ナナシの魔女は名前を探している。
roku
1章 不死鳥と狩人
第1話 夜と魔女
九月の暮れ。満月の夜。
不気味な程に人気のない住宅街。
俺、
自分の左腕が遠くの方に転がっているのが見える。見たことがない程の真紅色の液体が身体から流れ出していて、意識が朦朧とする。
「クロくん! 死んじゃいやだ!」
家がお向かいで、幼稚園児の頃から腐れ縁の
俺の身体は触覚を感じる機能も薄れてきていて、雪の体温も感じない。
その瞬間、俺はこれから死ぬのかと、自分の運命を自覚した。
しかし、死ぬ前に、雪に伝えなきゃ。
涙でグシャグシャになった雪の顔を見ながら、俺は微かな力を振り絞り、声を発する。
「早く……逃げ……ろ」
絶望を表情に浮かべる雪は、首を横に振る。
「クロくんを置いていけないよ!」
雪は混乱したように声を張り上げる。
「私のせいで、ごめん。ごめんね」
雪のせいじゃない。
そう言いたいが、身体が言うことを聞かない。
そして、雪の後方にどうしようもないほどの「恐怖」が立っていて、こっちを黙って見つめていた。
それは、まるで死神。
黒衣を纏い、人間と同じくらいの背丈。身長は雪と同じくらいで、少し小柄体系。化け物の牙みたいな巨大な鎌を軽々と持っており、華奢なその身体からは想像できないほどの力を持っているようだ。ツルンとした白い仮面をつけているその姿は、人間とは思えないような存在感を放っている。
俺と雪は、今話題のアニメ映画を映画館で見て、その帰り道にこいつと出会った。
そして、突如雪に向かって斬りかかってきた奴の鎌を庇うように間に入り、俺はモロに喰らってしまった。
掠れていく視界の中、奴の方を見る。
奴は再び、鎌を握り直す。
やばい。逃げろ、雪。
そんな言葉を発することもできない。
嫌だ。雪が殺される。
「随分喰い散らかして」
その時、知らない声がした。
こんな歪な状況に似つかわしくない、随分落ち着いた、そして、幼い声色。
重たい瞼を開けると、小さな背中が見える。
気がつけば、俺達と化け物の間に少女が立っていた。背は化け物よりひと回り小さい。小中学生くらい。癖っ毛の長い白髪が印象的である。
雪もその子の方を唖然とした様子で見ていた。
「ようやく見つけたぞ――
どうやら少女は化け物に声をかけている。
化け物は再び巨大な鎌を振りかざす。
「危ない!」
雪が叫ぶ。
しかし、その次の瞬間、不思議なことが起こった。
少女はどこから出したのか、木でできた大きな杖を手に持っており、それを化け物に向けて、
「
そう唱えた。
すると、杖から魔方陣のような模様が出力され、その魔方陣から、ホースから出る水のように赤い炎が噴出した。
「あああああああああぁぁぁ」
化け物は炎に包まれ、苦しむように悲鳴を上げる。
その声は意外にも、俺達と同じような人間の、女性の声のように聴こえた。
化け物は、直ちに後ろへ身を引く。
すかさず少女は杖から噴出していた炎を止めて、また改めて杖の先端を化け物に向ける。
「
今度は化け物の足元に魔方陣が出現する。
そして、陣から複数の芽がむくむくと成長し、あっという間に化け物を縛るように樹木が育つ。
一体何が起きているんだ。
そう思うしかできない俺と雪は、ただこの光景を眺めることしかできなかった。
化け物は必死に身体を動かし、木の呪縛から逃れようとしている。
そんな化け物にゆっくりと、少女は近づく。
「捕まえた」
俺達は、助かったのか。
いや。まだだった。
化け物は、再び雄叫びをあげる。
僕と雪、そして、謎の少女は、一瞬怯む。
奴は、その刹那を見過ごさなかった。
化け物が持っていた鎌が、突如高速回転する。
一瞬の内に、奴を縛っていた樹木は切断されてしまう。
「あ! 動くな!」
少女の命令も虚しく、化け物は、目にも止まらぬスピードでその場を全速力で逃げていった。
「くそ。もう少しだったのに!」
少女は舌打ちをし、露骨に悔しがっている。
なにはともあれ、助かったらしい。
しかし、この状態を考えると俺の命はもう助からないと思う。
出血の量が多く、今にも意識が飛んでいきそうなこの状況。
それでも、今は雪が助かったということだけで一安心だった。
僕は涙を流す雪に、小さく笑いかけた。
「よかっ……た」
「クロくん! クロくん! 死んじゃいやだ!」
「お前、派手にやられたな」
眠りに入ろうとしていたら、突如先程の少女の声が俺達の方向に投げられた。
少女はこちらをまじまじと観察している。
正面から見た彼女は童顔で幼く、やっぱり子供に見えた。
「救急車!」
雪が慌ててスマートフォンをポケットから取り出す。
さっきまでの出来事のせいで手が震えているようで、スマートフォンを地べたに何度も落としてそれを拾い、ゆっくりとまた電話をかけようとしている。
「無駄だぞ。暫く、ここに他の人間は立ち入ることができない」
「え」
少女は唐突にそういった。
「さっきの奴が、この辺一体に魔界領域を展開してやがる。我々は今、元の世界と断絶された領域にいるから、外の人間と関わることは不可能なんだ。まあ、魔術師や魔神が、都合よく誰にも見られずに行動できる空間、って思ってもらえばいいかな。恐らく奴は、誰にも見つからないように、お前たちの魂を刈り取ろうとしていたんだろうな」
「……はあ」
全然意味がわからない。
魔術師? 魔界領域? 魂?
まるでゲームのような単語が頭をぐるぐると回っていた。
雪の頭にもハテナが浮かんでいる。
しかし、その表情はすぐに青ざめる。
「本当だ。電話が繋がらない。おかけになった電話番号は――ってなる。どうしよう」
「おい小僧。治してやろうか」
たしかに、その子供は小僧といった。
子供に小僧と言われる筋合いなんてないのだが、今はそんなことを深く考える余裕は一切なかった。
助ける? 俺を?
「クロくんを、助けられるの?」
「ああ。この程度、私の『魔術』で修復できる」
魔術。
彼女はそう言った。
突拍子もないことなのに、さっきの現象はそれだったのだと思うと、妙に納得できてしまう。
「そうだ。丁度最近、珍しいやつを手に入れたんだ。あれを使ってみるか」
その少女は、顎に手を当て、何かを考えながら楽しそうにしている。あれってなんだ。
本当に助かるのだろうか。
こんなにボロボロなのに。
先ほど不思議な力を目の当たりにし、この少女が本当に魔術というものを使えるということを理解しているにも関わらず、半信半疑であった。
しかし、雪は違った。
縋るように少女の近くへ寄る。
「お願いします。クロくんを助けてください」
雪は頭を下げた。
すると少女は、ニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「治してやるよ。ただし条件がある」
「何? クロくんが助かるなら……」
「お前とお前、二人共、私の下僕になれ」
「下僕……?」
「そうだ。私の手となり足となって働いてもらう。そうすれば、この小僧の命は助けてやる」
「なる。なるから」
だめだ。雪。
そんな怪しい交換条件を二つ返事で受けちゃいけない。
詐欺だったら、どうするんだ。
俺は、お前を巻き込むわけには――
「なんでもします。だから、クロくんを助けて!」
おおい! 俺はまだ何にも言ってないぞ!
しかし、声はもうでない。意識も遠のいている。
視界が、闇に包まれてゆく。
最後に見えたのは、少女、改め、魔術師が不気味に笑う姿。
それはまるで、お伽噺に出てくる悪い魔女、そのものであった。
その光景を最後に、俺は意識を失った。
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