第2話 〝落ちこぼれ〟と〝出来損ない〟

 昼食を終え、ミーネットと別れたレオハルトは次の講義に向かうべく、教会内の廊下を歩いていた。


 抜き打ちで行われた試験のことが頭に浮かんでしまい、あまり気乗りはしなかったもののそんな理由で講義を休めるほどレオハルトは子供になれなかった。


 レオハルトの居る『国立ラヴェルム征錬術教会』は、王都の中心部にある教会とあって王都にある教会の中でも特に広く、教室一つ取ってもその広さは通常の教会の三倍はあり、無論その分廊下も異常なほどに広い。


 中庭から通る廊下は見通しが良く散歩には適していると言えるが、時間を考えるとそんな余裕は無い。レオハルトは少し早歩きで教室に向かって歩いていると、ふと視界の隅に見慣れないものが入り、視線をそちらに向けた。


 廊下のすぐ横にある中庭の芝生に何か光る物が落ちていたことに気付いたレオハルトは少し考えたのちそれに駆け寄っていく。


「……首飾り?」


 中心に付いていた蓋を開くと、その中には銀色の髪を持った幼い少女とその少女とよく似た金色の髪を持った女性が写っていた。しかし、他人の物を見続けることに抵抗感を感じたレオハルトはその蓋を閉じて手に持つと周囲を見渡す。


 そろそろ講義が始まる時間ということもあり、徐々に人気は無くなっていた。


 ―誰かの落し物か? ……どうするか。


 懐にしまっていた懐中時計を見ると、講義開始までまだ少し余裕があった。とはいえ、それはあくまで全力で走った場合の話だが。


 改めて首飾りを見ると金色に塗られた塗装は剥がれ、首に付けるはずの鎖も壊れてしまっている。恐らくこれが原因で落ちてしまったのだろうが、そこでふと疑問が湧いた。


 ―征錬術を使えばこの程度の損傷は容易に修復出来るはずだ。王都には征錬術を使える人間はたくさん居るはずだし……それでも修復していないということはあえてやっていないのか?


 レオハルトはともかく、少なくともここに通う生徒であれば誰でも直せる程度の損傷だが、どういうわけか金色に塗られた首飾りの損傷は激しいままなのだ。


 レオハルトはそこに釈然としない気持ちを抱いたものの、理由はどうあれ落とし主が困っている可能性は高い。そうして、レオハルトが手にした首飾りを手に持ち、ひとまず持ち主を探そうと足を進めた時だった。


「―あの」


 不意に後ろから声が聞こえ振り向くと、銀色の長い髪を持った少女が俯きがちにこちらを見ていた。よく見れば身長はかなり低く、見た目から推定しても十代前半くらいの少女だ。


 緊張しているのかその表情はまるで人形のように動くことはなく、感情を伺うことは出来なかったが、レオハルトは目の前の少女がどこか焦っているように見えた。


「僕に用か?」


 見覚えのない少女にレオハルトは困惑するが周囲には自分以外に誰も居ないことから少女へとそう問い返すと、目の前の少女は小さく頷いた。


「……ここに金色の首飾りが落ちてなかった?」

「首飾り? ああ、落ちてたよ。これだろ?」


 そうして少女の前に首飾りを差し出すと、少女はレオハルトから受け取り大事そうに胸に抱えながら少女は年相応の笑顔を見せる。


「良かった……」


 その笑顔にレオハルトは目の前の少女が渡した首飾りに描かれた少女だと気付いた。


 ―なるほど、あの首飾りの中に写っていたのはこの子だったのか。


 そんな少女の仕草を微笑ましく思うと同時に、ふと不躾なことだと思いながらも先程まで疑問に感じていたことを尋ねる。


「かなり傷んでいるようだが……直さないのか?」


 もしかしたら、直さないのには理由があるのかもしれない。だとすれば、その理由を尋ねるのは野暮というものだったが、疑問を受けた少女はレオハルトの言葉に気分を害した様子は無く、ただ少女は静かに首を振った。


「色々な人に見てもらった。……でも、誰も元通りに直せなかったから」

「誰も……?」


 改めて首飾りを見る。損傷は多少激しいとはいえ、これぐらいであれば多少技術が未熟な人間の征錬術でも直せそうなものだ。


 ―これなら僕にも出来るか。


 普段あまり他人と深く干渉することをしないレオハルトだったが、それでも困っている人間を見捨てられるほど彼は冷たくもなかった。


 レオハルトは少し考える仕草をした後、少女の方へと向き直る。


「その首飾り、少し借りても良いかな?」

「……え?」


 レオハルトの問い掛けに少女は咄嗟に首飾りを庇うような仕草をしてしまう。しかし、レオハルトはそんな少女を驚かせないように気を配りながら説得を続ける。


「大丈夫だ、壊したりしない。約束するよ」

「……分かった。信じる」


 そうして少女から首飾りを受け取ると、レオハルトは自分の懐に手を入れ、目的のものを探り始める。手応えを感じて懐から手を出すと、その手には綺麗な結晶が一つ乗せられていた。


「綺麗……」


 少女はまるで、その結晶に心奪われたように小さく感嘆した声で呟いていた。


 ―『征錬石』。

 圧縮された高密度の原石の塊であり、膨大な力をその中に秘めていると言われている。この『征錬石』を【対価】として支払うことで『征錬術』を行うことができる為、『征錬術師』にとっては常に持ち歩くべき必需品と言って差し支えないものだ。


 レオハルトはそれを足元に置くと、白墨で地面に小さな陣を描いていく。

 やがて、レオハルトの素早い手付きにいつしか少女は声も出ない程に魅了されていた。


 『征錬陣』と呼ばれる陣を形成し終えると、その中心に首飾りを置く。そして、石を手に持ち手をかざした瞬間、光が現れて首飾り包み込んでいった。


「っ……」


 あまりの光に少女は瞳を閉じたが―しかし、光はすぐに無くなった。


「終わったよ」


 その声に少女が固く閉じていた瞳を開く。すると、レオハルトの手に置いてある首飾りを見て感嘆の声を上げていた。


「……直ってる」


 驚く少女にレオハルトは優しく声を掛けながら、まるで幼き日の自分を見ているようで少し心が暖くなるのを感じていた。


「もう大丈夫だろう。これで元通りだ」

「…………」


 レオハルトの言葉を受けた少女だったが、すぐに目の前の出来事を理解できていないようだった。この都では日常茶飯事な光景であったとはいえ、やはりまだ技術が未熟な子供にとっては目を見張るものだったのかもしれない。


 しばらくすると、少女はその首飾りの中身も確かめながら小さく息を吐いていた。そんな様子に喜んだのも束の間、少女の目に涙が浮かんでいた。


「どうしたんだ?」


 突然の出来事に少々の戸惑いを見せつつ、相手を不安にさせないよう配慮して声を掛ける。しかし、レオハルトの気遣いに反して少女は涙を浮かべたものの明るい表情を返してくる。


「嬉しくて……直そうと思ってたのに、全然直せなかった。……それなのに直ったから嬉しくて」

「……大事だったんだな、それ」


 レオハルトの問い掛けに少女は小さく頷いていた。普段受けない真っ直ぐな気持ちに多少戸惑うが、ついレオハルトは笑顔を浮かべる。


 そんな中、突然後ろから聞きなれた声が掛けられた。


「あれ? 教室に戻ったんじゃなかったの?」


 その声に振り向けば、先程まで食事を共にしていたミーネットがこちらの様子を伺うように歩いてきていた。その手には先程までと異なり、いくつかの布製の袋が下げられている。


 恐らく、教師に頼まれた『征錬石』を運んでいるところなのだろう。レオハルトはそんな彼女に反応するように声を返した。


「戻る途中でこの子を見かけたんだが……困っていたようだったから少し話を聞いてあげてたんだ」

「あ、そうなんだ。それで、なんの話だったの?」


 レオハルトの後ろに居る少女と彼の様子を交互に伺って尋ねるミーネット。しかし、すでに用が済んでいる状態で改まって説明する必要はないだろう。


「もう片付いたから気にしなくていい。……あ、そうだ」


 ミーネットと話し始めてしまい、先程の少女のことを放っておいてしまったことに気付いたレオハルトは急いでそちらへと体を向ける。そして、確認を取るように声を掛けた。


「よし、これで首飾りは元通りだ。後は大丈夫か?」

「あ、うん。……ありがとう」


 少女はレオハルトに促されると小さく頭を下げる。そして、お礼の言葉とともにその場を後にしようとしたがすぐに立ち止まってしまった。


「どうした?」


 少女の行動に疑問に頂いたレオハルトが尋ねると、少女は体ごと向き直ると、少しだけ弱々しい声を返してきた。


「……名前を聞いても良い?」

「名前?」

「そう、名前。……お母さんが『人に助けてもらったら、いつか恩返しができるように名前を教えてもらいなさい』って教わったから、あなたの名前を知りたい」


 彼女の瞳はしっかりと前を向き、レオハルトを見ていた。

 あまり見掛けたことの無い真っ赤な瞳に見つめられ、普段感謝されることの少ない彼は一瞬その真っ直ぐな感情に怯みを見せるが、すぐに気持ちを落ち着かせるとゆっくりと言葉を返していく。


「……僕はレオハルト・ヴァーリオン。ついでに後ろに居る女性はミーネット・ガルスターだ」

「だからさっき〝レオ〟って……」


 先程、ミーネットがレオハルトを呼んだ時のことを言っているのだろう。少女は静かに〝レオ〟という言葉を反芻していた。


「気に入ったならそれで呼んでも構わない。それで君の名前は?」

「私は……アミナ―アミナ・レディスター」


 そう名乗った彼女は一瞬だけ躊躇うような仕草を見せた気がしたが、すぐに表情を戻す。レオハルトはその行動に少しだけ違和感を感じたものの、いつまでも反応しないのも失礼だと思い返事を返すことにした。


「アミナか。良い名前だな。それじゃアミナ、また機会があったら会おう」

「うん。じゃあ、また、〝レオ〟」


 そうして今度こそアミナは廊下を走っていき、やがてその姿を消した。


「行っちゃたね」


 ミーネットのそんな声を耳に聞きながら、レオハルトの脳裏には先程出会ったアミナと名乗った少女のことが思い起こされていた。


 正確には少女自身ではなく、その彼女が持っていた首飾り―修復した〝金色の首飾り〟のことだ。曇り一つなく綺麗になったあの首飾りにレオハルトは少し疑念を感じていた。


 確かに『征錬術』は成功した。……しかし、それだけでは首飾りは修復されなかったのだ。足りなかった部分を『魔術』で補った瞬間、首飾りは急速にその姿を修復していった。


 レオハルトの技術が足りなかった、と言われればそれまでかもしれないが、何か違和感を感じてならなかった。


 ―まさか……。


 脳裏に過ぎる『魔術師』という言葉。

 今は亡き母と同じような人間がまだ居るのではないか―そんな風に考えてしまう。


 しかし、それを訪ねようにも、既に相手は居ない。

 見送ったアミナの背中がやけに鮮明に思い起こされた。

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