『永遠の薔薇色』 ─青く輝くパラレルワールドの約束─

ソコニ

第1話 永遠の薔薇色



指先が震えた。目の前に咲く薔薇は、この世界の理を覆すように、深い青を湛えていた。


十年。私はその不可能な色を追い続けた。遺伝子の螺旋の中に、青の秘密を見つけ出そうとした。数えきれない失敗を重ね、それでも諦めなかった。でも今、その青は、別の世界の私の手の中で静かに輝いている。


「信じられない...」


声が掠れた。喉の奥が熱い。


「こっちの世界では、不可能なんて言葉はないのよ」


彼女―パラレルワールドからやってきた私自身―は、どこか寂しげな微笑みを浮かべていた。その瞳の奥に、何かが隠されているように見えた。


研究室の無機質な光が、青い薔薇の花びらを通り抜けて、幻想的な影を床に落とす。まるで深海から拾い上げた秘宝のように、現実離れした美しさだった。


「教えて」私は彼女の目を見つめた。「どうやってこの青を...」


言葉が途切れる前に、彼女は静かに首を振った。その仕草に、重い決意が滲んでいた。


「代償を払ったの」彼女の声が、微かに震えている。「私たちの世界では、新しい色を得るたびに、既にある色を手放さなければならないの」


その瞬間、背筋に冷たいものが走った。今まで気づかなかった違和感が、突然形を持って私の前に立ち現れる。


「まさか...」


私は慌てて窓の外に目を向けた。研究棟の裏手に広がる実験用の薔薇園。そこには、真紅の薔薇が夕陽に照らされて燃えるように咲いている。でも、彼女の世界では―


「そう」彼女は押し殺したような声で言った。「私たちは選んだの。青い薔薇を手に入れるために、赤い薔薇を永遠に失うことを」


その言葉が、研究室の空気を重く沈ませた。


窓からの風が、彼女の長い髪を揺らす。その仕草は私のものと同じなのに、どこか違う。彼女は確かに私なのに、別の選択をした私。


「でも、それは...」言葉に詰まる。「赤い薔薇は、いつだって薔薇の象徴だったのに」


「そうね」彼女は虚空を見つめながら言った。「でも、執着が強ければ強いほど、失うものも大きくなる。それが私たちの世界の掟なの」


実験台の上で、培養液に浸かった様々な色の薔薇の苗が、蛍光灯に照らされて淡く光っている。黄金色、深い紫、純白の花びら。どれも美しい。でも、その中に青はない。


そして、突然理解が私を打ちのめした。


私たちの世界には、確かに青い薔薇はない。でも、それは自然が私たちに教えてくれる限界なのだ。その限界の中で、これほど多くの色が共存している。それは奇跡じゃないだろうか。


「帰るわ」


彼女の声が、私の思考を中断させた。


「待って」私は思わず彼女の手を掴んでいた。「その青い薔薇を...ここに」


けれど言葉の途中で、私は自分の過ちに気がついた。


「ごめんなさい」心からの謝罪の言葉が、自然と溢れ出た。「持って帰って。それはあなたが、大きな代償を払って手に入れたものだもの」


彼女の目に、涙が光った。


「ありがとう」その言葉には、深い安堵が滲んでいた。「あなたの世界は、きっとこのままでいい」


彼女は青い薔薇を胸に抱きしめ、来た時と同じように、夕陽の光の中へと消えていった。


私は実験ノートを開き、最後のページに記した。


「青い薔薇の研究、終了」


そして、心を込めて付け加えた。


「理由:完璧を求めることは、時として最も大切なものを失うことである」


夕暮れの薔薇園では、赤、ピンク、黄色、紫、白の花々が、優しい風に揺られている。それぞれの花が、それぞれの色を誇りに思っているかのように。


私は深く息を吐き出した。胸の中に、確かな安らぎが広がっていく。


これは私たちの世界の選択。そして今、私はその選択を心から誇りに思えた。


(終わり)

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