第12話

 「とにかく、あの一件で、さあ戦争ってとこだったんだよ」

 「そうなんだ」

 「当たり前だろ?オヤジのタマが狙われたんだぞ。相手をツブすとこまでヤルとこだよ」

 それが当たり前だという篠原の常識と、瑞輝の常識はやはり違うようだ。

 「だがな、お前にも言ったが、素人の総長が、とにかく戦争はするなとぬかし遊ばすんだよ」

 「そうなんだ……」

 「オヤジもわかりましたとか言ってさ。お前のこと守ってろとさ」

 「え?」

 瑞輝は驚いて声を上げた。

 「いや。だから、相手側はうちにケンカ吹っ掛けてきてるわけだろ?いきなりオヤジのタマ狙って来たり」

 「そうだね」

 「普通だったら、ケンカ買うわな。だが、総長はケンカは買うなと仰せだ。オヤジもわかりましたと言う。これで下のモンは売られたケンカを買うこともできやしねぇ。その上、俺にはお前を守っていろとさ」

 「どういうこと?」

 「お前は俺の弱点だ。お前が攫われでもしたら、俺は何をどうしたって、お前を助け出すためになんだってするだろう。オヤジはそれを恐れてるのさ」

 「何だって俺のことをそんなに……」

 瑞輝は正直困惑を隠せない。

 瑞輝は篠原にとってみれば行きずりの、厄介者の、ただの居候でしかない。

 邪魔になれば、放り出せばいいだけのことだ。

 「あ、当たり前だろ?何て言ったって、お前は素人さんだ。ヤクザの抗争に巻き込んじまうわけにはいかねぇだろうが」

 瑞輝への思いが強すぎて、つい口が滑ってしまった篠原は慌てて取り繕った。

 ぽやぽやしている瑞輝には、これで十分だ。

 「ホントだったら、ここを出て行ってもらうべきなのかもしれないが、今更そうしたところでお前の身の安全が100%保障されるわけじゃじゃないからな」

 「そうなの?」

 やはり、瑞輝は少しぼんやりしているようだ。まんまと篠原の口車に乗ってしまう。

 「相手はこっちのことは調査済みだろうからな。お前のことを俺の関係者だと思ってるはずだ。俺もこんなことになるとも思いもせずに、大っぴらに連れ歩いてたからなぁ……」

 「俺、なんかされるの?」

 「させねぇよ」

 篠原はきっぱりと言い切った。

 「篠原さんがいるんだぜ?お前に手出しなんかさせるわけがねぇだろ?」

 「篠原さん、強いの?」

 瑞輝は素直に思ったことを訊ねた。

 「当たり前だろ?」

 「篠原さんの仕事って、ジゴロっていうか女衒って言ってたから、ケンカはしないのかと思ってたよ」

 「女になんかありゃ出張らなきゃならんし、ヤクザやっててケンカできませんじゃ通らねぇよ」

 「そっかぁ」

 勝手に篠原はケンカをしないと思っていたが、本人によるとケンカは強いらしい。

 「俺、どうしていたらいいの?」

 「ちょっとだけ、不自由かけちまうが、念のために家から出ないでくれないか?」

 「それは、いいけど……でも、篠原さんは俺より親分さんを守らなきゃいけないんじゃないの?」

 「だから、そのオヤジがお前を守ってろって言うんだよ」

 「なんで?」

 「何て言ったって命救われてるんだからな。お前に恩義を感じてるんだろうさ」

 「そんな風に思ってくれてるんだ……俺、当たり前のことしただけなのに」

 「お前の常識はヤクザの世界じゃ非常識なんだよ」

 笑って、篠原は瑞輝の顔を見つめた。

 「……キレイな顔だよなぁ」

 「篠原さん?」

 篠原はそっと瑞輝に口づけた。

 「お前には、ホント余計な不自由かけちまうが、辛抱してくれ。本部も解決に動くと言ってるし、な」

 「大丈夫だよ。俺、そもそも積極的に外に出ていくタイプじゃないし」

 「メシだって、外には食いに行けないし、デリバリーばっかりだぜ?」

 「平気だよ。俺、篠原さんがゴハンに誘ってくれるようになるまで、ずっとコンビニ弁当たべてたんだし」

 「俺も出ていけねぇから、この家で、俺とずっと一緒だぜ?お前には気詰まりだろ?」

 「そんなことないよ」

 「ホントかよ」

 「ホントだって」

 ムキになって言う瑞輝を篠原は抱きしめて口づけた。

 小さくて、柔らかくて、暖かくて。

 直近の行為からは十分に時間が空いている。瑞輝への負担は少ないだろう。

 そう、思いついてしまうと、もう篠原には自分を抑えることができなかった。

 そのまま瑞輝を抱き上げ、寝室に向かう。

 「し、篠原さん?」

 「何だよ」

 「まだ昼だよ」

 「関係ねぇなぁ」

 瑞輝をベッドに寝かせ、手早く衣服を剝いでいく。

 「非常事態じゃないの?こんなことしてる場合じゃないんじゃ……」

 「こんなことでもしてるより他ねぇだろうが」

 瑞輝が何とか穏便にコトを回避しようとしているのは承知してたが、篠原はもうやめる気はなかった。

 「お前、ちょっとうるせぇよ。黙らせてやる」

 篠原はまだ何か言おうとしている瑞輝の口を自身の唇で塞いでしまう。

 そうすると、さすがに瑞輝もあきらめたのか、おとなしくなった。

 「瑞輝……」

 篠原は瑞輝の細い首筋にそっと唇を這わせた。

 瑞輝が応えてくれることはなかったが、愛を交わすとき、篠原は瑞輝の名をささやく。

 「瑞輝……」

 篠原はいつも、愛している、とはとても口には出せないが、その代わりのように瑞輝の名を呼んでいる。

 それで何かが瑞輝に伝わるとも、伝えたいとも思わないが、篠原はいつもいつも、瑞輝の名を呼び続けていた。

 だが、今日、初めての出来事が起きる。

 「……しの、はら、さん…」

 瑞輝が篠原の声に応えたのだ。

 驚いたなんてものではない。篠原は一瞬硬直した。

 「瑞輝?」

 「篠原さん……」

 「……どうした?イヤなのか?」

 「違うよ…」

 か細い声だがその声は、ちゃんと篠原の耳に届いた。

 「お前……ホント、かわいいやつだなあ」

 瑞輝の精一杯の心遣いがかわいくてたまらなかった。

 こんなにかわいい瑞輝と正々堂々な理由があって、ずっと一緒にいられるのだから、籠城も悪いもんじゃないな、とすっかり機嫌が治ってしまうのだから、篠原も実は単純な性格の持ち主であったのかもしれなかった。


 龍沼組親分大沢の襲撃から3ケ月が過ぎた。

 表面上は何事もなく、ただただ時間が過ぎていく日々。

 瑞輝とともにマンションから一歩も出られなくなった篠原は、日がな一日、何が楽しいのか、瑞輝が絵を描いているのを眺めている。

 瑞輝はと言えば、そうやって見られていることに当初は落ち着かない様子だったが、そのうち慣れた。気にしていては肝心の絵を描くことができないからだった。

 その日も、そんな日だった。

 そんな日のはずだったが、篠原の携帯電話が鳴ったことでそれどころではなくなったのだった。

 「……オヤジからだ」

 「何かあったの?」

 瑞輝は緊張した面持ちで問う。

 「オヤジに何かあったら、本人がかけちゃこねぇよ。お前は心配すんな」

 瑞輝に笑いかけてやってから、その実緊張して篠原は電話に出た。

 「はい」

 『修二、柳が死んだぞ』

 「は?」

 『例のチャイニーズマフィアのボスだ』

 「誰が殺ったんで?抗争は禁止と本部から……」

 『勝手におっ死んじまったんだよ。病死だ。心臓麻痺だと聞いてるぜ』

 「そんな年だったんですかい?」

 『いや、うちの総長とそう年は変わらんだろう。こりゃ、潮目が変わるぞ、修二』

 あまりにも突然の言葉に、篠原は言葉もない。

 『ちょっとの間は、相手もガタつくだろう。あちらさんは柳の一強体制だったらしいからな』

 「おやっさん、ずいぶん向こうさんのことに詳しいんですね」

 『バカ野郎。わしが遊び惚けてるとでも思っていやがったのか。わしなりに相手に探りも入れてた。頭を失くしたんだ。次が出てくるまでには時間もかかるだろうさ。とにかく、本部へ来な。迎えをやるからよ』

 「はい」

 電話を切って、篠原は不安そうに自分を見ている瑞輝に笑いかけてやった。

 「瑞輝。相手の頭が死んじまったらしい」

 「え?どうして?」

 「病死らしいが、とにかく俺も詳しい話を知ってるわけじゃねぇ。本部にお呼び出しだよ。俺はちょいと出てくるが、お前は念のためだ。まだ家にいろ。いいな?」

 「うん……」

 「心配すんな。何も起きやしねぇよ」

 「うん……ねぇ、ホントに大丈夫?」

 「大丈夫だ、篠原さんが言ってるんだぞ?信じられねぇか?」

 「そういうことじゃなくって……」

 「心配すんなって、な?」

 「うん……」

 「すぐ帰ってくる。いいか?これだけはしつこいようだが、言っとく。絶対部屋から出るなよ?いいな?」

 不安でいっぱいの顔をしている瑞輝を強く抱きしめてやってから、篠原は部屋を出た。

 あんなに不安そうな瑞輝を置いていくのは後ろ髪を引かれる思いだが、今は行かないわけにはいかないのだ。

 篠原は、ドアを閉めた。


 「まぁ、良かったんじゃないのか?」

 誠心会本部の奥の間に通されて。

 誠心会総長は今回も先にその場にいた。

 大沢が待たせたことを詫び、総長が鷹揚に頷いて、口を開いて最初に言った言葉がそれだった。

 「総長は事の次第をご存じなんで?」

 「知らん」

 ひと言だけ総長は口にした。

 「柳はなんで死んだんですかい?」

 「知らんと言ってるだろう。うちにケンカを吹っ掛けてきた相手が病気で死んだ。うちとしたらありがたい話じゃないか?」

 「都合が良すぎやしませんかい?」

 「……おかしなことを言うな、お前は。柳は病死だ。殺された訳じゃない。勝手にうちにケンカを仕掛けて、勝手に死んだ。それだけのことじゃないのか?」

 「総長」

 「なんだ?」

 「総長はお耳が早くていらっしゃる……てめぇらのことも、よぉくご存じだ」

 「……何が言いたいんだ?」

 「あたしの耳にも、色々と入ってきております」

 「……食えない男だな、お前は」

 総長はまじまじと大沢を見た。

 「こっちから仕掛けたわけでもない。お前の流儀に合わないことも承知している。だが、これ以外に丸く収める方法があるか?」

 「総長のなさることに異論を唱えるつもりはありゃしません。一応のところ、丸く収まったのもおっしゃる通りのことです」

 「……それがわかってるんなら、今のうちに、相手を弱体化させろ。これが俺のできる精一杯だ。暴力沙汰はそっちに任せる。素人さんを巻き込むなよ」

 「わかりやした。行くぞ、修二」

 大沢は、一連の話が全く見えていない篠原を連れて本部を後にした。

 何か聞きたそうな篠原を目線だけで抑えて、大沢は車に乗り込んだ。

 篠原も続く。

 「おやっさん……」

 「……まったく、食えないのはどっちだってんだ、あのお人は……」

 「何なんすか、いったい、今の話は」

 「柳は総長が呪い殺したんだよ」

 「はあ?」

 篠原は大沢が何を言い出したのかまったくわからなかった。

 呪い殺す?そんな非現実的なことを、こともあろうに大沢が言い出すとは、篠原は想像もしていなかった。

 「わしも、あのお人が突然総長に収まって、それで良しとしたわけじゃあねぇ。色々と調べたよ。総長のおふくろさんは誠心会の直系のお嬢さんだ。そのお嬢さんの親父さんは、おめぇも知ってるだろう、先代の総長だよ。だがな、総長の父親ってのはカタギの人間だ。と言ったところで、普通のカタギの人間じゃあない」

 「それは、どういうことなんです?」

 「陰陽師と言ってわかるかい?修二」

 「なんです、そりゃあ」

 「まあ、まじない師だな」

 「なんですか、そりゃ。うちの組はそんなまじないなんかに頼ってるんですかい?おやっさんともあろう方が、そんな迷信を……」

 「迷信じゃねぇんだよ、修二」

 噛んで含めるように大沢は言った。

 「あの総長は、そっちの筋の人間だ。おめぇからはただのど素人さんに見えるかも知らんが、総長の親父さんってのはその筋じゃあ有名なまじない師だ。他人を呪い殺すなんざ、朝飯前だそうだ」

 「おやっさん、おやっさんともあろうお方が、何を呆けたことを……」

 「怖ぇお人だよ、あの総長は。わしらに手を出すな、抗争するなと言っておいて、てめぇじゃあとっとと頭を潰しにかかるたぁな。総長が柳を殺ってくださったおかげで、わしらは動けるようになった。違うかい?修二」

 「そりゃ、そりゃそうなんですけどね。いや、私にはとてもじゃないが、理解できやしませんよ」

 「仕掛けるぜ、修二。こっからはわしらの領分だ」

 「はい」

 話がまじないや呪いなどと言ったことではなくなり、篠原の領分に戻ってきたのでホッとして言った。

 「一気に畳みかける。二度とこっちに手出しできんようにな」

 何がどうなってこうなったのか、篠原には理解の外の話ではあった。

 それでも、確かにここからはヤクザの領分だ。

 ということは、篠原の理解できる領分の話だ。家に閉じ込められた3ケ月の鬱憤を晴らすときがようやく訪れたのだった。


 「おかえりなさい、篠原さん」

 とにもかくにも、瑞輝の身の安全を確保するように言われた篠原は、大沢と別れて自宅に戻ってきた。

 不安を顔いっぱいに浮かべた瑞輝に出迎えられ、篠原は瑞輝の頭をぽんぽんと撫でた。

 「心配かけたな、瑞輝。大丈夫だ」

 「大丈夫って……何があったのか聞いていいかな」

 「とにかく落ち着きな、瑞輝。何もありゃしねぇよ。篠原さんがこうやって無事に戻ってきたんだぜ?」

 「それは嬉しいよ。俺、心配してたんだ。親分さんは大丈夫?」

 「ああ」

 「よかった……」

 「お前はホントに優しい奴だなぁ」

 「そういうことじゃなくって、俺にはホントのこと話してくれるだろ?」

 「俺がお前に嘘つくわけねぇだろうが」

 「篠原さん優しいからさ、俺に心配かけないように嘘つくじゃん。全然大丈夫じゃないのに、大丈夫だって言うし」

 「瑞輝……」

 ぼんやりしているように見えて、瑞輝はさすがに画家であるらしく、物事がちゃんと見えている。

 「瑞輝、俺はな、お前に余計な心配をかけたくないんだ。それは、オヤジもだ。お前には好きな絵を機嫌よく描いてて欲しい。その邪魔をしたくないんだよ。この一件はヤクザの世界の話だ。お前には関係ない話なんだよ」

 「そうやってすぐ俺を蚊帳の外に置こうとするだろ、篠原さんは。だけど、一緒に暮らしてるんだよ?俺が篠原さんのこと心配するの、当たり前だろ?」

 「瑞輝……」

 「そりゃ俺はただの居候だし、篠原さんのこと心配する資格なんかないかもしれないけどさ、ずっと一緒にいるんだから、何かあったら心配するに決まってるじゃん」

 この瑞輝の言葉を受けて、篠原は思わず瑞輝を抱きしめた。

 なんて可愛いのだろうか、瑞輝は。

 「篠原さん、そうやってすぐ誤魔化すんだから、俺、納得してないからね?ちゃんと説明してくれよ」

 「説明する。説明するから、ちょっとだけ、こうさせてくれ」

 「ホントにちゃんと説明してくれる?」

 「ああ、もちろんだ……」

 篠原がそう約束すると、瑞輝はおとなしく篠原の腕の中に納まっていた。

 しばらくそうやって瑞輝を堪能していた篠原だったが、軽くキスをしてから瑞輝を解放してソファーに座らせると、自分はキッチンに行きビールを手に戻ってきた。

 瑞輝に、事の次第を話して聞かせるために。

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