サイコロ
乾羊
サイコロ
朝起きて、僕はサイコロを振る。
出た目は『4』。マスは『会社で新規プロジェクトのリーダーを任される』。
おっ、やった! 二年ぶりに来た昇進のチャンス!
僕は意気揚々と支度にかかる。顔を洗って髭を剃り、クロゼットに眠っていた高いスーツを出した。新しいワイシャツに、理子から貰ったドレイクスのネクタイを締めると、いっそう身が引き締まる。
いつもより早く出社した僕は、早速上司に呼び出された。
「今度立ち上げる新規プロジェクトの主任を君に任せたい」
「はい、頑張ります!」
僕は勢い込んで応じた。翌日から、僕のサイコロは絶好調だった。難しい得意先との取引が決まり、プロジェクトは大きく進行した。全く、賽の目サマサマだ。
人間の一生は、約300万コマのロードマップからなるという。
僕は今日もまた、2センチ四方のセラミックのサイコロを軽く握り、宙に投げる。フローリングの床に落ちたサイコロは、僕の運命を決めるべく、からころと小気味の良い音を立てた。
この日の僕のマスは『一回休み』だった。
新プロジェクトの主任となって半年、充実していたがろくに休んでいない。神様がくれたものとして享受しよう。
会社に欠勤の電話すると、総務のお局が「サイコロのせいなら仕方ないですね」と了解する。
デートの予定をしていた理子に断りの電話を入れると、理子は「分かった。目が出ちゃったんだものね」と明るい声で応じた。
通話ボタンを切る間際、かすかに聞こえた理子のため息が、僕の良心を抉った。理子に会うのも半年ぶりだったのだ。奮発したプレゼントの袋を見ていたら、ちょっと泣けた。
翌日も一回休み。二連休というのも悪くない。
その次の日も一回休み。三連休を体験したの初めてだ。
その次の日もまた一回休み。こんなに休みが続くとは。
またまたその次の日も。一回休み。一回休み。一回休み。
欠勤の連絡を入れると「嘘じゃないでしょうね?」と総務のお局に疑われた。
「本当ですよ! ここ十年で最高に出社したい気分ですよ僕は!」
「冗談です。サイコロに異常がないことは把握しています。……気を落とさないで下さいね」
お局から不意に投げかけられた慰めに礼を述べて、通話を終えた僕はそのままベッドに大の字になる。
賃貸アパートの味気ない白い壁紙が、病院を思い出させた。二年前の交通事故で骨折し、全治二ヶ月。天井を無意味に眺める日々が脳裏にちらついて、僕はきつく目を瞑った。すると握っていたスマホが、ぴろろん、と鳴った。後輩からだ。
プロジェクトの進行状況を記したメールの末尾にある、先輩がいないとしんどいです、早く復帰して下さい、という泣き言が身に染みた。
サイコロは一回休みを出し続ける。毎日のようにパソコンに張りつき、障害報告はないかとF5キーを連打しても何も起こらない。世の中は賽の目の通り進んでいる。
理子の帰宅を見計らって電話をかけている間だけが、僕の慰めになっていた。
結局、僕の一回休みは一ヶ月続いた。
起床して、投げやりに振ったサイコロが、ようやく一回休み以外のマスを吐き出した。出勤した僕はプロジェクトの主任交代を告げられた。
「すまんな」
上司は渋面を作り、申し訳なさそうに頭を下げた。
「賽の目が悪かったとはいえ、ひと月も不在となるとな……」
進捗は把握していたが、僕から指示することはとうになくなっていたから、覚悟はしていた。
「また次の機会がある。その時は励んでくれ」
僕がなるべく明るい返事をすると、上司はほっとしたように僕の肩を叩いた。その日はプロジェクトを引き継いだ後輩に謝られたり、同僚に慰められつつ仕事を終えた。残業らしい残業もなかった。
通話をしながらすれ違う同年代から視線を外しつつ、足早に帰宅すると、部屋の明かりがついていた。
「おかえりなさい。早かったのね」
理子がいた。部屋に漂う生姜焼きの香りに空腹を刺激される。
「なんで……」
合い鍵は渡しているが、一言連絡があっても……いや、こういうの前にもあったな――二年前に。
『勤続十年おめでとう』と、ネクタイをプレゼントしてくれた。その日は交通事故で入院した翌日で、プロジェクトの責任者の変更を告げられた日でもあった。
「理子、今日のマスの内容、何だった?」
「なに、急に」
「いいから、教えろよ」
「そういうのマスハラだよ?」
「見せろよ」
詰問すると、理子は渋々スマホを出す。理子のマスには『パートナーがプロジェクトの責任者を下ろされる』とあった。
「まさか、二年前も?」
理子は深く、長いため息を吐いた。
「仕方ないでしょ。目が出ちゃったんだもの」
サイコロ 乾羊 @inuiyou
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