第29話 かつてありし日々
酒場で話を聞いた後は、すぐに遺構に出発する。その手筈だった。だが、おれは一人村をふらふらと歩いていた。レナルドに、スウリが外に出ているから、ついでに探してやってくれと言われていたが、彼女の気配はどこにもなかった。
逃げる? そういう奴でもなかったように思うが、何にせよ今逃げたいのは自分だった。戦いそのものからではない、やたらとのしかかってくる事実からだ。
広場を通って、多少の店が並ぶ通りを抜け、中心部から遠ざかる。やがて風向きが変わり、凝った臭いが少しずつ運ばれてくるようになった。沼の臭いだ。
少し飲んでいたおれは、万が一にも水辺で足を踏み外さないよう気を払いながら近づく。近くには古く、ほぼ朽ちた小屋があった。イヴーリオのかつての住処だ。そして。
「……ルー?」
人影が振り返る。スウリが小屋の前に立っていたのだ。頭巾を被った姿は、遠くからはまるで幽霊か何かのように見えた。
「何やってるんだ、一人で出歩いて良かったのか?」
「見られはするけど、特に何も言われないから平気。良いとこね。……イヴーリオが、前は沼沿いに住んでたって聞いたことがあったの」
酷い臭いだったって言うから、こっちかなって。小屋を興味深そうに見る。屋根は蔦だらけだし、壁も朽ちかけて草に埋もれている。ただ、扉はこじ開けられ、誰かがここに入ったのだろうことが伺われた。
「イヴーリオとは、どこでどう知り合ったんだ?」
「この近くの森。一人でいて、道に迷ってたら、助けてくれた。お礼に魔除けの歌を歌ったら、私みたいな子を探してたって言って、そのまま一緒に旅に出てくれたの」
苦い顔をする。スウリのような子とは容姿と歌の才能という意味でしかなかったのだから。
「最初は何かと思ったけど、お兄さんかお父さんがいたら、こんな風かなって。遺構の話も、私より詳しかった」
「おれも、兄貴みたいな感じだと思ってたな」
結局、おれは捨てられ、スウリも利用されて見限られ、あいつは……。
「あいつは結局、誰をどういう形で魔王にしようとしてるんだろうな。元の話に近い方が良かったんだっけ?」
「違いが少ない方が、魔法が遺構に与える負担が少ない。魔王が犬でしたって言われたら、さすがに疑問に思うでしょう。その疑問を捻じ曲げる力は、少ない方が良い」
「今、遺構は限界なんだったな。それでその……」
「そう。私が一番最初の魔王に似ていた。だから、選ばれた」
おれは少し頭を悩ませ、そして思い切って言った。
「どうやら、その前に魔王にされそうだったのは、おれらしい」
スウリは目を瞬かせる。
「……そうか。子供の頃からいたなら、確かに」
「紙一重だったんだと思うよ。俺の立場は。だから、おれがまた魔王にされることもあり得る」
スウリは何も言わず、崩れた扉を潜って小屋へと踏み込んだ。おれも続く。中は……酷いものだ。埃と湿気にまみれ、ほとんどのものがだめになっている。
ことに、棚の上の方に置かれたいくつもの書物らしきものがほぼ黴に侵されてしまっていた。自分でやったのだろう荒い製本だが、金持ちの学生の蔵書くらいある。場合によってはレナルドなど興味を持つかも知れなかったのだが。
けほ、とスウリが咳をした。ロッテをこんなところに連れてきたら、熱でも出しかねない。そこまで思って少しおかしくなった。これから遺構に行くと言うのにだ。
「これ、何て書いてあるの」
文字があまり読めないらしい彼女は、素直に俺に黴だらけの本を差し出してきた。
「……日記?」
おれも得意ではないが、当のイヴーリオに習った記憶はある。ゆっくりとならば、イヴーリオが魔王を用意し、勇者を用意し、そうして退治に至るまでの簡単な日記の一部を読み取ることができた。日付は……今から百五十年前。
「二番目の勇者だ」
「こっちは、三番目?」
おおよそが駄目になっているとはいえ、年代を推し量る程度はなんとかできた。長い長い年月。苦労をしながら配役を探し、失敗をし、取り返し、土地を守り……。
『見つけた』と最後に書かれて、書物は終わっていた。誰を? スウリだ。
「これ、最初の冒険の話は書いていないの?」
日記か、と探すと、ふと埃まみれの机が目に入った。そこにはやはり、一冊の薄い書物が置いてある。
中の羊皮紙はかなり古いが、他のものよりもずっと綺麗に残っている。表紙もなめされた革でできていて、特別に大切なものだとわかった。中には、手紙らしきものも挟まれている。羊皮紙で残すほどだ。よほど重要だったのだろう。
ふと気づいた。上等な表紙には机の表面と違って、埃の跡がほぼない。後からここに置かれたのだ。それも、つい先ごろ。
「イヴーリオが、ここに置いたの?」
「そうかもしれん」
めくる。始めの頁にはこんな走り書きがあった。
エルデ、フラン、そしてイヴーリオに。
先にわかったことから言う。これは、一番最初の勇者と魔王と語り部の物語だった。
▪️ ▪️ ▪️ ▪️
昔、遠い昔、まだこの地が今ほど静かでなかった頃。どこかの街に、エルデとフランとイヴーリオという名の子供たちがいた。
彼らは少しずつ弱いところがあり、だからこそ出会い、仲を深めていたようだった。
エルデは貧しい家の出で、喧嘩は強いが学がなかった。フランは魔の者と呼ばれる、歌が得意だが隔てられた人々の集落にいた。イヴーリオは、家こそ恵まれていたものの、顔に大きな傷を受け、それをずっと気に病んでいた。名前や書きぶりから、フランは少女だったのだろう。
たまたま彼らは巡り合い、一緒に遭遇した獣から逃げて、そうして親しくなった。彼らの間には互いを分け隔てる気持ちなどなかったように見える。そのまま彼らは少年の年まで仲良く育った。
世界には瘴気が漂い、空気を、土地を蝕んでいた。魔物のような目に見える脅威はなかったが、暗く、重苦しい時代だった。
無邪気な彼らは、いつかこの重たくのしかかる霧を払って見せるのだと、笑って約束をした。
しかし、住んでいた街では魔の者と表の人間との間で何度もいざこざが起きていた。やがて小競り合いが起き、人に被害が出、均衡が崩れ、大規模な迫害になるまで時間はかからなかった。
フランは、二人に『また必ず会おう』と言い残して街を去る。二人はそれを見送り、やがてそれぞれの得意なものを活かすようになった。剣と歌だ。エルデは主に旅の者の護衛を行い、イヴーリオは家の商売を手伝う傍ら酒場で楽を奏でた。
フランを失ったことを除けば、穏やかな日々が続いた。
やがてイヴーリオの元に、一通の手紙が届く。そこにはこう記されていた。
『約束を守れそうだ。あなたに手伝ってほしい』
そこには歪みと称される建物の位置が記されていた。少しずつ、少しずつ魔の者が築き上げた瘴気を吸い上げるためのもの。それが環状に土地を囲んでいる。
『このままでは、土地の瘴気を吸って、代わりに魔物を生み出すだけ。だから、わたしがもっと強力な魔法をかける』
世の中に、魔物が生まれた。魔物は歪みから解き放たれると、人を襲い、害した。その動きは魔の者たちの復讐であったのかもしれない。また別の理由があったのかもしれない。今となっては、わからない。
『ただ、この魔法には命が必要になる。物語が必要になる。私が命を渡す。あなたが物語を作ってほしい』
魔物を退治する人間があちこちに現れ、やがてその統括をする人物が明らかになる。魔王、とその者は名乗った。魔王フラン、と。
『歪みの中では、歌が全てを支配する。あなたなら存分に操れるはず。そうして、エルデを連れてきてほしい。わたしは』
エルデとイヴーリオは各地の歪みを周り、力をつけ、ついに領主から正式に魔王討伐の依頼をされるに至った。そうして、北東の山脈の半ばにある、一際強い力を放つ歪みの中で、彼らは対峙した。
『わたしはどうせなら、エルデの手にかかって、死にたい』
後は、きっとグログウジュの語った通りなのだろう。何も知らないエルデはフランに止めを刺した。その命を吸って、魔法は動き始める。イヴーリオは……イヴーリオは、どのようにして、魔法に絡め取られたのだろうか。この時だろうか。日記には、記されていない。ただ。
『私は成し遂げた』
『だが』
『同時に彼らの名を奪ってしまった』
それだけ、記されていた。
▪️ ▪️ ▪️ ▪️
おれが途切れ途切れに読み上げた日記に、スウリは目を伏せた。
「幼馴染」
「……何だこの話は」
魔王と勇者に何か繋がりがある話は聞いていた。だが、こんなのはあんまり酷い。
「何も知りもしないで人を殺めただなんて」
「何も知らせないで勝手に殺せだなんてな」
声が重なった。少しばつの悪い思いをしながら、おれたちは視線を逸らす。立場により、見方は変わる。では、語り部の立場は。
全てを知って、全てを動かし、全てを見ていた語り部。幼馴染同士が殺し合うのを止めもせずに、歌まで語り残して。
「名を奪ったって何だろうな。魔法のことは、おれは何もわからない」
「要するに、魔法には儀式が必要だから。生贄の魔王が倒れて、これで一度目の魔法は担保される。魔王フランが意図したのはきっと、ここまで。でも、その儀式を記録として繰り返し演じさせることで同様の効果が生まれるようにしたのは、イヴーリオで。繰り返し演じやすくするためにあえて名を削り」
「待て、何も要してないし何もわからん」
スウリは頭を抱えるようにしてうんと考えているようだった。幼子にも噛み砕けるくらいに柔らかくしてもらえると助かるのだが。
「『わたしたちの話』を奏でたのがフラン。それを『誰でもできる話』に書き換えたのがイヴーリオ」
何もわからず主演を演じたのがエルデ、か。あれだけ知られた歌の主役なのに、おれは確かに一度も名前を聞いたことがなかった。他にいた、数々の勇者と同じように。
「つまり、魔法の効果を長引かせるようにしたのがイヴーリオ?」
「そういうこと。元から知識を継いでいる魔の者でもないのに、ここまでのことができるなんて。凄いと思う」
実際、犠牲を礎に彼はずっとこの土地を……幼馴染がかけた魔法を守ってきたのだ。それ自体が間違っているのかどうかは、おれには判断がつかなかった。最初の魔王の魔法もだ。
おれは、やはり何も知らなかった男のことを思う。エルデ。幼馴染が強大な悪事に手を染めたままだと思い込んで、勇者の名を得て、姫と城とを手に入れ……そして、その後に起きたのだろう、魔の者たちの排斥と虐殺を止められなかったのだろう、無力な領主。
それだけだったのだろうか。本当に? そうでないことを祈る。
勇者は勇気ある者。その勇気は、何か美しく正しいもののために使われていてほしいと、おれの中の小さな子供の頃のおれが、イヴーリオの歌を無邪気に聞いていた頃のおれが、そう願っていたから、信じていたからだ。
「魔王だの勇者だの、誰がこれって型を用意されて。嫌になるよな」
「……そうね」
銀髪の少女、おれよりもさらに魔王に近かったはずの娘は瞬きをした。
「私、全部知るまでは、少しだけ魔王も嬉しかった」
「おれだって、子供の頃は憧れてたんだ。勇者の剣」
腰に下げた
「こんなに強い魔法を作ってのけた、遺構と魔物を操る人。そこは、格好良いと思ってる」
「……そうだな。凄いものなんだな、魔の者の力ってのは」
そう。私が知っているのは断片だけれど、皆本当に凄かったの。口を歪めるようにして、少女は笑った。きっと、笑顔自体に慣れていないのだろう。
「そういう凄いかもしれん奴を、言われるままに殺されるのも、殺すのも、ごめんだ」
「うん」
「おれは誰かにこれをやれって言われて役割を果たすんじゃなく……おれとして、ここに来た。おれとして、戦う」
「きっとそれ、誰かをただ倒すだけより、難しいよ」
わかっている。やり方も、よくわからない。魔法に関してはスウリが頼りだ。
おれは、魔王を殺すためだけの剣にはなりたくない。そんな勇者は願い下げだ。もちろん、倒されるだけの魔王だってまっぴらだ。
でも、何かを本当に成し遂げて、本当に語られるだけの誇りを得た人間。真に言葉通りのもの、すなわち勇気ある者。それになら、いつだってなりたかったんだ。
「果たすさ。勇者がここにいるんだから」
レナルド、おれの歌を歌え。
おれは正しく勇者ルーでありたいのだから。
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