第10話 交渉
日が落ちる頃まで歩いた。途中、石の道が壊れている箇所があったが迂回して進んだ。
すでに道は川を離れ、いくつかの丘と牧草地を見ることができた。ルーモンドと比べると土地の使い方が広く、牧歌的な場所の印象を受ける。
やがてバームロの街の門にたどり着いた。
バーバラが番兵に何事かを伝えると、すぐに俺たちは通された。
「私たちが来訪することを予想していたみたい。このまま領主の館へ向かいましょう」
もう夕暮れだったので、街に人は多くなかった。
家屋の傍に束ねて置いた薪を拾い、せっせと炊事を営む女性たちを何人か目にする。俺に気づいた女性は感激した様子で近くに来て挨拶をしてくれた。ここも女性ばかりの街のようで、ルーモンドの領主アドルフは変わらず大人気だった。
まだ俺がどこか他人事のように捉えながら軽く応対をして歩いていくと、大きな館が見えてきた。
扉の前には整列したメイドたちと彼女らとは装いが違ってドレスを着た女性が立っている。
近づく俺たちに気がつくと、ドレスの女性がパッと笑顔になって駆けてきた。
「アドルフ卿! バーバラ様! ご無沙汰しております!」
「シルヴィア様。わざわざお出迎え頂き、ありがとうございます」
バーバラが外交スマイルを浮かべて応じている。
この方がバームロ領主のシルヴィアか。
年はアドルフと同じぐらいだろうか。栗色のストレートヘアを肩口で切り揃えたかわいらしい方だった。大人とも子供とも表現しづらい外見だが、洗練された所作のお辞儀には淑女の気品を感じた。
「シルヴィア卿。息災のようで何よりです」
「さぁさぁ、お入りになってください。歓迎いたします」
満面の笑みで館に招き入れられた。
ルーモンドの領主館に負けず劣らずの大きな館だ。造形が酷似しているので、これがこの世界の領主館の標準形なのかもしれない。
視界にいる給仕が全員女性であることも同じだ。館を奥まで進んでいくと、既に料理が並べられた食堂にたどり着いた。
「遠くからお越しになられてお腹がすいているでしょう。食事をしながらお話をしましょう」
空腹だったのでありがたい申し出だ。
俺はシルヴィアの対面に、バーバラは俺の隣に着席した。
テーブル上には、ルーモンドではまだ目にしていない肉料理の数々があった。見るからに食欲をそそるステーキやとろとろのチーズがかけられた肉塊、野菜と一緒に和えた肉など。
さらには、チーズをフォンデュする風の鍋とそのための新鮮な野菜も並んでいる。コース料理的な堅いもてなしではなく、気安い仲だからこそできるフリースタイルの食事形式だった。
「お味はいかが?」
早速チーズをフォンデュして瑞々しい野菜を食べた俺に、シルヴィアが感想を尋ねた。
「とても美味しいです。特にこのチーズは絶品ですね」
「まぁ! それは良かった。バームロ自慢のエメンタールチーズなの。お褒め頂き光栄ですわ」
その後も、俺は肉やチーズを褒めちぎった。そのたびにシルヴィアは鈴を転がすように笑った。
食事が一段落し、俺はナプキンで口を拭いていた。視線を上げると、シルヴィアがこちらを見ている。
「ルーモンドは、大変でしたわね」
その痛ましげな表情は、まるで自分事のようだった。
「グロンマ川は頻繁に氾濫しておりますが、洪水が街にまで押し寄せるなんて何年ぶりのことかしら」
「えぇ。しかも今回の規模は私の記憶でも類がありません」
いつかの洪水と比較したのか、バーバラが苦い顔で言う。
シルヴィアも重く頷いた。
「どんなことでもご協力したいと思っておりますわ。とはいっても、バームロもそれほど裕福ではありませんけれど」
無礼を承知でいえば、確かにバームロは金銭的に豊かではなさそうな街だった。見る限り、発達した産業の様子はなかったし、建築物も朴訥だった。
当然、そんなことを言うつもりはない。資金に関しては、気持ちだけ頂くこととする。
「大変痛み入ります。この件に関して、いくつかお話したいことがあります」
「伺いますわ」
シルヴィアの顔つきが変わった。ここからは領主間の交渉だ。
「ルーモンドの街は壊滅的な被害を被っております。その被害は街の工房区にも及びました。職人たちが定常業務に戻るには今しばらくの時間が必要です」
「まったく理解できます」
「復帰時期については一ヶ月ほどを見込んでおります。もちろん追加で災害が起きないことが前提です。お約束した商品の納期もその頃にさせて頂けないでしょうか」
「一ヶ月、ですか。街の商人にとってルーモンド領のガラス細工はとても貴重ですわ。何かお手伝いはできないかしら」
これは暗に『もっと早くしてくれ』と言っているのだろう。バームロに工房のような施設は見当たらなかったし、この地の経済に無視できない影響を及ぼすということか。
「現状ではご期待に沿えないことを無念に思います。実は、私たちは再び洪水が起きることを想定して堤防の修復作業を開始しています。力仕事を行う人員が足りず、工房の職人も駆り出している状況なのです」
「なるほど。適切な対応順序ですわね。では、バームロから力自慢の兵士を何小隊かお送りしましょう」
「大変助かります」
「それで、いかがですか?」
どうしても納期短縮の言質が欲しいようだ。
一昨日、工房区でエイダに聞いた話では、納期対応に一週間の工数が必要だった。
そして、堤防の修復には一週間。
シルヴィアに提示した期間は一ヶ月。
となれば、落としどころは…。
「はい。三週間後にお約束の商品をお届けします」
「まぁ。それはよかったわ。商人たちと調整しますね」
多少のバッファを確保した回答に、シルヴィアは笑みを浮かべて頷いた。うちとしても人手が得られて納期が延ばせたので良い結果になった。
グラスに入った果実水に口をつける。このグラスもルーモンドの商品だろう。館での飲み心地に似ている。
この地の人たちの期待に応えるよう、戻ったらまた職人に発破をかけたいところだ。
唇を湿らせた俺は、次の話題に移ることにした。
「シルヴィア卿。魔法への興味はいかほどですか?」
突然の質問に、シルヴィアはきょとんとした。
「曖昧なご質問ね」
「まだアイデアの域を出ない漠然とした事業構想がありまして。ここだけの話ですが、魔法を金で買えるとすればどれくらいの価値をお感じになられますか?」
「魔法を、お金で…」
シルヴィアは目を見開いた。
隣に座るバーバラが息を飲む音も聞こえた気がする。
「まぁよもやま話とお考え下さい。現在のところは、ですが」
「そういうことでしたら、雑談としてお答えしますわね。魔法はとっても便利なものです」
シルヴィアのとってもには抑揚がつけられ、特に強調されていた。
「火を起こすのに薪はいらず、水を飲むのに井戸へ行く必要もない。兵士は長く訓練をしなくとも一騎当千に相成ります。もしもそれが手に入ると仰るなら、何物にも代えがたい価値があります」
「なるほど。バームロ領には魔法の需要があるのですね」
「どこの領地でも価値が高いことは明白です。バームロにおいては、王国内でも敷地が広く業務上の所用で薪置き場や井戸へ向かうことは特に効率が悪いのです」
日々の肉体労働で疲れた体に、薪割りや井戸汲みの作業そのものもきついだろう。火も水も、そして力も意のままに操れるとなればその需要は大きいと理解して良さそうだ。
俺がこの世界の魔法を知ったとき、連想したのはインフラだった。
現代では、スイッチを入れれば火が起こり、蛇口をひねれば水が飲める。
しかし、この世界でそれらを得るのはなかなかに大変だ。ルーモンドの魔法は便利な科学技術の代替になり得ると思ったが、どうやら仮説は正しかったようだ。
「ご見解をお教え頂き、ありがとうございます。少し先のことになると思いますが、ご期待に沿えるものと考えております」
これから色々と仕込みがあるので明言は避けた。
シルヴィアは感心したように頷いた。
「アドルフ卿、変りましたね。どうにも底が知れません」
「ご評価頂けて嬉しく思います。そして、魔法都市ルーモンドについても再評価をして頂けるよう最善を尽くします」
「楽しみだわ」
本当に嬉しそうに笑ったシルヴィアが静かに両手を合わせた。
「では、今日の懇談の証として援助を追加させて頂きます」
つまり、何か成果が出たらすぐに教えろということだろう。
近隣のバームロが最初の上客になってほしいと思っていた俺にとっては渡りに船だ。
俺は頭を下げて、長くお辞儀をした。
「私、ますますアドルフ卿が好きになったわ」
顔を上げた俺に、シルヴィアは可愛らしく小首を傾げた。
「ルーモンドが元通りになったら、私とデートしてくださる?」
これも願ったり叶ったりだ。
もちろん、ビジネス的な意味で。
「喜んで」
そう応じる俺の横で、バーバラが長い溜息を吐いたのがわかった。
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