第5話 領主への想い

 工房区の後は農業区、市民区、軍事区を見て回った。


 農業区は洪水を起こした川にほど近く、工房区以上に甚大な被害を受けていた。広大な農地にある半分ほどの作物が廃棄物になっている。

 雨季である今は凶作が起きることは稀にあるそうで、それを見越した備えが多少はあるらしい。経験的には、雨季はあとひと月は続くそうだ。


 市民区や軍事区は比較的被害が小さかった。とはいっても、住居を破壊された者、財産を失った者、生活道具を失った者はいる。

 悲嘆に暮れていても腹は減るし、それぞれが自分にできる活動をしていた。

 立ち止まってしまうよりは前向きでいいのかもしれないが、領主からの適切な指示があって然るべきだろう。


(やることが多いな……どうしたものか)


 今後の対応を考えながら館に戻ると、既に夜の帳は下りていた。

 入口ホールには機械式時計が設置されている。人よりも大きいそれは今日の残り時間を振り切るために最後の追い込みを見せていた。


 俺としてはすぐにでも今後の対応方針を相談したかったのだが、思ったより遅くなってしまったようだ。


「お兄様、おかえりなさい。お疲れのことと思いますので、今日はお休みになってください」


 メイドたちと共に俺を出迎えたクリスティーナは、すぐに俺の腕を取ってのしのしと歩き始めた。


「え、いや、しかし。相談したいことがあるし」


「しかしもお菓子もありません。今日はおしまいです」


 やけに過保護なクリスティーナに押し切られ、食事などを済ませるとアドルフの部屋に押し込まれてしまう。


 少しして、控えめなノックが聞こえた。入ってきたのはアイサだった。


「本日は私たちのために行動をしてくださり、ありがとうございました」


「とんでもない。まだ何もしていないのと同じだよ。本当は今後の対応を相談したかったんだけど」


 そこまで言って言葉を濁し、妹を悪く言うことは避けた。


「クリスティーナ様が強引だったことには理由があります」


 俺の内心を察したアイサが言った。


「実は、アドルフ様は働きすぎて亡くなってしまわれたのです」


「働きすぎ…?」


「はい。ルーモンドではここ二週間ほど大雨が続いています。そのせいで近隣のグロンマ川が氾濫し、遂には洪水を引き起こしました。アドルフ様は領地の対応や領民への指示を出すために、ここ最近はろくに眠っておられなかったのです」


 目を伏せ、アイサは強く唇を嚙んでいた。

 アドルフを休ませることができなかったことを悔いているのだろう。


(そうか、過労死か)


 労働規制がある現代ですら起きうる問題だ。

 大雨が続き、洪水が発生した領地で、領民から絶大な信頼を得るアドルフの精神的負担は甚大なものだっただろう。

 寄せられる期待に応えようとしたアドルフが無理をしてしまったことは想像に難くない。


 悔恨の念に震えるアイサを宥め、彼女が部屋へ戻るのに付き添った。長官の三人は普段は街に住んでいるが、危機時の今は俺とのコミュニケーションを重んじて館の空き部屋にいるらしい。


 アイサを送った後は寄り道せずに自分の部屋へ戻った。


 アドルフの部屋は、ベッドと机と椅子とクローゼット、それに本棚が一つずつあるだけの質素な設えだ。

 本棚には専門書が並び、中には過去の領主が行った演説の記録まで保管されている。アドルフの勉強熱心な姿勢が知れた。


 異世界にきて初めて一人になった俺は椅子に座り、ため込んでいた息を吐きだした。


(家じゃ大騒ぎしているかもな)


 考えるのは元の世界に残してきた家族のことだ。

 妻と息子と娘がいる。


 向こうの時間がどれぐらい経っているのかわからないが、同じ一日だとしたら連絡が取れないことに焦り出した頃だろう。


(まぁでも、大きな問題にはならないかな)


 驚きはするだろうが、子育ては一段落しているし、俺はそれなりに稼いでいた上に妻も職があるから生活に支障はない。

 仕事の方も、代表が俺だけというわけではなく、他にもチーフ職の人間がいる。

 所詮俺は社会の歯車の一つだし、実際にはなんとでもなるだろう。

 自分の存在価値の低さに苦笑いする。


 それに比べてこの世界における俺の存在価値は高い。人気者であるアドルフであることもそうだし、治水の知識があることもそうだ。合理的に考えれば、こちらの世界で辣腕を振るうべきだと思う。合理的に考えるだけでいいかはわからないが。


 ふと視線を横に向けると、クローゼットに備え付けられた鏡に映るアドルフの姿が目に入る。

 息子と同年代の、まもなく大人に差し掛かろうという年頃の青年だ。


(そういえば、アドルフは一体どんな人間だったんだろう)


 興味を覚えた俺は、部屋の中を物色してみることにした。

 ざっと眺めた限りは、必要なものしかないミニマリストの部屋だ。


 何の気なしにクローゼットを開けた。


「うわっ!」


 びっしりと服が詰め込まれている。

 ハンガーをかけるスペースは全くなく、床には畳まれた服が山積みだ。

 てっきりスカスカの中身かと思ったら、アドルフはどうやら相当なおしゃれ好きだったということか。


「なんか変だな…」


 ここまでに感じたアドルフの人物像とかけ離れすぎている。

 

 クローゼットの中身から目を逸らし、室内を見回すと本棚に整列している本が気になった。背表紙のない本が何冊かある。アドルフが記載した日記か勉強用のノートだろうか。

 故人の所有物を見るのは気が引けるが、これからは俺が当人だし内容は知っておいて損はない。


 怪しい本を一冊取り出して気がついた。奥にも本が詰まっている。クローゼットと同じように本棚の奥行きまでいっぱいに本がびっしりと並んでいる。すべて背表紙のない本だ。表側にあるのは詰め込めきれずにあふれた本のようだった。


 その異様さにまた違和感を覚えたが、とりあえず手に取った本を開いた。


「…ラブレター?」


 レターというよりはブックなのだが、そこには愛が綴られていた。

 アドルフの愛、ではなく、アドルフに向けられた愛だった。


『今日はお散歩をしました。アドルフ様は何をしていたのかな』

『遠くにアドルフ様をお見かけしました。いつもかっこいいですね』

『アドルフ様のことを想うと夜も眠れません』


 前半はまだ読める内容だったが、後半はきつかった。


『アドルフ様に触られたい』

『アドルフ様の愛人にしてください』

『髪の毛をください』


 だんだん狂気じみてきている。

 身震いをしながら本を閉じた。

 

 目の前には背表紙のない本が所狭しと並べられている。


 背筋に冷や汗が流れた。

 これらは全部そういう本なのだろうか。


「モテるにもほどがあるだろう…」


 恐る恐る本を開いていったが、どれも大なり小なり狂気を含んでいた。


 アドルフ以外にも男がいるとは聞いているが、イケメンで努力家で血筋も良いとなればモテの天井を突き抜けるのか。

 思い起こせば、領民は俺が来たぐらいで喜び過ぎだし、エイダなどやたらと距離が近かった。

 ちょっと推してるぐらいの感覚かと思ったが、そんなレベルではないようだ。


「そういえば、あの四人もだいぶ距離感近かったな」


 俺が転移して最初に目にした四人の顔を思い浮かべた。

 まさかそんなことは、と思いながら本を次々開けて……見つけた。


 四人からアドルフに送られた愛の本、ラブブックだ。

 特にクリスティーナとアイサの本がぶ厚い。辞書ぐらいある。


 他と比べて薄いラパーマの本は、割と普通の内容だった。

 好きがたくさん書かれているだけだ。

 まぁよく見ると怖い。好きがあふれすぎている。

 逆に呪おうとしているようにも見えてくる。


 バーバラの本はややそっけない印象だった。

 ときどき本人の自画像が描かれていて、やや扇状的な画風が見られた。

 ちょっと盛っている部位がある気もする。

 青少年への攻め方に遠慮がなさすぎではないだろうか。


「……開くのが怖いな」


 手元には、明らかにぶ厚い二冊の本。


 まずはアイサの本に手をかけた。


 内容としては、やや拍子抜けだった。重い愛が記されているわけではなく、非常に詳細な日報のようなものだった。

 何時にどこそこに行って何をした、こう思った。といったことが書かれている。読んでいると、頻出するキーワードがあることに気づいた。


「絵を描いた、か」


 アイサはどこかへ行っては絵を描いているようだった。それをアドルフに贈っているようだ。

 だが、部屋を見渡してみても絵画らしきものはない。捨ててしまったのだろうか。


 ふと、ベッドの下を探していないことに気がついた。

 なぜか緊張した。そこにあるような気がしたからだ。

 思わず息をひそめながらベッドに近づき、腰を屈めて覗き込んだ。


「見つけた……」


 やっぱりあった。

 ベッド下スペースにうずたかく何かが積まれている。

 絵画だ。アイサのプレゼントだ。


 絵はパッと見てとても上手な具象画だった。

 画力だけを見れば称賛の感想しか出ないのだが、描かれているのはアドルフだった。


 次々取り出してみるが、どれもこれもアドルフだ。

 左の横顔を見せたアドルフ、右の横顔を見せたアドルフ、正面を向いたアドルフ、振り向きアドルフ。


 バーバラの自画像は自分を好いてほしいという意図が理解できる。また、アドルフが絵の上手いアイサに自画像を依頼したのならそれも理解できる。だが、これだけ大量の肖像画を依頼なしにプレゼントされる理由には狂気しか思い当たらなかった。


 愛というよりは、信仰なのだろうか。


 アイサにとってアドルフは教祖なのだ、と考えた方がしっくりくる。


「いったん忘れよう…」


 アイサの山から目を背けると、最後のぶ厚い本が目に入ってしまった。


 クリスティーナの本だ。


 だが、彼女は妹だし、まだ幼いしであることを考えれば、そこまで警戒しなくていいかもしれない。かわいらしいお絵描きでもくれただけかもしれない。

 そんな淡い期待を胸に、俺はクリスティーナの本を開いた。


「これは…」


 既視感があった。

 これはさっきも見た。すぐさっき。アイサの本と同じだ。

 とにかく事細かく毎日の生活を報告する本だった。

 アイサの本と同じく、クリスティーナの本にも頻出するキーワードがある。


 衣装、だ。


 俺はクローゼットを再度確認した。

 びっしりと服が詰め込まれている。

 答え合わせをするように本と衣装を見比べる。本に書かれている衣装の特徴と合致する服ばかりだ。


 これは全てクリスティーナのプレゼントだ。


 中には手作りの衣装もあるようだった。

 何を想うとこんなことになるのだろうと想像しようとしたが、やっぱりやめた。怖くなってしまった。


「……寝よう」


 ラブブックを床に広げたままにして、俺はベッドに倒れ込んだ。


 アドルフは仕事のしすぎで過労死したものと思ったが、違ったのかもしれない。最期は仕事のしすぎでも、彼を追い詰める要因は他にあった気もする。

 あの四人は街の復興のためにアドルフの体に俺を呼び込んだのかと思ったが、違ったのかもしれない。とにかくアドルフの体を動かしたかっただけな気もする。


 人間、見た目と中身にはギャップがあるものだが、この世界のそれは常軌を逸している。本質からは目を背けた方が健全に生きていけるのではないだろうか。


(まぁ、今すぐどうこうってことはないか)


 俺の想像が合っていようが合っていまいが、当面ラブブック関係で修羅場に陥ることはないと思う。

 四人は俺の中身が違うことに気を遣うと言ってくれているし、領民のラブブック対応も彼女らがなんとかするだろう。

 ただ、何をきっかけに闇堕ちするかわからないから注意は必要そうだ。


(みんな純粋過ぎるだけなんだよ、きっと)


 狂気を孕んでいる人間が多いとはいえ、誰もがアドルフが好きでアドルフのいるこの街を建て直したいという気持ち自体は嘘ではないだろうし、アドルフがそれに応えようとしていたこともよく理解できている。


 明日からは、COOとしてのノウハウを発揮して街の復興に勤しもう。それがいい。それだけでいい。


 俺は最大の懸案事項を棚に上げて眠りについた。

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