カクヨム殺人事件~人気作家 死のSOS
三坂鳴
第1話 死の予兆と読者の混乱
朝霧悠真は、朝の光が差し込む自宅のリビングでパソコンを開いていた。
ビジネススーツを着こなす彼の姿は、出勤前の会社員というより、何かに没頭する研究者のようでもある。
SNSの通知音が鳴るたび、彼は落ち着かない様子で視線を画面に戻した。
「また更新されてる。」
小声でつぶやくと、冷めかけたコーヒーに目をやる。
マグカップには朝霧が丁寧にドリップしたはずのコーヒーが半分以上残っていた。
彼が注目していたのは、Web小説投稿サイト「カクヨム」の画面だった。
画面上部には「日向斗真の新作(仮)」というリンクがあり、そこに赤い『更新』マークが付いている。
最新エピソードのタイトルを開くと、冒頭部分に奇妙な一行が配置されていた。
――――――――――――
【エピソードタイトル】
「助けてくれ、殺される」
本 文:
助けてくれ、殺される
――――――――――――
文章はたったこれだけで、あとは下に白い空白が続くばかり。
朝霧はスクロールを続け、読者のコメント欄へ視線を移した。
【応援コメント】
「これ、先生らしいけど不気味すぎる…」
「また新しいメタ手法? でもほんとに怖いんですけど…」
「いつもの日向先生の演出ですよね? 続き楽しみにしてます」
「何か事件性を匂わせてるのかな。まさか…ね?」
ざっと見ただけで、既に十数件もの感想が寄せられている。
そのほとんどが戸惑いながらも“いつもの日向先生の前衛的な遊び”だと思いこんでいるようだ。
朝霧はマウスを握る手に力がこもるのを感じながら、さらにコメントを読み進めた。
【応援コメント】
「先生、大丈夫ですか? 変なことに巻き込まれてません?」
「殺されるって…シャレでも怖いからやめてほしい」
「新しい展開に期待してます! どんなストーリーになるのか楽しみです」
彼はコメントを最後まで読み終え、画面を閉じずにしばらく考えこんだ。
数日前にも同じような投稿があったように記憶している。
日向斗真といえば、アニメ化やコミカライズを多数手がける人気ラノベ作家で、作中作などメタフィクションの手法に長けている。
しかし、今回のように“メタ表現”とは呼べないほど直接的な叫びを書き込むのは珍しかった。
朝霧はパソコンのブラウザを最小化し、スマホを取り出す。
SNSのタイムラインを開くと、そこでも日向の投稿が話題になっていた。
@justafan「日向先生ヤバくない?」
@skepticaluser「小説の宣伝らしいけど、本当に演出?」
という書き込みが流れてきて、ファンアートのイラストまでアップされはじめている。
一方で、不安を訴えるユーザーの声もちらほら見受けられる。
「どうしようもなく不気味で、嫌な予感がする。」
朝霧はそうつぶやきながら、自分の職業意識とファンとしての感情との間でざわつく思いを抱えた。
彼は捜査関係の仕事をしている。
だがそれ以上に、日向の作品に心酔する読者として放っておけない気持ちが強かった。
コーヒーを飲み干すと、家を出る前に日向のアカウントをもう一度チェックする。
最新投稿は深夜に上げられていたようで、やはり文章は「助けてくれ、殺される」の一点張り。
朝霧は胸騒ぎを振り払うようにスーツのポケットからメモを取り出す。
そこには、日向の過去作やサイトリンクが小さな文字で書き連ねてあった。
彼はそれをじっと見つめてから、覚悟を決めたようにスマホを握りしめる。
会社に向かう電車の中でも、朝霧は「カクヨム」のアプリを開き、日向の代表作『逆さに沈む月』を再読していた。
イヤホンから雑踏のアナウンスが聞こえてくるが、どうにか物語に集中しようとする。
「この作品の殺人犯は、被害者に先に不気味なメッセージを投げていたはず…。」
モニターを指でなぞりながら、作中シーンのディテールが頭をよぎる。
オフィスビルに到着した朝霧は、挨拶もそこそこにエレベーターへ乗り込んだ。
同僚から届いたメッセージには、「出勤したらすぐ会議室へ」としか書かれていない。
嫌な予感が胸を締めつけてくる。
エレベーターで上階に着き、会議室のドアを開くと、そこには硬い表情の上司や同僚が並んでいた。
テーブルの上のモニターには先ほどの「カクヨム」のトップページと並行して、複数のニュースサイトが表示されている。
部長が低い声で口を開く。
「日向斗真が……遺体で発見された。」
朝霧は一瞬息が詰まった。
わずかな時間とはいえ、まだ助けられたかもしれないという後悔が胸に湧き上がってくる。
体が軽く震え、言葉が出ない。
「詳細はまだ断片的だが、例の投稿内容から見て、事件性が高いと思われる。朝霧、お前は日向に詳しいと聞いた。捜査に協力してくれ。」
部長の言葉をかろうじて聞き取った朝霧は、渡された書類に目を落とし、日向のプロフィール写真をまじまじと見つめる。
そこにはメガネをかけた穏やかな笑顔が写っていたが、今はもうこの世にいない。
「最初に彼の自宅を確認します。カクヨムのログやSNSでのやり取りも解析します。」
朝霧は力なくそう答え、会議室を後にした。
廊下を歩く足どりは普段より重い。
日向はなぜ連日「助けてくれ、殺される」と投稿したのか。
どうして誰もそれを本気に受け取らなかったのか。
スマホにはどんどん通知が増えているが、開けば開くほど『新しい表現』に沸き立つファンの声や、現実を想像して怯える人たちの反応が混在していた。
朝霧は複雑な思いを抱きながら、エレベーターを呼び出すボタンを押す。
「日向先生、あなたは本当に助けを求めていたんですか。」
かすれそうになった声は誰にも届かないまま、朝霧の胸の奥でざわめき続けていた。
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