第17話 鍛錬

 アイサによって扇状的な様相を呈した部屋を、命からがら脱出した。

 女性経験が無いわけではないのだが、異次元に綺麗な女性から真っすぐに惚れた腫れたと囃されるとどうしたらいいかわからなくなる。


(でも、みんな真剣なんだよな)


 自室にある俺への愛が綴られたラブブックを思い出す。いつまでも逃げ続けていいわけではないし、いつかは闇堕ちした領民とも向き合わなければならない。

 それに、この世界の繁栄を思えばアイサの考えはもっともであり、俺の合理主義とも合致している。

 しかしながら、最後の最後で踏み切れないもやもやが俺の中には残っていた。


「一旦保留にして、ラパーマのところへ行こう!」


 気持ちを切り替えるため、敢えて声に出してから軍事区へ向かった。


 今日はしとしとと小雨が降っている。空を見上げると薄い雲で視界が覆いつくされていた。

 しばらくは雨が降りそうだ。


(天気予報ができればいいんだが)


 現代は、過去の天気の気圧配置を参考にしながら統計的に予報しているんだったと思う。

 こちらでは、気圧を測定する方法が無いし、ましてや気圧と天気の関係などわかろうはずもない。となると、猫が顔を洗うと雨が降る、などの迷信ぐらいしか俺にアドバンテージがなかった。

 洪水が発生するまでの導火線が短くないことを祈るしかない。


(一応他にもできることはあるが)


 洪水を検知して領民をいち早く避難させることについては一案がある。

 この雨もいつ止むかわからないし、明日にでもエイダに相談に行こうと心に決めた。いや、エイダの前にみんなに相談しないとつるし上げられる。まずは朝会で頭出しだ。


 癖で先の対応を考えていると、軍事区にたどり着いた。


 ラパーマは詰所か訓練場にいることが多い。外にあって見晴らしのいい訓練場を先に探すことにした。

 

 いくつかの小隊が訓練をする中に、件のラパーマを見つけた。

 精鋭で且つ長官であるラパーマは、自分が武器を振る姿を見せながら兵士たちを指導している。

 訓練中に声をかけるのも憚られたため、射撃場所になっている小屋で壁際に整列した椅子の一つに腰を下ろした。

 

 兵士たちが汗を流す姿を眺める。

 いずれも気迫があり、迫力だけで俺なんかは圧倒される。

 魔法は使っていないようで、常識の範囲内での打ち合いをしているが、それでも彼女たちの練度の高さが窺えた。


 しばらくすると、俺の姿に気づいた兵士がこちらを指さした。

 ラパーマも俺を振り返り、隊員に指示を出してから駆けてきた。

 俺は軽く手を挙げて彼女を迎えた。


「ラパーマ、すまない。遅くなってしまった」


「アドルフ―! お疲れ様」


 準備しておいたタオルを渡してやると、ラパーマはにこりと微笑んで汗を拭った。少しだけ濡れた軽装が妙に艶かしかった。


「精が出るな。兵士たちの調子はどうだい?」


 俺は邪な内心を押し隠すため、努めて軽く声をかけた。


「みんな調子はいいよ。上達するのは時間がかかるけどね」


「俺には相当熟練した者たちに見えるけど」


「そりゃアドルフから見たらそうかもね。昔からあんまり鍛えてなかったもん」


 ラパーマは呆れていた。

 そして、彼女にしては珍しくふっとため息を吐いた。


「指導しても成長しないのは、あたしの教え方が悪いんだよね、たぶん」


 ラパーマの基準が厳しいだけで兵士たちは成長を実感している可能性もあるが、一方でラパーマが指導者としての成長を感じていないことは問題だ。


「ラパーマはどうやって指導しているんだ?」


「最初に打ち合いをして悪いところを指摘してるよ。その後、兵士が動きを修正するために訓練するから、そこでも教える感じ」


 実戦形式の指導か。

 ひょっとすると、ラパーマの教えが卓越しすぎていて兵士がついていけないのかもしれないな。


 現代企業でもよくあるが、優秀なプレーヤーがマネージャーになったときに、必ずしも優秀なマネージャーにはなれないという問題だ。

 天才は自分が天才である由縁を深く理解していないことがあり、自分がやるように相手に指導をすると内容が高度過ぎて相手側の理解力では何も習得できないのだ。


「全員に同じ方法で指導しているのか?」


「そだよ」


「なるほど。相当時間がかかるし大変だろうに、ラパーマは部下想いの良い長官だな」


 褒めるとラパーマはふにゃりと相好を崩した。

 その姿に苦笑しつつ、俺は立ち上がった。


「例えば、だけど、ちょっと指導を変えてみるのはどうだろう。気分を変えてみる、ぐらいの感覚でいい」


「うん。それは全然良いよ。今のやり方に固執してないし」


「変えるのは指導を行う対象者と、対象からあぶれた者への指導方法だ」


 曖昧な俺の言い方に、ラパーマが首を傾げた。


「ふむ?」


「今ラパーマは全員に指導していると言ったが、指導する相手を実力者にのみ限定するんだ。隊長でもいいし、その下にいる者でもいい。ただ、隊長の顔は立てた方がいいだろうな」


「強いコにだけ教えるってこと?」


「平たく言えばそうだ。後は論理的に考える兵士がいれば、指導を見学してもらうといい。頭が良いとか理屈っぽいとか、そういう人で良い」


「ふむふむ」


「ラパーマの戦闘技術を引き出せる相手とそれを理解できる相手だけにラパーマは指導をするんだ。俺みたいなのがラパーマと戦っても何も得るものがないだろう?」


「アドルフならそうだね。なるほどー」


 俺の自虐ネタはラパーマの理解を促進したようだ。俺は内心苦笑した。


「ラパーマが指導した兵士や見学していた兵士に、発展途上の兵士たちを指導させるんだ。それでも上達しない者がいるなら、同じようにもう一段階下の者が指導をする」


「あー、良さそうかも。でも、あたしがいうのも何だけど教えるのが苦手で教えるのをやりたくないっていうコもいるんだよね」


「改善が必要じゃないかな。リーダーの素養を育てるために指導嫌いは克服するべきだ」


「アドルフって正論だよねー」


「ラパーマだってそうじゃないか。自分の教え方が悪いと思いつつも、教えることを続けている。苦手だからって正しいことから顔を背けてはいない」


 自分の行動を深く考えていなかったのか、ラパーマは「あー、そうなのかぁ」と考え込んでいる。

 ラパーマは他人に優しく、自分に厳しいようだ。


「ラパーマのやってきたことは素晴らしい。そして、次にやるべきはその素晴らしい行いを広めることじゃないかな」


「素晴らしいかなぁ。下手くそを広めるのはダメだよ」


「ラパーマが広めるべきは、指導から逃げないことだ。戦闘技術の指南方法は指導者それぞれにゆだねればいい。指導をやってみれば、成否を問わず成長する機会になる。それはラパーマもわかるだろ?」


「そうだね。自分が試される感じかな。何をわかってて何がわかっていないのか。自分の課題が見えることがあると思う」


「まぁ好き嫌いや向き不向きが最後に顔を出すのはしょうがない。だが、最初から挑まないのは違うんじゃないか」


「嫌がってるからってやらせないんじゃ甘やかせすぎか。というか、あたしが甘えてるのかも」


「あぁ。その側面もある」


「嫌がるコに指導することから逃げてる。それじゃダメだね」


 ラパーマはうんうんと頷いている。今後の指導方針に納得がいったようだ。


 ラパーマは自己責任意識の塊だな。少しくらい誰かのせいにしてもいいと思うが、自然に自分の悪いところを探す癖があるようだ。


 生来のポジティブ思考のおかげで内向的にはならなそうだが、折に触れて相談に乗ってあげた方がいいだろう。


「今みたいに行き詰まったらいつでも相談してくれ」


「うん! 嬉しいな。そんじゃ、お返しに鍛えよー!」


 手を振り上げたラパーマに、俺も倣って手を上げた。


 実戦形式の訓練か。


 元の俺には武道の心得はないし中年には無理があるが、若いアドルフの肉体ならきびきびと動けるはずだ。


 さて、せいぜい俺を甘く見ているだろう軍務長官殿に、武の神髄を魅せてやろうじゃないか。


「筋トレするから」


 ラパーマは片手でひょいと持ち上げたダンベルを俺に手渡した。


「え、筋トレ? 俺も実戦しないの? 武の神髄は?」


 魔法無しでは結構重いダンベルを俺は両手両腕で持ちこたえている。


「実践なんてしないよ。だって戦える体つきじゃないもん。何言ってんの」


「え、いやいや。バシバシやって、『そこだ! 見えたーっ!』みたいなやつがやりたいんだが」


「見えないし。アドルフがボコボコになるだけだよ。あ、あと魔法も無しね。身体を鍛えるんだから」


 正論が耳に痛かった。


 確かに、このダンベルに振り回されている今の俺では戦う以前の問題がありそうだ。


 アドルフの部屋にトレーニング用の器材は何もなかったし、アドルフは身体よりも頭を鍛える方を重んじていたに違いない。


 とりあえず、受け取ったダンベルは地面に置き、もう少し軽いダンベルを使って腕を鍛え始めた。


「地味だなぁ」


「アドルフがそんな派手好きなんて思わなかったよ」


「そういうわけじゃないんだけど、俺の世界では剣と魔法でバシバシするのは男の憧れだったからね」


「ふーん。ま、ずっと先の話だね。頑張りがいがあっていいじゃん」


「そうともいうかなぁ」


「でも、もっかい聞くけどなんで鍛えようと思ったの?」


「また洪水が来たときにみんなを守りたいから。洪水対策の準備をするにも体力が要るし」


 河川敷にある暫定的な堤防を作るとき、ほとんどの作業は職人や兵士がやってくれていた。

 俺はひぃひぃ言いながら作業を手伝っていたが、全然貢献できていない。

 さすがに情けなかったので少しは力をつけようと思ったのだった。


「アドルフらしいね。力を強くしなくても、みんなを守ってくれてると思うけど」


「できることは全部やりたいのさ」


 このまま筋トレをするなら館に戻るか。教わらなくても現代知識から自分のペースで進められるし。

 訓練場をお暇しようかと思っていると、ラパーマが俺に座るよう指示した。


「支えてあげるから、腹筋して」


「腹筋か」


「わかる? 寝ころんで、膝を立てて、何回も起き上がるの」


 ジェスチャーで腹筋を教えるラパーマが前屈みの姿勢で待機している。

 介添えをしてくれるようだ。

 一人でもできるんだが、これぐらいのことで問答をするのも馬鹿らしい。ここは厚意に甘えよう。


 俺は小屋の木の床に寝そべって足を曲げ、膝で三角を作った。

 そのつま先にラパーマがお尻を置き、膝に作った三角に腕を回し、俺の脛に前屈みにもたれかかった。


「…」


 若干だが、邪な考えがよぎった。

 ラパーマは速度重視の軽装だから、俺の脚は彼女の感触を味わっている。


「ん? 顔が赤いよ? …あ」


 ラパーマが俺の邪念に思い至ったようだ。にんまりと笑っている。


「にゃるほどー。うぶだねぇ」


「からかうのはやめなさい」


「アドルフにマウント取るチャンスなんて滅多にないしねー」


 ラパーマはすこぶる楽しそうだ。

 俺とて子持ちで妻帯者だし、一連の行動はあくまで鍛錬の一環だとも理解している。


 しかし、アイサのとき同様、ラパーマは素敵すぎるのだ。


 ボーイッシュなショートカットに猫のようにくりくりとした瞳は可愛らしく、しなやかでスレンダーな体形はいかにも情欲をかき立てる。


「百回を一セットとして、三セットやってみよっか!」


 今度は体力的マウントを取られてしまった。

 嘆いていても仕方ないし、背を起こしまくるマシーンと化そう。


「起き上がるたびにチューしよっか」


 にやりと笑うラパーマは著しく魅力的で対処に困る。俺は無視した。


 そのあと、疲労と誘惑に耐えながら筋トレを行った。

 ラパーマは終始邪魔をしてきたが、とても楽しそうに笑っていた。


 いつの間にか夕暮れになっていた。

 訓練場には俺たち以外に誰もいない。

 俺は立ち上がって手で砂を払った。


「ラパーマ、今日はありがとう。そろそろ帰るよ」


「うん。一緒に帰ろ!」


 身支度を整えるという彼女を軍事区の入口で待つ。

 帰宅する兵士たちが俺の姿を見つけて手を振ってくれる。

 夕日に照らされた彼女たちの姿には疲れが見えるものの、表情は一様に晴れやかだった。家に帰ることが楽しみなのだろう。

 こんな当たり前の日常をこそ俺は守らなければならない。それができなければ、俺がここにいる価値は無い。


 しばらくすると、軽装から私服のパンツルックに着替えたラパーマが走ってきた。


 だが、様子がおかしい。

 勢いを緩める気配がない。


「アドルフー! 抱っこで受け止めてー!」


 問答無用だった。

 ラパーマは俺にぶつかる直前にぴょんと跳んだ。

 その身体は縮こまって抱っこされる体勢を取っていた。


「おっと!」


 生身で受け止めると倒れそうだったので、魔法で身体強化を施してから受け止める。

 なんとかバランスを取ると、ラパーマは快活に笑っていた。


「これも筋トレの一環だよ」


 そう言われてはすぐに降ろすこともできない。俺は魔法を使うのをやめて自力で彼女を抱えた。

 体が密着しているものの、さすがに今の状態では気にしていられない。彼女は女性の中でも軽いほうだが、俺の筋力は頼りないのだ。


 慎重に一歩一歩を踏みしめる俺をラパーマは嬉しそうに見上げている。見れば、ラパーマの口に彼女の髪の毛が入っていた。


 暴れるからだ、まったく。


 ほっぺたの辺りを慎重に引っ張って髪の毛を取り出し、猫髭の向こう側へ流してやった。


「あどるふー。くすぐったい」


 くすくすとラパーマが笑っている。


 手をぐーにして自分の頬をごしごしと搔く様はとても幼く見えて可愛かった。

 だけど俺は必死だ。そんなどころじゃない。


「あたしね、アドルフが好きだよ」


 急に、ラパーマはそんなことを言う。


「男の子って感じのとこが好き。みんなを守って、なのに時々意地悪して。男の子の愛だなーって感じる」


 俺はできるだけ尻尾に触れないように手の位置に気を付けている。

 とにかく集中している。

 アイサの背中のように、ラパーマの逆鱗はこれかもしれないからだ。俺にはそんなことすらわかっていない。

 

 様々なことに気を付けて一心不乱の俺の下、ラパーマは穏やかな顔でずっと俺を見ていた。

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