鮮血む/藁人形と醜い女

「あぁ、もしかして聞こえてた? ごめんねぇ~」



 ミスコンを終えた、放課後。

 夕陽が傾き、オレンジ色の光が教室内に差し込まれる。


 その中に、アタシと秦田栖桃、そして二枝仁美がいた。


 正確には、栖桃が帰ろうとしていた仁美を捕まえて問いただしているのだ。

 しかし仁美は悪びれることなく、上辺だけの謝罪を口にした。



「……見てたよ。率先して琴葉のことバカにしてさ。アンタそれでも友達なの!?」


 喉が壊れてしまいそうなほどの声で、栖桃が怒鳴る。

 その頬には涙が伝っていた。

 傷一つない、彼女の綺麗な頬に。



「友達って……だってそいつはバケモノだよ?」

「何言ってんの? ミスコン出ようって言ったのアンタでしょ!?」

「うるさいなぁ。そんなに怒んないでよ」


 そこには罪悪感も道徳心も、何も感じられない。

 彼女が浸っているのは、達成感にも似た万能感だろうか。

 何を言っても通用しないような、圧倒的な余裕を感じられる。




「あのさぁ、そもそもソイツはだよ? 何を今さら……」

「…………ぇ?」


 空気の詰まって声を出せなかった喉から、不意に疑問が漏れた。

 いわれのない悪口を言われたこともそうだが、その言い方に引っかかりを覚えたからだ。


「その女はね、誰にでも媚びるの。私が狙ってた男もさ、ソイツと仲良くなるために私に近づいたんだって。ホントにクソだよね」



 確信した。

 それが彼女の行動原理だ。

 自分の気になっていた、良い雰囲気になっていた男子がアタシに惚れていたことを知って、それに腹を立てたんだ。

 単なる八つ当たりだ。


「私はさぁ、このクソビッチのおこぼれ貰ってるままとか絶対嫌なの。コイツさえいなければ、私がミスコンに立てるくらいの人気者になってたの」


 蓋が取れたかのように、ずっと押し殺していた本心が口から漏れ出していく。

 自分の努力不足を棚に上げて、全てをアタシのせいにして、まるで犯罪者を糾弾するかのように突き付けて来る。

 そんなことをアタシに言ったところで、どうにもならないのに。



「だから、のよ。ミスコンでコイツが大恥かきますように、って」


 唐突にそんなことを言って、仁美は鞄から藁人形を取り出した。

 その乾いた藁で形成された不細工な人形は、胴体に赤茶色の細いものが一本だけ混じっている。

 そして、顔にあたるであろう部分には、五寸釘が刺さっていた。


「すごいわよね!! 本当に呪えるなんて……あはっ、あはははははははははっっっ!!」


 まるで、お使いに成功した後の子供のようだった。

 自分が成したことに対して称賛を求めるかのように、非常に愉しそうに、嬉しそうに笑う。

 それは、友達に対してする顔ではなかった。


「そ、そんなの私たちの前で喋っていいの……?」

「いいのよ! だってだもん!! 証拠がないでしょ!? だってコイツが勝手にケガした時、アタシは栖桃と一緒にいたんだから!! あはははははははっっっ!!」


 その通りだ。呪っただなんて、そんな言葉では学校も警察は動かない。

 きっと仁美は、アタシたち以外に対しては呪った事実を言うつもりがないのだろう。

 アタシたちが彼女を糾弾しても、彼女は願っただけで何もしていない。

 アタシを襲ったのは、あのバケモノだから。

 その言い方では、藁のバケモノのことを、仁美本人は知らないだろうから。


 まさに完全犯罪だ。

 周囲の人間からはアタシたちは最高の友達として見えていたはずだ。

 事実、アタシも栖桃も気付いていなかった。親友の心の闇を知らなかった。

 栖桃が何を言っても、証拠なんて何も無いから、どうにもならない。




「––––––ねぇ口裂け女さ~ん、学校来ないでくんな~い?」


 突然に、彼女が提案してきた。

 余裕を崩さず、片手で藁人形を弄び、薄ら笑いを浮かべている。


「もう居場所ないでしょ? みんなスマホで撮ってたしさぁ。学校来ない方がいいって」

「あ、アンタのせいでしょ……!?」

「だから! 呪っただけで、本当にケガするなんて思ってないも~ん!!」


 栖桃は反論しようとして、息詰まる。

 もうどうにもならないことを確信したんだ。


 一方で、アタシの心は既に冷めきっている。

 栖桃が唯一味方をしてくれるだろうけど、それでも状況は変わらない。

 アタシはこのクラスから、学校全体から、バケモノと言われて拒絶された。

 もう居場所なんてない。




 何も告げず、アタシは鞄を持って、教室を出た。


 栖桃が何か言っているようだったけど、よく聞こえてこない。

 マスクを着けても、微塵も安心できない。



 夕日を覆っていく厚い雲のように、ゆっくりとアタシの心には、影が差していった。




  ◆◆◆




 死のう。


 居場所がないなら、人間は生きていけない。

 生きていけないなら、死ぬしかない。


 きっと、心が弱っていたからだろう。

 信じていた人に裏切られた傷が、頬の傷を上回ったからだろう。

 突然にも大粒の雨が降り出して、アタシの全身を濡らしたからだろう。


 色んな理由はあったけど、とにかくアタシは死にたくなった。




 目の前には、雨に濡れた薄暗い交差点。

 アタシの正面の歩行者信号は、赤色のランプを点灯させている。

 人はアタシ以外にいない。車も止まっていない。


 お誂え向きにも、数十メートル先からトラックが近づいてきた。

 あの速度なら間違いなく、信号が変わる前に交差点を抜けられるだろう。


 確実に、トラックは近づいて来る。

 傘も差さずに信号待ちしている女子高生を不思議に思うかもしれないが、わざわざ声をかけてくることもないだろう。


 もうすぐで、トラックは交差点に進入する。

 降りしきる雨を無抵抗で受けるあの白線に視線を戻す。

 あそこに……いや、もう一本向こう側を目掛けて飛び出そうかな。


 不思議な気分だ。

 ステージに上がる時にはあれほど緊張していたのに。

 司会の生徒に、皆の前に立つ理由を押し付けていたくせに。


 いざ自殺するとなると、こんなにも心が軽いだなんて。






 踏み切り、跳ぶ。


 重たい鉄の塊が、すごい勢いで、肉とぶつかる。


 痛い。


 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。


 視界がぐりん、ぐるん、と何度もかき混ぜられる。


 気付くと、交差点の真ん中あたりだろうか……かなり吹き飛ばされたみたいだった。




 トラックがもの凄い速度で離れていく。

 逃げたんだろう。

 人気もなかったし、目撃者なんて居るはずがない。


 ……痛いなぁ。

 涙が止まらない。それくらい全身が痛い。


 それに、身体の向きが変だ。

 自分の目には、ふくらはぎの後ろ側が見えている。

 後頭部の方向に、両手が投げ出されている感覚がある。


 痛い。すごく痛い。

 なのに、まだ死ねてない。


 もしかして、頬に受けた切り傷の方が痛かったのかも。

 だからなのか、あの時みたいに、すぐに意識が飛んでくれない。



 ––––––あ、なんか眠くなってきた。


 よかった。やっと死ねそう。

 正直、全身からの痛みから早く解放されたい。


 身体が冷えてきた。

 雨が当たってるはずなのに、その感覚がない。



 栖桃は、なんて思うかな。

 泣いてくれるのかな。怒ったりするのかな。


 でもきっと、あの子でもアタシの気持ちの全ては理解できない。


 友達なんて、そんなもんかもしれない……。


 友達なんて…………。


















「––––––アンタ、それでいいのかしら?」






 声が、聞こえた。


 妙に重たい瞼を開けると、真っ赤なコートの女性が、立っていた。


 交差点の真ん中なのに。


 危ないですよぉ……。



「アンタは、何もしないで死んでいいの?」



 また、同じ質問だ。


 そんなこと言われても……。



「アタシだったら、絶対に許さないけどね。死んでも復讐してやるって思うけどね」



 そんなこと、していいのかな。


 復讐、だなんて、そんなこと、していいのかな。



「……アタシは、アンタがこのまま死ぬなんて、オススメしないわよ」



 …………どうして、泣いてるの。


 死にそうなのはアタシなのに、どうして、泣いてるの。


 どうして、そんなに、優しくしてくれるの。




「––––––––––––あ、アタ、シ……や、やっぱ、り…………」



 声が、出ない。


 でも、やっぱり、アタシは……。



「わかったわ。を、アナタにあげる」




  ◆◆◆




 鏡に映ったのは、綺麗な黒髪ロングの女性だった。


 その背後には、金髪をボブカットで整えた女性がいる。


 仲が良いのだろうか、鏡に映る二人は楽しそうに会話している。


 背後にいた女性は、散髪用のハサミを取り出した。


 手前の女性の右手側に回り、漆黒の前髪を指でつまんで、




 開かれた片側の刃を、口内へと刺しこんだ。


 刃と刃が重なり、黒髪の女性の左頬から赤色が飛び出す。


 直後、視界がぐるんぐるんと揺れて、壁と天井が見えた。


 そこには、憤怒の表情で染まった、金髪の女性。


 血まみれになったハサミを逆手に持って、近づいて来る。


 のしかかられて、視界の全てが、怒る女性で埋まった。


 そして、ハサミの先が、刃の切っ先が、迫って来て––––––––––




  ◆◆◆




「––––––そして、殺されたのね?」


 えぇ、そうよ。

 大切な友達だったのにね。

 好きだった男子が、アタシに告白しようとして、あの子に相談したらしいの。


「それで恨まれて……なぁんだ、一緒じゃないの」


 うふふ、そうね。一緒だわ。

 アナタの方も、大変だったわね。

 正直、アタシの時よりしんどいと思うわよ。


「そうね。でも、なんだか気分が軽いわ。今なら何でも出来そう」


 そう、それはいいことだわ。

 だったら、何をしに行くのかしら?


「………………デート、かな」


 デート?

 もしかして、アタシと?


「そうよ。デートコースは、でどうかしら?」


 いいわよ。最高じゃない。

 なんだったら、手でも繋いであげようかしらね?

 きっと、勇気が出るわよ。


「ありがとう。じゃあ、行きましょうか」

「––––––ごめん、そうはさせない」





 あら……あの男子、アナタと同じ制服よ。

 知り合いかしら?

 アナタの最期の思い出には映ってなかったはずだけど。



「…………鮎川くん、何しに来たの?」

「そっちこそ、誰に何しに行くんだよ?」



 ––––––待って、人間じゃないものがたくさん集まって来てるわ。

 今のアナタなら見えると思うけど……あの男子、何者なの?



「やっぱり、君って変な人なんだね」

「…………気にしてるなら謝るって言ったじゃんか」



 これは、デートプランは変更かしらね?


「そうね……ゴミ拾いのまえに、ストレス発散でもしようかしら?」

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