第3話 百舌川彩陽はヒーローになりたい
「黒い鳥居なんてどこにも見当たらないぞ。依頼者の見間違いなんじゃないの?」
「んー、他に変わったものもないわねー」
「ていうか神社に鳥居があるなんて当然だろ」
真っ赤に艶めく立派な鳥居を前にしながら、竜胆が至極真っ当な意見を言い放った。
放課後。俺たち三人は郊外の神社へ足を運び、奉仕部の活動に従事していた。奉仕部とは彩陽が立ち上げた部活動で、「困っている人を助けよう」を理念に手広く活動している。部員は俺と彩陽、竜胆の三人だけ。もちろん部長は設立者の彩陽。SNSを通じて街の困っている人の情報を集め、無償で手助けしようというボランティアのようなものだ。
活動内容は引越しの手伝いから猫探し、はたまたスターパックスに一人で入るのが怖いから一緒についてきてほしいなど多岐に渡る。それで今日もトゥイッターに寄せられた依頼をもとに行動していたわけだが……。
「『神社で不気味な黒い鳥居を目撃しました。怖くなってすぐに逃げましたが、あれが一体何だったのか今となっては気になります。是非とも正体を突き止めてはくれないでしょうか?』……って依頼だったけど、空振りだったみたいね」
スマホに目を落としながら、彩陽は落胆した声で呟く。しょうがないさ、と、俺は肩でも叩いてやりたい気分だった。
そもそも奉仕部とは、学校公認の部活動ではない。その実、彩陽が勝手に立ち上げた非公認の部活なのだ。曰く、部の申請こそしたが部員の数の問題や活動内容があまりに不鮮明であることなど、意外と課題が多かったらしく、それで強引に……いや、勝手に部と名乗っているだけなのである。俺たちはその理念に共感した……というか、半ば巻き込まれた形で行動を共にしていた。
つまり、認知度が決して高いとは言い難い。設立してまだ日が浅いというのもあるが、非公認のレッテルは思いのほか大きく、地道に依頼を収集しこなしてこそいるものの、やはり学校を通して大々的に宣伝できないデメリットは俺たちの活動を大いに阻害していた。
それで今日は久々に舞い込んできた依頼に喜び勇んで神社へ赴いたといわけだが……結果はこの通りだった。
「まあそう気を落とすなって。こんなオカルトな依頼初めてだったし、彩陽も最初からあんまり期待してなかったろ?」
「それはそうだけど……久しぶりの依頼だったから意気込んじゃって……」
うんうんと頷きながら、俺はせめてもの励ましの言葉を送った。
何々を手伝ってほしい、見つけてほしいという依頼は数あれど、神社で奇妙な鳥居を探してほしいなんてオカルティックな依頼は珍しいし、見つけたとしたらそれこそ事件だ。最初から解決不可能な依頼だということは彩陽が一番理解していたはずだった。
「まあそう気を落としなさんな。こんなオカルティックな依頼そもそも俺らの管轄外だし、彩陽も解決できるなんて最初から思ってなかっただろ」
彩陽の肩をポンと叩きながら、竜胆が俺のセリフをパクる。おい。
「……まあ、竜胆の言う通りね。こんなことで落ち込んでてもしょうがない! もっと前向きにいきましょ!」
竜胆の手をパシッと握り返して、彩陽は打って変わって満面の笑顔を浮かべる。おい。ほとんど同じセリフだろうに。俺と竜胆で何が違う。
「依頼の確認はとりあえず済ませたことだし、さっさと帰りましょ。夏翔、一応神社の写真でも撮っておいて」
「はー……へいへい」
彩陽に言われるまま、ポケットからスマホを取り出す。
彩陽はいつもこうだ。竜胆を贔屓して俺を顎で使ってばかり。確かに容姿は竜胆の方がかっこいいし、頭もいい。スポーツ万能だし喧嘩も強いときた。だからってここまで扱いに差が出ると男としてのプライドが傷つくってもんなんだぜ。
「んじゃ鳥居さん、にっこり笑って〜」
ささやかな腹いせに悪ふざけでもしようかと、スマホのカメラを鳥居に構えたとき。
「はいピース……うわっ!」
恐ろしいものを見た。
「なに⁉︎ どうしたの?」
「なんだ、腹痛でも起こしたか」
先に帰り始めていた二人が一様に振り返った。
スーッと全身から血の気が引く。額に冷たい汗が流れる。二人は困惑した表情でこちらを見ている。何が起こったのか気づいていない様子だ。
だが、俺は見たのだ。さっきスマホを構えた瞬間──真っ赤に艶めいていた鳥居が、急に真っ黒に朽ち果てている光景を。
「い、いま鳥居が真っ黒く腐って──」
鳥居の方を指差して、気づく。そこには真っ赤で立派な鳥居が立っているばかりだった。スマホ越しに見た黒い鳥居など、どこにもない。
どういうことだ? 確かにそこにあったのに。忽然と姿を消してしまった。
俺の当惑を知ってか知らずか、彩陽が嘆息して俺の肩を叩いてきた。
「夏翔、あなた疲れてるのよ」
「お前そのセリフ言いたいだけだろ」
竜胆のツッコミにも思考が追いつかず、俺はただ呆然と立ち尽くしていた。
「黒い鳥居なんてどこにもないじゃない。気のせいよ気のせい。依頼者もきっとこうして普通の鳥居を見間違えたんでしょうね」
「人を脅かすにももうちょっと捻ろうぜ。ていうか俺は鳥居が黒いからなんだって話だが」
見間違い……なんだろうか。確かに今日は喧嘩に負けて疲れているし、竜胆の言う通り黒い鳥居があったって別におかしくはない。事前にネットで調べてみたら、黒い鳥居がある神社というものは実在するらしい。
だが、一瞬見えたあの光景はただ黒いというより、まるで怨念や人の業のようなものが渦巻くもっとおぞましいもののような……。
「と、とりあえず依頼達成の証拠は必要だよな。もう一度……わっ!」
スマホを再び構えた、そのとき。鳥居の向こう、神社へ通じる長い階段の前に、一人の老婆が佇んでいた。
「あら、あんなところにお婆さんなんていたかしら」
「さあ……あんな場所で何してんだ?」
老婆の姿は二人にも見えているらしい。少なくとも幽霊ではなさそうだ。いきなり現れてびっくりしたが。というかびっくりする登場の仕方はやめてくれ、おい。心臓に悪いから。
老婆は杖をつきながら階段をしばらく見上げ、やがて膝を折るようにゆっくり腰を下ろした。どうやら歩き疲れたらしい。息も絶え絶えなその姿は、どこか哀愁が漂っていた。
二人と顔を見合わせて、頷き合う。ここは俺たち、奉仕部の出番だ。
「お婆さん、どうかしました?」
お婆さんのもとに歩み寄りながら、彩陽が声をかける。俺と竜胆も彼女の後を追った。
お婆さんは初めてこちらに気づいたのか、にこりと微笑み返すと、窮屈な体勢なままどこか遠慮がちに答えた。
「ちょっと足が悪くてねぇ。ここで休憩していたの」
彩陽のもとへ追いつくと、お婆さんは柔らかな笑顔とは裏腹に労わるように自分の両膝をさすっていた。呼吸も少し荒く、明らかに疲労困憊した様子だ。
このまま放っておけないと思ったのか、彩陽はその場にしゃがみ込むと、お婆さんの目線に合わせながら優しい口調で話しだした。
「この階段を上りたかったの?」
「え、ええ。この神社にどうしても参拝したくてね。けどご覧の通りの足だから、ここまで歩くだけで疲れちゃった」
「だったらアタシたちが付き添いますよ。こっちには力持ちもいるし、一緒に神社まで上りましょう。荷物も重いならお持ちします」
「いえいえ、申し訳ないわ。ちょっと休憩するだけで歩けるから、私のことは心配しないで若者は若者だけの時間を楽しんでちょうだい」
あくまで遠慮するお婆さんに、彩陽はにっこりと笑った。
「大丈夫です。人に頼られることこそアタシたち奉仕部の本望ですから」
戸惑うお婆さんをよそに彩陽は杖と荷物を取り、荷物をこちらに手渡してくる。竜胆が広い背中を向けてしゃがみ込み、どうぞとお婆さんに声をかける。お婆さんは初めこそ躊躇っていたものの、やがてじゃあとその背中に身を預け、されるがままにおんぶされた。竜胆が立ち上がると一瞬驚きの声が上がったが、その視界の高さと乗り心地が軽快だったのか、すぐに嬉しそうな声に変わった。
彩陽がブレイン兼リーダー。竜胆が力仕事。俺は荷物持ちで今回は大したことはできていないけれど、これが奉仕部の役割分担だ。今までコツコツ活動を重ねてきたからこそ、誰の指示がなくともシームレスな連携ができる。これが俺たち奉仕部だ。
「お婆さんはどうしてこの神社に来たんですか?」
急勾配の階段を上がりながら、彩陽が尋ねる。
「孫が生まれつき心臓が悪くてねぇ。今度手術をすることになったの。本人は心配かけたくないのか大したことじゃないって言うんだけど、どうも難しい手術らしくてね。少しでも手術がうまくいきますようにってお願いしに来たのよ」
「そういやこの神社、健康に御利益がある神様が祀ってあるらしいな」
お婆さんをおんぶしながら、息を全く切らさず竜胆が言った。
「そうなの。こんな年寄りにできることなんて神頼みしかないから、いろんな神社に足を運んだわ。ここもそのうちの一つなんだけど、私もずいぶん老いたわね」
「神様のところにお願いしに行くだけでも立派です。お孫さんは今おいくつなんですか?」
「十四の男の子よ。かわいそうに、運動も満足に許されてないから肌なんか真っ白でね。なんだか病弱の証みたいで気の毒で仕方ないの。だからって、せめて勉強だけでも人一倍頑張ってくれてるんだけど、私はあの子が元気になってくれたらそれだけで嬉しい」
そう語る横顔は、どこか遠くを見つめていた。
──もしかして、心のどこかじゃもう諦めてるのかな……。
夢想するような、諦観するような。その心境を考えるだけで、少し胸が苦しくなった。いろんな神社に赴いてきたというのも、もしかしたら大丈夫だと自分に言い聞かせるためなのかもしれない。それはとても悲しくて、やるせない。
やがて長い階段も終わりを告げ、小さな祠が見えてきた。険しい道のりを強いて、健康に御利益がある神様を祀る場所にしては、あまりに頼りない祠だった。
竜胆は祠の前でお婆さんを下ろし、俺たちは杖と荷物を返した。ありがとうねとそれを受け取り、祠を見つめるその横顔は、やはり悲痛に感じられて。やがて両手で拝み、縋るように頭を垂れるその背中は、とても小さく見えた。
永遠にも感じる沈黙。彩陽と竜胆も同じ気持ちなのか、どこか悲しげな眼差しだった。
「……お婆さん。手術、必ずうまくいきますよ」
気づけば、そう喋っていた。驚いたように、一様に皆こちらを振り返る。なぜだか自分にもわからないが、言葉は次々と口をついて出てきた。
「俺のときもそうでした。たとえ心臓が凍えそうになっても、神様は絶対にお孫さんを見捨てたりなんかしません。神様はあなたとお孫さんのことをちゃんと見てくれています。だから──あなたが一番に信じてあげてください。手術は絶対成功するって」
俺のときもそうでした? 一体何を言ってるんだ、俺は。手術なんて受けたことないくせに。
ポカンと口を開ける三人。でも、一番驚いているのは俺の方だ。どうしてあんなセリフ口を衝いて……。でも、なぜか根拠のない自信が今でも心の奥底にある。
「な、なーんちゃって……ちょっとカッコつけられなかったかな……?」
「おい、今のは少し無責任だったと思うぞ」
「そうよ。だいたいアンタ心臓悪くなんてないでしょ」
非難してくる二人に、ついばつが悪くて目を逸らす。
「そ、それはそうなんだが……」
「ふっ……ふふ」
静かに湧き上がる笑い声。誰かと思えば、お婆さんがおかしそうに口元を押さえて笑っていた。
「あなたが自信満々なものだから、かえって不安が消し飛んじゃった」
さっきまで神様に向けていた両手を見下ろしながら、お婆さんは呟いた。
「そうよね。神様に頼る前に、まず私が信じてあげなくちゃ。それがあの子のためになるし、神様にも失礼だわ。気づかせてくれてありがとう」
杖を握りながら、お婆さんはしっかりした足取りで歩き出す。
──ほっ……よかった。一時はどうなることかと。
二人も仕方ないといった面持ちで、やがてお婆さんに付き添いだした。とりあえずお婆さんの不安は取り除けたみたいだ。
「さあさ、帰りは一人で歩けるわ。お礼にみんなにパフェでもご馳走してあげる」
「そんな! お礼なんていりません」
肩をそっと抱いて歩きながら、彩陽ははっきり言い放った。
「これがアタシたち〝奉仕部〟の仕事ですから」
こうして俺たち奉仕部の今日の活動が終わった。ただ、どうしてあんなセリフが口を衝いて出たのか、それだけは最後までわからなかった。
「これがアタシの……奉仕部最後の活動ね……」
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