File7:校舎う(いざなう)

校舎う/子供たちのSОS

「恐怖」という感情は、生物が生存する上で必要不可欠な要素だ。

 自らが生き延び、自身の子供を残し、家族を守るために、生物は恐怖という感情を事象の許容におけるボーダーラインとして活用している。

 つまりは生存本能。生物にあって当たり前の、恥ずべきではないシステム。


 そして、これは性格や慣習や趣味のように、その恐怖心の所有者それぞれに依存した非常に富んだバラエティーを誇っている。

 人によって怯えるものは異なるし、年齢を重ねるにつれ耐性が付くものもあれば、性別や出身国などによってはお互いに相容れない考え方だって存在する。

 考え方にもよるが、神的存在への敬服や礼拝だって恐怖にも似た感覚だとも言えるのではないだろうか。


 ……と、ここまでつらつらと思考概念的な話をしたわけだが、僕は別に「恐怖」に関する論文を提出したいわけでも、心理学におけるプロフェッショナルというわけでもない。


 ハッキリ言えば、気を紛らわせたいのだ。

 僕は現在、胸の奥から溢れ返ってくる恐怖を堪えるべく、必死に自分自身と戦っている。




「……脚、いるかぁい? いらないかぁい?」



 そこに立っていたのは、ノコギリを右手に握る、長い白髪の老婆。

 カビにまみれた古着を着ており、背中を丸めていながらも威圧感をまとっている。


 忘れもしない。例え一生をかけても、忘れることは出来ないだろう。

 奴は父の命を奪い、母に不安の種を蒔いて、僕の心の奥底に恐怖という根を張り巡らせた張本人。



「……“左脚”、貰いに来たよォ」


 上級怪異譚にして、要駆除対象––––––“足売りババア”。

 僕にとってトラウマが、目の前に立ちはだかっていた。




  ◆◆◆




 事件は、およそ36時間前に遡る。


 時間帯は日曜日のお昼頃。

 暖かな日光が窓から差し込み、空調を点ける必要性も感じられないほどに過ごしやすい一日だった。

 奇怪な事件に関する報告もなく、僕は共に暮らす仲間たちと気ままに休日を謳歌していた。


「––––––く、このっ、ツムジさん上手すぎるって!」

「にゃぁぁ~! ピザ! 腹減ったにゃぁ~!」

「いやはや、まだまだ負けないでござるよ!」

「ラーメンでもいい! ラーメン食べたいにゃあ!」

「親方様、洗濯が終わりましたぞ」

「センタクよりもテンプラにゃあ! 天丼! かつ丼! 唐揚げ丼にゃ~!」


 ……いや煩すぎる。特にハナビ。

 大学入学をキッカケに一人暮らしを始めてからというもの、四人は以前にもまして本来の姿でリラックスするようになった。

 隣の部屋に琴葉ちゃんが住んでいるとはいえ、僕は世間的には一人暮らしということになっている。

 リビングと寝室だけでは、五人が生活をするには余りにも狭すぎるのだ。

 やっぱり引っ越しするべきかな?


「にゃぁ……引っ越しより先に昼ごはんにゃぁ~」

「……まぁ、それもそうだね」


 しかし、腹が減っては戦が出来ない。

 何よりも先に昼食を頂くこととしましょうかね。

 そういえば、皆の好きな食べ物はかなり違いがあったな。


「にゃん。とりあえず火の通った肉をたらふく喰うにゃんよ~」

「いや、魚でござろう。山では採れない海の幸こそ至高でござる」

「我は水さえ飲めればそれで良いですぞ」


 ちなみにヒマワリちゃんはお菓子が大好きらしい。

 皆それぞれに食の好みの差異があるのは個性的で微笑ましいことだが、別ベクトルの問題がいくつか生まれてしまっているのだ。


 特に、食費がすごくかかる。

 火を操るハナビの身体は脂肪が燃えるのも早いらしく、スリムな肢体を維持できるのと引き換えに一度の食事で大量に蓄えなくてはならない。

 ツムジさんは意外にも味にうるさく、質が悪かったり火の通りが甘かったりすると露骨に嫌そうな顔をするのが非常に申し訳ない。

 アマグモさんは付喪神のためか物体を摂食して栄養に代える必要性が薄いらしく、皆で食べる時以外は何かを口にしていることが少ない。だが、気まぐれに買ったミネラルウォーターの味にドハマりしたらしく、彼の為だけにウォーターサーバーを購入する羽目になってしまった。

 極め付けには、ヒマワリちゃん用に蓄えておいたお菓子をハナビが食べ尽くしてしう可能性があるため、一度の買い物で結構な量を買っておかなければならない。

 公務員じゃなかったら、あっという間に散財していただろう。



「……あれ、そういえばヒマワリちゃんは?」


 ふと気づけば、彼女の姿が見えない。

 用が無いときは大抵の場合、寝室で電子書籍を静かに呼んでいたりするのだが、部屋中を探し回っても見当たらない。

 どこかに外出したのかな?


「日曜日でござるし、公園ではないでござろうか?」

「あぁ、近所の子供たちと仲良くなったんだっけ?」


 この仕事をしていると曜日感覚が麻痺してしまって困る。

 だが、そういえばそんなことを嬉しそうに話してくれていたな。


 あの子はずっと少女の姿と精神を持っているため、大昔から頻繁に子供たちの輪に紛れて遊ぶことが多かったとのこと。

 もちろん、“ぬらりひょん”のような仲間意識を植え付けるようなものではなく、純粋に遊びに混ぜてもらっているだけではあるが。

 太古の時代から子供というのは純真無垢で、妖怪や妖精といった類の存在をそのままに受け止めることが可能なのだ。だからこそ、彼女は人間の子供たちと何度も交流することが可能だったということだ。

 聞くところによると、僕が巨頭山の妖怪たちと出会えたのも、ヒマワリちゃんが幼少期の僕を気に入ってくれたかららしい。


 まぁ、残念ながらその時の記憶はないのだけれど。

 生意気な後輩のお節介のお陰で、当時のことは虚空の彼方へと消え去られたのだ。

 いくら願っても、もう二度と戻ってこない。

 彼らとの思い出も、あの後輩の笑顔も。



「……親方様、いかがなされた?」

「いや、なんでもないよ。何かデリバリーしてもらお!」


 いけないいけない。心配されるほどしょぼくれた顔をしていたようだ。

 そんな気持ちでいるようじゃ飯が不味くなってしまう。

 暗い気持ちを払拭するべく、スマホを片手にアプリを開こうとした。


 玄関扉が開く音がしたのは、その直後のことである。



「んにゃ、もう届いたのかにゃ?」

「そんなわけないだろ。まだ何も注文してないって」

「……ヒマワリが帰って来たのではないのか?」


 怪訝に思ったアマグモさんが立ち上がり、玄関の確認に向かう。

 すると、どこか驚いた顔をして僕たちへと振り返った。


「––––––親方様、どうやら複雑な事情がありそうですぞ」


 扉を通り、玄関の内部へと侵入したのは、なんと二人。

 片方は想定通り、我が家のメンバーであり仲間のヒマワリちゃん。

 そしてもう一人は、短い黒髪をツインテールにまとめた、見知らぬ女児だった。



「…………あるじ、助けて欲しい」




  ◆◆◆




「わぁ……猫さんに、鳥さん。ホンモノだぁ……!」

「むむ、鳥ではなく鴉にござる」


 僕の部屋へとヒマワリちゃんが連れて来たのは、純然たる人間の女児だった。

 名前は七草ななくさなゆたちゃん。近所の小学校に通っている三年生らしい。


「最寄りとなると……蛇目かがちめ小学校か」

「…………うん。そこの学校の子たちと、よく遊んでるの」


 実際に、この周辺には蛇目小学校に通う子が数多く住んでいる。

 僕と琴葉ちゃんが住むマンション内でも頻繁に見かけているくらいだ。

 七草ちゃんも割と近場に家があるようで、今日もヒマワリちゃんと一緒に公園で遊ぶ予定で集まったそうだ。


「しかし、我らの姿がここまでハッキリ見えているのは……普通の幼子よりも霊感が強いカラなのですかな?」

「…………ううん、そういう訳じゃない。訳あって妖怪を信じてるの」


 七草ちゃんに、妖怪たちを怖がっている様子はない。

 ハナビは猫耳と尻尾が付いているだけとも言えるが、アマグモさんの威圧感のある巨躯やツムジさんの鴉然とした顔立ちは子供からすると少し怖いかとも思う。

 だがこの子には臆している様子はなく、むしろ興味津々といった雰囲気だ。


「訳あって信じてる、ってのは?」

「そのことが、ダーリンにモノを頼みたい理由にゃんね?」


 ヒマワリちゃんも七草ちゃんも首肯する。

 僕に頼ろうとしている事といい、妖怪の存在を強く信じている事といい、この子の抱えている問題に怪異が関わっていることは間違いなさそうだ。

 膝をつき、彼女との目線を合わせたうえで、ゆっくりと問う。



「それで、助けて欲しいってのは?」

「アタシの友達……いなくなっちゃったの! 助けて!」

「……迷子ってことかにゃ?」


 確かに僕は警察の職員だが、そういうのは交番とかに努めている警官に相談するべき案件ではないだろうか?

 相手が怪異とはいえ、僕は本庁の警部補。単なる迷子探しであれば、もっと階級の低い人間に丸投げしていただろう。

 だが、ヒマワリちゃんがわざわざ持ちかけて来る時点で正常な人間に解決できないヤマなのは確実だ。


「先生にも、警察さんにも、もうお話したの! でも、探してくれないの!」

「…………実はね、一緒に遊んでた子たちがどんどん行方不明になってるの」

「行方不明……?」

「ならば、もっと大事になっているはずでござろう」


 ツムジさんの言葉もごもっともだ。

 教師や警察に既に話したというのなら、もっと事が大きくなっているはずだ。

 加えて、日を追うごとに人数が増えているならば尚更だろう。

 なのに迷子に関する情報も、近所の大人たちが慌てている様子だってなかったはず。


 ならば、そんな状況を作り出した絡繰りとはなんだろうか。

 訝しむ僕の顔を見たのか、七草ちゃんは極めて必死に、助けを求めるように言葉を続けた。



「あのね、学校の先生も、パパとママも、その子たちのこと忘れちゃってるの! 写真も、お絵描きも、全部なくなってるの!」

「…………まさに“神隠し”だよ、あるじ」



 思わず息を呑む。

 舞い込んで来た小さな依頼には、非常に規模の大きな異常が隠れているらしい。

 人の記憶からも、写真や絵などの媒体からも消えるとなると、子供たちだけで手に負えないスケールだ。もしかすると書類や戸籍といった情報まで改ざんされている可能性だってあり得る。


 まさか、こんな都会で“神隠し”なる現象と相まみえるとは思わなかった。



 そして、自分のトラウマと向き合うことになるだなんて、僕は全く想像していなかった。

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