第24話 仮初めの英雄③

 レオハルトは寮の部屋の中で机の上の明かりだけを付けたまま必死に作業をしていたが、一息ついたところで思い切りその体を伸ばす。


「……もうこんな時間か」


 懐から懐中時計を取り出すと、すでに時間は午後十時過ぎを指していた。夕食もろくに取らず、机に置いてある瓶のような容器と必死に格闘していたのだ。


 レオハルトはそれを机の引き出しへと大切にしまって再び大きく体を伸ばすと、ゆっくりと椅子から腰を上げる。


 ―せめて何か食べておかないと、寝付きが悪いからな……。


 この時間から料理を始めるのはさすがに遅いと考えたレオハルトは、近くの店で適当に食事を済ませることにした。


 正直なところ、王都を救った後から嫌でも目立ってしまうことになってしまい、外食とはいえ外出はなるべく控えたかったが、背に腹は変えられない。


 溜息を吐きつつ必要なものを懐に入れて、いざ部屋を出ようとした時だった。手を掛けた扉の向こうから突然扉を叩く音が聞こえ、レオハルトは首を捻る。


 ―こんな時間に一体誰だ? ……ミーネか? それとも、また昼間みたいに面倒な奴らか?


 ここ数日、レオハルトが王都を守り、〝征錬魔術師〟の称号を貰ってから周りの態度は一変した。


 あまり歓迎できる話ではないが、これまでレオハルトに対して不信感を抱いていた者達が我先にとレオハルトに取り入ろうとしているのだ。街を守った〝英雄〟と友人―そんなことを自慢したいが為に寄ってくる者達の相手をするのはかなり大変だった。


 そして、扉の向こうに居る人間がそういった人間だとしたら……何日かの逃走劇もとうとうここまで来たか、とレオハルトは頭を抱えずにはいられなかった。


 しかし、これが他の用で現れた人間ならば待たせておくのは申し訳ない。そう思い、レオハルトはその扉をゆっくりと開き、警戒心を強めつつも扉の隙間から外を眺める。


「……誰だ?」


 そう声を掛けるものの返事は無く、またレオハルトの目線には少なくとも人影は見当たらなかった。


 ―誰も居ない……?


 不思議に思い扉を全開にしようと、ゆっくりと扉を開いた時だった。


「……っ」

「……誰かそこに居るのか?」


 開く扉に何かの感触があるのと同時にか細い声が聞こえ、レオハルトは思わず警戒心を強める。


 暗闇の向こうに何かが居る。部屋の明かりに慣れた目を凝らし、その姿を捉えたレオハルトだったが、その姿を捉えると驚きに目を見張った。


「―どうして、君がここに居るんだ?」


 その声は掠れ、扉を握った手に力が籠もる。影はゆっくりと立ち上がり、光の当たるレオハルトの近くまで歩いて来ると表情を変えないまま呟いた。


「……謝りに来た」


 夜の闇に浮かぶ銀色の髪に宝石のような光を持った赤い瞳。自分より一回り小さい来客―アミナは突然その姿を現した。



 ◇



 レイシア・レディスターは広い城内の中を必死に走っていた。

 息が上がるのも構わず、必死な形相でただひたすらに走り続け、黒い軍服の上に羽織った白い布が風に煽られるように宙を舞い、月のように光る金色の髪は後ろで綺麗に束ねられ、まるで尻尾か何かのようにその動きに合わせて動いていた。


 そして、レイシアは廊下の先にある身の丈以上もある大きな扉の前に到達すると、その扉に手をかざす。すると、扉は魔力に反応して轟音を響かせながら一人でに開いていった。


 古く厳かな雰囲気の扉から大きな音と共に入って来た訪問者を、奥の玉座に座った部屋の主はその顔に付けた仮面を外すことなく迎える。


 そして、自らが座る玉座に相応しい冷静さを崩さず、来客へと視線を向けた。


「……何事だ」


 その冷静さが焦るレイシアを余計に苛立たせた。

 乱れた髪を軽く払い除けると、怒りを隠すこと無く実の父親へとレイシアは冷たい声を上げた。


「……陛下、一つお聞かせ下さい。……先程、陛下がアミナに敵国へ向かうように命令を下したと伺ったのですが……それは本当ですか?」


 静かに、しかし強い口調で話すレイシアに対して、父親でありこの国の王であるアーノルド・レディスターはやはり表情を変えずに冷たく言葉を返す。


「それがどうした? あれは自ら敵陣の中心に向かう、と言ったのだ。止める必要は無いだろう」


 淡々と告げるアーノルドの言葉を受け、ますます目を鋭くするレイシア。しかし、感情に任せてここで叫んでも何も意味の無いことを悟り、どうにか平静を保ちつつ父親であるアーノルドを睨みつける。


「……あなたあの子の存在を良く思われていないのは承知しています。『魔術』があまり使えないあの子を失っても戦力から見て問題が無い、と……そう仰っていましたね。……しかし、私にとっては違います。彼女は、私の『妹』です。家族が危険な目に会えば、心配するのが自然だと思います」


 レイシアの声にアーノルドはしばらく黙り込んでいたが、すぐに短い笑い声を上げると共にレイシアへと言葉を投げた。


「『魔術』によってその存在を作り出し、強化した『人造人間』。……それを身内などと称するとは、つまらん冗談だ」

「……っ」


 父親のその言葉に、レイシアは歯を強く噛み締める。

 そして、その怒りを我慢出来なくなったレイシアはもはや父に掴みかかる勢いで地面を蹴ろうとしたが―しかし、それが叶うことはなかった。


「……っ! ……『魔術』ですか」


 父へと詰め寄ろうとレイシアは体に力を込めるが、彼女はその場から動くことが出来なかったのだ。


 見れば、アーノルドの手の上で光りが浮かび上がっており、どうやら退屈そうにその手の上で弄んでいる『魔術』を使って彼女の動きを止めているようだった。


 そんな父に対して、レイシアは呆れとも失望ともつかない声で小さく呟く。


「……相変わらずですね。こんなことをしなければ、娘と話すことすら出来ないなんて」

「こうでもしなければ、お前はただ怒鳴るばかりで話にならん。さて、―」


 溜息混じりの声を出したアーノルドは片手を玉座の前へとかざす。すると、何も存在しない筈の空間に蜃気楼のような靄がかかり始めた。


 そして、それはやがて何か地図のようなものを浮かび上がらせ、アーノルドはその中で光る二つの点へと視線を向ける。


「これが何か分かるか?」


 アーノルドの問いかけを受け、レイシアは視線を二つの点へと移した。あまり詳細では無いものの、周囲の地形や距離から察することができたレイシアはアーノルドの問いに答えるように言葉をこぼす。


「この国と……先日、私達が攻め込んだ『征錬術師』の街、ですか?」

「そうだ」


 その声とともにアーノルドは指を動かすと、二つの光の間に亀裂が生じる。それが意味することを理解したレイシアはゆっくりと言葉を続ける。


「……国境ですね」


 レイシアの言葉にアーノルドは仮面で表情を伺わせないままゆっくりと首を縦へと動かすと、途端に信じられないことを口にし始めた。


「その国境に向けて、すでに第二陣を展開している」

「お待ち下さいっ!」


 アーノルドの言葉の意味をすぐに理解したレイシアは、拘束されて動けずにいるものの抗議するように大きく声を張り上げた。広間にレイシアの声が響き渡り、アーノルドはその言葉に玉座で足を組み替えながら応じる。


「なんだ?」

「この状況で第二陣を展開する、などという話は聞いていません! ……確かに、先日の戦いで、あの街を完全に制圧することはできませんでしたが―」


 レイシアが懸念したのも無理はなかった。アーノルドの言うことが事実なら、今まさにあの街にはアミナが居るのだ。もし、戦う力を持たないアミナがそんな争いに巻き込まれれば、間違いなく死んでしまう。


 アミナを失う恐怖にレイシアが全身に力を込めると、室内にまるで何かが割れるような音が辺りに響く。


「ほう……」


 部屋の温度が急激に下がり、床や壁、天井までもが冷気に触れ、水気を帯びて霜が走っていく。そして、レイシアの周囲に大きな氷が生まれると、まるで鏡か何かのように反射してその表面にレイシア達を映し出していた。


 レイシアから溢れる力に珍しく感情的な声を出したアーノルド。それは日頃、娘にすら感情を表さない彼がその娘に関心を示した証拠でもある。


「感情の昂り程度で【媒体】の力を発動させる、か……。詠唱も使わずにここまで出来るのはさすがだが……感情の制御については未熟なようだ。およそ隊長の立場に身を置いているとは思えんな」

「……それはあなたも同じです。娘を前に、こんなものを使わなければ話すことすら出来ないのですから」


 その言葉とともに、レイシアの周りを結晶が割れたような音が響き渡り、大きな何かが落ちるような音が響いたかと思うと辺りに蛇のような何かが薄っすらと浮かび上がる。それがレイシアの動きを封じていたアーノルドの『魔術』の正体だ。


「どこへ行く?」


 アーノルドの呪縛から解放されると、レイシアは扉へと足を運んでいた。


「決まっています―これからアミナを助けに行きます」


 振り返ることなくレイシアは力強く言葉を紡いだ。強い意志を感じさせる声だったが―アーノルド相手にはその意志は無駄だった。


「それは許さん」

「止められる理由はありません。……私は自分の意志で行くだけです」


 そうして、足を再び動かすレイシアだったが、ふと足が止まる。だが、その原因は『魔術』ではない。


 レイシアは突然恐怖で体が震え上がり、身がすくんで動けずにいたのだ。


「……あまり、私を困らせるな」

「……っ!」


 アーノルドがそう発した途端、レイシアはあまりの恐怖に足から崩れ落ちそうになった。まるで、得体のしれない化物を背にして歩いてしまったような恐怖がレイシアを襲っていたからだ。


 それが、アーノルドが発した単純な怒りという感情だと気付くのに、レイシアは少しばかり時間を要してしまう。逆らえば、自分に何が起こるか……頭に過ぎる『死』という言葉がそれを表していた。


「お前は第三陣として働いてもらわねばならん。……それまで待機していろ」


 返事をすることすらできなくなったレイシアに溜息を吐いたアーノルドはその指を大きく鳴らす。

 その音が響いた瞬間、レイシアの周りの景色が変化していた。


 ―何?


 変わりゆく景色に、自分の肩を抱き寄せるようにして縮こまるレイシアだったが、気付けば自室の中の扉の前で立ち尽くしていた。


「……っ、はぁ……はぁ……」


 まるで緊張の糸が切れたように、レイシアは自分の背中を扉へと押し付けてゆっくりと座り込んだ。恐らく、アーノルドがレイシアを転移させる『魔術』を使ったのだろう。


 ―アミナ……。


 未だ残る恐怖に構わず、レイシアは自分の大事な妹を救うべく扉を開こうとするが、まるで元から開く構造になっていない壁のように扉は開くことは無かった。


 抵抗が無駄だと思い知らされたレイシアは再びその場に崩れるようにして座り込み、拳を強く握りながら届かない声で小さく呟いた。


「お願い、アミナ……無事で居て」


 静かな室内でその声はやけに大きく響いていた―。

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