第26話 決着

 川の濁流から救われた俺は、ラパーマに担がれて防衛地点に戻ってきた。


 指揮官三人が不在の現場はひどく混乱している。

 かろうじて岸の堤防と可動式堤防一号機には強化魔法が行使されているが、破壊したバイパス周りでは兵士たちはあたふたするばかりで適切な行動を取れていなかった。


「降ろしてくれ。もう大丈夫だ」


 意識はもうはっきりしている。

 まだ体は痛いものの激しい運動でもしなければ問題はなさそうだった。


「上に登るのは無しだよ」


「あぁ。もう登る必要はない。一号機を魔法で強化していれば全体が耐えられることがわかったし、バイパスももう使い物にならないからな」


 頷いたラパーマは俺の足を地面につけてくれた。アイサはラパーマに抱えられたままだ。

 彼女の状態は気にかかるが、今は川との戦いに集中しなければならない。


「二号機をバイパス沿いに移動しろ!」


 腹の底から声を出し、呆けている兵たちに怒声をぶつけた。


「踏ん張れ! ここが正念場だ! 二号機を移動しろ!」


 突然地表に現れた俺に兵士たちは驚いていたが、二度目の号令で我に返り、二号機の周りに集まり始めた。


「一号機は強化を継続! アルファの魔力残量はどうだ!」


 魔導線の調整をしているエイダから答えが返った。


「まだ大丈夫! 備蓄は使い切ったけど、街からどんどん魔力が送られてきてる!」


 その答えに胸が熱くなった。

 街のみんなも戦ってくれているのだ。

 こっちも気合いを入れなければならない。


 眼前で氾濫を凌いでいる一号機と同じ巨体である二号機が、バイパス沿いに設置されていく。これで新たに誰かが波にさらわれる心配はない。


「二号機にも魔力を装填! ベータを起動しろ!」


 アイサが動けない分、職人たちへの指示は俺が出す。普段と違う命令系統だったが、職人も兵も迷うことなく俺の指示に従った。

 その迅速な行動が新たな崩壊の危機を防ぐ。不安定なバイパスの直上に、強化された二号機が腰を据えたのだ。もうこちら側に水を通すことはあり得ない。


「このまま状況を維持! 動ける者は流された仲間の救助に向かえ! 誰も死なせるな!」


 あとは耐えるだけだ。魔力行使や魔導線の修理に交代要員は必要だが、今は人命も最優先事項の一つになっている。

 隣でアイサを抱えたまま兵士たちを鼓舞するラパーマに声を投げた。


「アイサをどこか屋根のあるところで休ませてやってくれ。その後、ラパーマもバイパス沿いで救助にあたるんだ」


 ラパーマは心配そうな表情を浮かべた。俺から離れたくないのだろう。だが、俺の想いを察してくれたのか頷きを返して駆けだした。

 ものすごい速度だ。超人的なあの走力のおかげで俺は今ここにいられるということか。


 ラパーマとアイサが俺のそばにいてくれたことに、彼女たちが俺のそばにいられるようにしてくれたバーバラやクリスティーナに、俺は深く感謝した。


「アドルフ様ー! 魔導線が切れてるー!」


 エイダの叫び声が耳朶を打ち、俺は改めて頭を切り替えた。

 まだ終わっていない。気を緩めて言い状況じゃない。

 エイダの近くに駆けつけた。


「どこが切れた?」


「ここ。一号機の接続部。バイパスが壊れた時の波にやられたみたい」


 エイダが魔導線の一部を指さした。

 魔導線はぷっつりと切れているわけではないが、ある部分から先に魔力の赤い光が灯っていない。どうやらガラスメッキが剥げてしまったようだ。

 このまま放置すれば守りの要である一号機が決壊してしまう。


「この場で直せるか?」


「素材は持ってきてるし魔力もまだあるから職人の手があれば直せるよ。でもすぐには無理かな。まずどこでメッキが剝がれてるか探さなきゃいけないし」


「だろうな。時間稼ぎが必要か……」


 俺は考える。

 アルファからの魔力は途絶えていない。エイダが魔導線さえ修理してくれれば何とでもなる。

 しかし、エイダの言う通り魔導線の修理は時間を要する。補修箇所が明らかでないうえに、悪天候下の作業だ。どれだけ職人の腕が卓越しているといっても限度がある。


(ベーダの魔導線を引っ張ってくるか……?)


 二号機には既に強化魔法が施され、バイパスの暴動を抑えている。

 本流よりはバイパスの方が流れは弱いはずだし、どちらかといえば強化するべきは一号機の方だ。


(いや、駄目だ。今は流された人がいる)


 万が一、二号機が劣化してバイパスの流路に悪影響が及んだ場合、バイパスに大きな漂流物が流れたり水流の勢いが増してしまったりするかもしれない。人命救助を妨げるわけにはいかない。


 とすれば、取れる手は一つだ。


「一番隊! 力業でいこう! 一号機を直接強化する!」


 言うや否や、俺は一号機を力強く掴み、魔力によって土の塊を強化した。

 体の中で渦巻く魔力の奔流が土の塊に注ぎ込まれ、見る見るうちに硬まっていくのがわかる。


 これは一歩間違えば危険な行為だ。


 今までは可動式堤防から離れた場所で強化魔法を発動していたから安全が確保できたが、こうなると死地と至近距離に居ざるを得ない。水が溢れたり堤防が決壊すれば、今度こそ一瞬であの世行きだ。


 だが、勝算は高い。

 魔力で強化さえすれば一号機が波に負けないことはわかっているし、エイダが魔導線を修理してくれる時間を稼ぐだけなのだ。


「アドルフ様に続くぞ!」


 俺の行動を見た兵士たちが次々に一号機に取り付き、巨大な土の塊を鉄のように固い防壁へと変貌させていく。


 感触でわかる。

 一号機は水などものともしていない。


 俺は魔力が多い方ではないが、それでも死力を振り絞っていつまでも耐えてやる。先ほどまでは身体が鉛のように重かったが、今は力が漲ってきている。


 もうひと踏ん張りなのだ。


 雨は確実にピークを過ぎた。

 未だ大雨ではあるものの、空の黒さは既になく、しばらくすればただの曇り空に変わるはずだ。その希望が、俺の底力を引き出している。


 突然、すぐ近くで強い風を感じた。

 驚いて見てみると、ラパーマが着地態勢を取っていた。


「全員助けた! アイサも屋根のあるとこに寝かせてきたよ!」


 そう言うや、俺の隣で一号機を掴む。

 ラパーマがいれば百人力だ。


「もう一息だ! やるぞ!」


 やけくそ気味に天に向かって叫び声を放った。


「よおおぉぉぉし! 全員気張れええぇぇ!」


 ラパーマもまた俺と同じように絶叫を上げた。

 兵たちも次々と叫んでいる。

 俺たちは終わりの時が近いことを感じていた。


「魔導線の修理ができたよ!」


 エイダのとどめの一言に、矢も楯もたまらず飛びついた。

 一号機にアルファからの魔力供給が再開し、俺たちは安全圏まで離れた。

 まだ油断はできないが、波の勢いは衰え、水流の騒音はどんどん小さくなっている。


 俺たちは洪水を乗り越えようとしていた。

 誰も死ぬことなく、街も無傷のままで。


 その勝利を確固たるものとしたのは、それから数時間が経過してからのことだった。

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