第2話

 ある土曜日。現実世界では、珍しく友達に誘われて映画を観に行こうという話があった。でも、私はあっさり断ってしまった。


 「ごめん、その日はちょっと……予定があるの」


 もちろん誘ってくれた友人には感謝している。だけどこの時期、ゲーム内でどうしても外せないタイミングがあった。


 最近、サーバー全域で話題になっている新コンテンツ「魔導都市レグラーナ探検」。そこにはすさまじく強力な魔物がうようよしていて、しかもボスを倒すと“伝説級の装備”を落とす――という噂が絶えない。しかも、最奥で新たなユニークシナリオが発生するんじゃないか、という情報がちらほら。


 これはやるしかないでしょ! と、私は思い切り気合を入れていたわけだ。


 (映画も面白そうだったけど……やっぱり、こっち優先になっちゃうよね)


 だって、人生はゲームだけじゃないとはわかってはいるけれど、少なくとも今はゲーム中心に回っていると言っても過言じゃない。そして、この“誰よりも早く攻略したい”という気持ちは、私の中でどうにも抑えられない高揚感を生むのだ。


 そんなわけで、昼過ぎにはさっさと帰宅して、PCの電源を入れ、カプセルに潜り込む。


 このVRカプセルは両親が私の誕生日に買ってくれたという、なかなか“理解のある”プレゼントだ。もちろんそれなりに高価で、普通はモニターとヘッドギア型のデバイスだけでVRを楽しむ人が多い。だけど、カプセル型の完全没入環境は格段に違う。


 私がありがとうの言葉を伝えたとき、両親は「好きなことをがんばるのは良いことだし、琴葉には才能があるかもしれないからね」なんて言ってくれた。


 しかし、それがこの先どう役に立つのか、まだ私自身にはわからない。


 ともあれ、カプセルの中に入ってドアを閉めた瞬間、カウントダウンが始まる。瞳を閉じ、軽く深呼吸……。


 そして――


 目を開くと、そこはもう石畳とレンガの街並みが広がる、アーデント・オンラインの拠点都市レーヴス。


 「よし、今日もよろしくね!」


 思わず独り言で気合を入れる。そう、ここからが私の“本番”だ。

 ……って、アバターの姿勢を整えてから、まずは自分の装備をチェック。革製の軽装アーマーに、腰には細身のショートソード。背中には非常用の短弓を背負っている。


 私は振り返りながら、周囲を見渡した。さっそく掲示板の方でざわめきが起こっている。どうやら、魔導都市レグラーナへの大規模レイドパーティを募っているらしい。


 パーティ名は「ドラゴンスレイヤーズ」。そうそうたる実力者がそろう有名クランだ。彼らは数十人単位でボス討伐を狙っているようだ。


 (私も混ざってみる? いや、でも大人数は苦手だし、あまり気を使いたくない)


 そう思って、私はすぐに首を振る。やっぱりソロで行くのが好きなんだ。ああいうクラン活動って、責任とか役割分担とか生まれてくるでしょ。死なないように回復役を頼むとか、タンクにヘイト管理してもらうとか……。それはそれでチームワークが楽しいかもしれないが、私は自分でタイミングを計りながら、ギリギリを攻めるほうが性に合っている。


 それに、私が欲しいのは「伝説級の装備」よりも、その先にありそうなユニークシナリオ。


 ユニークシナリオっていうのは、運営非公表のクエストだ。クリアした人は一気に冒険が有利になったり、レアスキルを取得できたりする。しかも、たいていがとんでもない難易度。


 そういうクエストを“単独”で見つけて、“単独”でクリアするのが、私のこだわりだ。


 さて、魔導都市レグラーナの情報を持ってそうなNPCやプレイヤーはどこにいるだろう。こういうときは、だいたい酒場か冒険者ギルド、あるいは裏通りの情報屋に行くのが定番だ。


 私は街外れの冒険者ギルドへ向かった。このゲームの街は本当に広い。地図を頭に叩き込んでいないと、迷子になるレベルだ。しかし私は何度も探索しているから、建物の位置や路地はおおむね把握している。


 ギルドの扉を開けると、むっとするような空気が鼻を突く。VRとはいえ、これは見事に再現された現実感だ。酒のにおいと、装備の革のにおいが混ざったような独特の香り。


 奥には受付があって、筋骨隆々の男性NPCが腕を組んで睨んでいる。冒険者の登録やクエストの受注は基本ここで行う。


 私は軽く手を挙げて挨拶しつつ、壁際のクエストボードを見る。貼り出されているクエストはモンスター討伐や素材集めが中心で、特に目新しいものはない。


 テーブル席ではプレイヤーらしき人たちがわいわい騒いでいる。こういう場では、情報交換が盛んに行われる。私は耳をそばだてながら、ちらっと会話を盗み聞きする。


 「……おい、聞いたか? レグラーナはもう全域に中級モンスターばっかり出るらしいぜ」


 「それどころか、奥に行けば行くほどやばいのが出るんだとさ。あんなとこ行きたくないよ」


 「でもドロップする宝箱にはレアアイテムぎっしりらしいぞ。ああ、金が欲しい……!」


 ふむふむ。大まかな情報はこんな感じか。中級モンスターばかりというのは大嘘だ。実際はもっと強い怪物がいるはず。だって噂によれば、その辺の上級モンスターと同格かそれ以上のがうじゃうじゃ。


 (よーし、やっぱり行くしかないよね)


 私は心の中でひそかにガッツポーズ。


 そのとき、カウンターのNPCが私に気づいたようで、低い声で話しかけてくる。


 「お嬢ちゃん、何を探しているんだ? こんなギルドに来るとは、なかなか肝が据わってるな」


 私はNPCとはいえ、ちゃんと敬意を払いながら答える。というのも、ここのNPCはまるで生きているかのようにリアクションを示すから。


 「ここ最近、レグラーナに行った冒険者の話を聞きたくて……。誰か情報を持ってる人、いませんかね?」


 「ふん、そういうことなら……あの奥の席に、“ダガーのリド”って野郎がいる。そいつはレグラーナから命からがら戻ってきたらしいぞ」


 ダガーのリド? 聞いたことない名前だ。でも、このギルドにはいろんなプレイヤーが出入りしているから、相性で呼ばれている人が多い。


 「ありがとう、行ってみる」


 軽くお礼を言って、奥の席をのぞき込むと――そこにはフードを深くかぶった男性アバターが一人で酒をあおっていた。


 「ダガーのリド……さん、ですか?」


 私が声をかけると、リドらしき男はむくりと顔を上げた。が、フードの下の表情はうかがい知れない。


 「……なんだ、あんた」


 不機嫌そうな声。ちょっと怖いけど、ここは勇気を出して続ける。


 「私は、コトハ。レグラーナに行きたいんだけど、よかったら情報を教えてもらえないかな?」


 リドは酒をぐいっと飲み干すと、空になったコップをテーブルに置いた。


 「悪いが、タダでは教えられねえな。向こうで死にかけた苦労を思えば、な?」


 ああ、やっぱりか――。ゲーム内でも金銭とかアイテムとの情報交換はよくある話だ。私はため息をつきつつ、財布代わりのウィンドウを開いて、保有するゴールドを確認する。そこそこ溜まっているが、あんまり吹っかけられるのは嫌だな……。


 「いくらならいい?」


 私が尋ねると、リドは口元を歪めて笑ったように見えた。


 「金でもいいが……いや、あんた、スカウトか? なるほど、身のこなしが軽そうだ。だったらこうしよう。俺の“依頼”を一つ手伝ってくれたら、情報を教えてやる」


 依頼か。めんどくさそうだけど、金よりはマシかもしれない。


 「……具体的には?」


 「レグラーナの入り口付近にある廃墟で、俺の取りこぼした宝箱がある。そこに俺の大事な小包が入ってるんだ。それを取ってきてくれ。俺はもうあの街には近づきたくないからな」


 ほう、それはつまり、私がレグラーナに行けばいいってことよね。どうせ行く予定だったから、ちょうどいいじゃない。


 「わかった、やるよ。で、その宝箱はどこら辺にあるの?」


 「城門跡地の右手側に崩れた塔がある。そこを三階まで上ると隠し部屋があって、そこに宝箱がある。俺が途中で逃げ出したんだが、あの箱はまだ開けてないはずだ」


 「オッケー。戻ってきたら、レグラーナの情報を頼むね」


 そう言うとリドは、フードの奥で微かに笑う。


 「約束しよう。ただし、死ぬなよ。もしやられたら、俺の小包は永遠に取り戻せないってことだからな」


 私は大きく息を吸い込んでから、リドに背を向ける。


 (いやいや、死なないように頑張るって。死んでもデスペナルティはあるけど、現実には影響ないし……ま、気を引き締めていこう)


 そうして私のレグラーナ探索は、思いがけず“ダガーのリドの依頼”という形で幕を開けた。

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