第22話 最終作戦会議
朝。
大雨が続いている。空は黒く濁り、落ちる雨がざーざーと不気味な音を掻き鳴らしていた。
俺たちは会議室に集まっている。この場で来る洪水への対応を判断しようと思っている。示し合って集まったわけではなかったが、全員の顔が緊張しているのがわかった。
「定常報告の前に確認したいことがある」
俺はラパーマに水を向けた。
「グロンマ川の水位はどうだ?」
職人が作り上げた水位計はグロンマ川の橋に設置済みで、定時に兵士が計測していた。水位計には十レベルまでの大きな目盛りと小数点以下を示す小さな目盛りが刻みこまれている。
「水位レベル五。増加傾向は一時間にレベルコンマイチ」
「水嵩が増してきたな。領民の避難時間の予測は?」
アイサの主導により、領民は避難訓練を行っている。その結果を基に、領民が安全圏に避難するまでの時間は把握済みだった。
「持ち物も無しに避難を優先すれば三時間。最低限の資産を持ち出すには倍の六時間を要します」
「子供や年配の方の速度も考慮しているか?」
年配とはいってもこの世界の寿命は六十歳ほどなので、老衰で介助を必要とする人はほぼいない。
「無論です。余裕を見た数値となっております」
「わかった。次に、魔晶石の備蓄状況と魔力量の多い領民への協力要請は?」
「入口広場の三台の巨大魔晶石アルファ、ベータ、ガンマは最大レベルの魔力を蓄積しています。魔力量の多い領民は広場近くの集会所で待機することを了承しています」
「魔導線などに異常が発生した際には職人に修理してもらう必要がある。職人には伝わっているか」
「工房長とは仔細を打ち合わせ済みです。工具や修理用の素材を手配しました」
「完璧だ」
淀みなく答えるアイサに俺は満足して頷いた。
確認した項目は事前に対応を相談済みのことしかなく、この場で行っているのは全員への共有と最終確認だ。
そうはいっても、これだけの仕事を捌き、状況をわかりやすく整理できるのはアイサしかいない。
「兵士の態勢はどうだ」
いつもの柔らかい雰囲気を廃したラパーマが答えた。
「一番隊から五番隊まで、命令に備えて待機中」
「可動式堤防とバイパスの操作は心得ているな?」
開発した可動式堤防もバイパスも稼働させるには相当な力が必要だ。操作時は兵士の一部隊を使うことに決めている。
「いずれも全ての者が訓練を受けました。最速で稼働できます」
「結構」
事もなげに答えるラパーマも自信に満ち溢れていた。
「クリスティーナ。食料などの備蓄は大丈夫か?」
「一ヶ月は領民を養う準備があります。配給は館のメイドが行う手筈になっています。それぞれ、決まった避難所で対応します」
「避難所は避難民の受け入れに問題ない状況か?」
「破壊した施設は修理が完了し、安全は確保できています。いつでも受け入れられます」
メイドや内政官たちと仕事を共にしてきたクリスティーナも長官たちと同様受け答えは満点だ。
内政に関しての確認は以上でいいだろう。非の打ち所の無いほどに整った状況を知り、俺は決断する。
「水位レベル七を超えたら避難警報を出す。レベル八を超えたら有無を言わさず避難だ。伝達係の兵士にも今一度伝えておいてくれ」
避難警報の段階では、領民にすぐに避難するかどうかの選択肢を与えるが、それもグロンマ川が溢れてしまうまでの話だ。
川が氾濫すれば領民は安全圏である避難所に避難しなければならない。
「今のうちに領外への対応は済ませておこう。女王への報告と近隣のバームロ領との折衝状況はどうだ」
「王都への早馬を橋向こうのバームロ領で待機させているわ。バームロ領主シルヴィア様との調整は滞りなく済んで、援軍の兵士がルーモンドの街に詰めている状況よ。緊急時には領民の避難を支援してもらうわ」
「それはありがたいな。では、魔晶石ガンマと可動式堤防三号機をバームロへ貸与しよう」
「いいの? ルーモンドに必要になるかもしれないのに」
「どちらも予想していたより巨大にできたし、防衛力に余裕があるからな。二つずつ残せば甚大な被害には至らないと判断している。それよりもバームロ領が無防備であることの方が深刻だ」
未だ、ルーモンドとバームロを繋ぐ道は修復作業の半ばだった。
このまま大洪水が発生すれば、大量の水がバームロの街を襲う可能性は決して低くない。
「お人よしが過ぎないかしら」
バーバラらしいルーモンドを慮った言葉に、俺は努めて軽く返した。
「正義感でやろうっていうんじゃない。結局、後で儲かると踏んでいる」
「最高。了解」
バーバラはにやりと微笑んだ。
「よし。避難指示後の行動方針を確認する」
これも事前に打ち合わせた通りの話をするに過ぎない。
過ぎないのだが、一つ一つ確認をする度に俺は自分の心がどんどん昂ぶっていくのを感じていた。完全無欠な準備を知り、自信がみなぎってくる。
この儀式がみんなにも力を与えていることを俺は願った。
「水位レベル九に達したら堤防を魔法で強化する。街の入口広場で協力者の領民を率いて魔法を発動するのはクリスティーナだ。アルファ、ベータ前で指揮を取ってくれ」
「わかりました」
「ラパーマ、アイサ、俺はグロンマ川へ向かう。ラパーマは兵士を率いて可動式堤防を準備。アイサは職人と協力して街からの魔導線を正常に作動させてくれ。俺は可動式堤防の上から水流を確認し、バイパスの解放や可動式堤防の設置位置を指示する」
「了解」
「かしこまりました」
「同じく、水位レベル九に達したらバーバラはバームロ領で可動式堤防を設置だ。魔晶石ガンマ経由で三号機に強化魔法をかけてくれ。その他の現場判断は任せる」
「了解よ」
「以上だ。質問は」
もう何度もすり合わせをしてきたことだ。
発言はなかった。
「では、作戦開始だ」
朝会を終えた俺たちは外に出た。
大雨が降っている。屋根を打ち付ける雑音が喧しい。
いつか目指す空の大地は雨に隠されてほとんど見えないが、俺は古の魔法大国を恨めしく思った。
(雨を晴らす魔法を作ってくれれば良かったのに)
昔の人たちのせいでは決してないのだが、この鬱陶しさは誰かに八つ当たりでもしたくなる。
太陽さえ顔を出せば、俺たちは何の憂いもなく街の興隆に注力できるのだ。誰も死地に赴く必要もない。
そろそろ、館から道に出る。
そうしたらバーバラとは別方向だ。
彼女は可動式堤防三号機と魔晶石ガンマをバームロへ届けに向かい、俺たちはルーモンドで洪水対応に当たる。
今日はもう会うことはないかもしれない。
それどころか、これが今生の別れとなってもおかしくはない。
事実、前回の洪水で多くの領民が犠牲になった。現代ですら、ひとたび洪水が発生すれば多くの死傷者が発生する。
どれだけ備えたとしても、絶対安全ということはない。
それを理解していた俺たちは、雨を前にして佇んでいた。
当然、いつまでも立ち尽くしてはいられない。俺は平静を装ってバーバラに声をかけた。
「危険を感じたらとんぼ返りしてきてくれていい。安全第一で事に当たってくれ。もしうまくいったらシルヴィア卿に宜しく伝えてくれ」
バーバラは頷いた。だが、責任感と思いやりの強い彼女は俺の言いつけを聞いてはくれないだろう。
バーバラが身を翻そうとしたとき、クリスティーナが彼女に抱き着いた。
「バーバラ! 無事でいてね!」
クリスティーナとバーバラには頭一つ分身長差がある。俺たち三人からはクリスティーナが抱きつく向こう側で、バーバラが唇を強く噛んでいるのが見えた。
その光景に、俺は感極まりそうになった。
バーバラが遠くへ行ってしまうことを実感したのだ。ちゃんと伝えたいと思った。俺が彼女をどれだけ心配しているのか。
「気を付けるんだぞ」
俺の声は震えていた。たくさん喋ることはできそうになかった。もっとたくさんの言葉を届けたかったのに。
バーバラは唇をさらに強く噛みしめた。クリスティーナが離れると、俺の方に駆けてきて力強く抱き着いた。
「……うん」
俺も彼女を強く抱きしめた。
「怪我はするな」
「……うん」
バーバラは子供のように返事をするだけだ。
そして、彼女は俺から離れ、俺の両隣に立っているラパーマとアイサを交互に見て言った。
「アドルフ君を守って」
力強くてか細い、矛盾を孕んだ声だった。
「絶対の絶対よ」
二人が返事をするより先に、バーバラは念を押した。
「絶対だから!」
バーバラの言葉が胸に響く。
この世界に生きている喜びが心に滲む。
俺は絶対に無事でいなければならないと思った。領主アドルフを、彼女たちに二度も失わせてはならないのだ。
俺たちは館を後にした。
バーバラだけは逆方向に向かう。
お互いに見送ることはせず、それぞれのなすべきをなすため、歩きづらい地面を力強く踏み締めていった。
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