第4話 柿
翌日のことです。お母さんは二人の子を残して出かけていきました。
これから、母子三人の生活を支えていかなければなりません。取り敢えずミシンを使えるように、分解掃除をしてくれる人を見つけようと思いました。それから、親しかった人の消息も出来るだけ知りたかったのです。
家の焼け跡まで行くと、まだどこからともなくたち昇る薄煙の中に、ボーとかすむような人影がありました。どうやら我が家を気にかけているようです。
(誰かしら?)
と、近付いてみると、
「まあ!中野さん!」
お母さんは、驚いて声を詰まらせました。
「アア!無事やったガですねエ。子どもさんたちは?」
と、相手もびっくりした様子で、
「無事でなによりでした。今、床下を掘ってあるきに、無事やったがや、と思いよったところでした。よかった、よかった!」
と、本当にそう思う顔で、手をとらんばかりに喜んでくれたのでした。
中野さんは、亡くなったお父ちゃんの後輩で、高知の東隣の町に住んでいて、元気な頃は、時々遊びに来てはお父ちゃんと楽しげにお酒を飲んで、泊まってかえるような方だったのです。役場の仕事をしていて、戦災の後始末に走り回っている途中、回ってくれたところで出会えたのでした。子どもたちも無事だというと、中野さんは
「それは良かった!」
といって、近くに置いてあった自転車で去って行きました。
お母さんは白い灰になった焼け跡を見回して、何も無くなってしまったことを見届けて、肩でひとつ大きな息をつきました。それからミシンを買ったお店を訪ねてみると、焼け跡に寄せ集めの材料で小さな小屋を建て、一人の男の人が働いています。声をかけると、顔見知りのご主人でした。事情を話すとすぐに来てくれることになりました。
ヒロ坊とお兄ちゃんは、お梅さんの庭で遊んで、お母さんの帰りを待っていました。その庭はとても広くて、二人で走り回ってもどこにいるか分からないほどで、いろいろな木が植えられていて、登ったりぶら下がったり、まるで小猿のように、飽きることを知りません。
そのうちお兄ちゃんが一本の柿の木を見つけました。
「ヒロ坊!チョッと、来てみいヤ」
呼ばれて見に行くと、お兄ちゃんの背丈の倍ほどの柿の木に実が沢山なっていたのです。まだ青い実ですが、もうゴムマリほどの大きさになっています。
「きっと甘柿だぞ!」
とお兄ちゃんは言いました。そして、ちょっと身をかがめて小声で
「取って食べようヤ」
と、ささやきました。お兄ちゃんが伸び上がって、ひとつの実をもぎ取りました。
その時です。
「コラー!」
と、大きな声が頭の上から落ちてきました。
お兄ちゃんとヒロ坊は縮みあがっておそるおそる振り返ると、お梅さんの旦那さんでした。
「こいつは渋うて食えんきねや、取ったらいかん!」
と言って、お兄ちゃんのもっている実を
「ほれ!食うてみい!」
と、口に押し付けました。お兄ちゃんは、仕方なくガブリとかじりました。やがて口中に汁がひろがり、
「ウエッ、渋い!」
と、渋い顔で吐きだしたのでした。
「どうなら!分かったか、そやき取ったらいかんぞ!おマンもよう味わっとき」
と言って、ヒロ坊にも舐めさせたのです。二人は渋柿の味をよーく味わいました。
帰ってきたお母さんは、お梅さんから事情を聞いて二人を呼び、
「二人とも、お父ちゃんの仏壇の前に座りなさい。」
と言って、板の間に正座させました。
「人様のものを取ってはいけないでしょう。お父ちゃんに、ちゃんと謝りなさい。」
と、二人に反省をさせたのでした。
馬小屋の隣の板の間は結構広く、お梅さんは
「遠慮のう使うてヤ!」
と言ってくれて、お母さんはしばらくお世話になることにしました。
焼け跡から掘り出してきた布や道具で、早速仕事をしようと、小さな看板をかけさせてもらったのです。
『よろず仕立物承ります』
ミシンはあの翌日、分解掃除に来てくれて、ようやく使えるようになりました。
板の間の窓辺に置いて、お母さんは元気に、はやり歌など口ずさんで明るくミシンを踏んでいると、ヒロ坊はその前で上下に動くミシンの棒につかまったりして遊んでいました。お兄ちゃんはこの村の子どもたちと同じ学校に通い始め、ヒロ坊は昼間はいつも一人で遊んでいたのです。
その秋口、ヒロ坊には分からなかったのですが、戦争は終わっていました。
ヒロ坊は色付きはじめた柿の実のことを気にしていました。お兄ちゃんと叱られた、あの木の他にも背の低い木があって、ちょうどヒロ坊の背の高さにいくつもの実がおいしそうに黄色くなっていたのです。
(あれはきっと甘柿だ)
と思っていたのです。それでも、あの日お父ちゃんに
「もう、取りません」
と誓いを立てたので、一生懸命誘惑と戦っていたのでした。
そんなある日、お母さんも出かけて一人で留守番をしていたのですが、母屋に行くと、お梅さんもおじさんも犬もいません。仕方なく戻ろうとした時、またアレが目にはいったのでした。ヒロ坊は庭の奥に、そうっと入って行きました。柿の木に近付いてあたりを見回しても誰もいません。ヒロ坊はとうとう我慢の紐をプッツリと切ってしまいました。
「まあ!文江さん、見てみなさいヤ!」
と言って、お梅さんが入ってきました。
小春日和の陽だまりで遊んでいたヒロ坊は、その様子を横目で見ながら子どもながらに、密かに覚悟を決めていました。
「まあ!」
と、お母さんが絶句する声が聞こえ、やがてお梅さんと二人の笑い声が聞こえてきたのです。そして、
「博之、ちょっと来なさい!」
と呼ばれたのです。
おずおずとやってきたヒロ坊には、当然その理由は分かっていました。
お梅さんがお母さんの前に置いた物は二つの柿の実です。きれいな黄色の丸々した実には、一口だけ、ガブリとかじり取った小さな口跡が、それぞれにあったのです。
「あのねえ・・・、ヒロ坊!あんたは!」
二人の大人は、次の言葉がありません。
「ぼく、取らなかった・・・」
と、ヒロ坊は半分泣きべそで言いました。柿の実は木に付いたままかじられていたのを、お梅さんが見つけて持ってきたのです。
「これはヒロ坊に、留守番のおだちんに上げるわネ!」
と言ってお梅さんは帰りました。柿はやっぱり甘柿で、とても甘く大きくなっていたのです。
その日、ヒロ坊は仏壇の前に座らずに済みましたが、
「お兄ちゃんには、かじったことは内緒だよ」
と、硬く口止めされたのでした。
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