第2話:孤独な帰還と暗黒の囁き

 峡谷から戻る道のりは、果てしなく遠く、孤独だった。ヴァルディスの鎧には深い亀裂が入り、血と土が混じり合っていた。だが彼の目には、恐ろしいまでの静けさが宿っていた。


 周囲には誰もいない。囮として見捨てられた彼を気にかける者など、当然、いなかった。谷を抜ける冷たい風が、彼の傷口を吹き抜けるたびに、先ほどの戦いで得た力が鈍い痛みとともに脈動しているのを感じた。


 街の門が見えてきたころ、日没が迫っていた。いつもなら門番が快活に声をかけてくるはずだが、今日は違った。門番の顔が険しく曇り、ヴァルディスの姿を見るなり、怯えたようにわずかに後退した。


「おい……なんだ、その姿は。……いや、まさか、お前がブラッドストーンゴーレムを?」


 ヴァルディスは返事をしなかった。ただ静かに頭を振ると、門番の隙を突くように歩き出した。だがその背中には、門番の囁きが嫌でも聞こえてきた。


「聞いたか? アレンたちの話じゃ、あいつは囮になったそうだ。それでも、こうして戻ってきたってのは……」


「不気味だよな……何かがおかしい。いや、あいつ自体が……なんか変だ。化物みたいな感じだ」


 その言葉に彼の胸がざわついた。化物、か――そうかもしれない。だが、それがどうしたというのだ。そう心の中で呟き、街の奥へと歩を進めた。


 冒険者ギルドの扉を押し開けると、中はいつもと変わらぬ喧騒が広がっていた。だが、その喧騒はヴァルディスの姿を見た瞬間、ぴたりと止まった。彼の汚れた鎧、そして、どこか異様な雰囲気を纏う彼の姿に、誰もが息を呑んだのだ。


「おい、見ろよ。あいつが戻ってきたぜ。確か囮にされたやつだろ?」


「ああ。アレンたちが、あいつがゴーレムを引きつけて犠牲になったって言ってんだがな


「戻ってきたってことは……あの話には裏があるってことか?」


 ひそひそ声が広がる中、ギルドの奥から現れたのはギルドマスターだった。


 彼は才能豊かなアレンをかわいがっており、平凡なヴァルディスのことは歯牙にもかけていなかった。

 壮年の男である彼は、手に持ったグラスをカウンターに置くと、険しい表情でヴァルディスを見つめる。


「ヴァルディス……どういうことだ? アレンたちは、お前が囮になり、命を落としたと報告している。戻れるはずがないだろう」


 まるで『アレン達の経歴に泥を塗りやがって』と言わんばかりの態度だった。その言葉に、ヴァルディスの胸の奥底にくすぶっていた怒りが再び燃え上がる。だが、それを表に出すことはなかった。静かに息を吐き、言葉を絞り出すように答えた。


「俺が囮にされたのは事実だ。でも、この通り死んではいない。それだけの話だ」


 もはやギルドマスターに尊敬の念を抱けず、丁寧な言葉など使う気にもなれなかった。


 ギルドマスターはじっとヴァルディスを見据えた。その目には疑念が浮かんでいる。しかし追及するどころか、ただ短く言い放った。


「アレンたちは生き延びた。その事実に感謝すべきだろう」


 その言葉がヴァルディスの胸に突き刺さった。感謝すべき――誰に? 彼らにか? それとも、ギルドにか? 怒りと冷たい失望が、胸の奥で膨れ上がるのを感じた。


「俺がどんな目に遭ったか、あなたも知っているだろうに……黙認するってわけだな。アレン達を庇うために」


「彼らの報告に不正がある証拠はない。お前の無事が確認できた今、詳細を調べることもできるだろうが……それがどうなるかは保証できん」


 ギルドマスターの言葉には、何も期待できないということがにじみ出ていた。ヴァルディスは目を伏せ、冷ややかな笑みを浮かべた。


「わかったよ。もういい。俺はこんな事に時間を使ってる暇はない。あいつらの処遇なんてどうでもいい」


 ギルドマスターはそれ以上何も言わず、部屋の奥へと去った。




 夜更け、ヴァルディスは街外れの安宿に身を寄せていた。薄暗い部屋で寝台に横たわり、天井を見つめていると、あの声が再び脳内に響いた。


『力が求めろ。もっと、もっとだ』


「またお前か。その節はどうもありがとう、とでも言えばいいのか?」


『不要だ。我には我の思惑があり、貴様の覚醒を手伝ったに過ぎない』


「……正体を明かすつもりはなさそうだが、理由くらいは聞かせてくれるのか?」


『貴様にその資格はない。我からお前に伝えることは一つだけだ。戦え。』


「言われなくてもそのつもりだ。この力、存分に使わせてもらう」


 ヴァルディスは目を閉じ、冷ややかな笑みを浮かべた。この街を去る決意は固まっていた。この地に、彼を引き留めるものは何もない。あのギルドも、かつての仲間たちも、彼にとっては過去の亡霊でしかなかった。


 新たな力を手に、ヴァルディスは動き出す。

 復讐でも、救済でもない――自身の真の強さを得るための一歩だった。

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