第31話 砲撃戦



「このまま戦車の損害が増え続けるようであれば、貴重な戦車部隊が壊滅してしまう。左岸攻撃隊も中々防衛線を突破できず損害を増やすばかり、完全に膠着状態です。無念ですが、作戦は中止にせざるを得ないのです」


辻政信参謀のその言葉に対し、小松原師団長は食い下がって反論する。


「戦車部隊の損害は微々たるものだ、それに対し戦果は着々と積み上がっている。歩兵第71連隊(左岸攻撃隊)も同様だ、彼らが血と肉の犠牲を払って確保した左岸陣地を放棄しろというのか」


左岸陣地への攻撃も右岸陣地への攻撃も、どちらも上手く行っているとは言い難かった。左岸攻撃隊の命綱はハルハ河に架かる一本の軍橋のみであり、その軍橋の重量制限上、戦車や装甲車などの装甲車両が左岸に展開することは出来なかった。そのため左岸攻撃隊は僅かばかりのトラックに対戦車速射砲を添えつけ即席の自走砲とし、ソ連軍の戦車と戦っていた。


しかし左岸の高台に砲撃陣地を構えたソ連軍の攻撃は激しく、左岸攻撃隊も相当な犠牲を出していた。


「勿論左岸は必ずしや奪還します、ですがそれは今ではありません。準備が完了したソ連軍が左岸攻撃隊に本格的な攻撃を開始したら、それこそ彼らは包囲殲滅されてしまいます、東捜索隊の悲劇を繰り返すわけにはいきません。そして第23師団には右岸の確保に全力を尽くしてもらいたいのです。撤退の責任は全て関東軍が負います、どうか、お願いします」


頭を下げる辻に、第23師団の参謀らは顔を見合わす。小松原は、責任が問われないなら左岸攻撃隊を撤退させない意味はないと理解していた。


「それなら、受け入れるしかあるまい」


できる限り、渋々承諾したような苦い表情をし、小松原はそう言った。




※ ※ ※




第57兵団司令部。


「日本軍は撤退したようだ」


各戦線から報告される戦闘状況を聞き、ジューコフはそう判断した。


「彼らがハルハ河に架けた橋も自らで爆破したようですから、間違いないでしょうな同志ジューコフ」


グリゴリー・ミハイロヴィチ・シュテルン、ソ連軍の前線集団司令官はそう言うと、机上に広げられたノモンハンの地図に目を向けた。ジューコフはそれに気づき、地図の右岸にある日本軍陣地の位置にある駒を動かす。


「恐らく、撤退したということは防衛に移行するということなのだろう。日本軍の防衛線はこう、配備されている兵力は全体に散らばっていて、横に一本しかない。主力部隊、オマツバラの部隊はホルステン河のやや北東にあるので、これを包囲するために両翼から機甲部隊を回らせ...」


ジューコフは、戦車の形をした駒2つをハルハ河の北と南から動かし大きく回り込ませ、ホルステン河の第23師団司令部の後方で合流させた。そして合流した駒を後方から日本軍司令部を示す旗が立っているところに動かす。旗は倒れた。


「こうやって後方から一突きする。これが今計画している攻勢だ」

「その露払いとして、まずは砲撃で叩くのですな」


ジューコフは頷く。


「もっとも、これから行われる砲撃には陽動の意味もある。それっぽい大砲撃を実施したあとに負ける前提で威力偵察部隊をぶつけるのだ。日本軍はそれを撃退するたびに、自信をつけ、怠慢になり、本格攻勢はもっと後であろうと錯覚する。重要なのは日本軍に損害を与えることではなく、砲撃に晒すことで防衛陣地の構築を遅らせることだ」


そこまで考えていたのかと、シュテルンは驚く。


「情報的にも我々が有利だ。こちらの部隊の移動は敵に悟られてすらいないが、向こうの末端の通信に至るまで我々は全て解読している、それにオマツバラという日本軍の中枢に食い込んだ駒もある。十中八九攻勢は成功し、敵軍はおめおめと遁走するはめとなるだろう」

「全て、こちらの手の平の上という訳ですな」


つくづく、この男は天才であるとシュテルンは実感した。ジューコフは地道に攻勢の準備をし、情報を集め、機が熟すのを待った。人以上の忍耐力と洞察力があってこそのものだった。


だが、ジューコフはシュテルンにこう返した。


「全て、とは言い切れないのだ同志シュテルン。一割の確率、そこに不確定要素があるのでな」




※ ※ ※




砲撃戦は日本軍の砲撃から始まった。


左岸からの撤退後、防衛に移行した日本軍は辻参謀の提案で夜襲を行うことになった。それは持ちうる戦力を不眠不休で右岸のソ連軍陣地にぶつけるというもので、ソ連軍を混乱に陥れ、幾つかの軍橋の爆破にも成功した。しかし損害が増えたため夜襲は中止され、その分の補填として内地から増派される戦力を用いて右岸陣地へ総攻撃を行うことが決定した。


砲撃はその露払いであったのだが、それは砲が自ら位置を晒す結果となった。ソ連軍砲兵の猛反撃を受け、陣地転換もしない日本軍の砲兵隊には砲弾が降り注ぎ、砲兵隊は少なからぬ損害を負った。


七月二五日、砲撃戦は突如として終結した。それは砲撃自体が終了したわけではなく、日本側の砲兵隊の弾薬が尽きたため、ソ連軍の一方的な砲撃になり砲撃では無くなったからだった。




※ ※ ※




七月二七日、満州国首都新京、貨物駅。


貨物駅に停車している貨物列車の貨車に積まれている積み荷が、クレーンによって降ろされていく。布製の防護シートが被せられており中身が何であるかは窺いしれないが、その角張った張り具合と輪郭から大枠は予想できた。


積み荷は着々と降ろされ、並べられていた。

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