第19話 外務長官とビジネス

 明くる日は曇天だった。


 雨こそ降っていないものの、天気の悪さは膠着状態に陥っている。領民の不安は募るばかりだろうし、一手でも多くの布石を打ちたいところだ。

 そのために、今日はバームロ領を訪問することにした。


 目的は、以前約束した兵士の部隊を借り受けることと魔導線の試作品を披露することだ。

 兵士の部隊拝借の狙いはいわずもがなだが、後者については、ルーモンドが復興によって以前よりも強力になっていることをアピールし、安心して貿易を継続してもらいたいという考えだ。


 今回の移動には馬車を利用した。

 足元は悪く悪路ではあるがなんとか走れないこともなかったし、俺は自分の検討時間が惜しかった。


 馬車の中にいるのは、俺とバーバラの二人だ。


「魔導線のデモンストレーションは頼んでもいいか?」


 対面に座るバーバラが頷いた。


「わかったわ。アドルフ君は魔法が得意じゃないものね」


「日夜特訓中なんでね」


 今はバームロ領に着いてシルヴィアと相対したときを見据えた打ち合わせをしている。


「シルヴィア卿はどう思うだろうな」


「まずはびっくり仰天するわね。それは確実。あと、あなたの有言実行を内心では評価するでしょうし、取引相手としての格が上がるんじゃないかしら」


 そうであるといいのだが。


 洪水対策を手配するにあたって、リソースはいくらでもほしい。

 特に人手は何物にも代えがたく、商談によって拝借できるのなら、いくらでも努力をする価値がある。


 馬車はまもなく橋にさしかかる。


 外を見渡すと、ルーモンドの農業区が視界に広がった。

 その中に、気になるものが見えた。


「あれは……用水路か」


 思わず声に出してしまったが、バーバラは律儀に答えてくれた。


「えぇ。農地は面積が広いし、さすがに全部魔法じゃガス欠するのよ」


「なるほど。これは使えそうだな」


 俺はまた一手、洪水対策を思いついた。

 不穏な空気を察してか、バーバラの眉間に皺が寄った。


「まさかまた…?」


「ちょっと思いついたことがある」


「なんなのその発想力。無限なの?」


「当然有限だ。常に洪水対策を考えているからかな。でも考える量には限りがある」


「私には無限に思えるけどね。で、何を思いついたの?」


「水が流れるバイパスを作ろうと思ったんだ」


「ばいぱす?」


「要は、逃げ道だよ。用水路みたいに水を陸地に引いて本流を弱めるんだが、畑に流すんじゃなくて川に戻すか別の場所に流すんだ」


「それはわかりやすく効果がでそうね。ただ、下流側に戻すならバームロ領に迷惑をかけないようにしないとね」


「あぁ。すぐに作るならバームロ領と反対側に垂れ流しにするようだろうな」


 館に戻ったらアイサとラパーマに相談しよう。

 俺が先のことを頭の中で企てていると、バーバラの感心したような呆れたようなため息が聞こえた。


「ほんと、頼もしいわね。無茶はしないでね」


「俺は全然無茶していないよ。むしろ無茶を振られてるみんなの方が忙しいんじゃないか」


 そういうバーバラも無茶振りされている本人だ。思い当ってよく見れば、彼女はかなり眠そうだった。


「バーバラの方こそ大丈夫か? あまり寝ていないんじゃないか」


「そうよ。アドルフ君がたくさん仕事をくれるからね」


 ジト目で睨まれた。

 反射的に謝ろうとしたが、それより早くバーバラは呟いた。


「それが…すごく楽しくて、止め時がないのよね」


 彼女はふっと微笑んだ。


 俺は何も言わないことにした。

 黙って彼女の隣に移動する。

 怪訝な顔をするバーバラに、ちょいちょいと俺の肩を指さして見せる。


「…こんなんじゃ足りないからね」


 バーバラは俺の肩に頭を乗せた。


 馬車はそろそろ橋を越えようというところまできた。

 しなだれかかっているバーバラの重みを感じる。

 少しでも彼女の負荷が軽くなるよう、俺は微動だにせず彼女の身体を受け止め続けた。


 やがて昼頃にはバームロへ到着した。

 馬車を街の入口で止めて、徒歩で領主の館へ向かう。


 館にシルヴィアは不在だった。

 川の様子を見に少しだけ出ているとのことだったので、空き部屋で待たせてもらった。

 程なくして、視察用の出で立ちでシルヴィアが現れた。


「アドルフ卿。お待たせしてしまい、申し訳ありません」


「とんでもありません。いつも突然の訪問となってしまい、こちらこそ申し訳ありません」


 シルヴィアに連れられ、会議室へ向かう。

 俺とバーバラは隣り合わせで座り、対面にシルヴィアが腰を下ろした。


「おもてなしのご用意もできていないのです。お時間はございますか?」


「お心遣い、ありがとうございます。大変恐縮ですが、街の危機対策対応のため用件が終われば帰路につきたいと思います」


 早速本題に入るため俺は手荷物の包みを机上に置いた。

 シルヴィアは興味深げにしげしげとそれを観察している。


「こちらが、本日のご用件ですか?」


「その通りです。ご期待を裏切らぬものと自負しております」


 俺は包みを開いた。


 現れたのは魔導線付きの魔晶石だ。昨日、エイダの工房から出来の良い試作品を貰い受けてきた。

 彼女たち職人の頑張りに報いるためにも、この商談は成果を出さねばならない。


「以前にお話したどこでも魔法が扱えるようになる商品です。魔晶石はご存じの通りですが、こちらは魔導線と称している新たに発明したものです」


「まどうせん、ですか。わくわくしますわ」


 シルヴィアは目を輝かせた。


「はい。魔力を導通するための線、という意味を込めています。つまり、魔晶石の魔力を引き出すことができる商品です。説明するよりご覧頂いた方が早いでしょう。バーバラ」


「かしこまりました」


 バーバラが魔導線を右手に持った。

 屈曲性があってある程度曲げられるそれは、麻紐ほどの自由度はないが取り回しに難しさは無い。


「失礼します」


 シルヴィアに断りを入れ、バーバラは自身の体に魔力を流した。

 ここがバームロにも関わらず。さらに、彼女は魔晶石にも触れていない。

 それなのに。


 シュッ、と。


 魔導線を握った右手とは反対側の左手から、小さな炎がゆらめいた。

 炎はバーバラの手のひらを軽やかに踊り、それが何の奇術でもないことを示している。


 シルヴィアが瞠目する様子に、俺は手応えを感じた。


「魔晶石の魔力を魔導線を通じて体内に取り込めば、このように場所によらず、どなたでも魔法を行使することができます」


「…すごいですわ。私も試させて頂いても? ルーモンド領でそれなりに魔法が使えることは確認しております」


 俺は首肯し、バーバラから魔導線一式を受け取ってシルヴィアに渡した。

 シルヴィアは魔導線を眺めたり何度か折り曲げたりした後に、集中する顔つきになった。


「確かに、魔力を感じます。ルーモンド領に滞在していたときほどではありませんが、それでも十分に魔法が使えそうです」


「ご確認頂けて何よりです。実際に販売する際には、魔晶石は日常生活一ヶ月分ほどの容量があるサイズにします。屋外に設置した魔晶石から屋内に魔導線を引いて頂き、日常生活で魔法をご活用頂く考えです」


「それはとても現実的ですわね。魔力を使い切った魔晶石は定期的に交換されるのかしら」


「仰る通りです。毎回魔晶石を作るのもご購入頂くのもコストがかかりますので、回収した魔晶石に再び魔力を充填して再配布することを想定しています」


「でしたら、購買者自身がルーモンドで魔力を充填するのはどうかしら」


「当面は問題ありません。魔力が無尽蔵の資源であれば恒久的にもそれでよいでしょう」


「そうですわね。有限だった場合は、王国のものになるでしょうし、災いの種になるやもしれません」


「はい。ですので、今回のお話はくれぐれもご内密に」


 俺はわざと声を落とした。

 それだけでは本当に怪しい密談になってしまうが、そんなつもりがないことはきっちりと示す。


「もちろん、雨季を脱し、洪水の危機が去って一段落すれば女王へ相談しようと考えています」


「そうでしょうね。先行してご相伴にあずかれるのは大変ありがたいわ。辺境もまんざらではないわね」


 全くその通りだ。俺たちは少し笑った。


 だが、辺境ならではの問題もある。

 シルヴィアは真面目な顔に戻って懸念を述べた。


「バームロには家畜が多くいます。家畜の行動を細かく制御することは難しいのですが、こちらの魔導線は繊細なように思えますわね」


「恐れながら、仰る通りです。素材は青銅ですのでそうそう破壊することはありませんが、繊細な材料でメッキをしております。ある程度丁寧に扱う必要があります」


 魔導線の詳細な技術についてはあくまで秘匿し、見ればわかることだけで説明する。

 現代でいう特許権がこの世界にもあるかはまだわからないが、人の口に戸は立てられないし、権利周りの法律も確認しておかねばならないだろう。

 これから話すことも権利化しておきたいところだが、ある程度話をしないと説明しきれない。


「今しがたお話した販売形式は魔法を即時利用するためのものです。永続的に利用する場合には別の利用形式を考えております」


「それは、どのような?」


「空に、魔導線を渡します」


 兼ねてより考えていた魔導線を普及させる方法だ。

 簡単に言えば、現代の電柱と電線の関係をこの世界に持ち込むのだ。


「街に柱を複数立て、その柱と柱を魔導線で結びます。これを繰り返し、街に魔導線網を敷くのです。そして家屋の屋根伝いに魔導線を引き込めば家畜の行動を阻害することはありません」


 シルヴィアは上の方に目を向け、俺の言った世界観を想像しているようだった。


「それは…とてつもない規模のお話ですわね」


「えぇ。ですので、ご検討頂ける場合には私どもからも工事の人手を出します」


「はぁ。織り込み済み、というわけですか」


 呆れ返ったようにシルヴィアは肩をすくめた。

 俺は商談が成功したことを確信した。


「本当に、アドルフ卿は末恐ろしいお方です。貴方様がバームロに何かを望むのなら、私たちはそれを全く拒みませんわ」


 俺たちは固く手を握り合った。

 とはいえ、まだまだ試作のものだ。決められないことも多い。


「価格や土地の計画もありますから、確約はいたしかねますが、必ず前向きに検討させて頂きます」


「ありがとうございます。さらにご期待に沿えるよう、引き続き検討を進めます」


 その後、俺たちは長居することなくバームロの館を取って返した。

 別れを名残惜しんだシルヴィアが街の入口まで同行してくれた。


 まだ日は高かった。

 バームロの街には活気があり、肉や乳製品を売買する商いがそこかしこで行われている。裏手の方では家畜に繋いだ紐を引いて歩く女性が多い。

 それでも街に窮屈さは感じない。建物が計画的に建設されている証左だろう。行きかいやすく、見ていてあくせくしない絶妙な空間が設計されている。


 計算された街並みを眺めながら、俺は気になっていたことをシルヴィアに尋ねた。


「時に、本日は川のご確認を?」


「そうなのです。連日雨が降っておりますので、気になりまして」


 今は雨が止んでいるが、暗い雲はいまだ空を流れ続けている。


「先の洪水では、バームロ領には大きな被害はなかったと伺っております」


「ご認識の通りですわ。バームロの街は川から離れておりますし、牧草地も丘の方にありますから」


 生彩に富む街に被害の爪痕は残されていない。この光景だけを見れば、特に懸念はないように思った。


「ただ、前回の洪水で道が破壊されてしまいました。石で舗装した道は堤防の役割も果たしていたと考えています。ですから、次に同じ規模の洪水が来てしまうと…」


「なるほど。そういうことでしたら、一つお役に立てるものをお貸出しできるかもしれません」


 俺は新規開発中の可動式堤防を説明した。

 あれを備えておけば堤防になっていたという道の代わりになるだろうし、街に水が押し寄せることを防ぐことができるだろう。


「まだ完成しておりませんし、魔導線と違って有効性も確認できておりません。大変恐縮ですが、実現して貸与が間に合えば幸運、程度にお考えください」


「わかりましたわ。道の修理は急ぎ進めます。あぁ、早く魔法が使いたいわ。そうすれば修理もすぐに終わりますのに」


 確かに、魔法も無しに自然災害から復旧するのは骨が折れるだろう。

 心底困った様子で頬に手を当てるシルヴィアに俺は同情した。

 そして、人に望まれるものを開発することへの使命感をより一層強くした。

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