校舎う/トイレの花子が泣いている

「––––––ぅぅオラぁぁッッッ!!!」

「ぐべぇええええッッッ!?」



 珍妙な断末魔を上げ、眼鏡をかけた小太りは泡のように消滅していった。

 治歳チャンが言うにはシューベルトという作曲家に似ているらしいけど、オバサンはそういうのあんまり詳しくないからなぁ。

 何を模していようと怪異は怪異。それに、“学校の怪談”であれば怪異の成りそこないのようなものだ。


 ちなみにだが、バッハもどきは既に撃破してある。

 鏡を利用したワープ戦法の対策として案じた、《四速トップギア》かけっぱなしの音速移動。その道中で偶然にも巡回中のバッハの背中にぶち当たったのだ。

 彼の身体は泡のように解体されて消えていき、一方のウチと治歳チャンは何のダメージも負わなかった。

 そこで治歳チャンが思い出してくれたのは、モーツァルトもどきが歌いながら伝えた発言。


『ボクらの手が触れたらぁぁ~、アウトになっちゃうよ~~ん♪』


 ––––––手が触れなければ、アウトにならない。

 頭突きが彼らの背面に当たるのはセーフらしい。

 そして、十分な打撃を加えることが出来れば、その存在を崩すことが可能。

 これが勝利の条件。彼らの手に触れることなく攻撃を与えられれば、鬼が居なくなる。

 鬼が消えれば遊びはお終いだ。


「……これであと二人。勝てますよ!」

「ぜぇ、せやなぁ……あと、ふ、二人……!」


 ナマケモノみたくぶら下がった治歳チャンが嬉しそうに言う。

 不安に満ちた状況から勝利への糸口が見つかったのだ、そう思うのも仕方ない。

 だが、あと二人。

 バッハは偶然とはいえ、シューベルトの爪を回避するために数秒無駄にしてしまった。

 数秒使ったということは、その分だけ移動したということ。

 《四速トップギア》を発動した状態で移動したのなら、その分だけの負担がかかる。


「ぜぇ……はぁ……ぜぇ……」



 ウチは––––––駆巡ランは、ハッキリ言ってスタミナが無い。

 十代の頃は十分にあっただろう。だが、歳を取るにつれて全身の能力は低下していった。

 二十代半ばを過ぎて記録が伸び悩んでいったウチは、その数年後にはアスリートとして落ちぶれてしまった。

 美人薄命というならば、美人アスリートめちゃ薄命と言ったところか。

 自殺した当時の肉体年齢のまま怪異になったウチは、バケモノのような速度で走れても、心肺機能まで強化された訳ではない。


「くそ……アカンわ……」


 内側からの轟音が止まらない。全身に巡る酸素が足りない。脚が動かない。視界がぼやけて良く見えない。

 だが、止まる訳にはいかない。

 自分だけならまだしも、治歳チャンまで巻き込むわけにはいかない。



「––––––ランさん、コレを!」

「……コレは、ぜぇ……錠剤?」


 胸元の後輩の手には、白く小さな錠剤。

 脚を止め、冷たい壁にもたれかかり、彼女の指先からそれを口へと運んでもらう。

 このタイミングでサプリメントを飲ませるような後輩ではないし、きっとアタシの不調を軽減するためのものだろう。


「……全身への酸素供給を促進させるものです」

「ぜぇ……そーゆーの、持ってなかったんとちゃうんか……?」

「…………やっぱ持ってました」


 え、何その意味深な間。ヤバい薬飲まされたんとちゃうよな?

 だが、ここまでしてもらって走らない訳にはいかない。

 可愛い後輩のためにも、パイセンのカッコイイ所を見せてあげないと。


 あの時とは違う。

 この子が期待してくれている。

 これじゃあ死んでも、死にきれない。



「音楽室もすぐそこやし、一発で決めたろっかぁ……!!」

「必死で掴まってますんで、思いっきりやっちゃってください!!」


 もう体力も無い。薬が効いているのかもわからない。

 だったら、一度のスタートダッシュで、壁を、扉を、その奥のベートーベンとモーツァルトを、まとめてブチ抜いてやろうじゃないか。


「《二速テウルギア》……《三速アストロギア》……《四速トップギア》……」

「––––––あ、ベトちゃぁ~ん♪ 来てるっ♪ 来てるよぉぉぉ~~~♪」

「じゃじゃじゃっ、げほげほっ……ちょっと待って、喉がヤバい」


 両腕で治歳チャンを抱きしめて、準備は万端。

 “ターボレディ”の最高速度、見せたるわい……!!


「––––––––––––《五速エクステンド》ッッッ!!」




  ◆◆◆




 私には、最愛の人がいる。

 およそ千年ほど前……今では平安時代と呼ばれる頃、私の心を救ってくれた男性がいたのだ。

 彼に心を奪われ、彼との逢瀬を重ねる間に、お互いを大切に想い合うようになっていった。

 本当に幸せだった。彼さえ居てくれれば、他に何もいらないと考えてしまうほどに。


 しかし、彼は私の元から離れ、私は孤独の中へと取り残された。

 色鮮やかなはずの世界が黒くくすみ、胸の内側から巡っていたはずの暖かさは徐々に消えていった。

 私は独りになった。


 どうして離れなくてはならなかったのだろう。

 どうして彼は離れていったのだろう。

 どうして私と添い遂げる道を選んでくれなかったのだろう。


 強すぎる想いと裏切られた憎悪を抱き続けて、気付けば千年。

 かつての苦々しい恋から吹っ切れようと、自然豊かな農村で純真無垢な少年相手にナンパをしていたら、怪異としての名声が高まるという結果に落ち着いた。


 尾上さんに見つかって、異譚課にスカウトされて……そして、運命の邂逅を経た。

 かつての恋を忘れてしまう程の出会いでありながら、身に覚えのある暖かい恋慕が燃え上がっているような感覚もあった。

 とにかく、惚れてしまったのだ。

 まだまだ未熟で、極度のお人好しで、それでもとっても頼りになる、そんな彼に。


「ぼぼぼ……ぼぼぼぼぼぼッッッ……!!」


 私の脳裏に浮かんだ「大切な人」とは、誰だったのだろう。

 かつての恋人だったのか、あるいは可愛い後輩君だったのか。

 前者であれば既に亡くなっているだろうけど、私の手でその墓を荒らすようなことはしたくない。

 校舎であれば負けるわけにはいかない。彼を失う事そのものが、私のトラウマのようなものだ。

 どちらにしても、負ける選択肢なんて無い。


「ぼ、ぼぼ、ぼぼぼ、ぼぼぼぼ、ぼぼぼぼぼッッッ!!」


 でも、私が勝ったらどうなる?

 隣でひた走る“二宮金次郎像”の「大切な人」が誰かもわからないし、本当に生きている人間なのかもわからない。

 ただ、この賭けっこ駆けっこの本質を理解していない彼の様子には、何もわからないままに大事なものを失ってしまいそうな危うさを感じずにはいられなかった。


 こんな時、鮎川恒吾なら、どうするだろう。

 自分の大事な人と、他人の大事な人と、天秤にかけてどちらを選ぶだろう。




「––––––え」



 私の右脚が、ゴールラインを踏み越えた。

 その真横には、輝きの濁った銅像の右脚が置かれている。


 同着だ。


 というか、私が同着にさせたのだ。

 真横で必死に走っていた彼の胴体を抱え、無理やり私の右脚に沿わせて、そのままゴールを越えさせた。

 同着だった場合のルールは決めていない。ペナルティに関しては何一つ名言されていない。

 それでも、三本勝負は終えられた。同着だった場合は無効試合とする名言すらもしていないからね。


「な……な、なんで……」

「なんでって……別に、勝ったら何かを得れるわけではないからね。負けなければいいんだから、二人で勝つって選択肢もアリでしょ?」


 その正体が何であれ、私の大切なものが失われる状況は避けたい。

 同時に、異譚課の人間として誰かの命が失われるかもしれない状態で何も手を打たないだなんてことも出来ない。

 愛欲に狂ったバケモノのくせに、私はいっちょ前に警察官面をしているようだ。


「君は納得できないかもしれないけど、お姉さんには、こうすることしか浮かばなかったんだ」


 執着心の影響でスペックの跳ね上がった状態の私なら、本気で疾走しながら、真隣で追従する存在の把持すらも可能だ。

 私にしか出来ない解決方法だろう。

 もしかすると、ランさんですら実現できなかった芸当かもしれない。


 理解が及ばず、物足りなさそうな雰囲気の“二宮金次郎像”。

 彼の言葉を待っていたら、グラウンドに向いた校舎のガラスが淡い光を灯し始めた。

 出口として開いた、と解釈していいのだろう。この子の言った通りだ。


「ねぇ、君の大事な人って、誰だったの?」

「…………ボクの、お母さん」

「……そっか。頑張ってよかった」


 あの時の判断は間違っていなかったようで、安心した。

 私は彼に背を向け、風に揺れる黒髪をそのままに、校舎の方面へと歩き出す。


 やっぱり、麦わら帽子が無いと様にならないなぁ。




  ◆◆◆




「ぅえええええええんっ!! ごめんなさぁぁぁぁぁぁいっ!!」

「…………お、落ち着いて。私も言いすぎちゃって、ごめんね」


 一体何がどうなっているのやら。

 “足売りババア”の対処を終えると手洗い場の鏡が淡い光を灯し、そこに近づくことで僕の身体は吸い込まれていった。

 気が付けば左右が元通りになったトイレの中におり、月の光も窓から差し込んでいる。


 無事に元の世界へと戻れた安堵も束の間、僕の目の前には異様な光景が映っていた。

 女子トイレの最奥、“トイレの花子さん”がいるとされる個室への扉。

 その前に膝を付いて、えんえんと泣きじゃくっている女児がいたのだった。


「ヒマワリちゃん、一応聞くけど、この子って……?」

「…………多分、“トイレの花子さん”」


 その見てくれは、ヒマワリちゃんの推測を裏付けるには十分すぎるものだった。

 白シャツの上には、真っ赤な赤い吊りのスカート。

 黒髪はおかっぱ頭に整えられ、小さな体躯を丸めて嗚咽を漏らしている。


 しかし、彼女が“トイレの花子さん”だとしても、どうして泣いているのか。

 僕が油を売っている間に、一体何があったんだ?


「…………あるじが鏡に吸い込まれた後、トイレの中からこの子が出て来たの」


 ヒマワリちゃんが、女児に対して申し訳なさそうに口を開く。

 彼女の言い分が事実だとすれば、僕が鏡の世界に行く前の呼び出しは成功したということなのだろう。

 怪談に対する信憑性が高まっていた蛇目かがちめ小学校には、やはり“トイレの花子さん”は発現していたということだ。

 しかし、何故に謝りながら泣いているのか……。


「だ、だって……寂しかったんだもぉん……うえぇぇぇぇんっ!」

「…………私、あるじが吸い込まれちゃったことがショックで、ついこの子を問い詰めちゃったの」

「……あぁ、詰問されたのが怖くて泣いたってこと?」


 再び後悔を顔に浮かべながら、彼女は僕の言葉に頷いた。

 怪異とはいえ童女の詰問にビビって泣きじゃくるようでは、まるで本当の女児のようだ。

 ……いや、本当に正真正銘の女児なのだろう。

 どんな理由で生まれたとしても、怪異は認識に縛られた存在だ。第一印象がその外見から生まれるものであれば、彼女の内面もその印象に近寄っていってしまうものなのだ。

 事実、ヒマワリちゃんはとっくに子供の年齢を超過しているが、年頃の童女らしい言動が頻繁に観測できる。

 僕が消えたことでパニックになって八つ当たりしてしまったのも、その片鱗の一つとも言えるだろう。


「……だって、だってぇ……」

「ウチの子がごめんね。えっと……花子ちゃんでいいのかな? 寂しかったって、どういうこと?」


 ひとまず、せっかく会話が通じそうな“学校の七不思議”と出会えたんだ。この学校の異常事案に関する情報を持っていないか聞くべきだろう。

 ヒマワリちゃんと交代する形で、今度は柔らかい物腰を心がけて尋ねる。

 “トイレの花子さん”改め花子ちゃんは、ある程度涙を流し、お顔をトイレットペーパーで拭いてから、口を開いてくれた。



「……あの鏡を使えば、みんなをオバケにさせられるって教えてもらったの……」

「…………あの鏡、って?」

「私はオバケだから……オバケとしかお友達にはなれないから…………」


 悲しそうな、寂しそうな表情を見せる花子ちゃん。

 その瞳からは、再び雫が零れ落ちそうになっていた。

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