第3話
ある日、件の女郎がうちを訪れた。
俺が兄弟子を殺してから三月あまりといった頃のことだった。
「ねぇ、かけそばを一杯頂戴」
「かしこまりました」
「あの店員さんはどこに? しばらく見ないけど」
あれほどの事件だったというのに、人ごとですらないような口調で言う女郎。
「さぁ、知りませんね」
「それだけ?」
「そうですね。…女癖の悪い人間でしたけど、奴は」
「まあ、私に言わせりゃあどこにでも落ちてる遊び相手だったけどね」
蕎麦を茹でる手が止まった。
「姉さん、吉原では男女の仲ってぇのはそんなものなんですか」
俺は表情を変えることはせずにそう言ってやった。
(やはり、兄弟子さんの言う通り、この女は俺達を手玉にとって弄んでいやがった。たとえ遊び相手だったとはいえ、死んで悲しむどころかそんなあしらう風に言って)
そのあと、とりとめもない話題で時間を潰したが、俺はなんとしてもこの女だけは許すわけにはいかない、という考えで頭が一杯だった。
注文を受けてから、通常ではまだまだといった早い段階で彼女は催促してくる。
「蕎麦はまだかや?」
「もう少々お待ちを」
「さっきから四半刻は経ってる気がするけれど」
「四半刻も経たずとも人は死ねますよ」
「どういう意味でありんしょう?」
「女郎さんともなれば顔が商売道具でしょう。それが無くなるとどうお思いになられますか」
「わっちの顔?」
「そう、顔ですよ。その顔」
「教えてくりゃれ。どういう意味なのかや?」
ここで俺は心を決めて蕎麦を女郎の眼の前に出す。
「どうぞ」
「ずいぶんお待ちしておりいした」
「ねえ、姉さん」
俺は右手の人差し指を自分の額に当てた。
「姉さん、狢が出たって話を聞いたことはありますか」
「?」
「顔をなでると…そこには目も、鼻も、口もない顔がある、そんな妖怪です」
子供の駄々に付き合っているかのように笑いはじめる女郎。
俺も笑顔で返したが、目だけは笑っていなかったのが自分でもよくわかる。
「あんたが見たいのは、こういう顔でしたか?」
俺は顔を手で撫でた。女郎は、
「!?」
☆☆☆
俺は彼女のこのときの顔を今でもよく憶えている。
むじな ~ Lafcadio Hearn New Translation 博雅(ひろまさ) @Hiromasa83
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