鼻を鳴らす。

 女神の言葉からして、召喚特典の剥奪は永続的なものだ。力が戻ってくることはないだろう。


(俺みたいに、召喚特典に頼らず努力していれば困らないだろうけど……チートに頼りきりになっているのなら楽しい異世界生活も終わりだな)


「おや? どうして、そう思うんですか?」


「ただの勘だよ……冒険者ギルドでそうなら、城は地獄絵図だろうな」


「そうですね……お城には大勢の異世界人がいますものね」


 この世界でもっとも多くの異世界人を召喚しているのは国家である。

 国が擁している異世界人の中には、チート能力によって特別な役職に就いている人間も多い。

 彼らがこぞって召喚特典を失ってしまったのなら……国力が大幅に低下してしまうに違いない。


「まあ、最後に頼りになるのは自分の力。努力して得た力というわけだな。女神様からの贈り物に頼ってばかりの人間がどうなろうと知ったことじゃない」


「辛辣ですねえ……はい、査定が終了いたしました。こちら全て買い取りで155万Btになります」


Btベッツ』はこの国で流通している貨幣。『1Bt』の価値がほぼ『1円』と変わらないので、わかりやすくて良い。


「5万だけもらうよ。残りは口座に入れておいてくれ」


(一週間、ダンジョンに潜って155万。日給換算で20万強。本当に冒険者ってのはボロ儲けの職業だよな)


 ただし、ハイリスク・ハイリターン。

 一攫千金だが、この世界でもっとも死亡率が高い職業でもある。

 生半可な覚悟じゃやっていけない。一緒に追放されたクラスメイトの中にも、冒険者になってから命を落とした者もいる。


「ありがとうございました……ところで、よろしければこれから食事でもいかがですか?」


 ティーナがホクホクの笑顔で誘ってくる。

 ギルドの買取価格の五パーセントがボーナスとして担当している受付嬢に入るのだから、それはもうご機嫌になることだろう。


「美味しいお酒を出す店を見つけたんです……そのお店にはベッド付きの個室もあって、休憩もできるんですよ?」


「魅力的だな……だけど、これから用事があるので今日のところは失礼するよ」


 龍一が肩をすくめて、ティーナの誘いを受け流す。


「是非とも、また誘ってくれ。楽しみにしている」


「そうですか……それは残念。またのお越しをお待ちしております」


 残念そうな表情をしているティーナと分かれて、龍一は冒険者ギルドから出ていった。

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