第18話 魔法産業化の兆し

 翌日になり、ベッドから身を起こした俺は窓から天気を確認した。

 今日もぽつぽつと小雨が降っている。どうやら雨は一日中降り続けたようだ。地面は浅黒く濡れていた。


 エイダのところへ出かける準備をしようと部屋を出る。

 一階に降り、厨房の前を通り過ぎようとして、いつもはそこにいない人影を見つけた。

 

 クリスティーナだ。

 

 クリスティーナは腕組みをして台所に置かれたボウルを見ていたが、立ち止まった俺に気づいて朝の挨拶をしてくれた。


「一体どうしたんだ?」


 片手を上げて挨拶を返しつつ、状況を尋ねた。


「出汁を取っているんです。昨日から一日、お魚をつけこんでみました」


「あぁ、早速やってくれたのか」


 しかし、一日と言ったか?

 壮大な濃さの出汁を取ろうとしているのだろうか。

 不安になった俺はボウルを覗き込んだ。


(な、なんだこれは…)


 どぶ色で汚く濁った水だった。起き抜けで鼻が少し詰まっていたが、近づいてみるととてつもなく臭いことがわかった。

 まさか火にかけずに魚を水にぶち込んだだけなんじゃないだろうか。


「お兄様。私は出汁がどのようなお味かわかりません。お味見をして確かめて頂けませんか」


 嘘だと言ってほしかった。冗談であってほしかった。しかし、クリスティーナの目は無情にも期待で満ちている。

 横にいるメイドが申し訳なさそうな顔で俺を見ていた。


 クリスティーナにとっては初めて俺に出す料理だ。元のアドルフに対しても料理したことはほとんどないだろう。

 メイドもよく知らない料理だし、やいのやいの言いづらかったに違いない。


 結果はどうであれ、頑張って作ったものが誰にも口にされず、というのは可哀想すぎる。

 

 意を決して、どぶ色の水を口に運んだ。


「ぐああああ!」


 俺は生臭毒味水に膝を屈した。

 やっぱり水に腐った魚を漬けただけとしか思えない。

 残念なことに水は魚にしっかり漬かって悪いところを余さず継承していた。


「お兄様!? 大丈夫ですか!?」


「だ、大丈夫だ。これはなかなかのものだ。創意工夫は尊敬に値する。だが、その道を極めるには誰かに学ぶことも重要だ。まずはメイドと一緒に頑張ってくれ」


 飲んでしまったものを吐き出さぬうちに早口で言い切った。

 メイドに目配せをし「くれぐれも頼む」と告げてから駆けだす。


「さらばだっ」


「どちらへ!?」


 それには答えることなく、俺は厨房を飛び出した。今度から、館内でももっと慎重に行動しよう。

 飲んでしまった腐敗物を吐き出す傍ら、俺はまた一つ人生の教訓を得るのだった。


 それから、朝の定例会議を行なった。顔色の悪い俺をみんなが気遣ってくれたが、理由は言わなかった。クリスティーナは笑っていた。俺が生臭毒味水を褒めたからだろう。これで良いのだ。


 つつがなく会議を終えた俺は、エイダの試作状況を確認するため、アイサを伴って工房区へ向かった。アイサがついてきた理由はひとえに俺の信用のなさだった。解せない。


 未だ雨は降り続いている。


 グロンマ川が氾濫するような本降りではない。しかし、雨は領民に嫌な記憶を思い出させるだろう。早く晴天が見えてほしいと切に祈った。


 やがてエイダの工房にたどり着いた。

 いくつかの炉の周りに様々な鉱物が積まれている。その周囲には以前よりも成果物がやたらと増えていて、足の踏み場がほとんどない。

 踏んだら壊れてしまいそうなワイヤーを避けつつ、ゴーグルをして作業場を眺めているエイダに声をかけた。


「ん? アドルフ様! これ見て!」


 彼女に手招きをされて近づく。これと言われたものを見た。

 拳大の魔晶石から黄金色の線が伸びている。その長さは腕の長さ分ぐらいあった。


「魔晶石に魔力を流してみて!」


 言われるがままにやってみると、魔晶石に流した魔力が黄金色の線の周りを走っていく。全体が仄かに赤く光った。

 この黄金色の線は、まさしく魔導線だ。


「もう成功したのか!?」


 ふふんとエイダは胸を張った。


「まぁねー。と言いたいところだけど、ガラスを定着させる素材の実験だけ成功した感じだね。ガラスメッキの方はまだ魔力の伝達効率が悪くて、こんなんじゃすぐに魔晶石がすっからかんになっちゃう」


 エイダは腕を組んで不満そうだ。

 しかし、こんなに早く成果が出るなんてすごいことだ。


「いやいや! 素晴らしいぞエイダ! これは世紀の大発明だ! アイサ、エイダがやったぞ!」


 憮然としているエイダの両手を無理やり握ってぶんぶんと振り、次いでアイサとハイタッチをする。アイサは最初目を白黒させたが、やがて引きつった笑いを見せた。


 技術の開発は苦難の道のりだ。

 少しでもうまくいったときはひたすら喜んでおかないと息が持たない。


 俺の内心を知ってか知らずか、エイダも気持ちを持ち直したようだ。


「工房で缶詰めになって頑張った甲斐はあったかもね」


「どうやってこのガラス定着素材を作ったんだ?」


 尋ねると、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりにエイダがしたり顔になった。


「青銅にガラスでメッキしたんだよ。でも、この組み合わせに気づくまでは失敗作の嵐だったね」


「あぁ、この辺に転がっているのは失敗作だったのか。すごい量だな」


「最初は鉄とか銅とか錫とか、素の金属で試したんだけど、どれも乖離しちゃったの。銅がまだマシだったから、青銅とか黄銅とか赤胴とか色々試したの。そしたら青銅がこれまたマシだった」


「定着はしたんだろう?」


「まぁね。でも水に濡れると乖離しちゃったからそのままだと没でした。それで青銅に含有する錫の割合をちょーっとずつ変えてみたの。その結果がこの試作品」


 何百パターンもの紆余曲折があったようだ。よく見るとエイダの目にはくまがあった。


 現代ならばもっと理論的に構造立てて試行錯誤をすることができるだろう。

 金属の組成を一パーセント刻みで変更し、電気メッキでガラスを定着させていけばいい。もはや分業できるので、金属の生成やメッキはどこかのメーカに依頼したっていい。


 だが、この世界ではそれは叶わない。


 精密な測定器具がないから職人の技量によって金属の組成は左右されるし、電気炉もないから灼熱の炉でガラスを溶かし、手作業で塗布をしなければならない。

 一つ一つの作業に要される集中力は相当なものだろうし、高温になる環境も劣悪だ。

 よくもまぁこれだけの汗と涙の結晶を作ったものだ。


「でもまだまだなんだよー。どうもガラスメッキの厚さで魔力の導通効率が変わるみたい。メッキの厚さを一定にできないと大量に作るに値しないんだよね」


「なるほど。次はガラスメッキの探究か。メッキの厚さがばらつく要因はなんだ?」


「んー、なんだろ。職人の技量?」


「そこをもう少し分析してみないか。しらみつぶしにやるよりも効率が良くなるかもしれない」


 俺の提案にエイダが頷き、思案顔になった。


「ガラスを良い感じに溶かす炉の制御が難しくて、いっぱい溶けたりあんまり溶けなかったりするんだよね。ガラスが先に溶けるんだけど、やりすぎると青銅も溶けちゃってもうしっちゃかめっちゃかになる」


「安定してガラスを溶かすことと、メッキ作業に青銅を巻き込まないことの二つが必要になりそうだな」


「そうそう。そういうことだね。さすがアドルフ様」


 繰り返しだが、現代のようにガラスを溶かす温度を緻密に数値調整することはできない。

 ガラスを一定の作業で一律の溶かし具合にするにはどうすれば良いか。


「例えば、ガラスを一旦ドロドロに溶かし、ある決まった時間だけ常温で冷ますのはどうだ?」


「あー。ちょうどいい温度になるまで待つってことだね」


「その通り。その待ち時間は、ガラスが溶けていて青銅が溶けない温度になるまでの時間だ。その塩梅を探るには試行錯誤が必要になるだろうし、日々の気温にも依存してしまうが」


「今みたいに職人の腕次第って状態より断然良いよ。アドルフ様の案で試作してみるね。にしても、ほんとなんでもぽんぽん思いつくねー」


 エイダは俺に呆れながら、早速作業に取り掛かろうとした。


「少し休んだ方がいいんじゃないか?」


「まぁそうだよねー。楽しくて続けたいっていう気持ちだけだったらちょっと休むんだけど。雨が降ってきちゃってるしね」


「…あぁ」


「正念場なんだよね」


 外を見れば、憎たらしい雲が雨粒を落としてきている。あの雲がいつ発達するかは誰にもわからない。


 エイダや作業場のやつれ具合を見て、俺は追加の相談は諦めようと思っていた。

 しかし、彼女の顔に覚悟の強さを見てとってしまった。

 俺が勝手に諦めて相談を止めることは、彼女の覚悟を侮辱することだと思った。


「一つ、追加の相談があるんだ」


「お、いいねー。同じことばかりっていうのも退屈だったんだよ」


 強がりの軽口が、俺には心苦しかった。


「…すまない。考えていたのは、グロンマ川の水位を測定する方法だ」


「へ? 水位?」


「川が氾濫したり洪水を起こしたりする時間を数値化したいんだ。それがわかれば洪水までにあとどれくらいの猶予があるのかがわかって領民の避難を適切に指示できる」


 グロンマ川の危険を判断して領民に指示を出すのは領主の役割だ。何をトリガーにして指示を出すかというと、現状は経験則しかない。それも人の記憶に頼っている。

 前回はこれぐらいの水かさになった翌日に洪水が来たからもう逃げよう、とかそういう程度の判断基準だ。


「前回の洪水は、ちょーっと逃げ遅れた人もいたもんね。あ、アドルフ様のせいじゃないよ。みんなが逃げる速さもまちまちだし、そこまでわかんないもんね」


「いや、俺の考慮は足りていなかったと思う。その反省から対策を考えたんだ」


「そっか、なるほどね。具体的にはどうするの? 何すればいい?」


「一番良いのは川底に目盛をつけた測定板を埋めて地上まで突き出させることなんだが、作業が危険だし氾濫すると壊されるかもしれない」


 現代では水位計を使ってセンサーで水位を把握できると思うが、当然そんなものはないので、力業しかない。


「だから、バームロ領へ渡る橋に設置したいと思ってる。エイダには目盛付きの測定板を作って欲しいんだ。目盛の間隔は等間隔なら何でも構わない」


 あの橋は立派な造りになっているし、前回の洪水を受けてもヒビ一つ入っていなかった。上流側のルーモンドよりも観測場所としては安全だ。

 もしかするとバームロ領でも活用されるかもしれないから、誰にでもわかりやすい目印をつけられると最善だ。


「了解だよ。でっかいものは作るの慣れてきちゃったし問題ないよ」


「でっかいものって…まさか!」


 エイダは片目をつむってウインクした。

 その彼女に案内されて工房の奥へ進むと巨大なガラスの塊が置かれていた。


「すごい! 巨大魔晶石か!?」


「そ。その試作品。強度の確認とか設置場所に合わせた加工がまだ必要だね」


 またも呻るエイダが見下ろしているのは、黒板二枚分ぐらいの大きさの魔晶石だ。

 これなら相当な量の魔力を蓄積できそうだし、街のシンボルとしても格好がつくだろう。


「技術的には難しくないんだけど、大変ではあったねぇ。ガラス細工用の鉄棒じゃちっこいのしか作れないから、ドデカい鉄板を作って、その周りにガラスを纏わせたんだ」


「エイダ…すごすぎるぞ」


 俺は真っ向からエイダを称賛した。

 彼女は鼻の頭を指で掻いた。


「へへ。でも、私一人の力じゃないからね。職人のみんなを褒めてあげてね」


 無論そのつもりだった俺は、テンションを上げて周りにいた職人たちを褒めちぎっていった。

 みんな最初は何を褒められているのかわかっていなかったが、俺が子供のように喚き散らすのを見て最後は笑ってくれていた。


 俺の気持ちが少しでも彼女たちへの労いになればいいと思う。

 そして、事が終われば、彼女たちの努力に俺は報いなければならない。

 それは決して負担ではなく、むしろその日が待ち遠しかった。

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