第37話 フイ高地の攻防
フイ高地の西方、ハルハ河付近。
「敵戦車部隊、突撃してきます」
「やっと来たか、撃ち方止めえ! 稜線裏まで下がれ」
ソ連軍の背後、ハルハ河付近に展開していたのは独立混成第1師団隷下の戦車第2旅団である。ソ連軍の侵攻開始とほぼ同時にフイ高地の北側を大きく迂回して、遭遇した部隊を殲滅しつつソ連軍の背後に進出していた。
戦車第2旅団の旅団長である馬場英夫少将は、チホ車の指揮車型であるシキⅡのハッチから身を乗り出し、単眼鏡で東の方向、フイ高地の方を見た。砂煙を巻き上げフイ高地の方向から接近してくる戦車群が映る。こちらが稜線裏に隠れ見えなくなったためか、ハッチを開けて双眼鏡片手に索敵を行う敵車長が散見できた。
「接近戦か、狙撃はお開きだな。第1連隊は北東、第2連隊は南東へ移動せよ、敵に道を開けてやれ。側面を晒したところで行進間射撃でドカンだ」
戦車第2旅団は戦車第1連隊と戦車第2連隊から成っており、各連隊は5個戦車中隊、六〇両程度で構成されていた。命令を受けて一二〇両のチホ車、チハ車、ハ号車は2手に別れる。
ちょうどソ連軍の進行方向のにある車列にぽっかり穴が空いたところで、馬場は再び接近してくるソ連軍の戦車部隊を見る。距離は3000mを切っており、先頭車両のハッチが開き車長が顔を出しているのが識別できた。
「全車前進! 第1連隊は北方へ迂回し敵の側面を取れ、第2連隊は敵に正面を向けつつ南下だ、我々が的になる」
第2連隊の各車は装甲の厚いチホ車を盾にしつつ一気に飛び出す、同時に第1連隊はハルハ河沿いの敵からは見えない稜線裏を移動し、北方へ向かう。馬場の指揮車は第1連隊に随伴しているので、敵の砲弾の着弾の振動が肌で感じられた。
「司令! ここは危険すぎます、第1連隊の方に退避されては!?」
「シキⅡの装甲は60ミリもある、そう簡単にはやられんよ。それに前に出んと戦況がよく見えんだろう」
そう言った瞬間、突然の衝撃と金属を打つ打撃音が指揮車を襲った。
「被弾したようですが、損害はありません」
車体前部の方から、機銃手がそう声をあげる。
「ほら言っただろう。わざわざ47ミリ砲を降ろして装甲を増しているのだから、露助の45ミリ砲なんぞ貫徹する訳なかろう」
ソ連軍の戦車・装甲車はざっと見積もって三〇〇両、しかし六〇両ほどである第2連隊は意外にも損害を出していなかった。ソ連軍戦車兵の練度は比べ物にならないほどに低く、例え砲弾が命中しようとも、チホ車の厚い装甲がそれを弾き返しているのだ。
対してこちらの戦車が砲撃する度に、敵戦車は数を減らしていく。稀に跳弾することはあるが、基本的に命中した47ミリ砲弾はBTシリーズの薄い装甲板を貫きその効力を発揮した。被弾し擱座した戦車に追突し、行動不能になる敵戦車もある。
次々にBTやT-26が撃破されているのに比べて、チホ車はまだ一両も撃破されていなかった。敵はチホ車を撃破することは困難だと勘づき、チハ車やハ号車に攻撃を集中した。
「軽戦車中隊は後方に退避だ。今の状況では軽戦車は役に立たない、後方からの狙撃に徹しろ!」
チハ車はチホ車に酷似しているのでまだ良いが、ハ号車は簡単に見分けがつく。加えて装甲はBTよりも薄く、T-26よりも更に薄い。6月の戦闘でもハ号車はチハ車に比べて多数の損失を出していた、その割に戦果の殆どはチハ車や37ミリ速射砲のものである。1人用砲塔で装薬の少ない37ミリ砲に、最大装甲厚は12ミリという数字はソ連戦車と渡り合うには余りにも非力だった。
ハ号車は後方に退避し、チホ車が先頭に、続いてチハ車が並ぶ形に車列は変わる。既に先鋒のソ連戦車との距離は800mを切っていた。馬場は無線機のマイクを手に取る。
「時間だ。第1連隊、突撃開始せよ!」
『了解、全車突撃開始!』
北方の稜線から大量の戦車が出現し、一斉にソ連軍の横っ腹に向けて砲火が放たれた。中空を射る火箭は瞬き一瞬のうちに側面装甲に到達、貫通後信管が作動し爆発する。内部で炸裂した砲弾は弾薬に火を付け、搭乗員を破片で殺傷し、貫徹した車両を行動不能にする。
ただでさえ第2連隊の奮戦の前に困憊していたソ連軍は、第1連隊の攻撃が決定打となり、側面を突かれ隊列は完全に秩序と統制を失って崩壊した。逃げ惑う戦車同士がぶつかり行動不能になり、更に別方向から疾走してきた車両が残骸にぶつかり、戦車の玉突き事故が起きる。
一度動きを止めたらそれで最後、途端に47ミリ砲弾が撃ち込まれ戦車は鉄塊に変わり果てる。僅かなソ連歩兵は対戦車戦闘に参加していないチハ車やハ号車に蹴散らされ、旅団に随伴している機動歩兵に止めを刺された。BTやT-26相手には苦戦していたハ号車も歩兵にとっては移動機関銃陣地であり、脅威であることに変わりはなかった。
『戦車第2旅団司令部へ、こちら第23師団捜索隊。フイ高地に近い方の敵戦車がまとまりつつあります、指揮車らしき装甲車を囲んでいますね。状況から見て敵部隊の司令部があるようです。こちらから叩きましょうか?』
第23師団所属の捜索隊、フイ高地防衛を担当している部隊の隊長である井置栄一中佐が馬場に許可を伺う。
「いや、捜索隊が動いてしまってはフイ高地が危ない。ソ連軍の予備部隊も警戒しなければならんしな。あの有り様では司令官がいたところでどうこうなる訳でもなかろう、速射砲での攻撃は継続だが、無理に出ていく必要はない」
『了解しました』
井置捜索隊には独立混成第1師団の機動速射砲連隊から1個中隊が増派されており、先の戦闘で消耗してしまった速射砲も補充されていた。迂闊にフイ高地の方に逃げていった敵戦車には37ミリ速射砲の集中砲火が待っている。西方から戦車第2連隊が、北方から戦車第1連隊が、東方からフイ高地の井置捜索隊が、それぞれソ連軍に砲火を浴びせる。3方向からの挟撃、奇襲から立ち直りつつあったソ連軍は呆気なく端から殲滅されていった。
『先程の司令部の装甲車を中心に置いた一群が南方へ移動しています、逃走を図っているのでしょう。部隊編成は、BTが三〇両ほどにトラックや装甲車が一〇両ほどです。逃がして宜しいのですか?』
馬場はハッチを開け、包囲殲滅されつつあるソ連軍を見る。やや南よりの所に、同じソ連軍の戦車を押しのけて遁走している一群の戦車を見つけた。
「ああ、こちらからも見える。まあこの状況では逃げることは懸命な判断なのであろうが、特段にキレの良い指揮官というわけでも無かった、であれば今頃殲滅されていたのは我々だからな。そんな奴をわざわざ介錯してやる意味も無い」
※ ※ ※
指揮車として使っていたBA-20Mを降りたアレクセンコを待ち構えていたのは、今一番会いたくない人物であった。
「同志アレクセンコ。この有り様、どう説明するというのかな?」
ジューコフは、青い顔をして硬直し半ば震えているアレクセンコを不気味な笑みを浮かべた顔で見つめた。
「め、滅相もございません。想定外の敵戦車部隊に包囲殲滅されかけたため、う、動ける戦車と共に一時的に後退した次第であります」
「そうか、その貴官の命の代わりに戦車150両と装甲車80両、兵員にして5000人近くを失い、おまけにフイ高地の攻略も出来ず北方軍の半分以下と思われる敵戦力相手に敗走してきたと」
アレクセンコは震えながら首を上下させた。意外にもジューコフに苛立ちら怒りの感情は見えなかった、見ればジューコフの目はどこか宙を泳いでいる。粛清に怯えているのは何も自分だけでは無いのだとアレクセンコは気付いた。
「イシワラの部隊が来ていると聞いたときから損害は覚悟していた。だが、これは完全に想定外だ。日本軍は強力な新型戦車を大量に配備し、我々はフイ高地もバルシャガル高地もノロ高地も攻略できず、攻勢に投入された戦力の半数以上を失った」
「それは、中央軍も南方軍も作戦を失敗したということですか...」
ジューコフは遠くを見ながら、ゆっくり頷いた。
「バルシャガル高地には強力な重戦車が、ノロ高地にはフイ高地で待ち構えていた敵戦力と同等の機甲部隊がいた。中央軍と南方軍は貴官の部隊とは比べ物にならない損害を出し壊滅した、まあ指揮官がいないので処罰のしようも無いが。貴官だけなのだよ、生き残ったのは」
アレクセンコの方に向いたジューコフの顔には、蒼白の文字が刻まれていた。
「参謀本部からは右岸の国境線まで確保は諦めるが、元から右岸にある陣地は絶対に保持せよとの命令が来た。だから、貴官も私もまだ死ねない、少なくとも汚名を雪ぐまではな。せいぜい予備役編入で済まされるぐらいには、悪あがきしてみようではないか、同志アレクセンコ」
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