死してなお兄、俺以外には
目々
兄さん気取りの人でなし
一応さ、昼に出かける予定があるんだよね。だからそうやって玄関先でうろうろされると困るから、帰るか入るか決めて欲しい。どっちも嫌だったら、警察呼ばなきゃなんないけど。
お兄さんは御在宅ですかったらいないよ。そんなやつはいないよ。この家住んでんの、今は俺一人だから。
だからさあ、人んちの玄関先でそんな呆然とされても困るんだよね。そんなはずはったって事実俺しか住んでないもん。あんたが探してるようなお兄さんはここにはいません、としか答えようがない。嘘ついたってしょうがないし。
──まあね、これだけの説明で素直に帰ったやつなんか今まで二人しかいないからな。あんたもどうせそうだろ、殴りかかってこないだけマシだけど。
いいよ、上がんな。言ったろ、出かけるのは昼からだって。あんたに事情を説明してやるくらいの時間はあるんだよ。ただ手間だから嫌だってだけで。けどあんたこのままだと帰んないだろうし、話ぐらいはできそうだしな。暴力に訴えないなら、それなりにこっちだって対応してやんなくもないってだけのことだ。よかったな、短気を起こさなくて。家上がってから殴られたら、普通に警察呼ぶけど。
ちょっと待ってろ、スリッパ出すから……一人暮らしのくせに靴いっぱいあるじゃないかとか余計なこと勘繰ってそうだから一応説明しとくけど、そこの革靴が俺の仕事用で、スニーカーが普段使いのやつ。今履いてたのが
はい。大体これでみんな納得してくれるっていうか、これで分かんなかったらもう面倒だから追い出してるっていうか、そういうやつなんだけど、どう?
説明、いる? 見た通りなんだけど。ここは仏間で、あれは仏壇で、あそこでへらへらしてんのが兄さんの遺影。見覚えあるだろ、──はは、顔真っ白。
死んでるんですかったら、まあ、そうだね。仏壇に生きてる人間の写真ってあんまり置かないだろ。あとさっきから俺言ってるじゃん、遺影だって。だから、死んでんだよね、兄さん。
へたり込むまでいくやつはね、二か月に一回ぐらい。いちいち重たい人だね、あんた。俺に手上げないあたり、気も小さいんだろうけど。面倒だけどもマシな方だ。
とりあえずさ、話くらいは聞いてやるけど、どうする? なんでって、そこでずっと座り込まれても困るし、あんたももう少し詳しい説明とか聞きたいだろうよ。──後日また来られても困るしな。大体この一回ですぱっと済ませて欲しいんだよね、俺としては。面倒だから、本当に。
飲み屋で相談に乗ってくれたってのと、コンビニの喫煙所で心温まる雑談をしてくれたってのが半々ぐらいなんだけど、どっち?
──ああ、飲み屋の方。どうせあれだろ、駅前のデカい方のカラオケ屋の横ん通り、イタリアンレストランと立ち飲み屋の間の地下にあるとこ。名前なんだっけな、捻った結果よくある感じに落ち着いちゃった、やっすい隠れ家系創作料理屋みたいなゆるめのやつだった気がするんだけど。まあいいや、そこだったっぽいし。いいよ店名出さなくて。
どうせあれだろ、あんたも死にたかったとか仕事が上手くいかないとか友達がいないとかとにかく人生がろくでもないとか、そういう感じの鬱屈みたいなのをふつふつ抱えて酒飲んでたんじゃないのか。……そこでさ、素直に頷くのもどうなんだって気がするよ、俺は。言っといてなんだけど、結構な暴言の類だからな、これ。だからって殴られんのも嫌だけど、せめて睨むぐらいはしていいと思うよ、あんた。
そうやってサワーやらビールやら三杯ぐらい開けたところで、いつの間にか隣の席に居て話を聞いてくれた、だろ。手口が少ないんだよな、あいつ。
何言ったか、当ててやろうか。気持ちは分かる、人生はろくでもないけど死んだって面白くもない、とりあえずその日の飯が美味くて楽しく酔えて煙草が吸えたら上等──ああ、やっぱこれなんだ。本当に手管の幅がないな。ついでにあれだろ、ここの住所喋って、何かあったらここに来れば俺はいるから、とか優しく教えてくれたんだろ。メモも書いてくれたりしてさ。いいよ、見せようとしてくれなくて。どうせ見つかんないから。大体消えるんだよ、スマホでも紙でも一緒。スマホだとメモが真っ白になってるし、紙なら丸ごとなくなる。
言ったろ、お前みたいのがちょくちょく来るんだって。そいつらから聞いたんだよ。常套句、っていうか大体こんな具合なんだよな。目新しくもなんともないけど、煮詰まって弱った人間たぶらかすにはこの程度の適当な物言いで十分なんだよな、きっと。一対一で酒の席なら尚更だ。
多分ね、すげえ不本意だけど、あんたが会ったやつって俺の兄なんだよね。
うん、死んでんの。三年くらい前にね、自殺。動機とか全然知らない。遺書も何にも残さずに、ある日突然自分の部屋で首吊っておしまい。今っくらいの生温い時期でさ、喪服だと微妙に指先が冷えて困ったっけな。
で、そうやって勝手に死んだくせに、度々あんたみたいのがここに来て、お兄さんいませんかとかそういうことを言ってくる。だから、俺が毎回追い返してんの。……あんたみたいに話が通じそうなやつなら、気が向いたらこうやって対応もしてやってる。暴れるようなやつが来たら、警察呼んでさ。だって住んでんだから、自分ちの問題は自分が解決すんのが筋だろ。
両親はね、思い出すからって引っ越したんだよ。街の方のマンション。だって家で死ぬもんだから、嫌でも毎日死亡現場が目に入るし意識もしちまうだろ。それが辛いの、あんただって想像できるだろ。両親は楽しく生きてるよ当たり前だろ。なんで生きてるやつが勝手にいなくなったやつのこといつまでも引きずって暗く静かに悲しく生きてなきゃならないんだ。
だから俺はあいつに怒ってんだよな。何が腹立つってさあ、あいつ生きてる間はろくに兄らしいこととかしてくんなかったんだよ、俺に。年は確かに結構離れてたけど、だからってあんなに馴染まない人もいないだろうって感じだったから。普通の兄弟みたく遊んだ記憶もほとんどないし、家で顔合わせても会話とか皆無だったし、本当に同じ家で寝起きしてるだけみたいな記憶しかない。気使って俺から最近どうみたいに話振ってもいや全然大丈夫です、とか返すんだよ。一緒に酒飲もうとか言っても邪魔になりますから、って断るし。敬語だぜ、実の弟相手に……義理とか腹違いとかそういうのなしに、正真正銘マジの肉親なのに。何か知らないけどずっと俺とか両親にもびくびくしててさ、そのくせ実家出たりもしないでここに居て、仕事ばっかりで全然遊びもしないでたまに俺が話しかけると卑屈にへらへら笑って誤魔化すみたいな顔すんだよ。そりゃあ好かれる理由があったかったらないけど、嫌われる覚えもないんだから、俺だってどうしていいか分からなかった。
挙句の果てに部屋のドアノブで首括ってんだから、意味分かんないだろ。兄っていうか、何なんだよあんたって感じになる。
引っ越さないっていうか、引っ越せないだろ、立場的にさ。
ここ誰も住まなくなったらあんたみたいな連中も野放しになるかもしれないし、駄目だろそれは。……あとは一応、本当に一応、あいつここしか家知らないから。いるかどうかは知らないけど、もしかしたら飲み屋とか駅前ふらふらしてから帰ってきてるとしたら、ここ空になったら困るだろ、多分。知らないけど。俺そもそも幽霊とか信じてないし。だから毎回みんな似たような幻覚の話すんなって思ってるよ。だって、幻覚じゃなかったら意味分かんないだろ。あんな世間にも家族にも俺にも遠慮しまくってびくびく怯えて、そんでふらっと死んじまったようなやつが何を未練にして幽霊やってんのか、さっぱり分からない。あんたや他の酔っ払いたぶらかして回るより、よっぽど先に化けて出るべき相手がいるんじゃないかって、思ってる。──俺じゃない、せめて両親とか、そっちだろ。
何なんだろうな、その辺。あいつの理屈が俺にはさっぱり分からない。あんた、答えられるか。だってそうだろ、あんたは兄に会ったんだろ、何か……何か、そういうこと、言ってなかったか。
──いいよ、悪かったな。ともかくそういうことだから、ここには俺しか住んでない。あいつがどういうつもりでここに住んでるって言ったか知らないけど、もういないから。分かった?
ついでにそこも分かんないんだよな。いや、ここに住んでる、でここの住所を出す理由。だってさ、あんたにこの家の住所を教えてるってことは、あいつ幽霊のくせに家のことは覚えてるわけだろ? もしかしたら今の状況、自分の家がいまどうなっているのかってのを知ってるまであるかもしれない。だってそうだろ、両親が引っ越した時点で、俺だってどこかしらに移り住んでることだってあり得るわけだ。現にそうするつもり、そこそこあったからな。今の仕事場から遠いんだよこの家。そうやってこの家が空き家になってた可能性なんて十分にあるわけだろ。そうなってたら、あんたはただの空き家にのこのこ顔を出した間抜けになってたわけだから。
でもあいつ、そういう意地の悪い真似をするようなやつじゃないとは思うんだよ。だから、この家に誰かしらが住んでるってことをあいつなりに把握してるんじゃないかって、俺は思う。
じゃあ、俺がこの家にまだ住んでて、こうやって跡始末をしてんの、あいつはどう思ってんだろうなってのは考えたりはすんだよ。──知るわけないだろ、あいつの考えることなんて。生きてるときだって何にも分かんなかったんだから、尚更。なんなんだろうな、本当に。
死してなお兄、俺以外には 目々 @meme2mason
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