第9話 偵察隊

 争いの準備が始まってからも、アイナの仕事は大きく変わっていなかった。


 森の中に漂う戦いの気配、その重苦しい空気の中でも、彼女の心は揺るがず、日々の仕事に取り組んでいた。

 彼女の集中力と冷静さは、まるでその場の緊張感を楽しんでいるかのようだった。


 アイナは森に出るとまず罠を確認することから始める。これらの罠は彼女自身が丹念に設置したものであり、森の中に巧妙に仕掛けられ、その配置は正確に彼女の頭の中に刻み込まれている。


 最近は毎朝3、4人のゴブリンが罠にかかっているのを確認することが常となっていた。


 最初の頃は助けようとする仲間のゴブリンが一緒にいたこともあったが最近では、罠にかかったゴブリンたちは大人しく待つようになった。彼らは助けてもらえることを理解しているのだろう。それに罠から無理に抜け出そうとすれば、怪我がひどくなるだけだからだ。


 アイナも抵抗さえしなければ害する気はない。一度助けた後に襲ってきたゴブリンがいたが首を刎ねて次に助けたゴブリンにその首を渡してやった。それ以来、助けた後に襲われることはなくなり、時には「アリガトウ」と感謝の言葉をもらうこともあった。


 数多くのゴブリンの中には、何度も偵察に出され、繰り返し罠にかかっている者がいた。

 最初は能力が低いから何度も偵察に出されているのかと思ったが、彼が罠にかかる場所から、洞窟の位置を正確に予想し、少しずつそこに近づいていることに気づいた。

 彼の行動は単なる愚か者のものではなく、優秀な偵察者としてのものだった。アイナは彼に興味を持ち、彼の能力を認めるようになった。

 助けるたびに「アリガトウ」と言ってくれるのでアイナは話しかけてみることにした。


 ある朝いつものように罠にかかっていたそのゴブリンを助けた。

 いつものように「アリガトウ」とお礼をしてくれたので「君は地図を持っているの?」とアイナは声をかけた。

 立ち去ろうとしたゴブリンはビクッとした後アイナを見た。しばらくの間、彼は何かを考えているようだったが、観念したのかこう言った。

「チズハ…ナイ。チズハ…アタマノナカ」と彼は言って右手で頭を指差した。

 その後彼は枝を手に取り、土に地図を書き始めた。

 この辺りの目印になりそうな大木や岩が最初に描かれ、次に彼が罠にかかった場所が描かれた。

「キョウノワナノバショ…ココ。アナタタチノイエ…タブン…ココ」と言いながら、今日の罠の場所に印をつけ、アイナたちの洞窟の辺りに丸印をつけた。その印の場所は、実際に当たっていた。

 アイナはこの予想外の展開に胸が高鳴った。「何でそう思うの?」と、彼女はさらに尋ねた。

「ミツカルワナト…ミツカラナイワナ…アル。ミツカラナイ…ワナノサキニ…アナタタチノイエ…アル」と彼は説明し、他の罠の場所にも印をつけた。


 彼の答えは正解だった。アイナはわざと見つけられるように罠を設置し、その先に洞窟があるように誘導していた。そして実際に洞窟がある場所には近づけないように、見つけられない罠を設置していた。


 しかし見つけられる罠と見つけられない罠の違いはかなり微妙だった。見つけられる罠と言っても十分に隠されており、見つけられない罠との差は紙一重だった。そこからアイナの意図を読むには専門的な知識がないと難しい。アイナはノリスかゲッターにしか見破ることはできないと思っていた。


 アイナはすでにゴブリンの能力を侮っていなかったので彼の能力を素直に認めた。

 今さらごまかしても彼には洞窟の場所がわかっているので無駄だと思ったので、彼の才能を賞賛した。

「あなたは猟師やレンジャーの才能あるわよ。しっかり磨いたらいいわ。それで村長に報告するの?」と微笑みながら尋ねた。

 彼は首を振り「オサ…ミタモノシカ…ミトメナイ」と言った。

「もうすぐこちらの準備が終わるから、そうしたらあなたたちを家に招待するわ。もうちょっとだけ待っていてね」とアイナは言うとその場を離れた。


 洞窟に戻るとアイナは罠にかかっていたゴブリンとのやり取りをゲッターとガプロに報告した。

「その者には心当たりがあります。多分村で一番森歩きが上手で食料を集めて来る者です」とガプロは言った。

 そして悔しそうに「あいつを食料集めでなく偵察に使うなんて、村長は何を考えているんだ」と続けた。

 それに対してゲッターは「それだけここに食料があると思っているってことだろ」と答えた。


「彼くらい優秀な人は他に何人くらいいるの?」とアイナはガプロに尋ねた。

ガプロは少し考えてから「戦闘に関しては村長が一番強く、あとはあいつともう1人身体が大きくて力が強い者がいます。あと弓が使えるものは20人くらいでそのうち上手いものは4人くらいでしょうか。」と答えた。


「彼がアイナ殿との話を村長にしたら、村長は人数をかけて強引にここの場所を突き止めようとするでしょう」とガプロはゲッターに言った。

「それを止めようとすると怪我人が出るね。下手すると死人もかな」と言ってゲッターは考え込んだ。

「この機会に怪我人を作って戦える者の数を減らしてはどうですか?」とアイナは提案した。

 ゲッターはアイナをじっと見てから「できるかい?」と聞き返した。

「もちろんです。脚を怪我して歩けなくすれば、戦闘に参加できないでしょう」とアイナは自信を持って答えた。

「ではそうしよう。いよいよ戦闘になりそうだから確認を怠らないでね」とゲッターは指示を出した。


 その日から常に櫓の上に見張りをおくことにした。

 すでに戦闘の準備は整っていたので、アイナが森に出る以外は塀の中で訓練をして過ごした。


 そして3日目の午後、ついに村のゴブリンたちはゲッターたちの洞窟まで到達した。


 洞窟に到達したゴブリンたちは8人で、塀には近付いて来ずに森からこちらを偵察していた。彼らはこちらを攻撃したりはせずに森と塀の間を歩いて川まで行ったり来たりを繰り返し、1時間ほどで去っていった。


 アイナは偵察隊の様子を確認するために森に入っていったがすぐに戻ってきた。


 アイナは深刻な表情で「ゲッター様。彼らは怪我人を置いて村に帰ったようです。全ての罠を確認できていませんが20人ほどのゴブリンが怪我をしたまま取り残されているようです」と報告した。

 ゲッターは狙い通りだと思ったがアイナの表情が気になった。

 たぶんアイナの予想以上に罠が上手く行きすぎたのだろう。

 アイナはもうゴブリンを人間と同じように考えている。一度にあまりにも多くのゴブリンを傷つけてしまったので、アイナがショックを受けたのだとゲッターは察した。


 ゲッターはアイナの罪悪感を減らすために行動に出ることにした。主力であるアイナがショックを受けたままでは戦えないからだ。

「ガプロ。ここを任せるよ。アイナと一緒に森に行って来る。助けられる者は助けたい」とゲッターは言った。

 ガプロもゲッターの考えを察して反対はしなかった。

「わかりました。彼らもすぐには戻ってこないと思いますが気をつけて行ってきてください。」

「ありがとう。行ってくるよ」とゲッターは礼を言ってアイナと森の中に入って行った。


 森の中は確かに凄惨な状況だった。

 罠にかかって動けないゴブリンたちがそこら中にいた。


 アイナは今回は怪我をさせるための罠を設置したので簡単に外れるようにしていた。怪我をした仲間を助けられるようにするためだ。

 しかし仲間を犠牲にして罠にかからず偵察を成功させたゴブリンたちは、犠牲者を助けずに帰ってしまった。


 仲間を見捨てたゴブリンたちに対する怒りと、そんな状況を作った自分に対する嫌悪感がアイナの心を渦巻いていた。

 ゲッターはそんなアイナの心境を正確に察していた。

 長い付き合いでこんな時はなぐさめるより行動させた方がいいと知っていたのでゴブリンを助けに来たのだ。


「大丈夫か?」とゲッターは倒れていた1人のゴブリンに声をかけた。

 そのゴブリンはゲッターをチラッと見るとすぐに目を閉じた。

 ゲッターはゴブリンの下半身を観察した。

 どうやら右脚を骨折しているようだった。アイナの罠の技術は知っていたが、見事なまでに狙い通り獲物であるゴブリンに怪我をさせていた。

 ゲッターは狙い通りだと思ったが、アイナがどう思っているかも気になった。

 ゲッターがゴブリンの右脚に添え木をしている間に、アイナは簡易の担架を作った。

 ゲッターの処置が終わるとゴブリンを担架に乗せて塀の中まで連れて行った。

 助けたゴブリンは燻製小屋に入れた。ジュアは嫌がったが他に部屋がないので新しく燻製小屋を作ると約束して使わせてもらった。

 

 このようにして森を行き来して罠にかかったゴブリンたちを助けていったが4人目のゴブリンを見つけた時にアイナの顔色が変わった。


「ゲッター様。例のゴブリンです」とアイナは小声で言った。

 そのゴブリンは木に背中を預けて座っていた。こちらを見たが何も言わず逃げようともしなかった。たぶん罠のせいで他のゴブリンたちと同じように脚を骨折しているのだろう。

 また罠からここまで這って移動しているのだろうか、その間に出来たと思われる傷がいくつか確認出来た。

「脚を骨折しているな?」とゲッターが聞くと、そのゴブリンは素直に頷いた。

 右脚を指差したのでゲッターは右脚に添え木をした。


 次にゲッターは以前から考えていたことをこのゴブリンで試すことにした。『加工』スキルで傷を治せないかと考えていたのだ。

 毛皮を加工できたので生物が加工できるなら傷も治せるのではとゲッターは考えていた。

 ただいきなり仲間たちでするのは実験をするような気がして試す気にはなれなかった。なのでこの機会にこのゴブリンで試させてもらうことにした。


 ゲッターが傷口に『加工』を使っていくと傷はなくなっていた。それを見てゴブリンもアイナも驚きの表情を見せた。しかし少し経つと何ヶ所か傷があった場所が青くなった。

「たぶん『加工』スキルでは表面の皮膚を治しただけなのだと思う。傷の深い部分までは治っていないから内出血しているのだろう」とゲッターは考えを言った。

「ソレデモ…タスカル」とゴブリンは言った。

 アイナが簡易担架の用意を始めるとゴブリンは言った。

「オレヲ…ドウスル?」

「ここに居たら夜中に獣やモンスターに襲われるかもしれない。だから私たちの住処に連れて行くよ。嫌かい?」とゲッターは聞いた。

 するとそのゴブリンは「スミカニハ…イケナイ」と断った。アイナは思わず「何で?」と聞き返した。

「ナカマ…ウラギレナイ。ナカマノ…タスケマツ」とはっきりとした声でゴブリンは言った。

「わかった。もう暗くなる。無事を祈っているよ」とゲッターは言った。

 アイナはまだ何か言いたそうにしていたが口には出さず、ポケットから木の実をいくつか取り出すとゴブリンに渡した。

 ゴブリンが「アリガトウ」と言うのを聞くと、2人はその場を離れた。


 ゴブリンから離れるとゲッターは「もう暗くなる。洞窟に帰ろう」とアイナに声をかけて洞窟に向かって歩いて行った。

「ありがとうございますゲッター様。少し気が楽になりました」とアイナはまだ固い表情であったが言った。

「あのゴブリンはなかなかの人物みたいだね」とゲッターは素直に感じたことを言った。

「死なせるには惜しいです。無事仲間に助けてもらえるとよいのですが」と言いながら名残惜しそうにアイナは後ろを振り返っていた。


 結局、洞窟まで連れて来れたゴブリンは3人だけだった。それでも食事を渡してあげたり傷の確認などをして礼を言ってもらえたら、アイナの気持ちはだいぶ楽になった。


 翌日、ゲッターとアイナが森に行くと早速村から救助隊が来ていた。タイミングから考えると追加の偵察隊だったのかもしれない。

 森の中を見回るとやはり獣かモンスターに襲われたものや、体力的に間に合わず力尽きてしまったゴブリンたちがいた。

 救助隊が回収すると考えて死体はそのままにした。


 例のゴブリンのところに行くと彼は無事だった。アイナは彼にいくつかの木の実と水袋を渡すと言った。

「救助隊が来ているわ。もう少しがんばってね」

 ゴブリンはいつものように「アリガトウ」とお礼を言った。

 ゲッターとアイナは木の実や食料になるものを採取しながら一通り見回ると洞窟に戻った。


 決戦の日は近いとゲッターは感じていた。



             ⭐️⭐️⭐️


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