第36話 東京編ー少年期ー 再会
東京は母文江の実家が板橋にあった。
その父は腕のいい大工で、関東大震災のときに愛知から上京して一旗上げた人だ。棟梁、美浜金次郎と言えば、界隈では名の通った請負師で、全盛の時には下職百人が動員できたと言う。博之の祖父に当たる。この頃は文江の末弟、金一に家業を任せ隠居の身になっていた。文江は長女だったがあまり親の喜ばない結婚をして高知に行った負い目が、やはり根強く残っていた。
池袋の妹の家に旅衣を脱いだ文江に、祖父は第一声で
「姉風吹かせるんじゃないぞ、」
と釘を刺した。彼女はもとよりそんなつもりも無いが、
「そんな事を言うくらいなら、何で帰ってくるなと言ってくれなかったの」
と、妹を泣いてなじったという。
ことほど左様に、身内といえども決して甘えは許されないものだ。と、博之も子どもながらに感ずるものがあって身構えていた。客として遇されたのは三日に満たなかった。
本家は美浜金一を代表とする会社の事務所と作業場と倉庫を持ち、物置の隅に
それより少し前、伯父の家の玄関奥の客間で伯父一家との対面の場があった。
主人は三十代になって数年の当主、美浜金一、大学で建築を学び三十歳を区切りに祖父の仕事を引き継ぎ、株式会社に組織換えして社長に納まっている。床の間を背に大ぶりの座卓に両肘を付いてやや猫背に座る。右は隣室との境で、ふすまの前に妻登紀子が乳飲み子を抱いて控えていた。その脇に五~六歳と見える女の子が立ち、ものめずらしそうに博之一家を観察していた。
「姉さん、とりあえず無事に帰ってこられてよかった。マア、特別なことは出来ないけど
と、気さくに声をかけた。脇で登紀子が首を振ってうなずく。
「親父とも話して、隠居所の向こうに一軒立てることになってるから、マアしばらくは不自由だろうけど辛抱してナ」
と、物置住まいのことをダメ押しした。
そこへ照雄が顔を出した。ニッカズボンにジャンバー姿で現場から帰ったところだと言う。照雄は一回り大きくなってたくましくなったと博之には見えた。
「照雄、元気そうネ」
「うん、まあ、」
丸三年を隔てた親子の再会は、あまりにもあっけなく見えた。
それは確かにあまりにもあっけなかったが、見交わす顔と顔、目と目には、到底第三者には計り得ない深い思いが稲妻のように交差していた。
「よく頑張ってくれたわね、」
思いの、ほんの少しの気持ちしか言葉に出来ないもどかしさ。
「ヒロ坊、元気だったか?」
と、照雄は博之にも声をかけた。
「うん!元気にしよった」
兄弟もまた交わす言葉をさがす。まるで外国人と会話するように、意味の伝わる言葉を探し回らなければならない。そんな気がして、誰もが寡黙になっていた。
照雄は中学三年生で、冬休みに入って毎日建築現場に出て働いているといった。あと三学期のみを残して、本職の大工になることは約束されている。そのことが照雄自身にとってどうであるかは、もはや考えてはならないことになっていた。小学校六年の三学期からそうした前提の元にここで養われた子であった。その子に他の選択肢は無いのだ。
照雄の部屋は台所の屋根裏に作られた六畳ほどの部屋で、階段はなく垂直にぶら下げたハシゴで上り下りしていた。天井は無く屋根の下地がそのまま見えて、博之でさえかがんで入るほど屋根がせまっていた。無論火の気は無い。冬は寒く夏は焼けた瓦のすぐ裏側に居るのだからどれほど熱いかは、博之にも容易に想像できた。
親子兄弟の交流はその日限りで封印された。修行中の身にはなまじの情が妨げになるといって、一切の口出しを禁じられた。無論照雄も、物置の片隅で暮らす母と弟を見てはならないと、例え見えても見てはならないと、それが明日のための肥やしだと教えられた。
正月はもうすぐそこに迫っていた。
次の朝、妙に騒がしい気配に博之が目を覚ますと母はすでに居らず、康郎と二人になっていた。表がざわついている。康郎を起こし服を着せ、自分もとりあえず寒くないだけの支度をして外に出た。
物置は全体で間口が五間(九メートル)もあり、その東壁に沿って門から母屋までの通路になっていた。門は、車が通れるほどの冠木門で脇にくぐりがある。門から母屋までは手入れの行き届いた植え込みの横を三十歩も行って玄関になっていた。
その門から左手、物置の北面全体が築山と池のある和風の庭園で、北西の隅にうず高くこの冬の雪がかき寄せられていた。
「博之!」と、母屋の前にある作業場からいきなり呼びつけられた。見るとそれは伯父金一の声だった。
「はい!」
と、作業場に近付くと、伯父が
「おい!早くこい」と
「お前ここで火の番をしてくれ」
と仕事を言いつけた。見ると、作業場には十数人の男たちがあわただしく立ち働いていたのだ。
材木を加工する場所を下小屋といった。十二月二十八日、そこに集まって立ち働く男たちは美浜建設の社員や弟子、近場のカシラ(とび職)や左官屋といった下職の人たちのようで、年末恒例の餅つきが始まっていたのだ。一応の神事が行われ、朝からお酒が振舞われて気分は高揚している。
今しも吹き上がった
博之は蒸篭を積み重ねたかまどの火の番を言いつけられて、火勢を落さないように気をつけながら、この餅つきの様子に見入っていた。
これはお祭りだ。正月の目出度い餅を作るのにはいかにもふさわしい。餅つきとはこういうものだったのか、と思う一方で、あの高知の長屋の餅つきを思い出していた。あれは闇の中で踊る黒い鬼たちだったような、その鬼たちは燃え盛る火を担いで闇の中へ消えていった、そんなイメージが、見つめるかまどの火の中に揺らめいて見え隠れした。遠ざかる炎のかすかな明かりの中に、菊枝が博之を見ている。目に涙が・・・。
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