第8話 崩壊する日常

 レオハルトは火が上がる街の大通りを走っていた。

 息が上がりそうになるのを必死に堪え、それにも構わずにただ一直線に走り続ける。案の定、街の中は大混乱に陥っていた。


 次々に人が逃げ惑い、周りは大人の怒号や子供の泣き声が混ざり合い、恐怖に落ちたその様子はまさに地獄としか言いようが無かった。


 ―ミーネはどこに居るんだ……?


 行きかう人々へと視線を向けながら走っていると、やがて道の隅にミーネットの姿を発見する。レオハルトは周りの人の間を掻き分けながらようやくミーネットの傍に寄ると、彼女の近くに小さな少女が一人泣きながら立っていることに気付いた。


「あ、レオ!」


 レオハルトが近付くと、安堵したのか一瞬涙を浮かべるミーネット。しかし、傍に立つ少女のことを思い出したのか、片手で少し乱暴に目を擦ると、その涙を誤魔化す。


 そんな彼女の気丈な振舞いに安心すると、緊張感を伴った声で声を掛けた。


「良かった、無事だったんだな」

「レオも無事で良かった……」

「……その子は迷子か?」

「うん、お母さんとはぐれたんだって……」


 そう答えながら泣いている少女の頭をゆっくりと撫でて落ち着かせるミーネット。それが功を成しているのか、少女は周囲の騒ぎに驚いてはいるものの大声で泣いたりはしていない。


 レオハルトはミーネットの無事に安堵すると、近くにあるはずの彼女の家を探して視線を彷徨わせた。


「……この辺りですごい音がしていたけど、家は大丈夫か?」


 その言葉にミーネットは顔を俯かせ、すぐに答えようとはしなかった。だが、その態度だけで大体察することが出来てしまう。


 レオハルトは慎重に言葉を選びながら彼女へと言葉を掛ける。


「そうか……。おじさんやおばさんは?」

「あ、うん……そっちは大丈夫だと思う。二人とも今日はもう少し奥の街まで行っているから」


 最悪の結果を聞く覚悟をしていたレオハルトは一先ず安堵の息を吐く。

 早くに両親を失くしていたレオハルトはミーネットの両親に世話になっていたこともあり家族同然の気持ちを持っていたのだ。


 だからこそ、この場で彼らの無事を聞くことができたのは彼にとっても嬉しい報告だった。


「それなら良かった。おじさん達には世話になったからな、無事で居てもらいたいよ」

「うん……ありがとう。……それにしても、一体何が起きたの?」


 ミーネットが言い終わると同時に、近くの家から突然炎が噴き出した。突然のことに驚くレオハルト達だったが……それだけでは終わらなかった。


 炎を吹き上げた家の中から火だるまになった男が叫びながら出てきたかと思うと、すぐに倒れてしまったのだ。あまりにも唐突な出来事の一部始終を見てしまい、二人はおろか周囲の人間も思わず黙り込んでしまう。


 そして、未だ燃え続ける人影の安否を確認しようとミーネットが腰を上げようとしたが、レオハルトがそれを手で制した。


「僕が確認する。……君は見ない方が良いと思う」

「…………」


 レオハルトの勧めに反論することはせず、ミーネットは素直に従うと一瞬だけ先程の人に目を向ける。だが、すぐに口を押さえると、謝罪の言葉とともに体ごと視線を外した。


「……ごめん」

「良いよ。とりあえず、少しだけ待っていてくれ」


 それだけ言うと、レオハルトは焼けた匂いを発する人影へと足を向ける。しかし、徐々に近づいて行くにつれて、その安否の確認が意味のないことだというのが嫌でも分かってしまっていた。


 未だ火の手が上がるその人影はもはや指一つ動かすことも無く、息をしている様子も無かったからだ。


「……」


 ミーネットを制止したレオハルトだったが、彼もまた普通の一般人だ。人の死にすらまともに立ち会ったことの少ない彼も、人の死に目を眼前にして目を背けたかったのだ。


 しかし、年上とはいえ女性であるミーネットにこんなことを任せる訳にはいかず、レオハルトは目の前に倒れていた人影の死を確信すると、背を向けてミーネットの元へと戻っていく。


 そして、自分の不安を悟らせないよう可能な限り声を張って言葉を掛けた。


「……あの人はもうダメだった。ひとまずここから離れよう。少なくとも教会に行けば警備も厳重だし、ここよりは安全だ」

「……うん。……分かった。行こう?」


 レオハルトから告げられた言葉にミーネットは悲痛な表情を浮かべたが、手を繋いでいた少女のことを思い出したのかすぐに表情を引き締めた。そして、レオハルトへと目配せすると、少女の手を掴んで教会に向かって走って行く。


 彼女の機転に関心しつつレオハルトがその後を追いながら後ろへ視線を向けると、再び周囲に轟音が鳴り響いた。


「またか……! 一体何が起きているんだ?」


 繰り返される衝撃に悪態をついていると、ふと遠くの方で灰色の軍服が見えた。恐らく『防衛軍』の人間だろう。


 『王都シュヴァイツァー』には犯罪や不法侵入者まで、多岐に渡って王都を防衛する組織―『王都防衛軍』が存在する。民間の警備員よりも立場が上であり、多数の権限を持つ天才達の集まりだ。


 その大多数はレオハルト達の通う『国立ラヴェルム征錬術教会』の卒業生であり、その事実が教会の優秀さを知らしめていた。


 しかし、いくら屈指の『王都防衛軍』とは言っても、相手は空に浮かぶ人間だ。未だかつて遭遇したことのない相手に有効な手立ては掴めないようで、苦戦を強いられていた。


 現に彼らはほとんど防戦一方となり、民間人の避難が精一杯という有り様だった。その様子に不安を感じながらも、レオハルトは視線を前へと向けると、少し足を早めて眼前を走るミーネットの横に並んだ。


「一刻も早く避難した方が良い。……『防衛軍』ですら歯が立たないみたいだ」

「歯が立たないって……。やっぱり、これって誰かがやったことなの?」


「ああ、さっきここに来る前に窓から見えた。……何かが空を飛んで、王都を攻撃しているのをな」

「空を……飛んでる? ねぇ、レオ。それって―」


 レオハルトの言葉を受け、続きを尋ねようとするミーネット。しかし、大きな人だかりが視界に入ってきたことで彼女は言葉を飲み込んでいた。


「ここは……教会の前だな」

「すごい人混み……。やっぱり、皆考えてることは同じみたいだね」


 緊急時の避難先として指定されている一つ、『国立ラヴェルム征錬術教会』には近隣の住民たちが集まっていた。しかし、その人数はあまりにも多く、現に普段通っているレオハルト達ですらすぐには気付かなかったほどだ。


 普段と異なる異様な光景を見て足を止めていると、人垣の横から列の整備をしていた男子生徒の一人が声を掛けて来た。


「君達、そこは最後尾じゃ―って、会長?」


 腕の腕章を見るにその男子生徒はミーネットと同じ『学生会』の人間らしく、恐らくレオハルトの先輩にあたる。ミーネットは彼とは面識があるようでその男子生徒から話を聞いていた。


 その話を聞く限り、どうやら民間人が混乱状態になっている為、中々列を詰めてくれないという。それを聞いたミーネットは少し考える仕草をすると、一瞬手を繋いでいる少女へと視線を向けた。


 そして、悲しそうな表情のままレオハルトの方に向き直る。


「ごめん、私ちょっと様子見てくるね? これでも会長だし、こんな時こそ皆をまとめないと……」

「その子のことは僕が面倒を見ておくから気にしなくていいよ。行って来ると良い」

「……ごめん」


 そう言ってミーネットは一瞬躊躇いを見せたがすぐに表情を引き締めると、手を繋いでいた少女と同じ背丈になるように屈んで安心させるように言葉を向けていた。


 そして、少女が不安そうになりながらも、しっかりと頷いたことを確認すると、ミーネットは教会の中央へと向かう為、脇の通路へと消えて行った。


 ミーネットを見送ったレオハルトは再び男子生徒に向き直る。


「すいません、尋ねたいことがあるんですが……」

「あ、うん。何かな?」

「この子の母親を探しているんです。ここに避難している人で迷子のお子さんをお探しの方っていらっしゃいますか?」


 いつの間にか自分の後ろに隠れていた少女を目で示しながらそう尋ねると、男子生徒は少し明るい声で答えてくれた。


「ああ、その子か! お母さんが探していると聞いているよ。……と言っても、この中からその人を見つけるのは難しいだろうし、こちらで預かるよ」

「すいません、お願いします。……このお兄さんに付いて行くんだ」


 そうして、少女を促そうとするが怯えた様子のまま足を動かそうとはしない。その姿にこんな状況とはいえ、男子生徒もさすがに笑いを浮かべるしか無いようだった。


「……はは、怖がられているようだね」

「少し待っていて下さい」


 レオハルトは男子生徒にそう告げると、先程ミーネットがやっていたように少女と同じ背丈になるように屈み、視線を合わせて言葉を向けた。


「君のお母さんが向こうに居るらしい。……このままここに居て、怖い思いをするのはもう嫌だろう?」

「……うん」

「なら、このお兄さんに付いて行くんだ。大丈夫、必ず君のお母さんに会えるから」


 最後に安心させるように笑顔を見せると、少女は安心したのかゆっくりと男子生徒の方に向かって歩いて行った。そんなレオハルトの様子を見て、男子生徒は関心したような息を吐いた。


「意外だね……。なんか、子供とか苦手そうなのに―おっと、ごめん。初対面の人間にこれは失礼だね。申し訳ない」

「構いませんよ。……事実ですし。実際、子供はあまり得意ではないので」

「そうなのか? その割には―ん? そういえば、君の顔、どこかで―」


 男子生徒が言葉を言い終える前に、レオハルトは彼に背を向けると、その場を後にした。後ろから男子生徒の制止する声が聞こえたが、振り返ることはせずにそのまま急ぐ。


 ―こんな状況でも背中に圧し掛かってくる『肩書き』から逃げる自分に軽く舌打ちしながら、レオハルトは教会の脇を走り抜けていった。

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