第14話 出汁

 エイダとの打ち合わせは昼食を挟んで夕方まで行った。時間はかかったが、具体的な試作方針や作業工程をすり合わせでき、満足のいく成果が出せた。


 もうじき暗くなる頃だ。街には時計などの時刻を知らせる設備がないが、領民が夕餉の支度を始めていた。


 俺とアイサは館への帰路についた。


 振り返ると、茜色の空の中、彼方にそびえる霊峰ケブネカイサを背景にしたルーモンドが見える。

 半壊した家屋は今なお多く存在するが、遠目には古代遺跡然とした荘厳さがあり、まるで世界遺産のように尊く感じる。

 自分がこの風景をこれから彩っていくのだと思うと、否が応でも復興せねばという覚悟が胸に満ちた。


 館に着き、夕食の後は自室に戻った。夜の館内は静寂に包まれていた。


 館に避難してきた被災者は既に街へ帰っている。その行き先は自宅や付近の避難所だという。

 もちろん、俺やクリスティーナが追い払ったわけではなく、皆自発的に街へ戻っていった。

 よほど重症ということがなければ特に引き留めはしなかった。

 

 それぞれに居心地の良い場所はあるだろう。美しいルーモンドの街を見た後では、それも納得できようものだった。


 眠くなるまで考え事でもしようと思っていたら、部屋の扉がノックされた。


「お兄様? 問診に参りました」


「クリスティーナか。どうぞ」


 俺にとって極上のリラックスタイムが到来した。今日はもう考え事はしないことにした。


「失礼します」


 いつもならクリスティーナは机の傍にある椅子を引っ張ってきてちょこんと座り、俺をベッドに押しやるのだが、今日はそうではなかった。

 なにやら扉の前でもじもじしている。


「あの。お兄様。少しお話しても?」


 普段と違う様子に少し驚きながらも、クリスティーナを椅子に座らせ、俺はベッドに腰かけた。

 館にいる人も減ったし、後で使っていない部屋から椅子をもう一脚持ち込もうかと思った。


「どうしたんだ?」


「今日はアイサの話を聞いて頂き、ありがとうございました」


 転移の謝罪をしてくれた件だろう。


「わだかまりが少しでも解消できていたらいいが」


「大丈夫だと思います。お兄様のお気持ちは伝わっています」


 クリスティーナが柔らかく微笑むと、ふわふわしたミディアムヘアが揺れた。


「実は私も思うところがあるんです」


「思うところ?」


 何だろう。心当たりはない。

 答えのない天井を見つめる俺にクリスティーナは教えてくれた。


「はい。私はお兄様のことが…お父様みたいに思えるんです」


「はい?」


 思わず耳を疑う。

 

 えっと、たぶん俺のことだよな。それが父親に思えると。


「見た目はもちろんお兄様なのですが、お話しているとどうしてもお父様っぽいというか、そんな気持ちなんです」


 言われてみれば、それはそうかもしれない。


 何せ元の世界の俺は中年男性だし、クリスティーナと同じ年の娘もいる。

 無意識下で、彼女を娘扱いした態度を取っていてもおかしくはない。


「それで、お兄様との接し方に悩んでいます」


 クリスティーナは俯いたまま、目だけで見上げてきている。

 

 今朝の一件で俺に対する罪悪感が薄れたことも彼女の新たな悩みに一枚かんでいるのだろう。


 しかし、いつ見ても可愛い少女だ。


 実の娘と比較することは絶対にしない方がいい。比較はしないが、よく考えてみると、やっぱりクリスティーナは妹というより娘の方が俺の中でもしっくりくる。

 

 俺が直接的に娘扱いしなければ実生活上は問題ないだろうし、この際どっちでもいいんじゃないだろうか。


「クリスティーナが思うままに接してくれて構わないと思う」


「そうなのでしょうか。ややこしいお立場になってしまうとご迷惑じゃないかなと思いまして」


「今は別にクリスティーナのために役を演じているわけじゃなくて、割と自然体でこうなってるから迷惑なんてことは全くないさ」


「そう仰って頂けるなら、お話しして良かったです。でしたら、もっと甘えてもいいでしょうか?」


「え、甘えたいの?」


「はい…」


 何やら予想の斜め上なご要望だった。

 

 まぁまだ反抗期の前だし、実の娘のことを思い出してみても親などに甘えたい年ごろではあるだろう。


 ましてや、彼女は両親を失っているのだ。

 

 兄として受け入れてやるべきだろうし、父親だとすれば代わりができる機会を最大限活かすべきだろう。


「甘えてくれていいよ。どう甘えたいとか、思ってることはあるのかな?」


 努めて優しく問いかけると、クリスティーナは花が咲いたように笑った。


 ふわふわの髪をしきりに撫でながら、照れ隠しだろう上の方を見て言う。


「少しお恥ずかしいのですが、皆さんの前でかわいいすごいと褒めて頂いたり、お食事を食べさせて頂いたり、膝枕をして頂いたり、一日中腕を組んで歩いたり、毎日一緒のお布団で寝たりしたいんです」


「…そ、そうだったのかぁ」


 思ったより多くて、重い。父親に期待することだけじゃなく、異性に期待することが多い気がするが、よく考えるとどちらも俺しかいないのか。


 全部やっているといちゃいちゃするカップルでさえ胸やけするような甘々兄妹になってしまう。


 さすがに良い感じに譲歩を引き出さねばなるまい。


「急にべたべたすると変に思われるだろうから、全部は難しいかなぁ。ちょっとずつやってみようか」


「私がべたべたすると変でしょうか?」


「いやいや! クリスティーナはまだ幼いし、何をやっても絵になるぐらい可憐だから大丈夫だ。変とか言った俺がおかしい」


 可愛いが強い。クリスティーナの甘えはもはや恐喝だ。否定すると世界から俺が嫌われる気がしてしまう。


「でしたら、よろしいですか?」


「あー。ただ、年頃の兄妹の仲が良すぎるのは、さすがにちょっと変じゃないか? だからちょっとずつやってみようか」


「兄妹の仲が良くても変なことなんてないです。仲が良すぎるなんて良いことじゃないでしょうか」


「全くその通り。俺がどうかしてる」


 ダメだ、分が悪い。


 この世界の考え方だと兄妹でとても仲良くなるのはアリなのだろうか。


 社会常識も体育科目のカリキュラムもわからない俺には判断がつかない。


 それに、クリスティーナの表情がどんどん沈んでいる。このままでは奈落の底まで沈んでしまって闇落ちする。


「そこまで言うなら、わかった! 俺にも遠慮があったみたいだ。思う存分甘えてくれて構わない」


「嬉しいです! では早速!」


 クリスティーナはいそいそと椅子を立ち上がり、ベッドに仰向けに寝転んだ。


 その頭は俺の膝にそっと置かれた。


「膝枕! やってみたかったんです」


「これは膝枕をするというよりは、されている状態だけどね」


 とはいえ、俺の頭の重さはクリスティーナの膝小僧では支えきれないかもしれないし、この方がいいか。


「向きが変じゃないか?」


 彼女の顔は俺の顔の対面にあって、床屋で洗髪するような状態になっている。


「では失礼して」


「いや、たぶん普通はあっち向くんだけど…」


「変ですか?」


「変じゃない。正解。完璧だ」


 クリスティーナは満足げに笑い声を漏らし、俺の腹に顔を埋めた。


 そう、この娘はなぜか俺の腹の方に顔を向けたのだ。違和感しかないが、膝枕の作法もよくわからないので、否定するにもしきれなかった。


 手持ち無沙汰になった俺は、何気なくクリスティーナの髪に触れた。


 初めはピクッと反応したが、もっと触れというように彼女の手が俺をふわふわの髪に誘導する。

 

 髪に手が引っかからないように慎重に撫でた。絹のように滑らかなそれは、とても触り心地が良かった。


「なんか、安らぐな」


 心からポツリと言葉が漏れた。


 クリスティーナがくすくすと笑うので腹がこそばゆかった。

 

 これまでは壁のようなものをみんなに対して感じていた気がする。

 けれど、今朝本音を話し合ったおかげでそれが取っ払われて距離がグッと近づいたんじゃないかと思った。


「お兄様」


 ふと見ると、クリスティーナが俺の顔を見上げていた。


「ん?」


「私、もっとお兄様のお役に立ちたいです」


「十分役に立ってるよ。毎日健康診断をしてくれるし、館の雑事もクリスティーナに任せっきりだ」


 俺は日がな一日出かけていることが多いから、給仕への指示出しは全部クリスティーナがやってくれている。


「でも、館に避難されていた方々もお帰りになられましたし、お仕事は多くないんです」


「んー、そうか。クリスティーナは働き者で偉いな」


 よしよしと撫でてやるが、これには頬を膨らませて無言で抗議された。


 正直、癒してくれるだけで十二分に貴重な存在なのだが、受け取りようによっては「君はマスコットです」と言ってるようなもんだし言わない方がいいだろう。


 頭の中でやりたいことリストを引っ張り出してくると、一つクリスティーナにやってほしいことがあったのを思い出した。


「じゃあ、一つ頼まれてもらえるか?」


「はい、何なりと!」


 彼女はバッと身を起こし、俺の隣にあひる座りをし、身を乗り出した。


「出汁を取りたいんだ」


「だし?」


 この世界の味付けは塩がベースだ。港街近くに塩田が数多くあるそうで塩は安価で手に入る。


 塩と野菜の甘みで味付けされた料理に不満はない。ただ、より高みを目指して食文化を発展させたいのだ。


 人生の楽しみ方が増えれば、仕事にもハリが出よう。


 香辛料はこの辺では採れないそうだが、グロンマ川が近くにある立地を生かして魚の出汁文化を醸成できないかと考えていた。


「食べ物が持っている旨み成分のことだよ。俺が元いた世界で慣れ親しんだ味付けなんだ」


「旨み…」


「魚や肉の骨から抽出していることが多かった、と思う」


 この辺はCOO的に浅く広くの知識であり、俺の声量はしぼんでいった。


「俺がやったことはないから、試行錯誤が必要になる。それをクリスティーナにやってもらいたいんだ。メイドと相談して進めてくれないか」


 結局みんなには手間をかけてしまう。もっと勉強しておけばよかったと、人生で何回したかわからない後悔をする。


「わかりました。私、出汁を取ってみせます」


「ありがとう、期待しているよ」


「お兄様に美味しいものを食べさせてあげますからね」


 骨を焼いて煮出すとか身がクタクタになるまで煮込むとか、それっぽくなりそうなことをクリスティーナに伝えた。


 彼女は料理経験がないそうで、ふんふんと頷きながら聞いてくれていたが、わかっているのかいないのかはよくわからなかった。

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