第8話 ダンジョン離乳食

ダンジョンの米(略してダンマイ)を使って、初めての離乳食を作ることになった。

ダン米は既に脱穀や精米の工程を終えており、鍋に水を入れて、炊くだけで食べられる状態だったがしかし、その肝心の飲み水はここにはない。

そこで、炊飯に使う水の代わりに、ブラックホーンの乳を使うことにした。水はあとでダンジョンを探して見つけるとして、今は試してみたいことがあった。

ブラックホーンの乳に含まれる「マモノ酸」と、ダン米に含まれる「ライゲキ酸」が合わさると、果たしてどんな味に変化するのだろうか。生前、ネットで『牛乳で米を炊くとリゾット風になる』という情報を見たことがある。真偽は不明だが、今は試してみるしかないだろう。


まずダンマイを小鍋に入れ、そしてブラックホーンのお乳を鍋に注入する。ブラックホーンの乳は、言ってしまえば濃厚な牛乳と代わりがないので、上手くいけばミルクリゾットのようになるはずだ。

そして、問題は炊飯に使う火をどうするかだが、これは俺の新スキルが役に立つかもしれない。

そこで母ドラにもう一度、例の火炎放射をお願いしてもらう。


「ママ、これあたためて」

「ん? 坊や、どういうこと?」


どうやら上手く伝わらなかったようだ。まぁ、言葉を覚えたてなので上手く伝わらなくても、仕方がない。


「この食べ物、火が必要……温めないと食べられない……」


するとブラックホーンが、まるで俺の意思を汲み取ったようにそう説明してくれた。気のせいだと思っていたが、もしかしたら、本当に彼女は俺の考えが読めているのかもしれない。


「獣に命令されるのはしゃくだけど、坊やが望んでいるなら仕方がないわね。わかったわ。火を吹くから坊やは下がっていなさい。」

「あい!」


ピシッと敬礼のように頭の上で手を挙げる。解脱のおかげで火炎耐性があるから大丈夫だとは思うが、念の為、彼女の言葉に従った。

そして俺が安全な位置まで離れるのを確認すると、母ドラは大きく胸を膨らませて、再び口から青い炎を吹いた。

その瞬間、光の文字が視界に現れる。


『熱源を感知しました。

飲食スキル 「火力調整」を使いますか?』


答えは「Yes」だ。


『飲食スキル「火力調整」を発動しました。

熱源の温度を超弱、弱、中、強に調整できます。』


米をたく時は必ず、中火からだ。火力を一気に強めてたくと、米がボソボソしてしまうし、弱すぎると今度は柔らかくなる。シャリを炊く時は微妙な火加減、湿度や気温、お酢との加減を考えながら火加減を体で覚えておく必要がある。

しかし、今は酢飯を作るわけではないので、今回はご飯を焦がさないことを意識しながら、火加減を調整していけばいい。言ってしまえば、ミルクが吹き出さないように火を見ていればいいのだ。

すると火の粉が迸るほど強烈な母ドラの火炎は、徐々に火力が落ちていき、いわゆる「中火」くらいの加減に変わった。


「あら!? 何故かしら、炎が弱くなってきたわ!?」


これには炎を放射している、母ドラもびっくりだった。火力調整というスキルは、文字通り炎の加減を、ガスコンロのように自在に調整する能力だった。

まさか、ドラゴンのブレスまで弱火にできるとは思いもしなかった。


もしかしてダンジョンの料理長になれるんじゃないか?


「トカゲ、お前の火、天井に向けても意味がない。鍋に当ててて……」


ブラックホーンが遠くから母ドラに口うるさく指示を出していた。


「トカゲですって!? この私を誰だと思ってるの? ダンジョンの最強ドラゴンよ!」

「最強のくせに、炎を弱火にされてるけど……」

「うっ……こ、これはリュシアのためであって、決して私が弱いわけじゃないわ!」


ブラックホーンの余計な一言で、母ドラの怒りがまた沸点に達する。すると、せっかく制御していた炎が再び激しさを増していく。


ちょっと!!

2人ともお願いだから喧嘩しないで!!

炎の調整が難しくなるから!


母ドラ達を諌めながら俺は母ドラに念をかけるように、彼女の興奮を宥めるように彼女の鱗にそっと手をかざす。

すると、俺の手から蛍火のような淡い光がぼんやりと浮かび上がる。それは、不思議と優しい温かみを感じ、穏やかで落ち着いていて、まるで母ドラの眼差しのようだった。


これが母ドラの炎……


火炎が落ち着きを取り戻してきたのを感じ取り、俺は再び「火力調整」に集中した。

そのおかげか、初めは中火、そして弱火、とろ火(超弱火)という段階で火加減を変えられるようになり、水分が蒸発するまで彼女の炎を制御できた。

そして、ついに水蒸気と共にミルクのほんのりと甘い香りが鼻腔を掠めた。原乳のときは、ほとんど味や香りがなかったが、米と合わせると風味がたつらしい。

またブラックホーンの乳で炊いた米は、乳臭さのようなものはなく、穀物の甘い香りと相まって、洋菓子のような豊かな香りに変化して、なかなか美味しそうだった。


よし、お米がふっくらして来た!


ダン米は、ふっくらと艶やかに炊きあがり、ほのかに甘い香りを漂わせていた。湯気が立ち上り、白米の粒がきらきらと光る。


できたぞ!!


ダンジョン産の米をブラックホーンの乳で炊いた米だから、「ダンジョンのミルクリゾット」なんて言う名前はどうだろうか。思いの外上手くできていたので、見れば見るほど美味しそうに見えて、口元からよだれが垂れてしまう。


「ダメ……火かけたばかり、まだ熱い。

わたし、冷ます。」


空腹に逆らえず、鍋のご飯に駆け込もうとした俺をブラックホーンが身体を抱えて制止させる。火炎耐性があるので熱いままでも、やけどはしないのだが。

ブラックホーンは俺にお節介を焼く頻度が増えた気がする。母ドラのように俺と一緒にいるうちに、母親役がしっかり板についてしまっていた。

彼女は、どこからともなく木製のスプーンを取り出し、器用に使って鍋からご飯を掬い、熱々のご飯を彼女が、まず試食する。


「大丈夫……」


食べても害はないか、どうかを確認していたようだ。その心遣いに、彼女の優しさが伝わる。

続いて、彼女はもう一杯ご飯をすくう。息を吹いて冷まし、俺の口に運ぼうとする。


まさかこれって……


「あーん。」


ブラックホーンの『あーん』を避ける術はなく、赤ん坊の俺には逆らえない運命らしい。


うぅ……赤ん坊だから仕方がない、仕方がないんだ。


でも、心のどこかで泣いてる俺がいる。シチュエーションは黒歴史に残る強烈な瞬間だったが、味はなかなか美味かった。栗のようにほんのり甘く、口の中に甘みが広がって、糖分で頭がスッキリしていく。


あぁ、これ……釈迦がくれたものとそっくりだ……


あのときの温かさが、口の中に広がる。釈迦が楽園で食べさせてくれたかゆはハチミツとミルクを混ぜた、スジャータだった。ブラックホーンの乳とダン米で作った粥も、それに近い甘みとコクの強い味わいだった。


ふぅ……


そうして、ダンジョン離乳食に身も心もほっとしていた。するとそのとき、またしても例の光の文字が漫画の吹き出しのように視界に勢いよく浮かび上がり、スキルは食事中だろうが関係なく現れる。


『マモノ酸とライゲキ酸が結合しました……』


きたきた! これを待っていたんだ!


特定のうま味物質は、組み合わさるとさらなる味に進化する。異世界のうま味物質は、調理を経て、果たしてどんなものになるのだろうか、期待に胸を膨らませながら、スキルの判定結果をじっと待つ。

しかし、俺の予想とはかけ離れた結果が表れた。


『ライゲキ酸とマモノ酸が結合し、

「魔力」が正常化、加えてパシパエには「雷属性」を付与しました。』


ま、魔力!? 雷属性!?

それにパシパエって……誰!?


変化した味の詳細が、分かると信じ込んでいた。しかし、期待とは全く違う結果に俺は目を見開いた。


「万能の舌」は、味の変化を分析してくれるわけではないのか?


だが、そうだとしたら、この「魔力」と「雷属性」というのは何だろうか。何かしらの力を与えることはわかるのだが、それがどんな結果を生むかまで、は想像できなかった。

首を傾げて悩んでいると、再び光の文字が唐突に切り替わる。


今度はなんなんだ?


目まぐるしい情報の嵐に、俺は少し辟易へきえきとしながらも、表示内容をそっと見た。


『洗礼(スジャータ)を与えたことにより、リシュアは「釈迦の慈愛」から「菩薩ぼさつ」へと昇華しました。』


……え、ちょっと待て! 菩薩ぼさつ!?


菩薩は、悟りを開く前の修行僧のこと。俺は悟りなんて求めていないし、修行だってしていない。


ただ、ご飯を食べていただけだぞ!?

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