校舎う/ⅤS校庭の二宮金次郎像
「賭けっこ駆けっこ……?」
「うん、賭けっこしながら駆けっこするの!」
……どういうこと?
いや、単語の意味がわからない訳ではなくて。
“二宮金次郎像”の外見を有する彼は先ほど、「お互いの大事なものを賭ける」と言っていたが、それと速さを競う駆けっこがどのように関わるのかがわからないのだ。
「だから、賭けっこしながら駆けっこするの! お姉さん頭わるいよぉ!」
罵倒されちゃった。
しかし、彼からはやっぱり子供っぽい印象が抜けない。
ひーくんへの言葉遣いだったり、こちらの発言の意図を汲み取れていなかったり、それに「お兄さん」や「お姉さん」を多用している様子を見ると、やけに子供らしさを感じる。
こうなれば、私流処世術:子供向けバージョンを活かす時だろう。
「……ん~、でも私もルールをわかってないと、平等じゃないでしょ? 教えてくれないと、君はズルで勝ったことになっちゃうよ?」
「…………あ、そっかぁ」
よし、上手く効いたみたいだ。
怪異であってもこういう小手先のテクニックは通用するらしい。ひーくんにも教えてあげよう。
そのためにも、彼をどうにか対処して、皆と合流しないといけない。
「……えっとねぇ、三回戦で駆けっこするんだけどね、その度に大事なものを賭けるんだよ。そんで、先にゴールできなかった方が負け!」
「負けたらどうなるの?」
「賭けたものを、永遠に失っちゃうんだよ!」
その言葉に、息を呑む。
子供染みた言動からは考えられないほど、残酷すぎる内容だ。
これを遊びだと認識して発言しているとしたら、子供の無邪気という範疇を超えてしまっている。
自分が行っていることがどれほど残酷で非道なのか、ちゃんと理解できていない。
……しかし、駆けっこかぁ。
足の速さで対決をするのであれば、ここはランお姉さんに任せるべき案件だろう。
ひーくんを助けたい一心で、後先を考えずに行動してしまった。
“八尺様”である私は、想い人に対する執着心でスペックが跳ねあがる特性を持っているらしい。
誰も居ない校庭へと飛ばされる直前に“二宮金次郎像”からひーくんを救えたのも、その特性が自動的に発揮されたからだろう。
思い返せば、“八百比丘尼”の攻撃を弾き飛ばすことが出来たのも彼を守りたい一心からだった。
怪異としての特性が働いているということは、やはり彼に対する執着心がそれだけ大きく膨らんでいるということだろう。
以前、ひーくんに買ってもらった麦わら帽子を指先で撫でる。
やっと私も、あの人との思い出を吹っ切れたのだろうか。
それとも、あの人の面影をひーくんに感じてしまっているだけかもしれない。
「……お姉さん? ルールわかった?」
「––––––あ、あぁ、ごめんね。大丈夫だよ」
いけない、集中しないと。
私の本心がどっちを向いているかなんて、この怪異には何ら関係は無い。
今考えるべきは、賭けっこ駆けっこなる恐ろしいゲームについてだけだ。
この空間から出る手段が、賭けっこ駆けっこを三回終えること以外にない以上、彼からの提案を飲むしかないんだ。
「わかった、受けて立つよ」
覚悟を決めて、“二宮金次郎像”へと向き直る。
目の前の存在は表情を一切変えず、満足そうな雰囲気を見せた。
「じゃあ第一回戦! お題は……手元にあるものの中で、一番高いもの!」
「……待って、お題って何?」
そんな単語は初めて聞いた。お題が提示されるものなの?
やっぱり入念に問いただして、ルールの詳細を把握しておくべきだった気がする。
「あれ、言ってなかったっけ? お題に沿ったものを思い浮かべるだけでいいんだよ!」
なるほど。その都度、賭けたい物品などを用意する必要がないということか。
思い浮かべるだけでルールに沿うことができ、そして駆けっこに負ければ永遠に元に戻らなくなる。
想像するだけというお手軽さに対して、負けた際のペナルティが大きすぎるような気もするが、彼がそうだと言うのであれば準じる他ないだろう。
これはまさしく、怪異譚としての特性でなければ実現ができない勝負だ。
改めて、私は「手元にあるものの中で、一番高価なもの」を想像する。
思い浮かべるだけで賭けの対象物となってしまうなら、もし意図的に「賭けたくないもの」を見ないふりしようとしても無駄なのだろう。
大事なものを失わないようにするには、駆けっこに勝つ必要がある。
(…………多分、スマホかな?)
異譚課介入係の使用するスマホは、巫術係によって撥水加工・耐衝撃加工・呪術的影響対策などがされている。
もちろん内蔵バッテリーの性能や、データの容量すらもアップグレードされている。
一般に流通しているものと比べて、非常に価値の高いものになっているはずだ。
「思い浮かべたかな? よっし、それじゃぁ……行くよ!」
彼の楽しそうな言葉に頷き、私も準備に入る。
校庭には既に白線が引かれており、スタートラインとゴールラインには10メートルほどの距離がある。
私は左足のつま先をスタートラインのギリギリにまで近づけ、自分に内包された有り余るスペックの使用を意識する。
ちなみに“二宮金次郎像”はクラウチングスタートらしい。ちょっと意外。
「よぉぉぉい、スタート!」
「ふッッッ––––––––––––!!」
グラウンドを割る意識を伴って思い切り踏み込み、全身を前方へと傾ける。
同時に後方へと下げていた右脚を引き出し、地面を砕く勢いで押し付けていく。
これをひたすら繰り返し、10メートル突き進めばいいだけだ。
しかし、私の想定は非常に甘かったことを痛感することになる。
ゴールラインの役割を担う白線を踏み切ろうとする直前、隣接されたレーンから飛び出して来る青銅色のつま先が見えた。
そのまま白線を踏み抜き、私よりも先にラインを越えていった。
「––––––ぃやったぁ!! まずは僕の勝ちだね!!」
表情を微塵も変えることなく、彼は嬉しそうな声を出し、両手を挙げた。
一方の私は少々狼狽している。
“ターボレディ”に劣るとはいえ、“八尺様”のスペックは強大なものだ。
確かに威力偵察も兼ねていた部分はあるし、駆けっこ程度でフルスペックを発動する必要性を感じていなかった節もあった。
しかし、言い訳を抜きにしても、私は負けてしまった。
ここまで来ると、彼の怪異としてのスキルは、走る事に対して全振りしているのではないだろうか。
全身の運動能力が高い私とは異なり、そもそもかけっこに対して特化している可能性が考えられる。
ますますランさんが担当するべき相手に見えて来てしまう。
「……それじゃあ、負けたお姉さんの大事なもの、いただくよ!」
そして、その元気な言葉で現実へと引き戻された。
勝利に敗北した代償は、頭に思い浮かべた事物の消滅を意味する。
油断していたわけではないが、私は異譚課御用達のスマホを失ってしまうことになってしまったのだ。
スーツの内ポケットへと手を入れると、固い感触がある。
指でつまんで引き寄せ、スマホを外気に晒す。
これで見納めになってしまうかもしれないし、最後に日頃の感謝だけでも伝えて––––––
「…………あれ?」
突然、視界が微かに明るくなる。
手元のスマホは消えておらず、その代わりに頭頂部に違和感が生じた。
片手で髪を撫でてみれば、そこには私の黒い髪しかなかった。
「嘘でしょ…………」
そう、髪が生えているだけだった。
麦わら帽子が無い。
ひーくんがプレゼントしてくれた、あの帽子が消えている。
「どうかな? 思っていた通りのものだった?」
なおも気楽そうに話しかけて来る“二宮金次郎像”。
その問いかけに、返事をする気分ではない。
私は、胸の内に沸いたマグマのように重たい感情を、どうにか抑え込むことしか考えられなかった。
◆◆◆
続く第二回戦のお題は、「生活する中で、一番便利だと思うもの」。
念のため先ほど以上の踏み込みと挙動を以て走り、辛くも私が勝利を収めることに成功した。
青銅色の少年は第一回戦よりもスピードを上げて来ており、正直なところギリギリの戦いになってしまったのが最大の懸念点だといえるだろう。
ちなみに、この勝負で彼が失ったのは防犯ブザーだったそうだ。それを私の麦わら帽子とスマホと同程度だと見なされるのは心外だったけども。
二回の勝負を経て、自分なりにわかったことがある。
それこそ、このゲームにおける最重要のポイント、賭けるものがどのように決まるかという点だ。
賭けるものは自身の深層意識に基づいて決められるようで、自分で意識していなくとも、頭のどこかで感じている優先順位に準じたものに決定されてしまうらしい。
自分の頭でスマホを差し出しておきながら、ひーくんがくれた麦わら帽子が消えてしまったことがその証拠だ。
重視されるのは価格への認識ではなく、私自身の抱いている価値認識のみ。
「くっそぉ……次が最後だ! 絶対に負けないからなぁ!」
残酷な宣誓が告げられる。
これが最後の勝負。これさえ乗り越えれば、この結界から出られる可能性が高い。
ゲームに参加するだけで済むのだから、必ず勝たなければいけない訳ではない。
麦わら帽子は別としても、事情さえ話せば別のスマホは用意してもらえる。
ひーくんには申し訳ないけれど、次のデートの口実が出来たと思えば儲けものだとも言えるだろう。
内容によっては、それほど本気で走る必要もない。
この青銅像の正体は掴めなかったままだし、子供たちが“神隠し”に遭ってしまう絡繰りについても何一つ情報を得られていない。
だが、それでも怪異一体の対処内容が把握できたのも大きいだろう。場合によっては、“二宮金次郎像”が満足して成仏してくれる可能性も高い。
最初の時よりは気を緩めて、多少は気楽に––––––––––––
「最後のお題は、自分の一番大事な人!!」
その時、私の心臓が高鳴った。
心のどこかで危惧していた、絶対に提示して欲しくなかった題目。
最終戦に際して、恐れていた事態が舞い込んできてしまった。
自分ですら理解しきれていない価値基準が働くことはわかっている。
心の浅い部分でどんな答えを出したところで、実際に賭けに出されるものは正しく把握できやしない。
ならば、私の「一番大事な人」とは、誰を指すのだろうか。
ひーくんなのか、それとも––––––
「いくよぉ……これで最後だよぉ……!」
そして、忘れてはならないことがある。
賭けを行うのは“二宮金次郎像”も同じであるということだ。
二回戦で彼が失ったランドセルは、間違いなく替えが効くものだろう。
だが、もし彼の正体が人間だとしたら?
死亡したか、あるいは何らかの要因で怪異になってしまったとしたら、その周辺人物にも賭けの影響が及んでしまうのではないだろうか。
彼の大事な人……友人か親族がもし賭けの場に出されたとして、もしその人物がまだ生存していたとしたら。
私がこの勝負に勝った際、その人物はどうなってしまうのだろう?
私は間違いなく、負けるわけにはいかない。
自分自身の大切な人がわからなくとも、自分の心の支えをみすみす奪われてはたまらない。
だが警察官として、他者の命を見捨てるわけにもいかない。
悪名高い怪異だとしても、そんなことをしてしまえば私はもう二度と異譚課の職員を名乗れなくなる。
「よぉ~し、それじゃあ行くよ~!」
迷い、悩み、それでも彼は号令を告げる。
その時、私の身体は伸展を始めていた。
想い人への執着心で、この身体はどこまでも強く、どこまでも伸びていく。
大事な人を救うために私のスペックが膨らみ始めたのだとしたら、するべき事はたった一つだけだろう。
「よーい、スタート––––––––––––」
その言葉を聞き流し、私は一歩、踏み出した。
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