君が死ぬ前に聴く曲は

洲央

君が死ぬ前に聴く曲は

「今夜あたり死にたいからさ、最期に聴くのにいい曲教えて」


 クラスメイトで、僕が一番音楽に詳しかったからかもしれない。化野静花あだしのしずかからの電話に出ると、透明な声でそう言われた。


 化野は外を歩いているようだった。電話越しでも、息が少しだけ上がっているのが分かった。時折すぐ近くを車が通り抜けていく音がした。


 思いとどまったら、とは言えなかった。声の雰囲気のせいなのだろうか。化野はもうほとんど死の近くに到達していて、今更僕なんかが何か言っても、彼女に響くことはないんだと直感した。


 だから僕は「わかった」と言った。


「よかった」と、化野は心の底から安堵したみたいにつぶやいた。きっと笑っているのだろう。これで満足して死ねると、そう思っているに違いない。


「ちょっと待ってて。今送るから」


 僕は通話を繋いだままで、ノートパソコンを立ち上げた。親からもらった古いやつだけど、中身はけっこう充実している。曲作りに使うソフトもちゃんと動くし、ネットのゲームもまあまあできる。


「変な曲にしないでね」


 冗談の軽さで化野は言う。ビュンとまた、車が近くをすり抜ける。ふと、彼女はどうやって死ぬんだろうかと思う。道路に飛び出て轢かれるのだろうか。だけど彼女は優しい子だから、人様に迷惑をかけるような死に方はしない気がする。


「もちろん。ちゃんと選ぶよ」


 僕はフォルダをスクロールしていく。どうせ最期に聴かすなら、僕が作った曲がいい。たった十七年の人生だけど、小さい頃からやってきたから、それなりに曲は書いている。かっこいいやつ、チルいやつ、激しいやつ、エモいやつ。文化祭で大うけした曲もあるし、インディーズレーベルから褒められた曲もある。YouTubeで一万回以上、再生された曲だってある。


「私の机に花が置かれたら、君が水を替えてほしいな」


 何の花になるんだろうね。すぐに枯らしちゃイヤだからね。散っちゃう前には押し花にしてほしい。朝読書のしおりにしてよ。そうだ。そうすれば、天国に行っても小説読める気がするし。


 化野は歌でも歌うみたいに、楽しそうに言葉を並べる。


「そこまで僕がするのかよ」「いいじゃん。瀬川くん優しいし」「死んでからも勝手な奴だな」


 やれやれと呆れながら、フォルダの底にたどり着く。僕はもう一度スクロールする。下から上に。重力に逆らって、化野の終わりに見合う音楽を探す。


「うわ、綺麗!」


 カンカンカン、と踏切の音が鳴っている。風がゴウッと強く吹く。近所の河川にかかる鉄橋の上に、化野の長い黒髪がなびいている景色が見える気がした。


 ほんとに死ぬのかよ。


 喉まで出かかった言葉を飲み込む。クラスメイトで、最寄りが同じで、月曜朝の図書館で週に一回顔を合わせる。僕たちはそんな程度の関係性で、恋人とかでもまったくないし、友達かどうかもギリギリだ。化野は生徒会の副委員長で、弓道部でも部長をやってる。常に友人たちに囲まれていて、教員たちの覚えもめでたい。一方で、僕は軽音部に所属する地味な一介のオタクでしかない。


 普通に考えたら、死にたくなりそうなのは僕の方だろう。


「うちの町ってこんな夜景良かったんだね……知ってた?」


「いや……あんまり高いとこ行かないし」


「なに、高所恐怖症?」


「そうじゃないけどさ」


 フォルダの上までたどり着き、またも僕はスクロールする。しょうもない会話をしていると、図書館での時間を思い出す。僕は図書委員として、月曜日の朝を担当しているのだけど、化野が本の貸し借りに来るのは、決まってこの時なのだった。


「おはよう。今週も早いね」「おう、そっちこそ」


 そんな感じの挨拶をして、借りてた本の感想を化野から聞く。一年生の頃から続く、二人にとっての習慣みたいなものだった。


 きっかけはささいなもので、化野が借りようとカウンターに持ってきた本が、一巻じゃなくて二巻だったのが原因だ。


「巻数はこれでいいんですか?」と尋ねたら、「えっ? ダメなの?」と首を傾げられ、二巻だってことを教えてやった。


「一巻から読んだ方が絶対いいですよ」


 入学してからまだ間もない四月。化野がクラスでいきなり話題になってる美少女だってのは分かってたから、緊張もあって敬語になった。


「へぇ~、じゃあ一巻にするね!」


 化野はにっこり笑って一巻を取りに行く。見ているだけで、こちらも嬉しくなってしまうような輝く笑顔。「そりゃ話題になるわけだ」とその背をボーっと見ていたら、化野がくるりと振り返る。


「あと敬語! 同じクラスなんだからいらないよ!」


「えっ、あっ、いや、おう!」


 しどろもどろになりつつも何とか答えると、化野は「うん!」と満足したように頷いた。


「じゃあ今度行ったらいいよ、高いとこ。感動するよ、多分」


 化野は歩くのをやめたみたいだ。今はただ、風の音が鳴っている。


 僕はスクロールをあきらめた。一つもいい曲が見つからない。これから死のうとしている奴に聴かせるには、どの曲も薄っぺらくてとてもじゃないけど見合わない。


「……行ってみるよ」


「うん!」


 化野の満足げな声を聴きながら、僕はYouTubeを開く。


 以前バンド仲間と「死ぬ前に聴きたい曲」の話をしたことがある。激しい曲でぶっ飛んだまま逝くのがいいって奴もいれば、穏やかな曲で溶けていきたいって奴もいた。でもいざ考えてみると一曲にはなかなか絞れず、結局はプレイリストを作ろうって流れになった。


 ただ僕は、一曲だけで逝ける気がした。みんなには言わなかったけど、なんならプレイリストにも、僕はこの曲を入れなかったのだけれど。


 さよならはエモーション。


 サカナクションの楽曲だ。大ヒットした曲たちがノリのいいやつばっかりだから、意外と知られていないのだけれど、サカナクションは穏やかな曲もけっこうな数作ってる。中でもこの曲はすこぶる抒情的な音をしていて、悲しみを湛えた静謐な歌詞もたまらない。


 死にたいと叫ぶ声を聴くと、どうしてか生きていたくなるけれど、この曲みたいに静かに歩く後姿を淡々と見せられると、彼岸の先までついて行ってしまいたくなる。痛みを抱えたまま、穏やかに歩くことこそ難しい。


 化野の好みは知っている。きっと世界の誰よりも詳しい。


「超面白かったよ! やっぱり君のおすすめには外れがないね~」


 嬉しそうな化野に、「だろ?」とどや顔をするために、俺は彼女の好きそうな本を片っ端から読んでいた。自分一人では手を出さなかったであろう作家を大量に知り、いつの間にか、化野の好きそうな作家は、俺の好きな作家になった。


 これから先もそういう作家が、小説が、増えていくのだと思ってた。


「やっぱりさ、」


「瀬川くん」


 僕が言葉を吐く前に、化野がそれを遮った。名前を呼ばれただけなのに、有無を言わさないオーラがあった。


「最期に聴くのに、いい曲を教えて」


 ゆっくりと、丁寧に。だけど力強さを感じる声で化野は言った。遠くでまたも、踏切が鳴る。僕はYouTubeのリンクをコピーし、ラインの画面に貼り付けた。送信ボタンをタップすれば、僕の仕事は終了だ。


「化野」


 もう、これしか僕には言葉がなかった。


「さよなら」


 リンクに既読がつく前に、僕はスマホを放り投げ、ベッドにバタンと倒れ込む。部屋の電気を消さなかったのは、せめて化野が見る最期の夜景に、僕も加わっていたかったから。



 そして夜が明け、朝が来て、僕は制服を着て家を出る。信号が赤から青に変わって、サラリーマンの群れと一緒に白線を渡る。最寄り駅の窮屈な電車に乗って、冷たい空気の中を学校に向かう。


 朝食だけじゃ足りないから、スーパーでパンと缶コーヒーを買う。下駄箱に靴を入れ、誰もいない廊下を歩いて図書館へ。鍵を開けて、カーテンを開けて、室内に新しい空気を入れる。机に上がった椅子を下ろしたら、カウンターの定位置に腰掛ける。


 いつもと何も変わらない日常だ。だけどもうすぐ、すべてが変わる。だって化野静花は、二度とここには来ないのだから。二度とここには、来れないのだから。


「化野……」


「瀬川くん!」


「幻聴……」


 聞こえないはずの声がして、俺は入口の方を見る。


「おはよう! 今週も早いね!」


「……………………は?」


 ぽかんと口を開けたまま、目を見開いて固まった。上履きを脱いで、化野が靴箱に入れている。朝の光に照らされて、細かな埃が舞っている。


「昨日はありがとね」


 化野は一直線に歩いてきて、カウンターにスマホを置いた。


「君のおすすめ、初めて外れた」


 さよならはエモーション。


 流れてきたのは、僕がすすめた曲だった。


「こんなの聴いたら死ねないよ。霧の向こうの……明日を知りたくなっちゃうじゃん」


 化野は泣いていた。するすると、透明な涙を流していた。そして泣きながらも、どこか安心したように笑ってた。


「化野……お前は……っ」


 僕も僕で、泣いていた。


 悔しくて、悔しくて、どうしようもないほど、悔しくて。


「私、飛び降りようって、何度も、でも、海、黒いのに、綺麗で」


 化野は泣きながら、昨日の夜を語ってくれる。でも、ほとんど耳に入ってこない。


 悔しい、悔しい、悔しい、悔しい。


 僕は化野を救いたかった。化野に死んでほしくなかった。無理だと悟ったつもりで最期の曲探しに付き合っていたけれど、やっぱり死んでほしくなかった。


「君が、浮かんで、そしたら、重かったのが、軽くなって、まだ、生きたいって、私」


 でも、化野を救ったのはサカナクションだ。


 さよならはエモーションだ。


 僕じゃない。


 僕の曲じゃ、ダメだった。


「勝手だって、わかってる。困らせた。嫌いになったよね。ごめん。許さなくていいから。ごめん。私は――」


「――化野」


 心の中に、燃えるような怒りが湧いた。


「化野には怒ってないよ」


「瀬川くん?」


 僕は立ち上がり、化野の手をそっと取る。柔らかくて、ちょっと冷たい。幽霊じゃない、ちゃんと生きてる。


「生きててくれてありがとう」


 化野は驚いたように目を見開く。


 死ななかった化野にじゃない。


 僕が怒りを向けているのは。


「花の水を替えるのは、僕じゃない方がいい。きっと僕じゃ、枯らしちゃうから」


 救えなかった自分にだ。


「……そっか」


「うん」


 化野は遠くを見るみたいに微笑んで、僕の手を優しく握り返した。

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