第6話 乳離れ
異世界に転生してから最初に口にした食材は、ミルクだった。いや、正確にはブラックホーンという牛のような怪物の乳だった。その乳は、ただのミルクとは比べ物にならないほど栄養価が高く、俺はそれだけで成長を続けていた。それはまるで、命の源を一口一口飲み込んでいるかのようだった。
ある日、母ドラが俺に向かって歓声を上げた。
「まぁ、凄いわリュシア!
もう立てるようになったのね!」
彼女は、まるで洞窟の岩壁が割れるほどに暴れ狂ったまさにその勢いで、喜びを爆発させていた。牛の乳の力を借りて、俺はとうとうハイハイから一人で歩けるようになったのだ。
ブラックホーンは、三日三晩、どこからともなく現れては、乳を分けてくれた。俺が満足するまでずっとそばにいて、腹が満たされるとまた消えてしまうという、サイクルを繰り返していた。
普通、人間の赤子が歩けるようになるには約1年半かかると言われているが、俺はその半分の時間で歩けるようになった。
ブラックホーン、本当にありがとう。
おかげで、俺は元気でいられる。
そしてそんな俺には、新たなスキルが発現していた。
『釈迦スキル「口業(くごう)」を獲得しました。
「口業」により、対象者との会話が可能となりました。』
そう、ついに俺は言葉を話せるようになったのだ!
「ママ!」
「そうよ! 私がママよ!」
母ドラは目を輝かせ、感激のあまり、顔をほころばせた。初めて「母親」と呼ばれたことに、彼女は深い喜びを感じていた。
「ママ! ママ!」
「そうよ、そうよ!
坊や、今度は「ママ好き」って言ってみて!」
「ママ、すき?」
「まぁ! 偉いわ!!リュシアは天才よ!」
言葉を発するのはまだぎこちなかったが、それでも母ドラは心から嬉しそうにしていた。そんな彼女を前に俺まで胸が高鳴る。だけど、俺はそろそろ言わなきゃいけないことがあった。
「ママ!」
「なぁに?」
甘く優しい声で母ドラが答える。その声に包まれ、俺はちょっと照れくさい気持ちになったが、どうしても言わなければならなかった。
「お腹がすいたのね?わかったわ、今ミルクを持ってくるから。」
母ドラが嬉しそうに言って、洞窟の奥へ向かおうとするその背中を、俺は慌てて引き止めた。
「ママ、やだ!」
「やだ?」
母ドラが振り返ると、ちょっと困った表情を浮かべていた。どうやら、俺は「イヤイヤ期」に入ったようだった。
「チチいや!」
母ドラは目を見開き、少し戸惑う。
「お乳がいやなの? どうしましょうね……ここにはお乳か、私のお肉しかないわ。」
いや、さすがに母親の肉を食べるわけにはいかないだろう。
「にく、いや!」
即座に答えると、突然、洞窟の入り口に現れる影があった。
「チチじゃない。私、知ってる……」
現れたのは、ブラックホーンだった。俺の乳母代わりとしてずっと世話してくれていた存在だ。
「あなた、何か知ってるの?」
母ドラはやや不機嫌そうに、ブラックホーンに詰め寄る最近、母ドラはブラックホーンに嫉妬しているようだった。自分では乳を与えられないから、仕方がないことかもしれない。
「これ、人間食べられる。」
ブラックホーンは、手というか
「何それ?」
母ドラが警戒しながら尋ねるが、俺の目はその「何か」に釘付けだった。黄金色に輝く粒。それが、俺の目にはまるで宝石のように見えた。
「うわっ……」
俺は、思わずそれを引ったくるように掴んで口に放り込んだ。
「あっ、坊や! 変なものを食べちゃだめよ!」
母ドラが慌てて止めるが、もう遅かった。口に入れたそれは、思ったよりも硬く、噛み砕けなかった。
「変なものじゃない……これ食べられる。」
口の中で転がすようにしていると、スキルが作動した。
『飲食スキル「万能の舌」を発動します。
摂取物を解析します……解析完了。』
『判定結果 「ダンジョンの米」
続いて内容成分解析……解析完了。』
米!?
驚く間もなく、スキルが続けて解析を進めた。
『ダンジョンの米100g当たりの主成分です。
エネルギー 【350Kcal】
タンパク質 【6.8g】
脂質 【2.7g】
炭水化物 【73.8g】』
そして、さらに目を引いたのは、成分表にあった一際、異質な名前だった。
『ライゲキ酸【30g】』
ら、ライゲキ酸!?
思わず目を見開くと、それはまさに未知の物質だった。再びスキルが言葉を続ける。
『ライゲキ酸は、マモノ酸と結合することで、うま味が倍増します。』
何だと!?
その情報が、まるで理解を超えるような驚きを与えてきたが、しかしひとつだけ思い当たることがあった。
出汁の世界では、
素朴な味わいに過ぎなかった、ブラックホーンの乳(マモノ酸)が濃厚な味わいに化ける予感がした。
「味はどう……?」
ブラックホーンが不安げな様子でこちらを見つめてくる。
料理長に味見をしてもらう時の恐る恐る、顔色を確認する俺に似ていて、内心笑ってしまった。
味はと言えば確かに、彼女が持ち出した穀物は米の香りがするが、炊く前の硬い米そのまままなので、美味しいというものでもない。
──硬ぇ。
俺は、米を舌の上で転がしながら、困惑した表情で母ドラを見上げた。
「坊や、大丈夫なの?」
「うん……大丈夫だよ。」
結局、噛み砕けずに口から出した。あの硬さは、やっぱり無理だった。米をそのまま食べるのは不可能だ。
だが、もしこれをブラックホーンの乳で炊飯すれば、両方のうま味が混ざり合って、新しい味が生まれるかもしれない。
ただ、それ以前に一つ気になることがあった。
ダンジョンって何だ……?
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