第23話 バームロの抗戦
アドルフらと別れたバーバラは、バームロへ渡るための橋でラパーマから指示を受けた四番隊および五番隊と合流した。
兵士たちは、可動式堤防三号機と魔晶石ガンマを移動してきていた。
可動式堤防は家屋五件分はある大きさの土の塊で、十本の車輪を装着しており転がして移動することができる。
それでも簡単に運べない重量があるため、兵士の一部隊を以てしても魔法を使わなければ運搬することは敵わない。
力の源となる魔晶石ガンマは、他のアルファ、ベータと仕様は全く同じである。
可動式堤防よりは一回り小さい直方体のそれは、五台の台車の上に寝かされており、台車に紐づけたワイヤーを兵士数名が引っ張っている。
ガンマからは魔導線が無数に伸びており、その魔導線を体に、あるいは可動式堤防に巻き付けることで領外であっても強化魔法の行使を可能としている。
「ここを渡ればバームロ領よ。全員、魔導線を装着して」
バーバラの指示に従い、兵士たちはそれぞれが行動しやすいように魔導線を身に着けた。
橋を渡り切ってバームロに入ると、身体から湧き起っていた魔力の奔流が静まったことを誰しもが認識し、魔導線から魔力を得始めた。
「もう水位レベル七だなんて。昨日よりも雨の勢いが増してるのね」
バーバラは橋に建てつけられた水位計が想定より高いレベルであることを確認し、本日洪水が起きることを確信した。
そんなときにルーモンドにいられないことは無念だ。守るべき街、守るべき人たちの傍にいられないことは切に口惜しい。
しかし、バーバラは外交長官だ。
外交面でルーモンドの将来を約束し、今現在やるべきことを為さなければならない。
もしバームロが洪水によって大打撃を受ければ、彼の地との貿易によって物資を得ているルーモンドも無事ではすまない。
バームロを守ることは、引いてはルーモンドを守ることに繋がるのだ。
同行した兵士たちはバーバラの領分を理解している。間接的にルーモンドを守る任務に不満はなく、領地を影から支える格好良さをむしろ自慢に思った。
「こんなことになるなら、組織の一つでも作ればよかったわ。そうすれば部下に任せたのに」
バーバラには部下がいない。
辺境のルーモンドと外交を頻繁に執り行う領地はほとんどなく、業務量が少ないことが理由の一つだ。バーバラの非凡さにより業務を一人で回せてしまうこともまた彼女が一人である理由だった。
しかし、彼女に部下がいたとしても、自分の部下を身代わりにしてルーモンドに残ったかどうかは甚だ疑問である。
「もう少しで目標地点よ!」
自然の騒音に負けじと大声をだし、二台の重量物を懸命に運ぶ兵士たちを励ました。
バーバラたちが目指しているのは、バームロの修復中の道だ。
都市防衛の弱点になってしまっているこの場所に、可動式堤防を構えることがアドルフと考えた作戦だった。
だが、この距離の遠さは想定外だ。
兵士たちはここまでずっと全力で車輪を押し続けていた。
彼女たちは下を向きながら、体重をかけて防衛の要を進ませる。その表情は地面にしか見えていない。彼女たちの粗い息遣いや吐いているだろう悪態は、打ち付ける雨が全て打ち消している。
バーバラは兵士たちの限界を感じていた。様子が見えなくとも三号機の進みが減速していることは明らかだった。集まった精鋭十名の兵士は、もうじき土の上に膝をつくだろうと思った。
「……魔導線を一つ頂くわ!」
ここまで、道を先導するためバーバラは運搬を手伝っていなかった。
しかし、居ても立ってもいられなくなり、魔導線の一本を手首に巻き付け、もう一本を腰に回して三号機を引っ張り始めた。
兵士たちは静止の声をかけたが、バーバラは聞く耳を持たなかった。彼女は肉体労働が得意ではないが、魔法の扱いには長けている。不足する体力は魔力で補って、兵士に負けない膂力で三号機を引いた。
バーバラの足が土に埋まる。ズボンの裾が泥に浸かり、靴の中は泥土でいっぱいになった。綱を引く上着が捲れあがり、素肌が外気に晒される。
どれもこれもバーバラは意に介さず、歯を食いしばって魔力と体力を振り絞った。
やがて、兵士たちの雄叫びが轟いた。
バーバラが何事かと思い見てみると、決死の形相になった兵士たちが三号機を引いている。どの顔も前を向いていて生き生きとし始めた。まだまだ頑張れそうだった。これまでで一番力強い行進が始まった。バーバラは胸が熱くなった。
「やっぱり、私も、部下が、欲しい!」
仲間がいればやれることが増える。
自分にももっとすごいことができるようになる。
戻ったらアドルフに部下をねだろうとバーバラは思った。
どれぐらい時間がかかったかは定かではないが、バーバラたちは何とか目標地点に到着した。
道が破壊している。
バーバラとアドルフが以前に見たときよりもその様相はひどくなっている。
グロンマ川に少しだけえぐられていた岸が、今や道を食い尽くすほどにその範囲を広げていた。
川が氾濫すれば、壮絶な勢いの水流が街に襲いかかることは疑いようがなかった。
バーバラはアドルフの判断が正しかったことを痛感した。
「バーバラ様!」
呼びかけに振り向けば、シルヴィアとバームロの兵士たちがやってきた。
「シルヴィア様! ご支援に参りました」
「助かりますわ。私たちはグロンマ川と道の状況を確認にきたのだけ、ど……」
シルヴィアはバーバラの背後にある可動式堤防三号機と魔晶石ガンマを見て絶句した。
その様子にバーバラは満足する。
この巨大な防衛設備はルーモンドの技術と努力の結晶だ。
それが他の領地の領主に無言で賞賛される様は、外務長官としての冥利に尽きた。
「可動式堤防三号機と巨大魔晶石ガンマです。こちらは側面ですので小さく見えるかもしれませんが、正面からご覧頂ければ洪水への有効性をご確認頂けると思います」
「こちら側は側面なのね。あら……」
三号機の正面側に回ったシルヴィアは口を開けて呆けた声を出した。
同行しているバームロの兵士たちも驚きに硬直している。
「話には聞いていたけど、すごいわ。堤防というより鉄壁の防壁ね」
可動式堤防は川べりに置けば見た目も役割も堤防だが、岸に置けば陸地を守る防壁となる。シルヴィアの言うことはもっともだった。
「有事の際にはそういった使い方もできます」
「使い方は所有者次第というわけですわね。汎用性の高い商品になりそうね」
「これら一式はバームロ領に貸与しますので、ご随意にご使用ください」
「本当に……? 良いのかしら」
シルヴィアは再度確認した。
これだけの防衛力をみすみす手放すとは、愚策にしか思えなかった。
「アドルフ様の決定です。バームロ領とは今後とも懇意にさせて頂きたいと、私どもの領主は申しておりました」
バーバラは一切の揺らぎなく答えた。
その態度から、ルーモンドはこれ以上の防衛力を有していることをシルヴィアは悟った。
そして内心で嘆息する。
堅牢な防衛策の代わりに、巨大な貸しを作ってしまった。今後、バームロはルーモンド商品の実験台にされることだろう。
ルーモンド領主の先見の明には恐れを抱くばかりだった。
「しょうがないわね。ありがたく頂戴します」
諦めたように言うシルヴィアにバーバラは微笑みを返した。
シルヴィアを筆頭としたバームロの兵士たちに貸与物の使い方を説明していく。
その傍ら、バーバラはグロンマ川を一瞥し、ルーモンドの兵士に指示を出した。
「水位レベルを確認してきて。ひょっとすると、もうレベル九に達するかもしれない」
川の水は増え続けている。
岸から手を伸ばせば、もはやその水面に届いてしまう高さだ。アドルフが決めた緊急対応の閾値を今にも超えてしまいそうだった。
「シルヴィア様。三号機を設置しましょう。水位レベルを確認し次第、魔力強化を行うことになりそうです」
「あぁ、アドルフ卿が設置して下さった水位計の」
「ルーモンドではレベル九に達し次第、洪水対策を発動する判断を下しました」
「さらに下流側のバームロには多少時間の余裕がありそうだけど、早く準備を進めるに越したことはないものね。お力をお借りできるかしら」
どの道、バーバラたちは大雨が治まるまでルーモンドに戻ることができない。橋を渡ることが危険だからだ。
ならば、ここでバームロを守る戦いに加わる方が良いのは自明の理だった。
「もちろんです」
「助かりますわ。バームロの兵士は街に避難指示を出してきなさい。避難誘導が終わればこちらに戻って防衛に加わること」
シルヴィアの指示を受け、バームロの兵士たちは街へと戻って行った。
「堤防の設置を始めてくださる?」
「了解です。車輪を畳め」
ルーモンドの兵士たちが三号機の側で等間隔に並び、車輪を操作する。
人の大きさほどもあるそれには機械的な細工が施してあり、ピンを抜けば収容できるようになっている。
但し、再度車輪を使えるようにするには大勢の兵士によって三号機を持ち上げ、また車輪を引き出さねばならない。
最後に残した四隅の車輪を収容すると、土の塊は騒音と共に地面に横たわった。
バーバラも初めて見る光景に息を呑む。
洪水よりもよほど強烈な人口の山ともいえるアドルフの切り札は、全員に自信と希望を、そしてシルヴィアにのみ畏怖を抱かせた。
「魔導線接続」
グロンマ側とは反対側に魔導線を差し込んでいく。一つの部位から強化できる範囲は術師の技量により左右される。隙間ができないよう小刻みに配線した。
後は魔晶石に魔力を注ぎ、強化魔法を発動すれば離れた位置から堤防を強められる。
作業を進めていると、水位計の確認に行かせた兵士が大急ぎで戻ってきていた。
「まもなく水位レベル九です!」
シルヴィアとバーバラは顔を見合わせた。
「堤防の強化を始めてください」
「承知しました。四番隊、ガンマに魔力を注入」
兵士たちがガンマの周りを取り囲み、集中し始めた。魔晶石を起点に、三号機に向かって赤い輝きが満ちていく。
土の塊は見た目には何も変わらない。
バーバラが念の為に触って確認すると、可動式堤防は石よりも硬い物質に成り果てていた。
「上流川の地面にも強化魔法を施した方が宜しいかと思います。ここと同じく道が破壊される可能性がありますので」
「そうですわね。一応石材で補強はしましたが、念には念を入れましょう」
「五番隊、上流側の地面を強化」
兵士たちが上流に向かって散会する。
互いの魔力がギリギリ届く位置まで来ると、魔導線を経由して地面へ魔法を行使した。これにより上流側の安全が確保された。
ゴオォン……。
一際大きな騒音にバーバラは振り向いた。
向こう岸で大地が水流によって削り取られている。
グロンマ川は遂に氾濫した。
溢れた水は上流側の舗装された道にはみ出し、道に沿って緩やかに下流側へ流れてきている。バーバラたちの足元は雨と流れてきた水で水浸しだ。
とはいえ、勢いのある水流は三号機によって防がれており、危険性は誰も感じなかった。
だが、周囲には危機的かつ絶望的な光景が広がっている。
ここよりさらに下流側、三号機の長さも舗装した道路も及んでいない大地は、圧倒的な質量を伴った濁流に押しつぶされていた。
まるでつるはしで壊されるかのようにがりがりと削られ続けている。その上に生えていた草や木は自立することができずに成すすべなく激流に飲まれていった。
目を細めて眺めてみれば、対岸も岸がどんどん削られて川幅が拡大し、もはやどこからが岸なのか見えなくなってしまっている。こちら側が強固な分、反対側のあちらに皺寄せがいっているようだ。
「……すごい」
シルヴィアの呟きは、恐れではなく感嘆だった。
離れた場所では恐怖としか言いようがない自然災害が巻き起こっているが、面前では微動だにしない三号機の土の塊が聳え立っている。
大地も、岩も、木も、何もかもを葬り去る奔流に対し、魔法によって強化された防壁は一歩も引き下がることがない。
ルーモンドの技術と魔法が自然の脅威に打ち勝つ瞬間を、シルヴィアは目撃していた。
「なんてすごいものを作ったの」
呆然と可動式堤防を撫でるシルヴィアに、バーバラも同感だった。
「アドルフ卿は英雄です」
この危機を乗り越えれば、アドルフは間違いなく王国に評価される。
そのときの評価のされようがバーバラには楽しみでならない。
それに、きっと彼は、飄々としながらさらにすごいことをやってのけていくのだ。
バーバラは未来が楽しみだった。
「こっちはうまくいったわ。頼んだわよ、みんな」
バーバラの声がルーモンドまで届くことは決してない。しかしバーバラはルーモンドの方向へ声を投げかけた。
自分の望む結末が得られるよう祈りを込めて。
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