ウェイバリー魔法杖店の或る一日
夜啓よる。
或る少年の半身
何の変哲もない街の、何の変哲もない横丁。アイボリーの石畳が敷き詰められた道の右側にある、年季の入った小さな建物。入口の重い木製の扉に手を伸ばし、そっとドアノブを回して扉を開く。頭上から鳴るドアベルの音にびくりと肩を震わせながら、小さな人影が一人そっと建物の中へと身を滑り込ませた。
小さな人影は恐る恐るといった様子で室内を見回す。天井付近まで伸びるガラス戸の棚には瓶詰めになった多種多様な素材たちが並んでいる。牙のようなものから羽根のようなもの、天然石から岩石、柔らかそうな木材から金属まで。ありとあらゆる素材がカテゴリ別に並んでいる。
棚のない壁には、老若男女さまざまな人物が杖を片手に微笑んでいる写真が飾られていた。白黒の写真やカラー写真はもちろん、杖のスケッチまで。この店の歴史を感じさせる資料が目白押しで、吹き抜けの広い店内だというのに息苦しさすら感じられた。
「いらっしゃいませぇ」
突然店の奥から聞こえた声に、小さな人影はまたびくりと肩を震わせる。顔をそちらに向ければ、いつの間にそこへ現れたのやら一人の青年がレジカウンターに頬杖をついていた。少し古いデザインの綺麗な黒いローブを身に纏い、肩甲骨辺りまでありそうな長いプラチナブロンドの髪を耳にかけながら彼は真っ白な歯を見せて笑っている。
青年は外からの逆光に照らされる人影を見る。ふわふわの黒い髪に黄色の瞳、子ウサギのように震える小さな体。おっかなびっくりといった様子でこちらを見やるその姿に青年は小さく肩を竦め、頬杖をついていた方の手をひらひらと振って敵意が無いことと歓迎の意を示しながら口を開いた。
「ああ、ああ。そんなに驚かないで、怪しいモンじゃないない。この店の店主だよ」
「て……店主、さん?」
「そう。二十八代目のウェイバリーとはオレのことさ」
ウェイバリー店主の屈託のない眩いばかりの微笑みに、小さな人影──少年は強張っていた肩から力を抜く。そして歓迎されていることをきちんと認識し、小さな歩幅でショーケース達の隙間を縫って店の入り口からレジカウンターの前まで歩み寄った。カウンター前まで着けば、まだ少し足らない身長を背伸びで誤魔化しながら必死に店主の顔を見上げる。
「さてさて、と。小さな小さなお客様、素敵な瞳のお坊ちゃん。神代より続く老舗の杖屋、ウェイバリー魔法杖店に何の御用で?」
期待と不安に満ちた純粋無垢な瞳に、店主は笑みを深めて仰々しい手ぶりを添えて再び話し出す。
「えっと、その……もうすぐ十歳になるから、それで……」
「ふむ。誕生日のお祝いをお求めかな?」
詰まった言葉から推測し、顎に手を当てながら問う。しかし店主のその言葉に少年は首を横に振った。
「違います! えっと、魔法学院の入学許可証を貰ったから……そのための杖が欲しいんです」
「学院! ハハアなるほど。そうかそうか、もうその時期だとは思っていたが……学院か」
納得したように数度頷きながら「それならうんと良いものを拵えないとね」と呟く。カウンター横のスイングドアからローブを引きずりながら出てきた店主は、少年を手招きして窓際に向かう。少年は何も言わずに店主の後を追った。
店主が向かった先にあったのは商談スペースだった。ローテーブルを挟んでソファが向かい合わせに置かれている。店主はソファの横に立ち、少年へ座るように手で促す。恭しい仕草にどぎまぎしながら、少年は示されるままにソファへと腰かけた。
「さて、まず最初に注意事項を言おう。きちんと、覚えておいてね」
店主は少年の向かいにあるソファに座り、膝上に肘をついて手指を組んだ。少しばかり前のめりになり、真正面から少年を見据える。
真剣な眼差しに少年は思わず怖さを覚え、生唾を飲みこみ膝上に行儀よく置いた拳を握った。
「今から作るのは鑑賞用ではない。君がこれから先の人生で苦楽を共にする、文字通りの君の半身だ。余程の理由が無ければ杖を挿げ替えることはできないよ」
「よ、よほどのこと……って言うのは?」
「杖が折れただとか、呪われて魔力を奪われただとか……まあそういう、言わば「規格外」の出来事のことさ」
「……わかり、ました」
言葉を詰まらせつつ頷く姿を眺めながら、店主は更に言葉を続ける。
「そしてそういう理由でなければ杖を挿げ替えることができないということは、ふざけて杖の材料を選ぶことは許されないということ」
「……!」
「君は幼かろうが何だろうが、この店に足を踏み入れる資格がある偉大な魔法使いだ。真剣に杖と、己と向き合いなさいね」
「資格……」
「そうさ。そうでなければ、君は店に入るどころか店を見つけることすらできなかったはずだ」
魔法使いという古き良き名称、そして厳しくも背中を押すような声音に少年は少し俯いていた顔を上げた。店主は少年と目が合ったことでふっと表情を緩め、真剣な眼差しにも優しさが滲ませている。決して意地悪をしていたのでも脅していたのでもなく、ただ真剣だったのだと十歳の少年であっても理解できた。
「……さて! 長話はこのぐらいにして、早速杖作りに取り掛かろう」
空気を変えるように一度大きく手を叩いた後、店主は少年に向き直る。くすりと笑みを浮かべた店主は、どこかからいつの間にか取り出した上腕ほどの長さの杖を左手で掲げる。そして先端に橙色の大きな宝石がついたそれを、大きくぐるりと一振りした。
「っ、あ! わぁ……!」
数度の瞬き。そのたった数秒の間に、少年の目には変化が映って見えた。店主が座るソファの横、何も無かったはずの場所に大小さまざまな箱が山積みになっている。しかも恐らくは何らかの法則に従って仕分けもされているようで、箱の色ごとに統一して積まれていた。
少年にとって魔法は身近なもので、ごく普通に存在するものだ。しかしそれでもここまで高度なものを家族が使っているのは見たことなんて決して無かったし、そもそも日常生活では使う意味もあまり無かった。そんなものだから、少年にとって店主の魔法はまるで御伽噺の大魔法士のように見えて仕方なかった。
「さて、まずは杖の長さから選ぼうか。大きさの計算は大事だ」
そう言って店主は一番上に積まれた箱をローテーブルの上に置き、そっと開く。中には木で出来た杖の模型が三種類並んでいた。一つは指揮棒のような短さの杖。もう一つは店主が使っているような、上腕ほどの長さの真っ直ぐな杖。最後の一つは少年、ともすれば店主の背丈以上の長さがありそうな杖だった。
「右からワンド、ロッド、スタッフだ」
「こんなに種類があったんですね……」
「昨今は指輪やらペンダントやらの方が需要が高まっててあまり見かけないだろうけど、昔はもっとあったんだよ」
「そうなんだ……」
「そうだよ。さて、どれがいい?」
「あ、えっと…………じゃあ、これで」
ぼんやりと模型を眺めていた少年は我に返って右へ左へと箱の中を見回し、数度口を開閉した後に深呼吸をして一番短い模型を指さす。店主は目を細めて小さく頷き、その模型をそっと箱から取り出した。
「ワンドか。いいね、これは今でも人気のサイズだよ。まあ今の時代コンパクトな方が何かと好まれがちだから、って理由かもしれないけれど」
オーケストラの指揮をするような仕草で何度か模型を振った後、店主は笑って模型を箱へと戻す。そして再び自分の杖をぐるりと一振りすれば、箱はひとりでに閉まりどこかへと去っていった。そして入れ替わるように、また別の箱が机の上へとやって来る。
次の箱は先ほどの箱より縦幅が増えているが、横幅は減っていた。その上サイズ感もかなり小さくなっており、少年であっても容易に持ち運べそうだと思うほどの大きさしか無かった。
「では次に杖の素材を選ぼうか。三種類あるうちから好きなものを選ぶと良い」
「三種類だけ、ですか?」
「ああいや、まずカテゴリを選んでもらってそこから細かくカスタムするだけだよ。心配しないで」
そう言って店主が箱を開けると、中には三つの小さな標本……のようなものが並んでいた。右は真っ直ぐでささくれ一つないあたたかみのある木、左は店の照明を反射するほどよく磨かれた四角くカットされた石。真ん中にあるのは、マットな材質の白く細い棒状のもの。左右は分かったが真ん中のものだけは見ただけで正体を窺い知れず、少年はそれを指さしながら店主を見た。
「えっと、これ何ですか?」
店主は少年の指さす先を目で追った後、にこりと穏やかに笑って口を開く。
「それかい? それは骨だよ」
「骨……!?」
「そう。魔獣や動物の骨。石や木より流通数は少ないけれど、確実な需要がある素材さ」
「そ、そんなのも、あるんだ……」
驚きと困惑を綯い交ぜにしたまま少年は再び箱の中を右往左往と見回し、やがて決心したように目の色を変えて一つを指さした。
「い、色々悩んだけどやっぱり……これ!」
「おおっ……お目が高い!」
少年の指さす先──四角い石を見て店主は思わず声を上げた。そっと標本を手に取って撫でながら、先ほどまでとは違う笑みを浮かべている顔で少年に語る。
「石は良いよ、オレのこのワンドも石材でねぇ。石特有のあたたかみは木材にも劣らないし、鋭さで言えば骨にも負けない。特にサシウムの山で採れる……」
そこまで口にして、はたと店主の言葉が止まる。目の前の少年がその熱意の籠った言葉の数々に気圧されかけているのに気づいたのか、店主は数度大きく咳ばらいをして姿勢を正した。
「おっといけない、石の話はせめて杖を作ってからだね。では次に、石材の中でもどの石にするかを決めようじゃないか」
「あ、は、はい!」
標本を箱に戻してまた杖を一振りすれば、箱の蓋が閉じどこかへ音も無く飛び去って行く。そして流れるように次の箱が机の上へと並んだ。今度の箱は二つ、どちらも随分と高さがあった。極東の国・ブロッサムの伝統料理にこんな高さの箱を使うものがあった気がするなと少年は思った。
「天然石かな、それとも岩石?」
「て、天然石にします! 両親と同じのが良くて、それでっ」
そこまで聞いて店主が頷いたのを合図に、片方の箱がすーっと動き出しどこかへ消えていく。残った箱が少しばかり左に動き、机の真ん中に改めて腰を据えた。店主は残った箱が動きを止めたのを確認してから鍵に手をかけ、丁寧な手つきで箱を開けていく。
「それじゃこの中から選んでくれ、当店では十二種類ほど扱っているよ」
その言葉と共に開かれた箱の中は、まさに天国のような光景が広がっていた。一つ一つ仕切りで部屋分けされ真っ白な極上の綿の布団に包まっている、手のひらサイズの宝石たち。彼ら彼女らは少年の顔と店の照明を反射しながら眠っている。
ガーネットやアメジスト、サファイアやダイヤモンド。オパールやトパーズ、ラピスラズリと言った有名な宝石たち。翡翠やアクアマリン、スピネルやスフェーンといった少しかじったことのある者ならば聞いたことのある宝石たち。そしてアレキサンドライトのようなめったにお目に掛かれない宝石まで。ありとあらゆる宝石が詰まっている。
「色が複数あるものは色も選べるから、必ずしもこの色が君の杖になるわけではないよ」
「……ええ、と」
「ああ、石の違いがあまり分からない? 心配ないさ、直感で選んで構わない。直感とは己の心の機微、適当とは訳が違うからね」
心の内を読んだような言葉に一瞬肩を震わせ店主の顔を見る。しかし店主はそれ以上何かを言うことは無く微笑んだので、少年は小さく笑い返して早々に箱に向き直った。煌めく宝石たちは何も言わず微笑み一つ浮かべず、少年をじっと見つめ返している。そんな宝石たちに若干気圧されながらも少年は真剣に箱を見渡す。
ふと、箱を見渡していた少年の瞳が止まった。その視線の先にあったのは、朝食のリンゴを思わせるような真っ赤な宝石だった。しばらくそれを見つめていた少年だったが、はっと息を呑み別の方へと視線を動かした。しかしすぐに吸い寄せられるように真っ赤な宝石の方へ視線を戻してしまう。我に返って視線を動かし、すぐに戻し……それを数度繰り返した辺りで、少年はようやく箱の中の一部屋に指を向けた。
「こ、この石」
「うん? ああ、スピネルだね」
箱を覗き込んで宝石の名前を読み上げた店主に、少年は数度頷いた。それから悪戯を親に打ち明けるかのような顔で口を開く。
「これの青色がいいなって、思ったんですけど……ありますか?」
返答はすぐには返ってこなかった。店主は目を真ん丸に見開き、ぽかりと口を開けて少年の顔を見ていたからだ。その顔に浮かぶのは間違いなく驚愕で、しかし不信感や疑念といったマイナスな感情は一切入り混じっていなかった。むしろ少年から見てその店主の顔は、あると思っていなかったへそくりを見つけた時の母の顔と似ているように思えた。
「……こりゃ驚いた。君、素晴らしい直感に恵まれているな」
店主は口角をじわりと上げながらそう呟くと、がたりと音を立てて立ち上がり杖を持ったまま店の奥へ早足で駆けて行ってしまう。スイングドアを上手く開けられずに引っ掛けたり「いてて」と声が漏れ聞こえたりしながらも足音はどんどん遠ざかり、やがて店の中は最初に入った時のようにシンと静まり返った。
何の説明もなく取り残された少年が呆然とした様子でソファに腰かけたままでいれば、またバタバタと足音が近づいてきてカウンターから店主が姿を見せた。再度スイングドアに引っかかる姿を見せながらも先程よりは落ち着いた様子で、しかし早足で戻ってきた店主はソファに腰を下ろし乱れた衣服を正しながら口を開く。
「ブルーの、特に杖の素材にできるほどの魔力を内包しているスピネルというのは貴重なんだ」
「……それは、どのくらい?」
「これを杖の素材に選びたくても在庫が無くて選べない人を何年も、下手すれば何百年も見るぐらいだ」
「そ、そんなに……?」
「しかし君は運がいい。今年はブルースピネルが入荷してるのさ。ほんの……二、三本分だけど。それもワンドサイズで」
肩を落としかけた少年の視界に割り込むように、箱が差し出される。ガラス張りの蓋の中、透き通るコバルトブルーが煌めく瞳を真ん丸にした少年の顔を映し出した。
「さて、素材はこれで決まりだ! しかしまだまだ終わりじゃないよ」
店主は少年の顔を見て小さく笑いながら、箱を机の端へ寄せた。
「はい! えっと……芯材、ですね?」
「その通り。ささ、これまた幾つかのカテゴリから選んでもらおうか」
服も姿勢もすっかり正した店主は再び綺麗な所作で杖を振るう。次に山からやってきた箱は随分と小さく、箱を開ける為に持った店主の動きからして中身も軽いように思えた。そしてその予想は当たっていたらしい。箱の中には動物、植物、石、金属のイラストが描かれた羊皮紙が入っていた。
店主はそれを見せた後、一旦箱を少年の手が届かない位置へと引っ込める。それから一つ咳ばらいをし、石と金属が描かれている羊皮紙を指さした。
「選ぶ前に、一つだけ杖職人として言わせてもらいたいのだけど……石と金属はやめておいた方が良い」
「……どうしてですか?」
「天然石を素材とする杖の芯材にするには相性が悪くてね。過去にその組み合わせで作った杖が一本あったんだが、作成最中に店ごと吹っ飛んでしまった」
「お店ごと!?」
「そう。もちろん噛み合わせの問題だから君の杖がそうなるとは限らない。でも安全策を取るならやめた方がいいと思うね」
少年は身体を縮こめ再び子ウサギのように震えながら、石と金属の羊皮紙を必死に視界から逸らそうと奮闘する。ぷっと思わず噴き出した店主に少年が異議を込めてむーっと頬を膨らませた顔を向ければ、彼はひらひらと手を振りながら石と金属の羊皮紙をあっという間に視界から消してみせた。
深呼吸をして平静を取り戻した少年は、二枚になった羊皮紙を見る。父親の真似をして腕を組みながらしばらくウンウン唸った彼は、ぱっと目を開けて動物が描かれた羊皮紙を指さした。
「じゃあ……これ!」
「動物由来の芯材だね。またまた良いチョイスだ、将来うちに弟子入りしてほしいぐらいだよ」
「え、えへへ……」
選ばれなかった植物の羊皮紙も消し去り、動物の羊皮紙だけがローテーブルの上に残った。店主はその羊皮紙の上にそっと杖の先端についた宝石を添え、少年の顔を見る。
「では、更にこの中から一つ選んでもらおう。こっちは天然石より多いぞ」
その言葉と共に三回ほど羊皮紙を杖で叩く。固い音がした直後、瞬きの間に羊皮紙は大きな箱へと変化した。大きさは先ほどの宝石が入っていた箱と同じか少し小さいぐらいで、この中にもまた多くの素材が入っているのだろうと開ける前から少年の心を沸き立たせる。店主が丁寧な手つきで解錠し開いた箱の中には、やはり先ほどと同じかそれ以上の量の素材が並んでいる。違いがあるとすれば仕切りと綿ではなく、ずらりと並んだ小さく細い試験管の中に毛やヒゲが入っていることだろう。
少年はあまりこういったものに詳しくないが、恐らく下から順に牙、羽根。その上の段の右側はヒゲだろうと思った。ただしヒゲの隣とその上にある毛が何であるかは分からなかった。
「一番上は尾毛、右からヘルハウンドと狸と九狐。一個下は右がヒゲで、猫とイピリア。左が
「尾毛、たてがみ……」
「その下は羽根で、烏と梟と鶴。それからアイトーンとカナリア。最後の段は牙、アンピプテラと土蜘蛛とドラゴンだね」
「すごい……こんなにたくさん」
「古今東西あらゆるものを取り揃えているからね。ま、今年は妖精の翅を切らしてるからこれで全部というわけでもないけど」
えへんと胸を張る店主をよそに、少年は今度は迷いなく尾毛の段から黒い毛が入った試験管を手に取った。店主が「ヘルハウンド」と呼んだものである。少年はこの魔法生物だけは実物を見たことがあった。
ヘルハウンドとは、ブラックドッグとも呼ばれる妖精に近い存在である。新しい墓地を作る際に最初に埋めることで墓を守る役目を得る、心優しき黒い犬。少年はこの犬が好きだった。たとえ不吉と言われようとも。
「ヘルハウンドで、お願いします」
「ふむ、即決かつ渋いチョイス。何か思い入れでも?」
「家が墓守をしてるんです。だから、それで……すごく身近に感じてて」
「なるほど。好きなものを選ぶことは良い、君の杖はきっと素晴らしいものになるぞ」
店主の言葉に少年は柔らかく笑う。たいてい家族以外の大人はヘルハウンドに良い印象を持っていないことが多かった。だから少しこの話をすることも気が引けた。
しかし店主は苦言を呈すでもなく他のものを勧めるでもなく、ただ少年の選択を肯定してくれた。家族でない他の誰かに優しくされること、それは幼心ながらとても嬉しいことだった。
「ではこれより、
先ほどまでとは違う、凛とした芯のある声音に思わず背筋が伸びる。店主は真剣な眼差しで少年を見据えた後、おもむろに両手を前へ出し、店に響くほどの大きな音を立てて手を打ち鳴らした。
一度、二度。三度目と同時に店の中の空気感がガラリと変わる。まるで神聖な森の中にいるような、人のいない古城にいるような。不思議な気配が店の中いっぱいに広がっている。
『Ignis aurum probat, miseria fortes viros.』
店主が聞き慣れない言葉を口遊めば、がたりと物音がした。その正体は少年が周囲を見回すよりも早く、己から姿を現す。店の奥、箱の中、壁際の棚からひとりでに素材が飛び出したのだ。それらは猛スピードで少年と店主の下へと飛んできたかと思えば、煌めく魔法の粒子を纏いながらふわふわと少年の回りを漂う。
夏の空の一番濃いところを切り取ったブルースピネル、よく手入れされた毛艶と魔力を誇るヘルハウンドの尾毛、そしてどこからかやって来たシンプルな黒色の、指揮棒の持ち手によく似た柄。それらが揃ったのを見た店主は再び自分の杖を持ち、複雑な動きで杖を動かした。
『Fortune favors the brave.』
真剣な声音とは裏腹に穏やかな表情で紡がれるそれは言祝ぎのようなものなのだろう。杖と呪文に導かれた選ばれし物質たちは溶けあい、混ざり、そして一つの形を成す。それは先ほど見た模型と寸分違わぬ細くて小さな、しかしこの世で何よりも頼りになると直感させられる美しき蒼の半身。天然石と魔法生物の毛で構成された、この世でただ一つの魔法の杖だった。
「──貴方の行く先に、光よあれ」
完成した杖をそっと手に取り、満足げに眺めた店主は恭しくお辞儀をしながら少年へと差し出す。恐る恐る少年が手に取れば、それは驚くほどよく手に馴染んだ。まるでずっと昔から自分と共にあったような、そんな錯覚を覚える。
杖を眺めて吐いたため息がやけにすんなりと出たことで、店の中の空気が元に戻ったことに気づく。素材が飛び出てきた棚は最初から何事もなかったように閉ざされており、先ほどの光景は白昼夢であったかと錯覚してしまいそうになった。しかしあれは紛れもなく現実で、その証拠に少年の手の中には青色のワンドがしかと握られていた。
「これで完成だ。ああ、そのグリップはほんの入学祝いさ。気に入らなかったら他の物に替えてしまって構わないよ」
「あ、あの! ありがとう、ございます!」
「どういたしまして。君の輝かしい未来、その第一歩を踏み出すお手伝いができて光栄さ」
最後に少年がポケットから取り出した代金を受け取り、きちんと金額を確認する。問題ないと判断して店主は微笑んだ。
これにて仕事満了、杖屋と客の時間はおしまい。少年は家へ、店主はカウンターの向こうへ帰る時間だ。少年と共にソファから立ち上がり、店の入り口まで付き添う。重い扉を開けて外へ出してやれば、少年はこちらへ振り向いて律義に頭を下げた。思わず上がる口角を隠しつつ、店主は紳士的にお辞儀をする。そして少年に聞こえる声で、穏やかに別れの言葉を告げた。
「ウェイバリー魔法杖店。お客様のまたのお越しを、心よりお待ちしております」
ウェイバリー魔法杖店の或る一日 夜啓よる。 @yoru_41646
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