勇者語り部物語

佐々木匙

旅立ちの歌

第1話 語り部と勇者

「では、ルー・カミュア。顔を上げよ」


 低く重々しいその声に、おれはゆっくりと……出来る限り恭しく素直に見えるよう心掛けて視線を上げようとした。領主のありがたい話の間ずっと、借りた服の膝をついて床ばかり見ていたのだ。重厚な石造りの広間をようやく目に入れかけて、思うのはこればかりだった。


 やっとここまで来たな、と。


 この長い長い儀式のことでもあるし、その前から繋がる、やれ手続きだやれ信用問題だのの話でもある。何せ、元は姓もないただの窪地の村のルー、黒髪のルーであったので、書類上での親まで作る羽目になったのだ。珍しい話ではないらしいが。


 そんなおれのような食い詰め者が、不安定で頼りなく、それでも自由であった魔物狩りのごろつきの身から、窮屈な首輪をつけて勇者様だなんて名乗る羽目になったのには、幾つかの理由がある。ひとつは食い扶持のためだが……。


 ぐいと顔を上げる。視界に、格子造りの窓からの光が差し込む。ひとつは、拝んでみたかったからだ。こんな仕組みを作っている上の人間とやらが、どういう相手なのかということを。


 目の前、腰が冷えそうな石の玉座に腰掛けているのは痩せた壮年の男で、おれが知る同年輩の男よりはよほど肌艶が良いが、その癖動きはぎこちなく、節々が痛んでいそうな様子だった。中規模の都市エニモールを中心にしたこの一帯を治める領主、ドラシアン卿で、道楽に金を使える程度には富んでいるらしい。その印象から想像していた顔よりは、一回り二回りほど小さな姿だった。


 まあ、それはどうでもいい。


 その横に、一輪の花が咲いていた。そちらの方におれの目は吸い寄せられていたからだ。


 花は、人の形にも咲くらしい。どこが花弁でどこが葉かは知らない。昔話の、金の糸でできた鬘みたいにきらきらと光る長い髪は、まるでもつれることを知らないように艶やかだった。その下には少し白すぎる顔があって、僅かに疲労の影が差していた。


 領主の娘――シャルロッテ姫だったか、は病弱と聞いている。立ち通しが辛かったのかもしれない。それでも、青い目は場への興味を失っていないようで、星のような光を宿していた。


 やめろよ、と思う。おれは語り部ではないんだぞ、こんな……こんな修辞なんぞが似合う型ではない。いちいち唇がどう、指がどうなんて言うのは専門家に任せたい。ともかく、目が覚めるような青い服を纏った、金色の髪に青い目をした、驚くほどに整った顔立ちの娘がそこに立っていたのだ。


「カミュア様」


 その瞬間、まるで馴染みのなかった姓が確かにおれのものになった。


「どうぞ、ご活躍をお祈り申し上げます。そうして、私の元にそのお話をお持ち帰り下さいませ」


 貴族の道楽だ。病弱で街の外に出ることの難しい娘を案じた父が、あちこちで腕自慢をしていた遍歴騎士、自警団、探検家、果てはおれみたいないい加減な出の人間にまで声をかけ、勇者として雇い上げる。そうして彼らのうち死ななかった者は持ち帰る。魔物退治の手柄と、その物語を。


 その物語を――おこぼれとして外で語ることは許されているものの、一番最初に一番上質な物語を特等席で啜るのが、この娘だ。


 絶対に碌な人間ではないと思っていたし、今もそう思っている、が、あまりに見目が美しすぎて、俺は殴られたような気分で再度視線を下げていた。はた目からは大人しく頷いてでもいるように見えたろう。


「うん。励むが良い、新たなる勇者よ」


 おれはこの呼称が嫌いなのだが、それすらもうどうでもいいような気分になっていた。もう少しシャルロッテ姫の方の声が聞ければいいのだが。


「では、かの勇者の隣で物語を紡ぐ語り部をこれに」


 はっ、としゃちほこ張った返事を返し、衛士が奥の部屋へと入っていく。これだ、と思った。おれが勇者になった理由の残りは、これだ。


 物語を語ると言っても、それは一つの資質であって、おれのような舌のよく回らない人間には大した法螺の一つも吹けない。事実を淡々と並べたと言えど、そうそう興の乗るような展開にもなるまい。ただの武勇伝を勇者の物語に組み直す、語り部が必要だった。


 退屈したお姫様の興味を湧き起こし、耳の肥えた貴族たちが感嘆をこぼすような、そんな物語に。宮廷詩人や吟遊詩人や放浪学生、巡礼、あちこちの村で物語を語り継いでいた者たち、そういう人間がここに名乗りを上げたというわけだ。


 顔をまた上げると、シャルロッテ姫が何とも言えない笑顔を浮かべていたので、もうどこを見ていればいいのか全くわからなくなってしまった。


 おれは海を知らない。遠い場所ではないが、行く機会も旅費もなかった。見渡す限り青い水のあるところなのだという。何かの間違いで見ることがあるまで、おれは彼女の目の色をその青で想像していようと思った。


 奥で少し声がして、領主が少々不審そうな顔でそちらを見る。何か問題でもあったろうか。再び静まって、やがて軽い足音が近づき、やがて広間に人影が入ってきた。


 先に姫の方を見てしまったせいか、ごく普通の人間だな、という印象がどうしても拭えなかった。背はそう高くない。むしろまだ若い、少年と言っても通るくらいだろうか。少々派手な色合いの服装が宮廷勤めの詩人らしく、細い体にはあまり似合ってはいなかった。長い髪やすっきりとした目の色彩は薄いが、金細工というよりは秋の麦畑のような色合いだった。


「レナルドと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 おれよりはこういった場に慣れているのだろう。はきはきと物を言う様は好ましかった。これから同行することになるのだから、できれば良いところを見ていきたい。


「そなたらは二人手を組み、各地での冒険に向かうが良い。勿論、他の者の手助けを頼んでも良いが、その都度報告を行うこと。そして、定期的にこの地に立ち戻り、そなたらの行いの歌を聞かせること。良いな」

「はい」


 ようやくこの広間で声を出せたような気がする。不安はいくらでもあったが、おれはおれの決断におれ自身で『はい』と告げなければいけないと、そう思った。


 横でも声がした。この若い語り部のことは何も知らない。だが、似たような気持ちでいてくれるならおれも――おれの中のあいつらも救われるのだが、とそう願いながらもう一度目を伏せた。


「どうぞ、ご無事で。お命に代わるものは、何もないのですから」


 声のことを忘れていた。姫の声は、小鳥の歌声によく似ていた。


▪️ ▪️ ▪️ ▪️


「しかし」


 一連の儀式を終えて通された小部屋で、レナルドと名乗った語り部は木の椅子に寄り掛かりこう言った。


「お一人なんですね。ずいぶん勇気があるなあと思いました」


 おれは軽く眉を上げてそれに応える。


「普通は団体か?」

「まあ、二人から四人かな。それ以上だと喧嘩別れも多くなりますしね」


 でもまあ、一人なら一人のやり方もあるし、とレナルドは派手な上着の首元を軽く緩めた。


「慣れてるのか? あんたは、語り部」

「まだ三回目ですよ。でも、宮廷にはいましたからよく話は聞いたし、前の人たちともつつがなく過ごして、向こうは無事に引退してますから。安心して」


 少なくとも、感じの悪い人間ではなさそうだった。おれの方がよほど不躾に物を尋ねた気がする。だが、逆にどこか感覚に引っかかるところがある。愛想が良すぎるのかもしれない。


「まあ、あれですよね。勇気があるから勇者なんだし。いっそ派手に歌えますよ」

「それがどうもおかしいと思うんだが」


 おれは常々思っていたことをぶつけてみることにした。


「おかしい?」

「おれは、まだ勇気を見せるようなことは何もしてない。手柄を立ててからだろう、勇者と呼ばれるべきなのは」


 そうだ。だからおれはこの呼称がどうもむずがゆく、嫌いだったのだ。語り部は、くっと何かを喉に詰まらせたような声を出して笑った。


「ははは、いやいやいや。その通り。本質を突く人ですね。それ卿の前でも言ってみればよかったのに」

「言えるわけがないだろう。こっちが媚びを売る側だぞ」

「媚びを売るつもりはあるんだ。まあまあ、わかってるでしょうけど、僕ら働きをお金に換えていかなきゃならないんだから。ややこしいことは考えない方が楽です」


 軽い奴だな、と思った。まだ好悪を判断するのは少し早い気がする。この軽さが役に立つこともあるだろう。きっと。


「それについてなんですけど、ちょっと先に話しておかないとならないことがあるんですよねえ。さっきも衛士さんに話したんだけど、連れてかれちまって」


 ふと、レナルドはまだ少年じみた顔をほんの少し曇らせる。これまでにないことではあったので、おれは軽く身構えた。おれに事情があるのと同じく、彼にも悩みやら問題やらがあろう。別にやたらに寄り添うつもりはないが、先に話しておきたいというのは悪いことではない。


「僕ね、今作れないんですよ」

「何?」


 レナルドは手持無沙汰でもあるように指先をつつき合わせた。


「いやね、さっき先達が円満に引退されたって言ったでしょう。あれで一度大団円をぱあっと歌っちまったんですね。それで……なんというか、終わっちゃった、感じがして」


 今作れないんですよ。そう繰り返した。


「おい、それは……困るぞ。おれの話はどうなるんだ」

「いや、だからね。もう一度旅にでも出ればまた良くなるだろうってのが上の見解で……抵抗したんですよお」

「おれは」


 つまりおれは、とんでもない悪手を引かされた、ということになる。


「おれは、おれを物語にしてもらいたくて、勇者になったんだぞ!?」


 最後の理由をぶちまけながら、おれはずっと耐えてきた不安が心の表側を洪水のように沈めていくのを感じた。それはもう不安とは言わない、絶望という名の感情だ。語られなければ、おれは本当の意味では勇者にはなれない。


「まあ、なんとかなりますって。大丈夫大丈夫」

「……この状況を歌にするなら、どうなる」


 ええっ、無理って言ったじゃないですか。レナルドは心底困った表情をして、ぽつりと呟いた。


「立ち込める暗雲、比類なき難問、勇者の苦難は常にその旅の前より始まる」


 リュートを弾く手つきで、いかにも拙いものを作ったなという顔をしている。


「常に?」

「まあ、今回は特にということで。シャルロッテ姫の青い目に免じて許してもらえませんかね……」

「なっ」


 何を言うんだ、と言いかける前に、レナルドは目を細める。


「あの方、大抵の勇者さんたちのお姫様ですからね。昔から歌にもなってるし……。ま、心配せず崇めてていいと思いますよ。見てたでしょ?」


 じゃ、よろしくお願いします。語り部は頭を下げる。


 勇者は、おれは……。


 明日、いや今日にでも組み分けを変えてもらえないか、頼みに走ることを考えていた。

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