第5話 告白!?
「ああああああああぁああああっ!」
叫び声とともに、ベッドから跳ね起きる。
心臓が早鐘を打っている。荒い呼吸が喉を裂く。じっとり嫌な汗を吸ったシャツが、全身に張り付いている。
視界に映った土壁が、意識を現実に引き戻す。そう、ここは現実。もう夢の中じゃない。
乱れた呼吸をなんとか整えて、時計を見る。もう夜の十一時。だいぶ眠っていたようだ。
──くそっ……まだあの時の光景が。
ベッドの端を掴み、奥歯を噛み締める。さっきの悪夢が、まだ瞼の裏に焼きついて消えてくれない。
あの悪夢は、ただの夢なんかじゃない。実際にあった出来事──正確には、俺が幼いころ実際に体験した出来事だ。
あれは俺がまだ小学生の頃。忘れもしない誕生日の夜だった。父さんと母さんが俺の誕生日を祝うためにささやかなパーティーを開いてくれた。とても幸せな思い出として心に残るはずだった。
だが、それは突然ぶち壊された。
パーティーの最中に、宅配業者を名乗る男がインターホンを鳴らしてきた。お届け物ですと。応対した母さんが玄関を開き、押し入るように男が金を出せと現れた。母さんの喉元にナイフを当てながら。父さんも母さんも、俺も知らない男だった。
怖かった。恐ろしかった。けれど同時に、母さんを人質に取られていることが許せなかった。はらわたが煮え繰り返るほどの怒りが湧いた。
本能的に、男に飛びかかった。正直、その時のことはよく覚えていない。母さんを放せとか、出ていけとか言ったんだと思う。たぶん返り討ちに遭って、目が覚めたら二人とも血溜まりで死んでいた。
俺が咄嗟に飛びかかったのがいけなかったんだと思う。そのせいで強盗も、父さんも母さんも気が動転して、あんなことになってしまった。男は最初から金が目的だった。殺すつもりなんてなかった。俺さえ暴れていなければ、男もナイフを振りかざさなくて済んだのではなかったかと今でも悔やんでいる。俺が両親を殺したのも同然ではないかと。
──でも……それでも、やっぱり殺したお前が悪い。
男はその後逃走し、少し離れた道端で自らナイフで命を絶ったらしい。すれ違った目撃者によると、こんなはずじゃなかったとか、誰でもよかったとか、そんな譫言を呟いていたらしい。つまりあの男は、玄関を開けた家ならきっと誰でもよかったのだ。それがたまたまうちだった。
──なんだよ、誰でもよかったって。
あとでわかったことだが、男は勤務先でパワハラを受けており、精神的に追い詰められて辞職した。その後、様々な職を転々とし、事故で片脚に大怪我を負う。職を得られなくなった男は金銭に困り、やがて社会に不満を持つようになって、このような凶行に及んだ。
──ふざけるな。だからなんだってんだ。
それと両親の死と、何の関係があるっていうんだ。パワハラを受けたから殺した? 大怪我を負ったから殺した? 金銭に困ったから殺した? 社会に不満があったから殺した? ──どれ一つ取っても、両親が死んでいい理由にはならない。
あんな理不尽な目に遭う理由には、決してならない。
──『どうか……人の痛みが、わかってあげられる大人に……育ってね』
死に際に残した、母さんの最期の言葉をはっきり覚えている。その冷たい体温と一緒に。でも、ごめん。その言葉は守れない。きっと母さんは、あんな男のようになるなと、憎しみや復讐心に囚われるなと言いたかったんだろうが、俺はどんな理由があろうと人として決してしてはならないことをするような奴の心に寄り添ったり、許したりする人間にはなれない。
「理不尽なことが、俺はこの世で一番嫌いだ……」
コンコン──隣の部屋から、壁を叩く音が響く。
「夏翔? 今そっち行っていい?」
壁越しに、彩陽のくぐもった声が聞こえてくる。いつの間にか部屋に戻っていたようだ。熱っぽくなっていた思考が少し冷静さを取り戻す。どうやら浸りすぎていたみたいだ。
「ああ、いいぞ」
壁越しに返事をすると、隣の部屋から足音とドアを開ける音が響く。彩陽がやってくる間に、わずかに深呼吸をした。
ドアが開き、彩陽が顔を覗かせる。入ってくるなり、きゃっと小さい悲鳴を上げた。
「アンタ具合大丈夫? ずいぶん顔色悪いわよ」
「ああ、これは……大丈夫。平気だ」
「さっきも大きな声聞こえたし、もしかしてまたご両親の夢でも見たんじゃ……」
「だからなんでもないって!」
心配そうな表情でこちらを気遣ってくれる彩陽に、つい怒鳴り声を上げてしまった。自分が情けなくて嫌になる。彩陽にはなるべく自分の弱いところを見られたくなかった。
「ごめん……」
「いいのよ。夏翔がずっと辛い思いを抱えてるって、ちゃんと知ってるから……」
汗で湿った俺の前髪を梳かしながら、彩陽が優しい笑顔で慰めてくれる。その表情に安心した。──ああ、やっぱり彩陽は優しい。
彩陽には俺の両親が強盗に殺されたことを話してある。打ち明けたのは彼女がうちに家出しにきた日。家出せざるを得ない事情を、話してくれたときだ。本当は他人に話したくない、口にするのも忌まわしいであろう秘め事を語ってくれた彼女に、こちらもちゃんと応えなければフェアじゃないと思った。こんなことを言われてもいい気分はしないかもしれないが、同じ屋根の下に住むことになった以上、重い過去は分かち合った方がいい気がしたのだ。
それが正しい判断だったのかはわからない。ただ、おかげで今はただの同居人ではなく、なんでも遠慮なく話し合える仲になれたと思っている。
「……ねえ、あのさ。もしよかったらなんだけど……一緒に外、行かない?」
「今からか? なん──」
なんで、と言おうとして、詰まる。
ドキッ、と。心臓が跳ねる音が聞こえた。
彩陽の仕草に、上気したような、熱っぽいものを感じたのだ。
「実は……さ。大事な話があるのよ……アンタに」
髪をクリクリいじりながら。ぎこちなく視線を逸らしながら。頬を紅潮させながら。彩陽はいつになく真剣な口調で言った。
大事な話って、なんだ?
──これってもしかして……。
ひょっとしてひょっとするのか⁉︎ ひょっとしなくてもひょっとするのか⁉︎
急に降って湧いた期待に、胸がはち切れそうだった。
× × ×
「なあ、やっぱりやめようぜこんなこと」
「なによ今さら。意気地なしね」
深夜零時。俺たちは夜道を二人で歩いていた。街はしんと静まり返り、街灯がわずかに行く先を照らすばかり。すれ違う人は誰もいない。少し肌寒い空気が、シャツの隙間から音もなく背筋に這い上がってくる。
──ったく、何がしたいんだよ彩陽のやつ。
後ろ手を組みながら、彩陽はずんずん先へ進む。背中がどんどん遠のいていくようだった。
彩陽が指定した場所とは、なんと夜の学校だった。誰もいない夜の校舎に、二人でこっそり忍び込もうというのだ。
最初にそれを聞いたときは驚いた。彩陽がそんな不良みたいな真似をするとは思わなかったのだ。彩陽は成績優秀で、優等生で、何より「困っている人を助ける」の奉仕部の部長だ。こんなバレたらただじゃ済まないことをするなんて意外だった。喧嘩ばかりで先生に目をつけられている俺でさえこうして躊躇するほどだ。
──夜の学校で告白……ないない。いや、あるか? わかんねぇ……。
そうこうしているうちに学校に着いてしまった。明かりはなく、門扉は完全に閉まっている。いけないことをしているようでやはり気が引けた。
つい警戒して辺りを見渡す。見張りも、通行人もいない。しまった。侵入するには絶好のタイミングじゃねえか……。
「スカート。こっち見ないでよね」
「は? スカ──なっ?」
反射的に彩陽の方を振り返り──即座に後ろを向いた。折しも彩陽が門扉を乗り越えるところで、勢いよく地面を蹴り、両手をかけ、その反動で──ひらりとスカートが捲れたのだ。
「〜〜〜〜っ!」
「なぁに? 見た? 見たの?」
クスクスと、門扉の上に乗ったまま嘲笑する彩陽。それでついムキになってしまった。
「見てない! なんも見てねぇし!」
「へぇー。本当に何も見てないならそんな反応にはならないと思うけどー?」
「見てねぇよお前のパンツなんか──はっ!」
語るに落ちる。彩陽もまさか本当に見られていたとは思っていなかったようで、赤面しながら目の端に涙を浮かべ、悔しそうにこちらを睨んでいた。あっ、やべ。
「……早く行くわよ。──変態」
「……うっす」
なんだか緊張感など一瞬で消え去ってしまった。黙って校門の向こうへ着地する彩陽に従って、俺も門扉を乗り越えた。
気まずい空気のまま、彩陽の後ろをついて歩く。どう話を切り出せばいいかわからなかった。夜は冷えるな、とか? 夜は暗いな、とか? 駄目だ、どれも天気の話題ばかりだ。
ふと、彩陽の足が止まる。そこは校門と校舎のちょうど中間にある前庭だった。
「ねえ、覚えてる? 昔アンタにここで助けられたわよね」
懐かしむように、どこか遠い眼差しで彩陽は語る。よかった。もうパンツの件は許してくれたようだ。ほっと安堵しながら、彩陽の隣に並び立った。
「そういやそんなこともあったな。お前が真田たちに絡まれてて、そこに偶然俺が通りがかったんだっけ」
「ええ。アンタと初めて出会った場所よ」
「……もしかして、そのためにここに来たのか? わざわざ真夜中の学校に」
「昼間じゃこうして落ち着いて話せないでしょ。アタシにとっては大事な場所なの」
わずかな沈黙をおいて、彩陽は続けた。
「気づいてた? アタシ、アンタみたいになりたくて奉仕部を立ち上げたの。夏翔みたいなヒーローになりたくて」
「ヒーロー? お前、俺のことそんな風に思ってたのか?」
意外だった。あの彩陽が、俺のことをヒーローだと思ってくれていたなんて。いつもは尻に敷いてばかりいるくせに。嬉しいような、歯痒いような、複雑な気持ちだった。
「夏翔はヒーローよ。あのときのアタシの目にはそう映った」
追想するように、どこか寂しそうに、彩陽は当時のことを語り始めた。
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