第2話 なみよ聞いてくれ
神「神田です。」
青「青山です。」
神「時刻は夜10時32分を回りました。」
青「ここからは、リスナーの皆さんからお悩みや、相談を送ってもらい、僕と神田さんがどうしたらいいか考えていくコーナー、『 listen to you』です。」
神「早速、行ってみましょうか。」
青「はい、では一通目、ラジオネーム『わさビーフ』さんからのメッセージです。」
「『こんばんは。初めてメールを送ります。僕は、今年の4月から刈宮市内の公立高校に進学した高校1年生です。実は、同じクラスに、少し気になる女の子がいます。苗字を取ってRさんと呼ばせてください。最初は珍しい読み方をする名前だなと思ったのが第一印象でした。彼女は放送部に所属しています。昼の校内放送で彼女の声を何度か聞いているうちに、逆にとても耳に心地いい声だなあと感じてから、その声をもっと聴いてみたいと思うようになりました。授業中、黒板を見てもRさんの後姿が目に入ってドキドキしてしまいます。僕はRさんのことが好きになってしまったと思います。今は世界がひっくり返ったような気分です。同じクラスになってからまだそんなに時間も経っていないので、あまり会話もしたことがありません。女の子に自分の気持ちを伝えたことがないので、どんな風に行動すればいいか、わかりません。逆立ちしたって思いつきません。何かアドバイスがあれば教えてください。』とのことです。」
神「フフフフフ。」
青「なんですか、神田さん?」
神「青山君ってさ、『わさビーフ』好き?」
青「それ今聞きますか?(笑)めっちゃ好きですよ。コンビニで売ってるの見つけると結構な頻度で買いますね。」
神「ホントに?私、わさびが苦手だから食べたことないんだけど、おいしいの?」
青「おいしいですよ!来週買ってきましょうか?」
神「マジでいらない。」
青「ちょっと、何でそんなこと言うんですか。(笑)」
神「ハハハハハ。」
青「怒られますよ、山芳製菓の人も聞いてるかもしれないんですから。」
神「そうだね。大変失礼しました。メッセージね。」
青「そうですね。いやー、青春って感じがしますね。」
神「いいなー。高校1年生?もうそろそろ入学して、新しいクラスにもみんな馴染んできて、そういう悩みも出てくる頃なのかしら。」
青「神田さん、高校の時、同じクラスに好きな男子とかいました?」
神「あたしの場合はね、確か高校2年のときに初めて彼氏ができたから、1年の時は誰とも付き合ってなかった気がするな~。好きな子もいなかったかな~。」
青「そうなんですね。」
神「青山君は?」
青「・・・。」
神「何よ、なんかあったの?」
青「前言いませんでしたっけ?僕高校時代、一人も彼女できたことないんですよ。」
神「(笑)」
青「3年間で、3回別の女の子に告白して、3回とも振られました。」
神「ハハハハハ。(笑)マジで?初めて聞いた。」
青「(笑)そうなんですよ。だからね、この『わさビーフ』君の相談にはね、神田さんに答えてもらおうと思います。」
神「じゃあなんで選んでんのよ!あなた、選んだら責任もって答えなさいよ。(笑)」
青「だってこんな失敗だらけのやつのアドバイスとか聞きたくなくないですか?嫌ですよ?アドバイスした通りにやって失敗したとしても責任持てませんからね?」
神「そうか~。じゃあ、あたしが答えようかな~。そうだな~。まあ、そう、あれだ。なんていうか、やっぱり、自分の気持ちに正直になるのが一番だと思うのよ。」
青「はい。はい。」
神「その気になる子?Rさんだっけ?その子がどんな女の子かちょっとわかりませんけど、その子のことが少しでも気になるなら、やっぱり『好きです』って直接伝えるのがいいと思う。そして、『付き合ってください』でもいいし、それがキツいなら『友達になってください』でもいいし、そうやってコミュニケーションをとるのがいいんじゃないかと思うな。さっき言った高校2年の時、わたしはそう言われました。その男の子から。」
青「なるほど~。さすが神田さんですね。(笑)」
神「さすがって何よ。まあこういうのってさ、早押しクイズみたいなもんだから。」
青「どういうことですか?」
神「何かを得るためには、まずボタンを押さなきゃいけないってこと。早押しクイズって答えがわかってもさ、ボタンを押して解答権を得ないと意味がないじゃん?」
青「はいはい。」
神「だからさ、とりあえずさ、正解か間違ってるか分かんなくてもさ、とりあえずボタンを押そうぜって。ボタンを押してさ、ランプが光ってからさ、『これが正解じゃないかな』って思うことを伝えればいいんじゃない?」
青「なるほど。」
神「あと別に間違っててもいいのよ。それが不正解だったとしても、それで人生終わりませんから。失敗したら、次は正解できるようにすればいいの。」
青「そうですよね。僕みたいにね。」
神「(笑)青山君はどうだったの?すぐ切り替えられたの?フラれたとき。」
青「正直、かなり凹みましたよ。1週間くらい引きづりました。」
神「(笑)」
青「(笑)でも今となってはいい思い出ですから。」
神「そうそう。それにさ、ぼやぼやしてると、他の男に先越されちゃうかもしれないからさ。こういうのは早い方がいいのよ。どっちにしてもね。」
青「そうですよね。」
神「こんな感じでいい?なんかあたし変なこと言ってないよね?」
青「大丈夫です。ばっちりだと思います。」
神「そう、よかった。さて『わさビーフ』君、参考になったでしょうか?もしうまくいったらですね、その報告をまた番組にメッセージで送ってくれると嬉しいです。待ってますからね。応援してます。さあ、そんな『わさビーフ』君からリクエストいただいております。聞いてください、tacica(タシカ)でaranami(アラナミ)。」
先週までと変わらない夜のはずだった。
毎週金曜日の夜の9時から11時までの2時間。私はいつものようにFMラジオを聞いていた。
自分の親の世代とは違い、今はアプリを使って、簡単にラジオを聴くことができる。その日その瞬間に聞けない時も、タイムフリーという機能を使えば、放送終了後でも一定期間は聞くこともできる。便利になったんだろうなと私は思う。ラジオをラジオでしか聞けなかった時代のことを、詳しく知ってるわけじゃないけど。
私がいつも聞いているのは、地元のFMラジオ局が放送している「CANDY HOUR(キャンディアワー)」という番組だ。パーソナリティは神田ケイと青山
また毎回メッセージテーマを決めて、それに対するリスナーからメッセージも募集している。FMラジオではよくあることだ。私は聞く専門なのでメッセージを送ったことはないけども、常連のリスナーさんからのメッセージと二人のやりとりも聞きどころの一つになっている。
神田さんも青山さんもとてもスタイリッシュなのに、話す内容がいわゆる「オタク」ジャンルに特化していて、そのオタク趣味への解像度の深さがいい感じのギャップになって聞いていてとても楽しい。私は特に神田さんのファンで、ラジオ局のイベントに足を運んだこともある。実際に見る神田さんは背も高く、地味で人見知りな私にもすごく気さくに話しかけてくれた。私なんか目を見ただけで言葉が出てこず、結局一言も会話できずに会場を後にしたことを今でも覚えている。会いに行く前の電車で、どんなことを話そうかずっとシミュレーションしていたのに。すごく悔しかった。こんな自分が嫌になる。いつか彼女みたいな自分の言葉で自分の好きな事の素晴らしさを伝えられるような人間になりたいと思う。
そして「CANDY HOUR」にはリスナーからの悩みや相談事を送ってもらい、二人がアドバイスを送るコーナーがある。毎回2~3通のメッセージが紹介されることが多い。
私はどうも「他人が他人に悩みを聞いてもらっている」状況を「第三者の目線で聞く」ことが苦手だということにラジオを聞くようになって気づいた。悩みなんて他人に相談したところで結局自分で解決しなければいけないわけだし、相手も私の悩みなんか聞かされても気を遣って、当たり障りのないことを言うだけな気がするのだ。そこから有益な何かが生まれるとは思えない。あと単純に恥ずかしい。私がラジオを聞く専門なのはこのせいだ。この「悩みを聞いてもらっていることへの苦手意識」もいわゆる「共感性羞恥」の一種なのかもしれない。
だからこの日も、『 listen to you』のコーナーが始まった時、私は少しラジオから意識を逸らそうとしていた。キッチンに飲み物でも取ってこようかな。番組終了まであと30分。明日からの土日は何をして過ごそう。特に予定もないし、遊んでくれそうな友達もいない。あまり楽しい週末になりそうもないな。
しかしそんな気持ちも『わさビーフ』というリスナーからのメッセージを聞いているうちに吹き飛んでしまった。
今年から刈宮市内の高校に進学した1年生?Rという珍しい読み方をする苗字?放送部に所属している女子?
それは私のプロフィール、そっくりそのままだった。
嘘だ。そんなことありえない。そんな偶然が、ドラマや漫画みたいなことが。
きっと人違いだ。偶然に決まっている。この番組は日本中で聞くことができる。刈宮市にだって高校が、私が通う刈宮高校以外にもある。Rで始まる苗字の放送部員の1年生が私以外にいる可能性のほうがずっと高い。そうだ、そうに決まっている。私は必死で自分にそう言い聞かせようとした。心臓が今までに経験したことのないリズムで波打っているのが聞こえる。耳の奥までドキドキしている。二人のトークなど、もはや頭に入ってこなかった。
そんな私の思いを、『わさビーフ』のリクエストが再び打ち抜いた。
「tacica(タシカ)のaranami(アラナミ)。」
私の憧れのパーソナリティが、その曲名を囁き、何度も繰り返し聞いたメロディが聞こえてきた時、私は確信した。
ああ、間違いない。
これは、私のことだ。
どうしよう。
私のクラスに、私を好きな人がいる。
公共のラジオの電波に乗せられた自分への愛の告白を。
月曜日、いつものように教室に入り、鞄をロッカーにしまった後、私は牛山あおいを見つけて声をかけた。
「牛山さん。ちょっといいかな。」
「あ、リンリン。おっはー。どしたの?珍しいね。リンリンが話しかけてくるなんてさ。」
イメージカラーのピンクのリボンで結った髪をいじりながら、これまたピンク色のカーディガンをかわいく着こなした牛山さんは微笑んだ。
「ちょっと、相談したいことがあって、今日お昼、一緒にどうかなって。」
「うーん、今日は別に誰とも食べる約束していないからいいよ。どこで食べる?あ、ひょっとしてあんまり人に聞かれたくない話だったりする?」
「そ、そうだね。出来たら、あまり人に聞かれたくないかも。」
「じゃあ、中庭のベンチで食べようよ。あそこならベンチとベンチ、離れてるから人、近くに来ないしさ。」
「うん。わかった。ありがとう。」
「いいえいいえ。じゃあそういうことでよろしく。」
牛山さんと別れた後、私は自分の席についた。小学生のころから目が悪く、でもコンタクトレンズをつけるのはなんだか怖いので、私はメガネをかけている。ただしあまり度の強いレンズをかけると、昔から頭が痛くなるので、度は弱めだ。なので私は黒板が見やすいよう、席をいつも教卓の一番前の席になるように配慮してもらっている。高校生にもなると、教卓から一番近い席をわざわざ希望する生徒はいない。
自席についても、ラジオのことが頭から離れなかった。教室にはもう8割方座席は埋まり、少しずつ騒がしくなってきていた。
「黒板を見ても後姿が目に入ってドキドキする」という昨日のメッセージのことが頭に浮かんだ。今もあのメッセージの送り主は、私のことを見ているのだろうか。それともまだ教室に入ってきていないだろうか。
ふいに視線を感じて私は後ろを振り返った。誰もこちらを見ているような生徒はいなかった。気のせいだったようだ。ただ、私の真後ろの席に座っている高梨一生が文庫本を読んでいるだけだった。私の視線を感じたからだろうか、ワンテンポ遅れて彼と目が合った。私は「お、おはよう」と小声で一言あいさつをしただけですぐに視線を前に戻した。動揺して若干挙動不審になってしまって恥ずかしい。
昨日までは何も感じなかったクラスメイトからの視線が、一番前の席に座っている自分の背中に注がれていることをこの日初めて意識した。
ホームルームが終わっても、一時間目の授業が始まっても、後ろを振り返るのが怖かった。
昼休みに約束の中庭のベンチに向かうと、牛山さんはまだ来ていなかった。右側を空けてベンチで待っていると、彼女がお弁当と購買のビニール袋を提げてこちらに向かってくるのが見えた。
「リンリン、ゴメン、遅くなっちゃって。購買混んでて時間かかっちゃった。」
「ううん、私も今きたところ。牛山さん、お弁当の他に、菓子パン二つも食べるの?」
「そう、お母さんの作るお弁当、お弁当箱が小さくて足りないのよ。成長期のJKは常にはらぺこだってのに。いつもは食べた後に購買で追加で買うんだけど、今日はリンリンとの約束があったから先に買っといた。」
「ゴメンね。時間とってもらって。」
私はお礼を言った。
「いいのいいの。いつもは残り物しかないけど、今日はおいしそうなの買えたし。」
じゃあ食べようかと言って、私たちは「いただきます」をした。私が食べるのよりもだいぶ早く牛山さんはお弁当箱(小さいと言っていたけど、私のよりだいぶ大きめだ。)を平らげ、袋からクリームパンを取り出してかぶりついている。
「お母さんのお弁当、基本昨日の余り物だから、味が濃い目でさ。食べた後甘いもの欲しくなるんだよね~。」
牛山さんはそういってもう二つ目のアンパンを取り出した。牛山さんはいつも明るい。根暗な私でも見ているだけでなんだか元気が出てきてしまう。彼女なら、新学期のホームルームの宣言通り、同級生全員と友達になるのも夢じゃないかもしれない。
「リンリン、今日はお昼の放送当番じゃないの?」
「うん。私はまだ入りたてだからそんなに順番回ってこないんだ。2週間に1回くらいかな。次は来週の月曜日。」
「私はこうやって人と面と向かって話をするのは全然平気だけど、マイクの前でしゃべるのってめっちゃ緊張しない?全校生徒が聞いてる前でするのすごいよね。」
「別に、私は逆に面と向かって話をすると、緊張しちゃうし、何か変なこと言っていないか心配になっちゃう方だから、原稿をマイクに向かって聞き取りやすく話す方が好きかな。時間もお昼休みの前半の30分だけで、校内の人にしか聞こえないから。これがラジオの全国放送とかならプレッシャーもすごいんだろうけど。」
ちょうど話題が放送部の話題になったころ、そしてお互いが食事を終えたタイミングで私はラジオの一件を話し始めた。私が「CANDY HOUR」を聞くようになったきっかけから、番組の説明、そして採用されたあのメッセージのことを。牛山さんは紙パックに入ったコーヒーをストローで啜りながら私の話を聞いていた。
私が一通り話し終わるのと、彼女のコーヒーが無くなるのがほぼ同時だった。牛山さんは飲み終わった紙パックを畳んで袋に捨てた後、よく回る大きな瞳を一層キラキラさせながら私を見た。
「その話、本当?そんなことってある?」
「うん。本当のこと。何なら牛山さんも聞いてみて。来週の金曜日までなら、「radiko」のアプリで聞けると思うから。」
私は説明した。帰ったら聞いてみるね、と彼女は答えた。
「じゃあ、相談したいことっていうのは、その『わさビーフ』っていうメッセージの送り主が、うちのクラスの誰なのかってことね。」
「うん。そういうことになるかな。」
「もう一度確認するけど、そのRさんがリンリンに間違いないって判断したのはどんなところからなの?」
「うん。あの後、私、いろいろ調べたの。まず、刈宮市内には刈宮高校以外にも、公立高校は3つある。刈宮北高校と刈宮東高校、それに刈宮工業高校。だけど、放送部がある高校はうちだけ。」
「なるほどね。」
「次に、同級生の中で、Rで始まる苗字の生徒は、私しかいない。小学校のころから一度もラ行で始まる苗字の子に会ったことなかったし、相当珍しいんだと思う。私の
「普通の人が初めて見たら『
牛山さんはうなずいた。
「そして極めつけはね、メッセージの最後のリクエスト。tacica(タシカ)のaranami(アラナミ)って曲。」
「私あんまり音楽とか聴かないから、そのアーティスト名も曲も聞いたことないかも。でもそれが極めつけってどういう意味?」
「これ、アニメの曲だったんだけどさ。このアニメのタイトルがね、」
「うん。」
「『波よ聞いてくれ』。『月刊アフタヌーン』に載ってる、ラジオパーソナリティが主人公の漫画、それがアニメ化された時の曲なの。牛山さんは知らないかな。私、昔からラジオが好きだから、この漫画の原作もアニメも見てて、だからこの曲も何度も聞いてる。」
「へ~。ん?ちょっと待って?漫画のタイトルもう一回いい?」
「『波よ聞いてくれ』。」
「ああ!ひょっとして、そういうこと?」
「そう、『なみよきいてくれ』なの。だからあのメッセージはリクエストも含めて私のことを話してるじゃないかなって。そんな気がするの。」
「んで、またそんな厄介事を抱えて僕のところに相談か。」
「厄介事とは結構な言いぐさね一生君、恋愛相談なんて高校生になってから初めてなんだから、やる気がみなぎっているところよ。腕が鳴るわ。」
僕と牛山がいるのはあのフードコートのスガキヤである。当然ながら僕たちの目の前にはクリームぜんざいが置いてある。クリームぜんざいシーズンの到来を感じさせるように、少し空気が蒸し暑くなってきた。そんな中で食べる放課後のクリームぜんざいは格別である。
前回の「はがねの錬金術師事件」(なんだそれは)の後も僕と友達になるために何かあると様々なアプローチをかけてくる牛山が、僕に持ち込んできたのはFMラジオを介して行われた嘘みたいな恋愛相談と「リスナー当て」である。どちらかといえばダイイングメッセージの解読に似ているかもしれない。当然友達でも何でもない牛山に協力してやる義理も理由もないのだけども、報酬としてクリームぜんざいを提示されたら無下に断るわけにもいかない。そんなわけで、火曜日の放課後に、クリームぜんざいを前にして僕らは向き合っていた。
牛山が使っているワイヤレスイヤホンの片方を貸してもらい、牛山のスマホから問題のお悩み相談コーナーを聞いてみた。
確かにこの『わさビーフ』というリスナーのメッセージを聞く限り、『わさビーフ』が気持ちを寄せるRさんは、林崎奈美である可能性は高いように感じた。刈宮市内にある公立高校に通うRで始まる放送部員、それに最後のリクエスト。ここまで要件が重なればまず偶然の一致の線は無視してもいいような気がした。
「まあ、このメッセージの内容が全て真実と仮定するとならば、だけどな。こじらせた中二病患者の妄想かもしれないわけだしな。」
僕はイヤホンを牛山に返却してからそう言った。
「一生君、言い方。確かに『わさビーフ』自身の勘違いがある可能性は否定できないけど、一応このメッセージの内容は全て事実だって前提で話を進めていくしかないんじゃない?疑ってたらキリないよ。」
それもそうだな。
「ちなみに、この『わさビーフ』君だけど、送ってきたのはこのメッセージだけなのか?」
「一応初メッセージって冒頭でいってるし、そうなんじゃないかな。毎日やっているような番組だと、何回かアーカイブが残っているんだけど、「CANDY HOUR」は週一の番組だから、これしか残っていないのよ。それにリンリンに聞いたら、『わさビーフ』ってラジオネームは覚えている限りでは今まで聞いたことがないって。」
「なるほどな。つまり手掛かりはこのメッセージの内容にしかないってことか。」
僕はぜんざいを口に運びながらそういった。なかなかに情報が少ない。
「牛山、本当にこれだけの手掛かりで『わさビーフ』が特定できるのか?」
「私なりに伝手を使って調べてみる。でもね、これは私の勘でしかないんだけどね、なんとなく目指すべきベクレルは見えてる気がするのよね。」
ベクトルな。ベクレルは放射能の強さを表す単位だ。うろ覚えの単語を雰囲気で使うからこうなる。
「だから今回は一生君は特に何もしなくてもいいよ。 私ならきっとこの『わさビーフ君』が誰なのか、答えが出せると思う。でもこんな謎、私だけで考えるのはもったいないからさ、一生君も一緒に考えてよ。回答期限は今週の金曜日の放課後、いつもの「文研部の部活動の時間」に答え合わせしよ。ね?」
「言っとくけどな、真面目にやるつもりはないからな。正解する自信もないし。」
「何言ってるのよ。私とほぼ同時に『はがねの錬金術師』の謎を解いちゃったんだから一生君だってわかるよきっと。」
だから何なんだその『はがねの錬金術師』っていうのは。その名称、他所でしゃべってないだろうな。
「じゃあ、ぜんざいもなくなったし、そろそろ帰ろうか。あ、ちなみにこれ、うちのクラスの名簿と今の席順。よかったら参考に使って。」
そういって牛山はExcelで作成したと思われる1年5組のクラス名簿と席順の書いたA4サイズのプリントを僕によこした。
「これ、お前が作ったのか?」
「モリケンからコピーもらった。席替えのくじ作るって言ったらくれたよ。」
ちなみに「モリケン」というのは僕らのクラスの担任、
「大丈夫かモリケンのやつ。ま、これくらいなら担任が生徒に渡しても個人情報うんぬんで問題があるわけでもないか。ただ男女別にクラスメイトが五十音順に並んでるだけだし。」
「念のためだけど一生君、そのプリント、どこかに置き忘れたりしないでね。ただの名前と席順でも個人情報の管理はきっちりしないとだめだからね。」
牛山が珍しく真剣な顔をして念を押した。
「分かってるよ。今回の謎が解けたらお前に返す。そしたら職員室のシュレッダーにでもかけて適切に処分してくれ。」
そういって、僕と牛山は二人で一緒にトレイを返却してからスガキヤを後にした。
翌日水曜日、登校してみると林崎は病欠だった。昨日の朝の時点では彼女の周りで起こっていたことについて僕は何も知らなかったため、別に気にも留めなかったが、今思えばそわそわして少し落ち着きがなかったような気がした。まあ突然こんなことになった以上、今までに経験したことのない心労も溜まることだろう。一日ゆっくり体を休めてもらえればいいと思いながら、ホームルームの時間中、昨日牛山から渡されたクラス名簿を眺めていた。
男子出席番号 女子出席番号
一番
二番
三番
四番
五番
六番
七番
八番
九番
十番
十一番
十二番
十三番
十四番
十五番
十六番
十七番
十八番
十九番
二十番
目を開けて部屋の時計を見たら、朝の8時30分を過ぎていた。私はベッドから体を起こして背伸びをした。身体の機能が少しずつ起動していくのを感じる。
金曜日の夜から今日まで、ベッドに入ってもあれこれ考えてしまい、なかなか眠ることができず、教室にいればいるだけで『わさビーフ』が私を見ているんじゃないかと思って落ち着かなかった。さらに言えば昼休みや授業後に、『わさビーフ』が私に声をかけてくるんじゃないかという不安もあった。突然目の前に突き付けられた現実とは思えない状況に、私のメンタルは悲鳴を上げていた。
朝、起きた瞬間にめまいがした。天井がぐるぐるする。体もだるい。熱はないので風邪を引いたわけではなさそうだった。間違いなく心労だ。お母さんに体調不良の旨を伝え、今日は欠席することにした。熱はないので部屋でおとなしくしていれば大丈夫だ、もし明日になっても体調が戻らない場合は医者に行くことを伝えると、今日の分のお弁当を昼に食べるように指示をされ、お母さんは出勤していった。
小学校に上がってから今日まで、浮ついた話もなく、男友達の一人も家に連れてきたことのない高校生の娘について、両親はどう思っているんだろうかと、ここ数日で考えたりもした。「奈美ちゃんのモテキは保育園の年長さん以来、来てないわね。」なんて冗談を、勉強ばかりしていた中学時代にしたことも思い出した。まさか人生に何回来るかどうかわからない「モテキ」の2回目が高校進学早々に私の前にかなり珍妙な形で転がり込んできていると知ったら、お母さんはどんな顔をするんだろう。
放送部の顧問で、1年2組の担任でもある志田先生にも具体的なことを伏せて相談してみた。なんか、私のクラスに私のこと好きな男子がいるみたいなんです。で、誰だか気になっちゃって最近調子狂ってるんですけど、どうしたらいいですかね?
文研部の小冊子に載せるためのコラムを書いていた志田先生はその手を止め、ニコニコしながら平安時代の恋の歌とそれにまつわるエピソードをいくつか紹介してくれた。そして、今の奥さんと知り合った当時、実際に自分たちの気持ちを詠った自作の和歌を送りあって愛情を深めていったという衝撃的なエピソードまで教えてくれた。何それ。めっちゃ素敵じゃん。
まあ、正直なところ、令和を生きる女子高生の恋煩いに対して、この志田先生の話にどれくらいの効能があったかはよくわからなかった。こういうのは即効性のあるタイプの薬じゃないんだろうな。まあ、話して楽しかったからよかったけど。
自分の部屋から階段を下りて台所に行き、トースターにパンを突込み、焼けるまでの間冷蔵庫からヨーグルトを出して食べた。食欲もある。本当に身体が疲れていただけなんだなと思って安心した。一日おとなしくしていれば明日は学校に行けそうだ。
でもそれは明日になってみないと分からないか。明日になったらまた調子が悪くなるかもしれない。学校に行けばまた『わさビーフ』に関わるあれこれについて考えないといけなくなる。そう思うとちょっと気が重かった。
自意識過剰な自分が嫌になる。そんなくだらないことで何日も休んでいられない。お母さんたちにも心配をかけたくない。だいたい原因は分かっているのに何科の医者にいけばいいんだ。精神科?バカバカしい。
スマホを確認したら牛山さんから「お休みー?大丈夫ー?」のスタンプが来ていた。こういうところ、牛山さんはそつがない。「ありがとう。たぶん明日は大丈夫」と返信をした。肝心の『わさビーフ』に関することは何もなかった。また明日学校で聞くことにしよう。
トーストにジャムを塗って、コーヒーのお湯を沸かしているときに、私は今日が水曜日だということに気が付いた。
水曜日の午前中。そうだ、いつもは聞けない神田さんの番組が聞けるじゃないか。
「CANDY HOUR」のパーソナリティの神田ケイは、金曜日以外にも月曜日と水曜日の午前中に「BREAK SHOT」という番組を朝の9時から12時までの3時間、火曜日と木曜日のパーソナリティと1日おきで担当している。普段は学校があるのでリアルタイムでは聞くことができない。祝日があればその限りではないが、林崎家は両親ともにカレンダー通りの仕事をしているので、なかなか両親が在宅している祝日の午前中に部屋にこもってラジオを聞くわけにもいかない。なので私はこれまであまり「BREAK SHOT」を聞く機会がなかった。
時間を確認したらもう9時3分前だった。沸騰する前のお湯をコーヒーパックに注ぎ込み、私はあわてて自室に戻った。スマホから「radiko」のアプリを立ち上げる。無線イヤホンを両耳にセットした直後に番組が始まった。少しぬるめのコーヒーをいれたマグカップを置いて、勉強机に座った。前の番組を担当していたパーソナリティへの労いと、「BREAK SHOT」のオープニングナンバーが聞こえてきた。
「時刻は9時を回りました。ここからの時間は神田ケイがナビゲートしていきます、『BREAK SHOT』、あなたの日々の生活、仕事、趣味をより良くしていく、そんなきっかけになるような話題や音楽をお届けしていきます。今日も12時までお付き合いよろしくお願いします。」
番組はオープニングトークから始まり、今日のメッセージテーマの発表から交通情報、気象情報と続いていく。今日のテーマは「最近知ってびっくりしたこと」だった。このメッセージテーマをもとに、リスナーからメッセージを募集し、それを曲や情報コーナーの合間にはさみながら番組は進んでいく。
「最近知ってびっくりしたこと」か。私は『わさビーフ』のことがまた頭に浮かんだ。あんなことがあれば誰だってびっくりする。今でも何かの間違いなんじゃないかと思っているくらいだ。自分が毎週聞いているラジオから、自分に関わりのある恋愛相談が流れてくるなんて偶然にしても出来すぎている。
どうしたらいいんだろう。金曜日からずっと頭の中に降り積もっていたことがまた口をついて出てきた。
ふいに、私の中で一つの考えが浮かんだ。
そうだ。神田さんに聞いてもらえばいいじゃないか。
今日は平日の水曜日の午前中。刈宮高校の授業は始まっている。昼休みの1時間を除き、始業時間から下校時間までスマホの電源を入れることは校則で禁じられている(見つかればスマホは下校まで没収かつ反省文だ。まあうまくやっている子はいるみたいだけど。)ため、この番組を刈宮の生徒が聞いている可能性は低い。当然『わさビーフ』もそうだろう。それに具体的な名前を出さければ特定されることもない。
私は一念発起し、番組のメッセージフォームを開いた。
『神田さんこんにちは。初めてメッセージをします。私が最近知ってびっくりしたことは、友達から、私のことを好きな人が同じクラスにいるかもしれないと教えられたことです。今までそんなことを経験したことがないのですごくびっくりしました。まだそれが誰なのかはわかっていないんですが、いったい誰のことなのか、気になって仕方がありません。神田さんは同じクラスに好きな人がいたり、逆に同じクラスの人が神田さんのことを好きだったことはありましたか?そしてその時どうしたか、教えてください。』
ラジオネームは「リンリン」にした。4月、初めて友達になった時に牛山さんがつけてくれたニックネームだった。最初は動物園のパンダみたいで恥ずかしいと思っていたけど、何度か呼ばれるうちにしっくりくるようになってきていた。まあ、牛山さんしかこの呼び方は使っていないけど。
一度読み直してから送信ボタンを押した。少しだけドキドキした。私が送ったメッセージはおそらく神田さんの目に付く形で手元に届くはずだ。送られてきたメッセージのうち、どれを採用するかは番組スタッフのさじ加減なのでどうなるかはわからない。私はいつもと違う一歩を踏み出した高揚感を感じながら、番組を聞き続けた。
12時のエンディングを迎えても、結局、私のメッセージが採用されることはなかった。神田さんが次の番組を担当するパーソナリティにエール(という名の無茶ぶり)を送る声がフェードアウトしていくのを聞いてから、イヤホンを外した。
今日採用されたメッセージは、「アニメのキャラクターの意味不明のセリフを逆再生すると意味が通るようになる」とか、「かき氷のシロップは実は全て同じ味」とか、「ドラマ『古畑任三郎』の名前の元ネタは俳優の時任三郎」といったような、トリビア的な内容のメッセージが多めに採用されていたので、私のメッセージが読まれる流れじゃないなあと、聞きながら思っていた。
それでも思いがけず神田さんのトークを聞けて、気持ちが軽くなっていた。『わさビーフ』の件も、たとえそれが誰なのか分かる日が来たとしても、その時に自分の心の中に生まれた感情に、素直に従おうと思った。幼稚園の時以来訪れたおそらく人生2回目のモテキだ。前向きに楽しんでやろうじゃないか。
その時、私は心の中に何かの引っ掛かりを覚えた。さっきまで聞いていた「BREAKE SHOT」の中で紹介されていたメッセージの中に、私が抱えている問題を解決するヒントが隠されているような気がしたのだ。
私は手元にあったルーズリーフからページを一枚ちぎり、ボールペンで頭に浮かんだことを書き出してみた。
これって、もしかして。そういうことなのか。
ちょっとした閃きと同時にお腹の音がした。私はおかしくなって笑ってしまった。
まあいいや。いったんお弁当を食べて仕切りなおそう。私はそう思ってキッチンへ向かった。向かう途中、あるクラスメイトの顔と名前が浮かんだと同時に階段を踏み外しそうになった。
いかんいかんしっかりしろ。精神科に行く前に整形外科か病院の救急外来に担ぎ込まれるところだったじゃないか。
お昼を食べていても、さっき思いついたクラスメイトの名前と顔が頭の中をいったりきたりしていた。食欲はある。頭もすっきりしている。明日は学校に行くことになるだろう。謎の答えがきっと私を待っている。
私の中で覚悟が決まった。
木曜日の朝、いつものように登校して1時間目の準備をしていた時、私は机の中に封筒に気が付いた。文具店で売っているシンプルなレターセットだ。中には一枚の便せんが入っており、ボールペンで一言、こう書いてあった。
「ラジオのことで、話がしたいです。今日の5時半に教室で待っていてください。」
私は思わず後ろを振り返った。いつもと変わらない1年5組の姿がそこにあった。一番後ろの席にいる牛山さんの姿はなかった。そして、この手紙を忍ばせた「彼」の姿も見えなかった。夏休みが近づいている少し浮ついた教室の中で、私の体の中をめぐる血液が熱を帯び、そして少しずつ引いていくのを私は感じた。心臓がドキドキする。深呼吸をした。
もちろん覚悟はできていた。
それにしても意外と積極的なんだな。『わさビーフ』君は。
夏休みが近いせいか、夕焼けになるまではもう少し時間がある。オレンジ色に染まる前の1年5組の教室に私は座っていた。
約束の5時半まであと5分。
スマホが振動した。発信先は牛山さんだった。
「もしもし。」
「ああ、リンリン。よかった出てくれて。今どこ?もう帰ってる?」
「ええと、ううん、待ち合わせなの、友達と。」
5組の教室にいることは黙っておいた。
「あ、そうなんだ。電話しても大丈夫だった?」
「大丈夫だよ。まだ来てないし、5分くらいなら。何だった?」
「えーとね、遅くなったんだけどさ、分かったよ。『わさビーフ君』が誰なのか。」
「え?それって本当?」
「うん。本当は昨日話したかったんだけど、リンリン休んでたから。LINEで伝えるのもなんか違うと思って、会って直接話そうと思ってたんだけどタイミングなくてさ。今日中に伝えたくて電話しちゃった。ごめんね。」
「ううん。いいの。ありがとう。いろいろ考えてくれて。」
そして牛山さんは話し始めた。あのメッセージから読み取れたこと、今日まで牛山さんが調べてわかったこと。そして『わさビーフ』というラジオネームに隠されていたこと。そこから導き出した一人のクラスメイトの名前を、牛山さんは口にした。
その名前は、私が今、教室で待っている「彼」の名前と同じだった。
そのとき、教室の扉がノックされる音が聞こえた。時計の針は5時半ちょうどを指していた。
「牛山さん、途中だけどゴメン。友達来たから電話切るね。続きはまた明日教えて。」
私がそういうと牛山さんは「そっか、じゃあまた明日ね」と言って電話を切った。
もう一度ノックの音がした。私は「どうぞ。」と声をかけた。また心臓がドキドキしてきた。
教室の扉が開く。私は勇気を出して開かれていく扉を見つめた。
そこから顔を出したのは、牛山さんが辿りつき、私がそうじゃないかと思い描いていたクラスメイト。
「ゴメン。林崎さん、呼び出しちゃって。手紙見てくれたんだね。」
「ううん。あの、う、内場君も聞いてたんだね。『CANDY HOUR』」
「ああ、うん。俺、青山さんのやってたバンドが好きで、ラジオも第一回の放送からずっと聞いてた。」
「そうなんだ。私は神田さん方のファンなんだ。」
「そっか。その、ゴメン。まさか林崎さんが聞いてるなんて少しも思わなかったんだ。中学の時、ラジオ聞いてる奴なんて周りに一人も知らなかったから。」
「私もびっくりした。あんまりびっくりして眠れなくなっちゃった。」
「昨日休んだのも?」
「そう。でも大丈夫。もう平気だから。朝遅くまで寝て、神田さんのラジオ聞いてたらたら元気出た。」
少し間が開いた。内場君が私の目を見た。
「ラジオで伝わっちゃってるから今更だけど、俺、林崎さんともっと話がしたいんだ。もちろんラジオの話もしたい。これからどうなるか分かんないけど、俺でよければ、その、付き合ってくれないかな。」
顔を真っ赤にしながら、内場君は右手を差し出して、私にそう告げた。電波に乗っていない肉声での告白を。
私はその手を取りながら答えた。
「こちらこそ、ありがとう。私を好きになってくれて。こんな私でよかったら、仲良くしてください。」
内場君が私の手をやさしく握り返すのを私は感じた。
「それに、もしここで断ったら、神田さん、がっかりしちゃうし。」
私は付け加えた。少しの沈黙の後、私たちは同時に笑い出した。恥ずかしいのと緊張が解けたのがごちゃまぜになったおかしな空気が二人を包んでいた。
1年5組の教室を出て、刈宮駅に向かうまでの間、内場君と『CANDY HOUR』のことを話しながら歩いた。同世代の男の子と、ラジオの話をしながら歩くのは初めてだった。
とてもとても楽しくて、幸せな時間だった。
「でも、ズルいな、内場君」
「何が?」
「だってさ、神田さんに恋のお悩み相談聞いてもらってるじゃん。いつか私がしてもらうのもいいかなって思ってたのに。先越されちゃったなって。」
ちょっとしたいじわるのつもりだった。内場君が恥ずかしそうにまた笑った。
電車の方向は、私と内場君は別だった。駅が高架になっているため、1階の改札を通り、階段を使ってホームのベンチに座った。彼が乗る方向の電車はさっき出発したばかり、次の電車まであと15分ほどある。さっき駅に歩いて向かっているときに、もう電車の時間が迫っていることは分かっていたが、内場君と話をしながら歩くこの時間を大切に扱いたいと思っていた私は、あえて急ごうとはしなかった。「電車来るけど、急がなくてもいい?」と私が聞くと、「別に大丈夫。」と彼は答えた。彼も私と同じように思ってくれてまた嬉しかった。
電車が出たばかりで、駅のホームは閑散としていた。私たちは無人の待合室に入り、隣あって座った。次の電車までのこの時間を使って私は今日まで気になっていたことの答え合わせをすることにした。
「ところで、内場君、何でラジオネームが『わさビーフ』だったの?」
それを聞いて、内場君がびっくりしたように私を見た。そして一旦視線を外し、待合室の窓から外を見た。そうして少しためらったような、何かを決意したかのような表情をしてから、自分の鞄の中からノートとボールペンを出してきて、私に渡した。
「書いた方が分かりやすいからさ。白紙のページ、一枚使って。」
そう言って彼はひとつ深呼吸をしてから話し始めた。
「じゃあまず、俺のフルネームをローマ字で書いてもらってもいいかな?あ、「ち」は「TI」でお願い。」
私は言われたとおりに「UTIBASOUMA」と書いた。
「そうしたら内場奏舞の「舞」は「MA」じゃなくて普通の読み方の「MAI」に変換する。そして「SOU」を「SAW」に書き換える。ほら、ホラー映画でさ、『SAW』ってあるだろ?あのデスゲーム映画の元祖みたいなやつ。」
「名前は知ってる。何か怖くて痛そうだったから本編は見てないけど。」
私は言われたとおりに彼の名前を「UTIBASAWMAI」に書き換えた。
「そうしたらこれをひっくり返して逆から書くんだ。そうしたら「IAMWASABITU」になる。そしてこうする。」
内場君は私からノートとペンを受け取ると私が書いたローマ字の上にこう書きなおした。
「『I/AM/WASABITU』 『私はわさビーツです。』って読めるだろ?あのラジオネーム、本当は『わさビーツ』だったんだ。そして『わさビーツ』は俺の名前を変則的にローマ字に変換して、逆から読んで考えたんだ。」
内場君は、また照れくさそうに笑ってそう答えた。
「でも、内場君、ラジオでは『わさビーフ』って青山さんが読んでいたよ?」
「あれはさ、きっと青山さんがわさビーフが好きでよく買うから、原稿のラジオネームを脳内で『わさビーフ』に変換して読み間違えたんだ。メッセージ読んだ後で神田さんが青山さんに「わさビーフが好きか」ってメールの本文と関係ない話をしてるのも、それがあったからだと思う。俺はちゃんと『わさビーツ』でメッセージ送ったんだけど、訂正するタイミングがなくてそのまま流されちゃった。」
内場君がそう答えたのを聞いて、私は少し笑った。一生懸命真剣にラジオネームの由来の説明している内場君がとても愛おしく思えた。
「どうかした?今の話、そんなに面白かった?」
内場君がまた顔を赤くしてそう聞いた。
「違うの、ゴメンね。実はね、私もそうじゃないかって考えてたんだ。今日、教室で待っている時、ドアを開けて入ってくるの、もしかしたら内場君かもしれないな、って思ってたんだよ。」
きっかけは昨日、学校を休んで聞いていた「BREAKESHOT」だった。あの日のテーマ「最近知ってびっくりしたこと」の話として「アニメのキャラクターの意味不明のセリフを逆再生すると意味が通るようになる。」というネタが紹介されていた。この「音声の逆再生にする」ことが「その言葉をローマ字に変換して、逆から読む」ことと同じだということを、私は知っていた。だからあの時、『わさビーフ』(WASABIHU)の名前をローマ字に書きだして反対側から読んでみたのだ。「UHIBASAW」。このままでは日本語として読むことはできないが、なんとなく「内場奏舞」の名前が浮かんできそうな言葉が出来上がるな、と私は思っていた。そして、その予感は現実になった。
「今になって思えば、あのメッセージの中に「逆に」とか「天地がひっくり返っても」とかあまり文脈の中で不自然な表現もあったから、これも逆から読んでみることを暗示してたんじゃないかなって思ったけど、そうなの?内場君」
「それは、たぶん、偶然、かも。」
内場君は少し驚いたような顔でそう答えた。
私が乗る電車が、ホームに到着するアナウンスが聞こえた。周りを見ると、電車を待つ刈宮高校の制服を着た生徒たちが集まってきていた。同じクラスの生徒や、私の知った顔は見当たらなかった。私たちは待合室を出て、構内の案内表示が示す停車位置に二人で並んだ。
「内場君、また『わさビーツ』の名前でメッセージ送るの?」
「うーん、なんか林崎さんに説明したら恥ずかしくなったから変えるかも。」
「そっか、じゃあどんなラジオネームにしたか変えたら教えてね。聞くよね?明日も「CANDY HOUR」。」
「そりゃあ、もちろん。」
電車がホームにやってきた。土曜日に出かける約束と待ち合わせ場所を決めてから、私は電車に乗り込んだ。「土曜日楽しみにしてるね。」と伝えると、彼がまた照れくさそうに笑った。その笑顔と、電車のドアが閉まるのが、ほとんど同時だった。
金曜日の授業後、僕が図書室で読書をしていると、本棚の向こうから牛山が歩いてくるのが見えた。
「やっほー。一生君。待った?」
「別にお前を待ってるわけじゃないからな。今は部活動の時間だ。まあいいや、もう少しで切りの良いところまで読み切るからもうちょっと待っててくれ。」
僕がそういうと牛山は「りょーかーい。」といって図書室の受付の方に歩いて行った。先日の自販機にかかわる事件をきっかけに司書教諭の片山先生と仲良くなったらしい。いつだったか、牛山が休み時間に文庫本を読んでいるのを見たことがある。今も先生におすすめの新刊でも聞きに行ったのだろう。まあ読書好きが増えるのは喜ばしいことだ。
切りのいいところまで読み進めた後、僕は立ち上がり、本にスピンを挟み込んだ後で鞄にしまい、牛山のもとへ向かった。
「待たせたな。」
「あれ?今日はもういいの?部活動。」
「図書室はおしゃべりをする場所じゃないからな。今日は利用者も多い。林崎さんの件で答え合わせをするなら別の場所でしよう。5組の教室でいいか?」
「うん。わかった。私は今日は別の待ち合わせがあるからそれまで教室でやろうか。じゃあね片山先生。また面白い本入ったら教えてー。」
片山先生が笑顔で手を振った。そうして僕らは図書室を後にした。
「ところで一生君、『わさビーフ』君が誰だかわかった?」
5組の教室に向かう途中で、後ろからついてくる牛山が話しかけてきた。
「あれから少し考えては見たけど、正直クラスの誰が彼氏彼女持ちかすらわからないんだから絞りようがない。正直何もピンと来ていないな。」
僕は一度後ろを振り返ってそう答えた。
「そっか~。さすがの一生君でも無理か~。ふ~ん。」
牛山はなぜか嬉しそうにほくそ笑んでいる。
「実はね、さっきリンリンに確認したんだけど、『わさビーフ』君のこと、もう上手くいったみたいだよ。」
僕は立ち止まって振り返った。
「上手くいったていうのは、つまり、『わさビーフ』が林崎さんに告白して、それが成功したって認識でいいのか?」
「そうそう。昨日の授業後に、5組の教室で二人で会ったんだって。いやー。いいねえ。まさに青春ど真ん中って感じでさー。うらやましいよ。」
牛山は自分のことのように嬉しそうだった。
「ところで牛山は誰かと付き合ったりしないのか?」
ふと思いついたことを、僕はそのまま聞いてみた。
「何?一生君、私と友達になる前に私の彼氏になりたいの?」
無言で睨みつけることで答えとした。
「冗談だってば。怒っちゃだーめ。ええとね、私は、刈宮高校の同級生全員と『友達』になることを目標としているわけで、特定の誰かを特別扱いするつもりはないんだ。ほら、彼氏や彼女って友達より優先順位が高い存在じゃない?だから恋人を作るのは高校卒業してからかな。もし仮に一生君から告白されてもお断りでーす。」
たいした自信だ。まあ牛山をもってすれば当然か。それこそ味噌汁を作るくらいの難易度で要領よく殿方と付き合ったり、「じゃがいもはみそ汁の具としてありか、なしか。」みたいなしょうもない理由で別れたりを繰り返しそうではある。
5組の教室は無人だった。教室の前方、林崎の真後ろのにある自分の椅子に僕は座り、牛山はその林崎の座席を拝借してこちらに向き直った。
「昨日の夕方ね、リンリンに電話したのよ、『わさビーフ君が誰なのか分かった』って。リンリンは友達と待ち合わせしてるって言ってたかな。それが誰なのか、何で分かったのかって話をしているうちにその相手が来たからって電話切られちゃったけど、今思えばあのタイミングでこの教室でそういうことがあったってことか。さすがに言えないか。『今から告白されるかもしれないって』」とは。」
牛山はいつものようにピンクのリボンで結った自分の髪先を弄びながら楽しそうに話す。
「『わさビーフ』君の方はまさか自分が好きな女子が自分と同じラジオを聞いているなんて思ってもみなかったみたい。なんとなく送ったメッセージが採用されて、しかもそれを好きな相手が聞いちゃってたなんて、すごい確率だよね。めっちゃ素敵。」
牛山は一方的に話続けている。
その話を聞いているうちに、僕の頭の中で何かが引っかかった。僕は牛山のおしゃべりを遮って尋ねた。
「牛山、今『わさビーフ』が誰かわかってたって言ったか?昨日林崎がここに呼び出されて告白されるより前に?」
「え?そうだけど?」
牛山は不思議そうにそう返した。
「あのメッセージと、この前渡されたクラス名簿と座席表のほかに新しい手がかりとかが見つかったのか?」
「ううん。別に見つかってないけど。」
「牛山、もう一度聞くぞ?お前は『わさビーフ』が誰なのか、あの番組で読まれたメッセージと名簿と座席表だけで特定できたんだな?」
「だからそうだっていってるじゃん。まあ一生君と違って、私はクラスの交友関係とかに詳しいから、そのあたりの知識を駆使したってところはあるけど、それもただの事実関係の確認の補足にしたくらいかな。大体のことはあのメッセージの内容でたどり着けたよ。どう?すごいでしょ。」
牛山は得意そうに答えた。
僕は少しだけ目をつむり、思考を巡らせた。牛山が「どうかした?」と聞いてきたが無視した。ラジオで読み上げられたメッセージの内容。5組のメンバーの名前と席順。そして牛山が『わさビーフ』を特定できたという事実。
ある一つの可能性に僕はたどり着いた。そしてそこから導き出される冗談みたいな事実についても。
なんだ。そういうことだったのか。最初に牛山からこの話を聞かされ、クラス名簿とを渡された時から、僕の前に答えは用意されていたんじゃないか。
「なあ、牛山。まだ聞いていなかったな。『わさビーフ』が誰なのかを。」
「そっか。そういえばまだ言ってなかったね。教えてあげようか?」
「当てて見せようか。」
僕は牛山の目を見て答えた。
「え?わかったの?一生君も?てかさっきわかんないって言ってなかった?」
「ああ、さっきまで全く分からなかったけど、今、謎が解けた。」
「うっそすご!さすが一生君。ていうか回答はまだ受け付けてるから言ってみてよ。あってたら今度コメダのシロノワールおごってあげるよ。」
「いいのか?そんなこと言って。多分正解だぞ?」
「いいよ。でも当てずっぽうはダメだよ。ちゃんと理由も説明を聞いたうえで正解かどうか判断するからね。あ、それと外したら逆に一生君がおごってね?シロノワール。」
牛山は楽しそうだ。
「約束だぞ?」
僕は念を押した。
「約束。指切りげんまん。牛山あおいに二言はないわ。ではお答えください。『わさビーフ』君は誰でしょう?」
牛山が僕の目を見た。
僕は、牛山を指さしてこう答えた。
「『わさビーフ』はな、お前だよ。牛山あおい。お前が『わさビーフ』だ」
牛山は最初、何を言われたか分からないような顔をしていた。
「へ?なんで?だって昨日リンリンに告白したのは内場君だよ?サッカー部の。」
あくまですっとぼけるつもりか。
「そうなのか。まあそんなことはどうでもいい。林崎と内場が付き合い始めてカップル成立。よかったじゃないか。それだけの話だ。」
「だったら内場君が『わさビーフ』君ってことでしょ?内場君がリンリンのことを好きで、実際に告白したんだからさ。」
「違う。『わさビーフ』の名前でメッセージを投稿したのは内場じゃない。」
「どうして?ていうか、そもそもメッセージの中で『僕』っていってたから『わさビーフ』は男の子でしょ?」
「今どき一人称が『僕』な女子がいたって別に不思議じゃないだろ?お前だってさっきの彼氏彼女の話で、性別を限定していなかったじゃないか。それにあのメッセージで『今年の4月から刈宮市内の公立高校に進学した高校1年生』と言っているが、どこにも男女の区別がつく文言は入っていない。女子が女子のことを好きになってしまっても今の時代、何もおかしなことはないしな。」
まあ、ラジオで二人がところどころでわさビーフ『君』と読んでいるあたり、メッセージの文言から「送り主が男子高校生」と勝手に判断してた可能性が高いが。
「確かにそうかもしれないけど、何であのメッセージを送ったのが内場君じゃないだなんて、どうしてそんなこと言いきれるの?」
「あのメッセージの中で『わさビーフ』はこう言ってた。『昼の校内放送で彼女の声が聞こえてきたとき、逆にとても耳に心地いい声だなあと感じてから、その声をもっと聴いてみたいと思うようになりました。』アーカイブで確認してみてくれ。」
「確かにそんなこと言ってた気がするけど。」
「もしこれを内場が書いたとなると少しおかしなところがある。内場はサッカー部だから、昼休みの前半はグラウンドで自主トレをしている。確かこの間の自販機の事件のとき、お前が集めた情報の中でその話題が出ていたはずだ。ところが放送部の校内放送が流れるのも昼休みの前半なんだよ。放送部もサッカー部も昼食は食べるからな。しかも校内放送は校舎の中にいる人間にしか聞こえない。だからサッカー部の内場が林崎の聞く校内放送を聞く機会はないはずなんだ。」
「たまたま体調不良かなんかで内場君がリンリンの放送を聞いたって可能性は?」
「メッセージの中で『何度か聞くうちに』って言ってたじゃないか。今日まで何回林崎が校内放送を担当していたか知らないが、何度も彼女の担当する放送を聞くほど内場が自主練を休んでいた可能性はそんなに高くないんじゃないか。ゼロとは言わないけどな。」
牛山から特に反論はなかった。
「さらにもう一つ、さっきのお前の話だと、内場は『林崎さんがまさか同じラジオを聞いてるなんて思わなかった』って言ってたんだよな?だったら、リクエストにアニメの『波よ聞いてくれ』の曲をあえて選んで、メッセージの中のRさんを林崎奈美に結び付けるようなことをしたり、メッセージの中で「逆」を暗示するような文言を入れたりするのはおかしいんじゃないか?それも偶然だっていうのか?あれは明らかに「林崎奈美にこのメッセージを聞かせたい、そして送り主が内場奏舞だと気付いてほしい誰か」が投稿した内容だ。林崎が聞いていると思わなかった人間が送れるもんじゃないだろ。」
ここでも牛山の反論はなかった。
「それにな。一番大きいのは牛山、お前が『わさビーフ』が誰なのかを特定できたって事実そのものだ。確かにお前の交友関係をもってすれば、僕には思いもつかない視点から『わさビーフ』が誰なのかを論理的に導き出せるのかもしれない。でもやっぱりいくらなんでも情報が少なすぎるんだよ。林崎は視力の関係でいつも席替えで座席が一番前になるようにクラスで調整してもらっている。だからほとんどの生徒は彼女の後ろ姿を見ながら授業を受けている。あのメッセージから推測できる情報だけでクラスの中の特定の一人を導き出すことなんて、名簿と席順だけじゃ無理なんだ。」
ただし、例外が一つだけある。それが「『わさビーフ』が牛山あおいの場合」だ。「メッセージの内容だけで『わさビーフ』が誰なのかを特定できる」ことに疑問を感じたならば、「誰ならばメッセージの内容だけで『わさビーフ』を特定できるのか」という視点から論理を組み立てればよいのだ。
牛山自身があのメッセージを送ったことでしか、この状況は説明できない。
「僕もお前がメッセージの内容「だけ」で『わさビーフ』を特定できたなんて言わなけりゃこの可能性を検討することはなかったかもしれない。「内場が林崎に聞かれると思ってなかった」というのもだいぶ不用意な発言だったし。ちょっと調子に乗ったな。いくら何でもあの情報だけで真相にたどり着くことができるのはちょっと無理があるぞ。超能力者じゃあるまいし。」
僕は指摘してやった。
「私に超能力がないなんて、一生君どうやって言い切れるのよ。」
今まで黙り込んでいた牛山が、少しすねたような口調で反論した。
「持ってるのか?超能力。」
「内緒。教えてあげない。」
牛山があっかんべーをした。何だそのリアクション。
「ていうか、その態度だとほほ自分が『わさビーフ』だって認めてるようにしか聞えないけど、認めたってことでいいのか?」
「いいや、まだね。私がメッセージだけで謎を解いたってことだけをもって犯人だと決めつけるのか?証拠を見せてよ。私が『わさビーフ』だって証拠を。」
牛山が追い詰められた犯人が苦し紛れに言い放つテンプレのセリフを吐いた。
往生際の悪いやつめ。本当はここまで説明するつもりもなかったんだけどそっちがそういうなら最後までつきあってやるよ。
「ああそうか。じゃあ教えてやるよ。お前が『わさビーフ』だって根拠をな。ところで牛山、お前の下の名前の『あおい』って漢字でどう書くんだ?」
「漢字じゃなくてもともと平仮名。宮崎あおいが好きなお父さんが考えたって前言ったじゃん。宮崎あおいの件を抜きにしても、漢字よりも平仮名のほうが画数がいいからって敢えてそうしたんだって。クラス名簿もそうなってるでしょ?」
「ああ。だがここで「あおい」をある漢字に変換してみようじゃないか。まあ「あおい」と読む漢字は色々あるだろうけど一般的なのは「葵の御紋」の「葵」だろう。そしてお前の苗字と合わせるとこうなる。」
僕は立ち上がり、目の前の黒板に「牛山葵」と書いた。
「もうここまでくれば僕の言いたいことはわかるな?」
僕はそれに一本の線を書き足した。
牛/山葵
「そう、
ここでこらえきれなくなった牛山が笑い出した。
「やだ一生君、何もかもお見通しじゃん。てか、そんなに理路整然と私の小学生から内緒で使ってるペンネームを一から十まで真面目に解説しないでよ。恥ずかしくてお腹痛くなるわ。」
「じゃあ、認めるな?あのメッセージを送ったのが自分だって。」
「はいはい認めますよ。正解正解大正解。シロノワールは一生君のものでーす。」
牛山は黒板に書かれた自分の名前を消しながらそう答えた。
「でも何であんなことをしたんだ?」
「うーん。そうだな~。まあ、いっか。特別に一生君にだけ教えてあげよっかな。リンリンと内場君には内緒ね。」
「わかったよ。」
「うちのクラスに
「そうなのか。知らなかった。」
「ちなみに私が考えたあだ名は『マハラジャ』。実際すげー金持ち。」
ああそうですか。
「うちも公務員と自営業だから貧乏ってわけじゃないけど、あそこの家はすごいわ。レベルが違う。遊びに行った家、めっちゃ白くて広くてデカい。飼ってる犬もデカい。まさにマハラジャって感じ。」
知らんがな。
「ちなみに中学時代は私もマハラジャもバリバリの反抗期で、先生たちに歯向かってよく怒られてた。まあ二人とも勉強はできるほうだったし、内申に響くようなことはしなかったけど。3年の担任から私の「牛」と馬原の「馬」をとって「
いったい何をやらかせば中学生女子が地獄の獄卒の筆頭格の名前を冠せられるようなことになるんだ。
「話を戻すね、今、マハラジャ、サッカー部のマネージャーをしてるんだけど、例の昼の自主練の時にね、内場君が来てないことが何日かあったみたいなの。まあ二日続けて練習に来ないことはないし、そもそも強制参加じゃないから問題じゃないけどさ。そこでマハラジャがきまぐれで、内場君が来ていない日に彼を探しに行った。そしたら誰もいない空き教室で、一人でお昼ご飯食べてたのね。マハラジャが話をしたら内場君、「校内放送を聞いてた」って答えたんだって。そこでマハラジャ、ピンと来た。「これは内場の奴、林崎に気があるな?」って。」
今回のことで痛感しているのだが、なんで牛山も馬原もクラスメイトの間の惚れた腫れたについてやたらと敏感なんだろう。そしてこの恐るべき感度の正確さである。人間のどこを見てそういった判断を下しているのか理解できない。もっとほかのことにその感性を使ったほうがいいんじゃないか。
「リンリンは見ての通り奥手で、積極的に男子と交流するようなタイプじゃないし、内場君は内場君で、サッカー部じゃイケメンの部類に入るくせになんとなくのんびりしててちっとも声をかける気配がないからさ、マハラジャの奴、じれったくなっちゃったらしいの。んで、私のところに相談に来たってわけ。」
そっとしといてやるって選択肢はないのかこいつらには。
「そこで私は考えた。何とかこの二人をくっつける方法はないものか。まあ正確には内場君がどうしたらリンリンに告白するような状況を作り出せるかだけど。そこで思いついたのが、この「なみよきいてくれ」作戦。リンリンが放送部で、ラジオが好きで、どんな番組を聞いているかは、友達になってくれた時に確認してたし、内場君が青山真咲のバンドのファンだってことも、彼が出ているラジオ番組を聞いてることも知ってた。二人が「CANDY HOUR」のリスナーで、しかも同じクラスにこの番組を積極的に聞いている生徒は見つからなかったのも大きいかな。」
牛山としても実際にこのメッセージを送ったところでタイミングよく採用されるかまではわからなかったはずなのだが、うまくいかないならまた別のやり口を考えてたことだろう。ただ一発で決めるところがさすがである。
「CANDY HOURの相談コーナーに私が恋愛相談のメッセージを送って、それをリンリンと内場君の二人に聞かせる。これには二つの効果がある。一つは言うまでもないけど、リンリンが「自分に好意を寄せているクラスメイトがいる」ってことをドラマチックな形で知ることになること。リンリンに刺さるシチュかどうかは未知数だったけど、まあ女子ならこういった少女漫画的な展開、嫌いな人の方が少ないでしょ。小学生がみんな「ちいかわ」と「すみっコぐらし」が好きみたいなものよ。」
その例えはどうかと思うけど。
「もう一つは内場君に対する発破ね。好きなら好きってさっさと告っちゃえって。」
内場は林崎以上に驚いただろう。メッセージを送ってもいない内場があれを聞けば『自分以外にも林崎を好きな人間が同じクラスにいる』としか思えないのだから。しかもあろうことか番組内で『さっさと告白して気持ちを伝えろ』とアドバイスまでされてる。いつ自分が先を越されるか冷や冷やしてたんじゃないか。
「ほら、私って座席一番後ろじゃん?だからさ、クラスの様子って結構わかるんだよね。月曜日学校来てからずっとリンリンと内場君のこと観察してたんだけどさ、もう内場君、何回見るんだってレベルでリンリンのことチラ見してたからね。授業中も明らかにそわそわしてたし。」
残酷なことをしやがる。
「その月曜日の朝一番にね、リンリンから相談したいことがあるって言われたの。じゃあお昼にお弁当一緒に食べながらにしようって約束した。その後二限目の英語の予習のノートを見せてもらうついでに、内場君に声をかけたんだけど、そしたら内場君からも相談したいって話してくるじゃない、じゃあ部活前の掃除の時間にしようって話になった。二人はラジオのことを私に相談しにきた。「『わさビーフ』って名前に何か心当たりはないか?」って。私は二人に『わさビーフ』について調べるてみることを約束したってわけ。二人ともああ見えて意外と行動力があるのよね。話が早くて助かった。」
1学期の期間だけでここまで牛山にクラスメイトの信頼が集まっているのはいったいどういうカラクリなんだろう。そこまで全幅の信頼を寄せてもいいのかこいつに。
「すぐに謎を解いちゃうと、不必要な誤解を生むというか盛り上がりに欠けるというか、まあリアリティが無くなっちゃうから火曜日の間は特に何もしなかった。そして水曜日、リンリンが学校休んだ日の夕方にね、内場君の方に言ったの。「まだ今の時点では『わさビーフ』が誰かは分からないけど、そんなの無視して、内場君が『わさビーフ』として林崎さんに告白しちゃえばいいのよ」って。」
ここが牛山の取った作戦の巧妙なところだ。なぜなら『わさビーフ』の名前でメッセージを番組に送ったのは他でもない牛山自身である。当然「林崎奈美のことを好きな、わさビーフを名乗るクラスメイト」は存在しない。だから内場が腹をくくり、牛山が黙っていさえすれば内場が『わさビーフ』を騙って林崎に告白してしまっても何も問題はないのだ。「自分が本物の『わさビーフ』だ。」と林崎に告白してくる人間は存在しないのだから。それに「あのメッセージを送ったのは内場ではない」ことを林崎が証明することはほぼ不可能だ。
「内場君はさすがに心配していた。「本物の『わさビーフ』」がリンリンに告白した時に、自分が嘘がばれるんじゃないかって。まあ実際に「本物の『わさビーフ』」は私だからそんな心配はないんだけど、それを内場君に伝えるわけにはいかない。だから内場君には「『わさビーフ』の話題はうまくぼかしておけばいい。」って伝えたの。リンリンは当然このタイミングで告白してくる内場君が『わさビーフ』だと判断するわけだから、曖昧にしておけばいいって。そしたら内場君、ちょっと安心してた。」
「でも、もし今後どこかのタイミングで林崎が「なんで『わさビーフ』ってラジオネームにしたの?」って内場に聞いてくるようなことがあったらどうするつもりだったんだ?説明できないだろ?『わさビーフ』は牛山あおいなんだから。」
「おやおや?一生君、そっちの方はまだ気づいていないんだ?私、そういったときのための仕掛けもあのメッセージの中にちゃんと残しておいたんだけど?」
牛山がまた何か面白いネット動画を見つけたような表情で僕に笑いかけた。
「それ本当か?『わさビーフ』の謎を見破られて悔しいから、ありもしないことを言ってるんじゃないだろうな?」
僕は疑いの目を向けた。
「違うよ、ちゃんとあるから。内容は内場君にもちゃんと説明してあって、今後聞かれたらちゃんと説明できるようにしときなよって言ってある。我ながら上手に辻褄が合うようにしてあるつもり。」
この時、下校時刻を知らせるチャイムがスピーカーから聞こえた。
「おっと、こんな時間。じゃあ私そろそろ帰るわ。実は今日はこれからマハラジャと祝勝会なの。作戦成功と、二人の甘酸っぱい恋人生活を祝してね。サッカー部の練習が終わるまでの時間つぶしに付き合ってくれてありがと。もう一つの謎は追加の宿題ってことで、土日の間考えてみてよ。私があのメッセージの中に何を残して、内場君にどうやって説明したか。答え合わせは月曜日の放課後にでも。」
牛山は林崎の席から立ち上がってそういった。
牛山が「また来週ね!」と言いながら5組の教室を駆け出ていく。僕は誰もいなくなった教室でその後見送りながら大きく背伸びをした。
やれやれ、一つ謎を見破ったと思ったらまた謎か。土日も僕が暇を持て余しているように思われているみたいで複雑な気持ちになる。解けそうで解けない謎をが脳内に残っていると読書や勉強に集中できないんだけどな。
まあいいか。今回もそんなに難しいわけでもないだろうし、読書の合間かコンビニ列の順番待ちにでも考えてみるか。そしてその謎が解けたら、シロノワールのほかにまたクリームぜんざいを牛山におごってもらうことにしよう。もうすぐ夏休みだしな。僕はそんなことを考えながら、教室を後にした。
内場奏舞の両耳から、「CANDY HOUR」の前番組を担当しているパーソナリティのエンディングトークがラストナンバーとともに聞こえている。
先週も同じように部屋でラジオを聞いていたはずなのに、内場の人生はこの一週間で様変わりしていた。あのメッセージが読まれるまで、こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。「listen to you」のコーナーで読まれた『わさビーフ』のメッセージ、気になっていた林崎奈美を想定しているかのような内容、そしてそれに対する神田さんのアドバイス。内場の心をかき乱すのには十分だった。
月曜日、内場はいつも通りにサッカー部の朝練に参加し、ユニフォームから制服に着替えてから1年5組の教室に入った。教室の一番前の席に座る、林崎の背中がまず目についた。内場の席は窓際から数えて2列目の中ほどである。授業中に黒板を見ようとするとどうしても林崎の背中が目にはいるのだ。そして同じようなことを『わさビーフ』も言っていた。
普段は意識しないようにしているのだが、もはや無理だった。朝のホームルームが始まるまでに、何人かが林崎に挨拶をし、軽く話しかけたりしていたが、それだけで、そいつが『わさビーフ』で、今にも告白のセッティングのために林崎に話しかけているのではないかと思えてくるし、誰かが林崎の机の横を通るだけで、何か手紙でも忍ばせるために近づいたんじゃないかと邪推してしまう。それだけで心がちぎれそうだった。
心労と朝練による肉体的な疲労で、一時間目の古文の授業の内容がほとんど頭に入らず、業間の休み時間に内場が悶々としていると、後ろから牛山あおいに声をかけられた。次の二時間目の英語の予習をし忘れたので、今日の授業の範囲がどこからだったか教えてほしいとのことだった。内場は予習に使った英語のノートを貸して見せた。そしてそのお返しとして、ラジオの一件を牛山に相談することにしたのだ。
昼休みは先約があるらしく、部活が始まる前の清掃の時間に牛山に話をしてみた。自分が想いを寄せている女子のことを他の女子に相談することは恥ずかしかったが、「同級生全員と友達になる。」ために日々クラスメイトや先輩たちと交流している牛山の力を借りれば、何か『わさビーフ』につながる情報が手に入るかもしれないと思うと、相談してみる価値はある気がした。最初はそんな偶然があるのかと牛山は驚いていたが、『わさビーフ』が同じクラスにいるかもしれないことを相談すると、少しずつ興味を示すようになった。『わさビーフ』という名前に心当たりがあるかと聞いたが、牛山でもそんな情報は持ち合わせがないらしい。ただそういうことなら力になる、恋愛相談ならちょっと立て込んでるけど、私がわかる範囲で調べてみると牛山は約束してくれた。報酬として駅前の有名なケーキ屋の季節限定品を所望されたが、内場はそれを了承した。
授業にも部活にも集中できない火曜日が過ぎ、その次の水曜日、林崎が学校を休んだ。風邪でも引いたのだろうか。心配していたところに牛山が声をかけてきた。ラジオの件で一つ相談したいことがあるのだという。「わさビーフのことで何かわかったのか」と聞いてみたがそうではないらしい。昼食を中庭のベンチで食べながら相談することにした。
昼休みの自主練を休み、購買で総菜パンを2つ買って中庭のベンチで座っていると、牛山がコーヒー牛乳をストローで吸いながらやってきた。牛山はベンチの隣に座り、「腹が減っては戦はできぬ。恋バナもできぬ。」とばかりに袋からサンドイッチを取り出してほおばり始めた。それを見ながら内場は焼きそばパンにかぶりついた。
サンドイッチを食べながら牛山が教えてくれたのだが、なんと林崎も「CANDY HOUR」を聞いていて、例のメッセージが自分のことを言われているかもしれないと思っているとのことである。
まさか林崎も「CANDY HOUR」を聞いているとは。意外な共通点が見つかってうれしい反面、いよいよ同じクラスに林崎に好意を寄せてる存在いる可能性が高いことに焦りも感じていた。
話を聞いているうちに内場の総菜パン2つと牛山のサンドイッチ3つがなくなった。そしてそのタイミングで牛山がとんでもないことを提案した。牛山は「『わさビーフ』が行動を起こす前に、内場が『わさビーフ』として告白してしまえ。」ということだった。内場が口の中のものを入れたままぽかんとしているのを横目に、牛山は悪びれもなく続けた。
「だって内場君が『わさビーフ』じゃないなんて、リンリンには分かりっこないもの。それに内場君が先に告白して、それが成功した後でならリンリンは本物が告白してきても断るでしょ?まあ万が一内場君がフラれちゃったらそのあとのことは諦めるしかないわけだし。」
確かにそうかもしれない。しかし一つ気になることがあった。そこで内場は尋ねた。もし林崎が『わさビーフ』の由来を聞いてきたらどうするのかと。そしてそのあとに牛山が説明したのが木曜日の刈宮駅のホームの待合室で、内場が林崎に説明した、あの謎解きだった。
実際に林崎に説明した内容はただのこじつけだ。おそらくラジオネームは実際も『わさビーフ』だったんだろうし、メッセージを読んだ後に話が逸れたのも単なる偶然だ。だけど牛山が創作した話を聞くと、なんだか本当にそんなことがあったような気がするのが不思議だった。
「まあ、自分でもこの説はちょっと強引かな?って思わなくもないからさ、聞かれないならそのまま曖昧にしとくのがいい気がする。ぶっちゃけラジオネームの件は「わさビーフが好きだから」ってことにすればいいんじゃない?」
牛山は付け加えた。
「俺、わさび、ダメなんだ。だから今後、わさビーフはきっと食べないからその作戦は使えない。」
「あ、そうなんだ。ふーん。じゃあなんでもいいけど、私の話、そのまま説明するしかないんじゃない?ぼろが出ないように、その日が来る前にちゃんと事前に練習しとかないといけないね。」
牛山は笑ってそう答えた。
牛山は「あとは内場の覚悟次第、本物が告白するより先にアクションを起こすこと。」「今日か明日の朝までに、机に手紙でも入れておくのはどうかな?」というところまで話をしたところで昼休み終了の予鈴が鳴った。じゃあ頑張ってね、と言って牛山は教室の方へ駆けていく。内場は一つ大きく息を吐いたあと、教室に戻る前に店じまいの直前の購買へ行き、シンプルなレターセットを一つ買った。そしてその日の授業後、誰もいなくなった教室で、林崎の机の中に書いた手紙を忍ばせた。
そうして木曜日、夕焼けに染まる教室で内場奏舞と林崎奈美は恋人同士になった。
ラジオから午後9時を知らせる時報が流れる。そしていつもの「CANDY HOUR」のオープニングテーマが聞こえてきた。
青「時刻は夜9時を回りました。ここからの時間は僕、青山真咲と」
神「私、神田ケイがお届けする「CANDY HOUR」。今日も夜11時までお付き合いよろしくお願いします。」
パーソナリティ2人の挨拶から「CANDY HOUR」のオープニングトークが始まった。林崎奈美は自分の部屋で無線イヤホンから流れてくる音声の調整をしていた。今日の番組のコーナー説明、そして今日のメッセージテーマが発表されていく。
内場君もきっと番組を聞いているだろう。明日、初めて二人で出かける待ち合わせの場所と時間をさっき電話で確認したところだ。本当はもう少しだけ話がしていたかったのだが、ラジオの時間が近づいてきたので、私たちは電話を切った。
明日、クラスの男子と出かけることについては夕食の時に父と母には話をした。ものすごく恥ずかしかったが、父も母も、私にボーイフレンドができたと聞いてとても喜んでくれた。明日の夕食はお祝いにちょっと高級な回転すしに連れて行ってくれるらしい。だからなるべく早く帰ってきなさいねとのことである。別に最初のデートなんだから何もしないってと思ったが、心の中だけにしておいた。
今日のテーマは「〇〇、始めました。」だった。そろそろ夏本番、「冷やし中華はじめました」から着想を得て決められたお題だった。
私は水曜日と同じように、ラジオ局のホームページのメッセージフォームにメッセージを送った。このラジオが繋げてくれた始まったばかりの恋の話と、おそらく同じ番組を聞いているであろうできたばかりの恋人に向けてのリクエストを添えて。
そしてその時は番組が始まってから1時間ほどたったタイミングでやってきた。
青「今日の「CANDY HOUR」メッセージテーマは「○○、始めました。」です。」
神「メッセージまだまだたくさん来てますよ。ありがとうございます。こちら、ラジオネーム「リンリン」さんから。」
『神田さん、青山さん、こんばんは。初メッセージです。先日、高校の同じクラスの男の子から告白されて、お付き合いを始めました。彼もこの番組を聞いてるところから意気投合した感じです。明日初めて二人でお出かけします。今からドキドキです。』
神「ねえ、なんか、先週の『listen to you』で似たよう相談なかったっけ?あんまり覚えてないけど。」
青「そういえばありましたね。あれは男の子からだった気がしましたけど。同じクラスの女の子のこと好きみたいな。」
神「そうだ、思い出した。え?付き合い始めたって、その男の子のことかな?これひょっとして?先週の子、告白してうまくいったの?」
青「えええ?!そうなんですか?だったらすごいですけど。」
神「ちょっとわかんないけど、そうだったらいいな~。そっかー。楽しんできてね、初デート。初めて手とかつないじゃったりするのかな?ドッキドキだよね~。」
青「神田さん、ちょっとはしゃぎすぎです。いい年して。(笑)」
神「なんなんそれ。(怒)いいじゃんかよー!私だってまだこういった話題でキャッキャしたいの!(笑)」
青「大変失礼しました。(笑)」
神「ごめん。そんな真面目に謝んなくていいから。はい、そんな、リンリンさんからのリクエストいただいていますよ。初デート、楽しんできてね。西野カナで『トリセツ』」
私のラジオネームが神田さんの声で呼ばれ、神田さんの声が私のメッセージを読み上げた。私の綴った言葉が神田さんの声で再生されることに対する何とも言えない高揚感と、少しの照れくささが、私の心を満たしていった。
うれしい。だけどやっぱり少し恥ずかしい。
先週の内場君も同じような気持ちだったのかな。明日聞いてみよう。
内場君にも届いたかな。今の私の気持ちが。明日聞いてみよう。
私がリクエストした西野カナの「トリセツ」のイントロが聞こえ始めた。この曲の中で歌われている、少しめんどくさい女の子だとこれから思われることもあるかもしれない。だけど今、私が感じているこの幸せが、少しでも長く続けばいいと思っている。何が起こるかなんかわからない。この幸せが永久に続く保証なんてどこにもない。出会わなければ、あの時差し出された手を握り返さなければよかったと思う日が来るかもしれない。だけど今は、せめて今だけは、私たちが歩いて行く先に、私たちだけのささやかな、だけれど特別な幸せが待っていると信じていたかった。
内場君へ。
こんな私を選んでくれてどうもありがとう。
これからもどうぞよろしくね。
こんな私だけど笑って許してね。
ずっと大切にしてね。
電話やSNS、メッセージアプリを使えば好きな時に好きなだけ相手と繋がることができる時代に、私はできたばかりの恋人と少し離れた場所で同じラジオを聞いている。西野カナの愛らしい透き通った歌声とともに夜は更けていった。
LINEが来ていた。
牛山「そういえば一生君、今度サッカー部の練習試合があるけど、見に来る?内場君とリンリンも来るよ。」
高梨「いかない」
牛山「えー。あ、あとマハラジャがね、客席でチアの格好して応援するんだって。ね、『踊るマハラジャ』ちょっと見てみたくない?」
高梨「『踊るマハラジャ』って言いたいだけだろ、『わさビーフ』」
牛山「わさビーフはやめてよ。うっしーって呼んで。」
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