校舎う/鏡の向こうの運動会

「えぇ……かけっこ楽しいんだけどなぁ」


 いや、楽しいとは思うんだけれども。状況を考えてほしいな。

 だって今は午後10時を既に過ぎており、校舎内は真っ暗。

 そんな中で、いきなり青銅一色の人型存在が話しかけてきたらビビるでしょうが。



「おいおい、今どっから湧いてきやがった?」

「兄ちゃんのせいで油断しちゃったじゃんかよぉ」

「はいはい喧嘩しないで、集中して!」


 釜島三兄弟の会話が聞こえる。

 だが、軽妙な言葉とは裏腹に、警戒の色を強く感じられた。


 彼らが言った通り、目前に現れた存在は突然に現れた。

 怪異退治の専門家が集まっておきながら、その出現に対応ができなかった。


「これ、“二宮金次郎像”やんなぁ……?」

「あの銅像って動けたんだ、アタシ初めて知ったよ」


 安心してくれ琴葉ちゃん、“二宮金次郎像”は本来動かないものだ。

 それに、この場に揃った妖怪たちの虚を突けるほどに格の高い存在でもない。そもそも妖怪ですらないはずだ。

 この空気に場違いなテンションの彼は、少し気まずそうな表情をしながらも、再び僕たちへと視線を寄越す。



「まぁいっか。増やすには、仕方ないもんね」



 自分以外には向けていないのだろうか、言い訳じみた言葉を呟き、青くなった銅像は突然に駆けだした。

 驚くほどの速度を以て、両手を広げて飛び込んでくる。

 その先にいたのは…………僕。


「––––––お兄さん、一緒に遊ぼうよ!」


 不用意に返答したのがいけなかったのだろうか。

 表情が固まったはずの彼は、非常に嬉しそうな様子で僕を狙う。


「しまっ––––––」

「––––––ひーくんっ!!」


 八恵さんの叫びが聞こえ、その直後、衝撃が側頭部を襲った。

 僕の身体は地面に倒れている。突き飛ばされたのだ。

 鈍い痛みを堪えながら目を開けば、人間の脚部が鏡へと飲み込まれる光景が映る。


「八恵さん!?」

「…………あるじ、八恵さんだけじゃない!」


 ヒマワリちゃんの声のお陰で、ようやく周囲の現状に気付く。

 どうやら、狙われたのは僕だけではなかったようだ。


「––––––尾上ッ!!」

「恒くん、ごめ––––––」

「……くそっ! 何だよコイツらぁぁ!?」


 視界の端から飛んできた人影が、平たい物体が、皆に飛び掛かる。

 尾上さんと斬鬼さんの姿は既に消えており、琴葉ちゃんがガラスの向こう側へと押し込まれた。


「…………《御籤:聖来招福しょうこしょうふく》っ!」


 続けざまに、半透明な腕のようなものが西小路さんと辰真さんの脚を引きずり込む。

 ヒマワリちゃんの運勢操作スキルの適用を認識する頃には、ランさんと治歳さんまで消失してしまっていた。



 そして、再び静寂が訪れる。

 月光のあたる玄関扉前に取り残されたのは、僕とヒマワリちゃんの二人だけだった。

 仲間たちが吸い込まれた方向を見れば、驚いたような表情が二つ。

 ガラスはどこも割れてはいないし、その中へと人が何人も入り込んだ形跡は見当たらない。

 第三者から「夢を見ていたんだ」などと言われたら、思わず信じてしまいそうだ。

 それほどまでに呆気なく、あっという間の出来事だった。


「……ありがとう、助かったっぽい」

「…………私のスキルじゃ、あるじしか守れなかった。ごめんなさい」


 しょんぼりとする彼女の頭を撫でる。

 “座敷童子”として有する運勢操作のスキル《御籤》は、限られた特定の対象にしか作用しない。

 妖怪たちと共に“口裂け女”を抑え込んだあの時も、致命的な攻撃を避けられていたのは僕と僕を守っていたアマグモさんだけだった。


 だが、もし彼女が居なかったら介入係の全員が完封されていたかもしれない。

 僕が無事に残れたのは、間違いなくこの子のお陰だ。



「“二宮金次郎像”の他にも何種類かいたから……“学校の七不思議”が敵になりそうなのは確実だな」


 気を取り直して、現状を打開するためのアイデアを巡らせよう。

 とりあえず、皆の安全を確認し、この学校から逃げ出す方法を探すべきだ。

 それには“学校の七不思議”を相手取り、なおかつ上手く対処する必要がある。


「…………入ろっか」

「他の怪異が襲って来る可能性もあるもんな」


 心細くないと言ったらウソにはなるが、腐っても僕の尊敬する同僚たちだ。

 彼ら彼女らの安否を願いつつ、僕は昼間にこっそり拝借していた鍵を使って、校舎の内側へと侵入する。


 冷たい暗闇は、物音一つ立てずに全身を満遍なく包む。

 僕とヒマワリちゃんは、どうしても不安を抑え込むことが出来なかった。




 ◆◆◆




「ぅらららぁ~~~♪ 新たなチャレンジャーだぁぁ~~♪」

「わっくわく、どっきどき、おにごっこタイムぅ~♬」

「おとぉ~さぁ~ん、おとぉ~さぁ~ん♩」

「てってってってぇぇ~ん♫ じゃぁぁぁぁんっ♫」



 四方の壁には細かな穴が無数に広がっており、大きな黒板の真横には、ピアノが設置されている。

 この空間は、どうやら音楽室らしい。


 薄暗い静寂の中、音圧の凄まじい声が重なって響く。

 彼らは品位の高そうなタキシード姿であり、首元には額縁がはめ込まれていた。

 まるでライオンのタテガミが、人間に巻き付いているかのようだ。


「……なんや、えらい喧しいなぁ?」

「ハーモニーは綺麗ですけど、不気味なことには変わりありませんね」


 私の傍らには、臨戦態勢のランさん。

 鮎川くんが竹永さんに突き飛ばされ、竹永さんが青銅像に捕らえられてしまったのを視認した直後。

 私は兄さんたちの安否を確認しようとし、その隙を突かれて複数枚の額縁の奔流に飲まれてしまったのだ。

 ランさんは、そんな哀れな私を助けようとしてくれたのだが、一緒にこの空間内へと押し込まれてしまったようである。


「……すいません、ランさん」

「気にせんでええよ。それより、目の前のコーラスに集中せんと!」



 ランさんの言葉通り、歌い狂う彼らの様子を注視する。

 改めて目を向けてみれば、非常に見慣れた、著名な顔が並んでいる。


 終始楽しそうな表情で歌っているのは、彼らの中でも比較的美形な少年。白髪は耳の上あたりでカールにされており、中世ヨーロッパの貴族のような印象をしている。

 続いて、ボリューミーな頭部を振り回している個体。アフロかと見紛うほどにモコモコな白い髪があるものの、その険しい表情とのギャップは非常に強い。

 おとうさん、おとうさんと連呼しているのは、眼鏡をかけた小太りの男性。首元には黒いリボンが結ばれており、他の三体に比べても温和そうな雰囲気だ。

 最後に口を開いたのは、目力の強い男性。漆黒の衣服と襟元からは真紅のスカーフが見えており、形状し難い威圧感を持つ声音を持っている。


 間違いなく、音楽室の肖像画に描かれた巨匠たちだ。

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。

 ヨハン・セバスティアン・バッハ。

 フランツ・シューベルト。

 そして、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。

 額縁から顔面が、その裏面から胴と四肢がはみ出したかのような外見で、私たちを凝視しながら歌い続けている。



「さぁ、いっしょに遊ぼうっ♪ あるいはボクのケツを舐めろっ♪」

「鬼ごっこだよぉぉ~~♬ 楽しく逃げ回ってねぇ~♬」

「おとぉ~さぁ~ん、おとぉ~さぁ~ん♩」

「てってってってぇぇ~ん♫ てってってってぇぇ~ん♫」




  ◆◆◆




「––––––あら、あなたも恋しているのね?」



 心臓がドキリと反応した。

 恋というワードを投げかけられたら、アタシの頭に浮かぶ人物はたった一人だけ。

 それを、不気味な様相を成した存在に見抜かれ、少々驚いたのだ。


 それは、一言で表すならば“モナ・リザ”だった。

 ただ、それは顔回りだけ見ての印象であって、人間としての形状を維持しているわけではない。

 額縁の中にはたおやかな微笑を維持しているものの、胸元から下は何処にも存在していない。裏面から何本もの白い腕が生え、脚も無いのに空中に浮いている。

 これでは美人画ではなく、ただのバケモノだ。


「恋を実らせるためには、自分を磨かないとね?」

「……まぁ、同意は出来るけど」


 言っていることが間違っているわけではないのだけど、状況があまり良くない。

 恒くんも、尾上さんも、八恵さんも、西小路班の皆もいない。

 それに、アタシと“モナ・リザ”を囲むのは、両腕のない不気味な石膏像や、血が濁ったような色合いの油絵。

 ただでさえ心細いのに、こんなホラーアトラクションのような美術室ではメンタルが可笑しくなりそうだ。


「……だからね、今の自分を見つめ直さなくちゃじゃない? 鏡みたいにさ?」


 ……鏡か。たしかに自画像は鏡とも言えるのだろうけど。

 そういえば、アタシが押し込まれた先はガラスだったはず。

 何か関連がありそうな気がする。



「ということでね、お絵描きしたいのよね? 写生大会しましょ?」




  ◆◆◆




「おう、よく来たなぁ!」

「声が無駄にでけぇなァ、オイィ……」


 ピンク色のカーテンに、並んだ数台のベット。

 白を基調とした生活感のある空間は、おそらく保健室にあたる空間だろう。


「お前のモノは、オレのモノ。オレのモノも、オレのモノ!」

「あの台詞って著作権とかに引っかからないんすかね?」

「……んなこと俺が知るかよォ」


 どこかで聞いたような台詞を吐いたのは、向かって右半分が真っ赤で、左半分が肌色の半分こ怪人だった。

 真っ赤な方には筋繊維らしきディティールがあり、胴体には内臓を模した内容物が詰め込まれている。

 保健室に置かれていることも考えれば、“動く人体模型”という都市伝説が実体化したものなのだろう。


 ここに居るのは、俺と釜島長男のみ。

 この二人のスキルで対処できる相手だと楽なんだがなァ……。



「お前らの内臓、全部オレのモノにするぜ!」




  ◆◆◆




「ぶへぇっ! ビショビショになったぞ!?」

「ここは……学校のプールっすかね?」



 一体何がどうなってやがる。

 青銅の像が鮎川に襲い掛かったと思ったら、何処からともなく触手みたいなものが伸びて来やがった。

 ボクと辰真の脚に巻き付き、虚を突かれた間に引っ張りこまれてしまって、現在に至る。


 眼下にあるのは、一般的な25メートルプール。

 塩素の苦いが充満し、気持ちの悪いくらいにプールサイド全体が濡れて湿っている。

 だが、ボクたちを引っ張れそうな存在は見当たらない。


「班長、これって分断作戦って感じですかね?」

「どうだろうな。あの“二宮金次郎像”、本当に遊んでほしそうな口だったけど……」


 依然として、相手方の目的がイマイチつかめない。

 それに、プールにまつわる“学校の七不思議”には心当たりがある。

 生徒の足を掴み、水の底へと引きずり込もうとする、そんな悪質な噂を聞いたことがある。


「ここの担当は、このプールか」


 ボクの呟きに応えるかのように、波が寄り集まる。

 触手のように細く束ねられ、その先が五つに別れた。

 あれを五指に見立てているとすれば、この触手はプールにとっての腕なのかもしれない。



「……なんだよ、千手観音ごっこでもしようってかぁ?」




  ◆◆◆




「ねぇ、かけっこだよ! かけっこ!!」


 押し込まれた先は、先ほどとよく似た校庭だった。

 しかし、敷地の外は真っ暗。おそらくは結界だろうし、それを張った原因をどうにかしないと外には出られない。


 日に焼けた痛々しい色合いの銅像は、腕を振り回してはしゃいでいる。

 この様子だと、誰かを傷つけたいというわけではなく、純粋に遊び相手が欲しいだけのような気がしてしまう。

 それに「かけっこ」というワードチョイスに引っかかる。

 どこかでその単語を聴いたはずなのだが……。


 いや、憶測ばかりを積み重ねて不安の種を育てることは止めよう。

 ひーくんを守れた、一番大事なのはそれだ。

 どんな困難が降りかかろうとも、それさえ出来れば、私には生きている価値がある。



「お互いの大事なものを奪い合う……だよ!!」


 私の大事なものを、もう二度と失わないために。

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