ささやいてよ、オオカミさん
森上サナオ
1章 オオカミさんとこひつじ君
第1話 同人音声大好きこひつじくんとヤンキーギャルのオオカミさん
「おはよー」「おっす」「やべー数学の課題やってねーよ」「てか朝練キツすぎ」「きのうのホラゲ配信みた?」「あれな~ここ最近で一番笑ったわ」「マジでホラゲやらせたらもこぴ神っしょ」
朝の教室を満たすざわめきをヘッドホンでシャットアウト。
机に突っ伏して、スマホの再生ボタンを押す。
甘くて、柔らかくて、気分がとろけてしまうほど優しい声が、僕の耳にささやかれる。
『……ねぇ、キミ?』
『そろそろ授業、始まっちゃうよ?』
『ほ〜らぁ〜起きて? わたしとお喋り、しよ?』
『ふふ……♡ どうせまーた夜遅くまでゲームしてたんでしょ?』
『あ、ところで今日の数学の課題、やって来た……?』
(まぁ、やってきたけど……)
心の中で答えながら、僕はほくそ笑む。
やっぱり、火曜一限前に聞くならこのサークル「スクールデイライフ」の『となりの席のダウナー女子にささやかれて居眠りできないASMR』のトラック2、「ホームルーム始まっちゃうよ、起きて…♡」が最適解! 間違いない!
学校生活の何気ない日常の中で、となりの席のヒロインといちゃいちゃするこの音声作品。
ストーリーや演技に派手さはない。けどそこがこの作品の最大の魅力だ。ギリギリまでリアリティを追求した結果、僕の聴覚神経の中にヒロインの姿が顕現する!
いま僕の右となりに、黒髪ショートカットの気だるげでたれ目のヒロインが座って話しかけている!
かすかに聞こえるヒロインの吐息で、その近さが分かる。音だけで、ヒロインの体温まで伝わってくる。
(やっぱり、いいなぁ……)
何十回も聞いた作品だけど、聞く度に気持ちがよくなる。
この『となりの席の〜』は、いわゆる同人音声作品というヤツだ。
音声作品。つまり、声と音だけで作られたお芝居。
普通のお芝居を耳だけで楽しめるような、いわゆるボイスドラマというのもある。でも僕としては、いま聞いているような、ヒロインが視聴者、つまり僕に向かって語りかけてくれるタイプの作品が好きだ。
ネットで「音声作品」「同人音声」「ASMR」とかって検索すると、無数の作品が出てくる。
そんな中で人気なのは「ヒロインが語りかけてくる」シチュエーションの作品だろう。
可愛いヒロインとイチャイチャラブラブする作品から、お姉さんからヘンなウソを教え込まれる作品まで、内容の幅は無限大だ。
『あれ……キミ、ここ、寝グセついてるよ?』
ASMRっていうのは……っと、いけないいけない。
またついつい「音声作品を知らない人に紹介するならこう喋る」シミュレーションをやってしまった。
喋るの苦手だから、頭の中で会話のシミュレーションすること、あるよね……
さてさて、そんなことよりこれからクライマックス!
寝グセに気づいたヒロインが僕(僕じゃないけど)の髪を撫でながら甘々ボイスを……
ドンッ、と机が揺れた。
『ふふ、か〜わ』ズルっ
「あ……っ!?」
ヒロインの声が途切れて、教室のざわめきがいきなり耳に飛び込んでくる。
ズレて転がり落ちたヘッドホンが、机の上でワンバウンドする。
驚いて、顔を上げた瞬間。
目の前に、狼がいた。
その狼は、女子の制服を着ていた。
何万年もかけ生み出された氷河のような青い瞳。冷たい光をたたえた瞳をすこし隠す前髪は銀色で、教室に差しこむ朝日を受けて神秘的な輝きを放っている。
顔の下半分はいつもマスクで隠されている。けどその程度では誤魔化せないくらい、バチボコに顔が良い。顔面偏差値東大クラスだ。
すらりと長い手足に、やたらと高い位置にある腰。僕は小学生と間違われるくらいチビなので、隣に立つとスタイルの良さがエグいくらい際立っている。高校一年生にしては発育がすこぶる良い胸のふくらみが、ブラウスの下で窮屈そうにしている。
山梨県立若宮高校の校則に従うなら、四月上旬の今はブレザー着用が基本だけど、僕はこの人が服装規定を守っているところを見たことがない。
そう。狼じゃない。ちゃんと人だ。
だけど、まとっている雰囲気があまりにも狼すぎる。
日本人離れした神秘的とすら言える容姿。実際、両親のどちらかが北欧の出身らしい。
それに加えて、睨まれたら肌が切れそうなほど鋭い眼光。
僕のとなりの席にして、まちがいなくこの学校一の美少女なこの女の子が、僕を見つめて次にするのは……
「……チッ」
舌打ちでした。
「ひぃっ」
そう。こちらの学校一の美少女にして僕のとなりの席で狼な彼女。
オオカミさんこと、
学校一のヤンキーギャルとして恐れられている。
* * *
オオカミさんのウワサは、僕も入学当初からいろいろ耳にしていた。
いわく。
入学初日にオオカミさんに告白した十人全員、眼光だけで恐怖のあまり失禁して気絶したらしい、とか。地元では(ウワサではオオカミさんの地元は東京らしい)ヤンキーの元締めらしい、とか。小学生の頃には既に業界の大物相手に刃傷沙汰を繰り広げたらしい、とか。
いやもう全部「らしい」じゃん。
でもまあ、実際のオオカミさんを見ていると、「あながちウソでもないかもなあ」と思ってしまう。いや、刃傷沙汰はともかく。
……とはいえ、その姿が超絶美少女であることに間違いはないのだ。
そのお姿を拝見できるのは僕としてもやぶさかではないのだけど……
いや近い、近いよ……。
となりの席じゃなくてもいいよ……となりの席は黒髪ショートカットのダウナー系ふんわり女子がいい!(ふんわり女子ってなに?)
「オイ、
「ヒャイッ!?」
いきなりオオカミさんに名前を呼ばれて跳び上がる。
挙動不審な僕に、オオカミさんが不機嫌そうに顎をしゃくる。
「落ちてんぞ。ヘッドホン」
まるで割れたガラスをこすり合わせるような、鋭く、ざらついた声。
「あ、ワ、すませ……」
いつの間にか、ヘッドホンがオオカミさんの足元に転がってしまっていた。
慌ててしゃがみ込んだ僕の視界に、オオカミさんの綺麗な足が入り込んでしまう。短めのスカートと、そこから伸びる、ほんのり桃色に染まった太もも……
ダメだ! 見てるのバレたら殺される!
焦って立ち上がったら、右のこめかみをオオカミさんの机に強打してしまった。
「んぎッ!?」
机が大きく揺れて、変な悲鳴が口から漏れて、オオカミさんが一瞬目を丸くする。
ア……ヒェ……こ、ころされる……
青い瞳を見開いたオオカミさんは、すぐにこちらをひと睨みして、
「……チッ」
舌打ちをひとつすると、つまらなそうな顔でスマホをいじり始めた。
た、助かった……
オオカミさんに聞こえないよう、そっとため息をつく。
実を言えば、僕がオオカミさんに舌打ちされるのは日常茶飯事だ。
ただでさえ、僕は小学生に見間違われるほどチビで、見るからに陰キャで、口ベタで、オオカミさんからすれば見ているだけでイライラする存在なんだろう。
そのせいなのか分からないけど、入学当時からずっと、困っていることがある。
それが、
じぬ……
は?「じぬ……」って何?と思うでしょ。なんかこう、「じと……」と「ぬる……」の中間? とにかく「じぬ……」としか言いようがないだよ……
この、オオカミさんが向けてくる視線は。
粘つくというか、まとわりついてくるというか……。僕がそっちを見ると、また舌打ちが飛んでくるから視線を右肩あたりで受け止めるしかないんだけど。
じぬ……
うぅ……
またこうして、オオカミさんが放つ謎の圧力に耐え続ける一日が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます