第2話 魔法都市ルーモンド

「しーおーおー、とは何でしょうか」


 クリスティーナが小首を傾げた。


 COOとは企業の最高執行責任者だ。企業が意思決定した事業の執行に責任を持つ。CEOに比べると、より実務的に事業を進める立場にある。


 俺はシゴテキ、いわゆる仕事できる人間と評されていた。実際には大した能力はなく、単に古株だったというだけだ。

 それよりも、普通の人にはできない貴重な経験を積んできたことの方が俺の大きな財産だ。こういう修羅場をなんとかするのは慣れている。


 俺の説明を聞いたバーバラは驚いた顔をした。


「それは素晴らしいご経歴ですね。この世界においては稀有な存在です」


 ここでは事業活動を行う組織を商会と呼び、COOは商会における副代表の位置付けにあたるようだ。商会に在籍したことがあるというバーバラと認識をすり合わせることができた。


 情報交換が進んで互いの素性が明らかになり、俺たちの緊張は幾分か解れてきていた。さらにこの世界の情報に触れるため、俺たちは外に出ることにした。


 バーバラの先導で深紫の絨毯を歩く。

 長い廊下に部屋が無数に並んでいる。今いる場所からはその数は数え切れなかった。


「大きい建物ですね」


 そんなただの感想に、バーバラは律儀に答えた。


「領主の館はルーモンドで一番古くて一番大きい、歴史のある館なのです。外交のために威厳を備え、式典のために多くの領民を集められる部屋があります」


 どうやら今は昼間らしく館内は明るい。先ほどの部屋はカーテンで光を遮っていたのだろう。


 途中、何人ものメイドとすれ違った。彼女たちは白と緑に彩られたエプロンドレスを着用しており、とても若かった。そして、なんというかかなり美形だった。顔で採用しているんじゃないかと思うほどに。

 気のせいかもしれないが、俺を見る彼女たちの視線には熱がこもっているようにも感じた。


 やがて一段と広いホールに辿り着き、今いる場所が最上階の二階であることがわかった。空を映し出している窓ガラスの下に、大きな扉がある。


「ここから街を一望できます」


 扉が開かれ、眩しさに顔を顰めた。

 むわっとした湿気を感じる生暖かい空気が身を包み込む。何枚か着込んでいる衣服を汗で汚してしまわないか心配していると、ルーモンドの全貌が見えた。


「これは、なんとも…」


 二階建てにしては背の高い館にいるようで眼下に街を確認できる。


 壊滅間近、と表現された街は、率直に言って壊滅していた。


 倒壊した家屋、真っ黒に濡れた地面の上に転がる農作物、焼け爛れた石材、ピクリとも動かない動物。無事なものがあるようには見えない。


 俺は唖然としてしまった。


 残骸が点在する光景に驚いたことに加え、治水が全くできていなかったからだ。見たところ、農業用に用水路は引かれているが放水路がないし、川の規模に対して堤防敷が小さすぎる。洪水にやりたい放題されるのも仕方のない状況だ。


「三日前に、とても大きな洪水がありました」


 そんな俺の考察をよそに、館の欄干に手をかけたバーバラは、沈痛の面持ちだった。


「洪水の前は大雨が続き、それだけでも領民には耐え難い被害がありました。アドルフ様は領民を励まし続けました。しかし、天災に対応するさなかに、亡くなってしまったのです」


 アドルフが亡くなってまだ何日も経っていないということか。彼女たちの顔に悲しみの色が濃い理由を察した。


 アドルフの妹であるクリスティーナから嗚咽の音が漏れ、その肩をアイサが優しく抱いている。

 バーバラはその様子を痛ましげに見ていた。


「ルーモンドにとってアドルフ様は象徴的な存在です。男性が非常に少ないこの王国で、男性の領主はアドルフ様だけです。誰もがアドルフ様に親しみを持ち、アドルフ様に魅かれてルーモンドに住んでいます」


 言われてみれば、館の中にメイドはいてもバトラーはいなかった。


「水害の多い領地ですので、領庫にはある程度の蓄えがあります。もちろんいつまでもしのげる訳ではありませんので、復興に勤しまなければなりません。しかし、アドルフ様がいなくなってしまえば、それも困難になるでしょう」


 たかが一人の人間にそこまで影響力があるのかと俺は正直疑った。現代企業に属した者からすれば考えづらい状況だ。


 だが、ここで疑問を呈しても納得する応対はできないだろう。疑問とは別に、建設的な質問を考えた。


「懇意な他の領主から支援は期待できないのですか?」


「えぇ。ルーモンドは王国の最果てにあり、貿易も親交も多くなく、すぐに頼れる味方は少ないのです。もちろん最善を尽くしますが、現状は外務長官としてお恥ずかしい限りです」


 バーバラは力無く項垂れている。

 その様子を見て、袖で涙を拭ったクリスティーナが言った。


「……バーバラはよくやってくれているんです。バーバラがいなかったらルーモンドはもっと早くに滅んでいたと思います」


 アイサやラパーマも頷きを返している。

 彼女たちの間には深い信頼があるのだと思った。


「では、復興を具体的に考えるにあたって、ルーモンドの経済基盤を教えて頂けますか」


「平時は鉱業が盛んです。あちらに見えます霊峰ケブネカイサで採掘する鉱物を加工して事業を営んでおります。季節によっては農業や漁業も盛んで、豊富な資源を活かして、内需や多少の外需に対応しています」


 バーバラの視線を追うと、遠くに大きな山が見えた。

 空を突き刺すかのように角度の鋭い尾根を持っている。よく見ると、その先端には円錐状の何かが突き刺さっていた。


「山の上に、何かある?」


「はい。あれは、かつて魔法大王が治めたと言われる大地です。その歴史は失われていてほとんど何もわかっていません。王国の古い文献に些少な情報がある程度です」


「あそこに行くことはできるんですか?」


「いいえ、行けません。学者の間では今よりも発展した技術や古代魔法があの大地を創り上げたということになっています。しかし、それらは失われ、何人も立ち寄れない未開の大地となってしまったようです」


 現代のように飛行技術や登山技術が習熟していれば到達する術はありそうに思うが、この世界のレベルではさすがに厳しいか。

 正直、魔法と技術を組み合わせれば余裕で実現できそうな気がするが。魔法がショボいのだろうか。


「私のいた世界には魔法という概念がなかったのですが、魔法は何に使われているのですか?」


「まず、使える魔法は四つあります。火を起こす、水を生む、風を呼ぶ、体を強める。そして使い道は、日常生活で火を起こして肉を焼いたり水を湧かして水やりをしたり、です」


「何かこう、悪い生き物。例えば魔物を倒すことに使われたりは?」


「まもの……とは何でしょうか」


「なるほど、わかりました。お気になさらず」


 剣と魔法でモンスターを倒す、ような世界観ではないようだ。魔法は想像よりも大人しい概念のようだが、とはいえ便利には違いない。


 無から四つも奇跡を起こす魔法が使えるなら、この世界はもっと発展しても良さそうなものだ。使い方が悪いんじゃないだろうか。


「魔法が経済基盤ではないということは、魔法を商売には使わないのですか?」


「ルーモンドではほとんどの領民が魔法を使えますので、供給はあっても需要がありません。他の領地では魔法が使えませんので、需要はありますが供給ができません」


「なるほど。ルーモンド領でしか魔法は使えないと。地域限定なんですね」


「はい。未開の大地の影響であると言われています。彼の地に最も近いルーモンドでは魔法が使え、他の土地では私たちといえど魔法は使えません。それがここルーモンドが魔法都市と呼ばれる由縁です」


 山に大地が突き刺さっている光景を見れば、確かにあれは何か大きな影響をルーモンドにもたらしているのだろうと漠然と思う。

 

 そして、商売人としてこの圧倒的な特徴を使って事業を行ってみたいとも思った。ここでしか魔法を使えないというのはピンチではなくチャンスなのではないかと俺のCOOとしての勘がささやいている。


(いや…)


 まずは復興に尽力するべきか。

 治水も防水もなっちゃいないし、多分避難やその受け入れもうまくできてはいないだろう。指導すべきことは山のようにありそうだ。


 その後で興隆することは難しくない。魔法を使えばこの世界をいくらでも便利に変えられるはずだ。きっと現代日本の便利を上回るサービスを開発できるだろう。


 俺はこの世界で生きていくためのロードマップ設計を虎視眈々と進めるのだった。

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