終点く/猿夢からは逃げられない
現在、この電車には普通の人間が三人しか乗っていなかった。
一人は…………いや、誰の名前も知らないや。
とにかく、僕の今晩の仕事はその三人を無傷で送り返すことだ。
そのために“ぬらりひょん”のスキルを使って、彼らの輪の中に飛び込んでいるのだ。
––––––お、あの主婦の幽霊、すっごい胸が大きい。
八恵さんには劣るけど、あの人は美人が前提の怪異みたいなところあるからなぁ。
おっと、話がそれてしまった。
えっと何だっけ、バストの話だっけ。
ちがうな、えっと、うんと、僕のブラジャーの仕事の話だったか?
ブラジャーの仕事ってなんだよ。
閑話休題。
どうやらここ最近、終電の時間帯における駅の監視カメラを最後に行方不明になる事件が相次いでいるらしい。
巷では「“偽汽車”に乗ってしまって黄泉の国に連れていかれた」とか「“きさらぎ駅”に迷い込んで帰らぬ人となった」とか、そういった不気味な憶測が飛び交っている。
本当に噂で済むなら問題ないのだけれど、その噂が怪異譚になってしまうことだけは防がなくてはならない。
怪異譚になるということは、人々の解釈や集合的無意識を媒介にして、その逸話に沿った性質を持つ怪異が生まれてしまうということだ。
つまり、人間を連れて行ってしまう電車や駅といった怪異が、新しく生まれてしまいかねない。
それを未然に防ぐべく、調査や検証、場合によっては早期解決を図るのも異譚課の仕事らしい。
というか、介入係の仕事が多すぎる気がする。
余談だけど、警視庁異譚課には合計五つのセクションが存在している。
僕が所属している「介入係」は、最前線で調査・戦闘に準じるものなのだが、場合によっては怪異譚の発生を防いだり、パトロールしたり、遠出をしなくちゃいけなかったり、特訓が必要だったり、健康診断が頻繁にあったり……あまりにも仕事が多すぎる。ハッキリ言って業務過多だ。そんな言葉あるのか知らんけど。
他には、事件の後掃除とか目撃者の記憶処理を担当している「処理係」、祭事的な事件解決や呪物の浄化・製作・研究を行っている「巫術係」、様々な記録媒体を調べたり怪異譚の記録・保存を担う「文献係」、各部機関・公共施設へのコネクションを行い他のセクションを裏から支える「事務係」というのが存在する。
もちろん、最も怪異と関わる危険性が高いのは介入係だ。
そのせいか、介入係には人間が過剰に少ない。
僕が所属しているのは尾上さんが率いる「尾上班」で、僕以外の二人と一匹は純正の怪異だ。
逆に言えば、関東圏を中心に活動している「西小路班」の班長である西小路さんは、介入係では非常に貴重な純正の人間だ。というか、ただの人間であんなに強いのだからバグでしかない。
大学時代は、僕もあの人にめちゃくちゃシゴかれたものである。
おっと、また電車が止まった。
今度は女児や女子高生の幽霊が乗って来た。
まだ若いだろうに。嘆かわしい限りだ。
しかし、この電車に乗っている人たちはまだ救われている方なのだろう。
この電車の乗客たちは、全員がぼんやりとしたオーラが漏れ出している。
あれは、まさしく魂のオーラだ。
“ぬらりひょん”のスキルを正式に受け継いでから、怪異たちと同じように見えるようになった。
人間が死亡すれば、肉体から魂が抜ける。その際に、かつての肉体に類似したオーラを無意識的に形成してしまっているのだ。
ある意味では、悪霊や怪異にならない程度に、微かな未練が残っているとも言える。
だが、この幽霊乗車率を見るに、この電車は普通のものではなさそうだ。
まさしく幽霊電車。通常、人間が乗車する機会なんてあるはずがない。
しかし、行方不明事件が相次いでいるとなると、この電車に複数の生者が乗っているということになる。
生きている人間が怪異と関わってしまう事例として、人間側から怪異や死者を冒涜しにいったパターンと、怪異側から悪意をもって現世に作用しているパターンの二種類が考えられる。
もし、電車側が意図的に人間を誘い込んでいるとしたら、大問題だ。
僕一人では対処しきれない状態が既に出来上がっているのかもしれない。
『次は~、きさらぎ~、きさらぎ~』
えぇぇぇぇぇ……!?
マジでか。マジであるのか“きさらぎ駅”。
一緒に座っている男たちも静かに騒ぎ始めている。まさか本当にあるとは思っていなかったんだろう。
これで彼らが怖がって、“きさらぎ駅”に降りないことを選んでくれれば、一応として今日の仕事は終えられるのだが。
僕としても、この状況を尾上さんたちに報告して、事件の完全なる無力化に向けて準備をしなければならない。
出来る限り穏便に終わらせたいんだけどなぁ……。
だなんて思っていたら、車両と車両を繋ぐ連絡扉が開く。
そして奥から、不気味な表情が特徴的な、着ぐるみみたいな奴らが出て来た。
「ウッキィ~、お邪魔しま~す」
「この車両に、ウッキウキの生者が入り込んだと情報を受けました~」
「なので~、ブチ殺しま~す、ウッキッキィ~」
残念ながら、今晩の仕事は簡単に終わってくれなさそうだ。
ちなみに、隣に座っている男たちはぎゃあぎゃあ騒いだり、ガタガタ震えたりしている。
噂に対して半信半疑だった彼らも、流石に状況の異常さが理解できたのだろう。
ってか凄いなこの男子。
この状況でもスマホのキーボードめっちゃ弄ってる。
現代の若い子って本当にスマホ依存症なのね。まぁ僕もまだ23だけどさ。
たしか、ネット上で実況してるって言ってたっけか。
流石に空気を読んで欲しいんだけどなぁ。
「ウッキ…………ウッキッキィ」
「いたねぇ~。ウッキウキの生きてる人間」
「しかも前の奴らと一緒だねぇ~、ウッキッキッキッキ~」
おいおい。見つかったよ。めっちゃこっち見てるよ。
いつの間にかハンマーやら工具用ドリルやら取り出してるし。
普通にめっちゃ怖い。声は出ているが口元が微塵も動いていない。
頭の部分は猿を模しているのだろうけど、瞬きをしなければ呼吸もしていない。
首やら腕やら脚やら、関節といえる部分しか稼働していない。
まさしく、中身の人が存在しない着ぐるみだ。
「ウッキィ、それで、誰から嬲り殺そうかね~?」
「そうだね……端っこのウッキウキスーツのやつとかどうよ~?」
「たしかにコイツは気になるねぇ……ウッキッキィ~」
そして、どうやら僕に狙いを定めたようだ。
隣の男たちをスキルの対象にしている以上は、この猿たちの仲間のフリをすることは出来ない。
侵入できるコミュニティは、一度に一つだけなのだ。
そして侵入するのは、視覚的に認識するよりも前からでないと意味がない。
しょうがない、実力行使で行こう。
「……やろう、アマグモさん」
三体の猿たちに囲まれた僕は、彼らにも聞こえないレベルの言葉を漏らす。
猿たちに聞こえなくても、手に持っていた蛇の目傘には届いている。
僕は野球のバッターの要領で、傘の柄を両手で握り、右の後頭部まで引き絞る。
目指すボールは、目の前にポジショニングするお猿さん、その顔面。
アマグモさんの丈夫さを、自分の怪異としての腕力を、強く認識して、振り抜く–––––––
「ウキ? お前何を考えて––––––」
「《即席打法:アマグモホームラン》!!」
柄に伝わる重たい感覚。しかし、僕が感じている衝撃は数倍になって相手にも響く。
アマグモさんが有する《反転》のスキルは、蛇の目傘に化けていても作用する。
振り抜かれて発生したGと、猿とぶつかって生まれた衝撃は、アマグモさんによって反射され、数倍に増幅されて同時に叩き込まれる。
「そのまますぎるのではないですかな?」
蛇の目傘から何か聞こえる。効いてるんだから何でも良いじゃない。
見れば、空中で横方向に一回転した猿が、頭から床へと倒れ込んでいる。
これには残りの二匹も、一緒に電車に乗った男たちも驚いている。
しかしどうだろうか。
今の行動は、“ぬらりひょん”のスキルを解除させてしまう要因になるのだろうか。
僕のスキルは輪の中に則さない行動をして不信感を与えることで、誤認していた認識を覆してしまう。
果たして彼らの為を思った行動は、彼らの信頼を維持することが可能なのかどうか。
だが、そんなことを気にしていられるような状況じゃない。
一匹は殴り飛ばせたがトドメを刺せたわけではない。
残りの二匹が人間たちに危害を加えてしまえば、僕がここに居る意味がなくなってしまう。
最善は、あの三人をこの電車から降ろすこと。
次善として、僕とアマグモさんだけで猿を対処することだ。
「みんな、今のうちにここから飛び降りよう! 逃げるにはそれしかない!!」
田舎の電車ということもあって、線路脇が雑草や田園である可能性は高い。
この車内で怖がりながら燻っているよりは、クッションがあることを信じてダイブする方が良いはずだ。
彼らが飛び出したことを確認してから、僕もここから––––––
「ウッキッキッキ……出る? 逃げ出せる? 本当に~?」
アマグモさんで殴り飛ばしたはずの猿が立ち上がり、気色悪い笑い声をあげた。
そこには、僕というイレギュラーに対する危機感は感じられない。
「……で、出れないです! ど、ドアが開かないです!」
「ガラスも割れない! どう、どうすればいいんだよ!!」
「た……助けて! 助けてください! スマホまで使えなくなってます!!」
振り返れば、逃げようと動き出した彼らが慌てふためいている。
敬語になっているところを見るに、僕のスキルは解除されてしまっているようだ。
しかし、そんなことを考察している余裕は無さそうだ。
不味い。非常に不味い。
何が起こったかは不明瞭だが、逃げられない。
「親方様、外が異様に暗いようだ。結界の可能性がある……!」
アマグモさんの助言を受け、遅れて窓の外を見まわす。
確かに暗い、暗すぎる。
田舎とはいえ、月の光も星の光も、電車用の信号さえ見当たらないのは異常だ。
「残念だったなぁ、ウッキウキの生者ちゃんよぉ~」
猿たちから距離を取ると、そのうちの一匹が笑いかけて来た。
僕の背後では、三人ともその場に倒れ込み、寝息を立てている。
いくら命知らずの若者とはいっても、この状況で眠りこけてしまうほどのバカではないはずだ。
そして、微かだが、僕の意識にモヤがかかってきた。
これはおそらく、眠気だ。
猿たちのスキルなのか、あるいはこの幽霊電車で引き起こされる現象なのだろうか。
理屈は不明だが、これで僕を囮にして逃げることも出来なくなった。
そして、簡単にここから逃げられる状況とも思えない。
猿たちは完全に僕を打ちのめす気満々のご様子。
「親方様、御覚悟を……!!」
「……あぁ」
腹を括るしかないようだ。
「俺たち……“猿夢”からは逃げられないぜ~、ウッキッキッキィ~」
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